「ホープ先輩。作った資料のデータ送ったんで、最終確認してもらっていいですか?」
「…………」
なんの反応もない。わかったって言うくらい1秒もかからないんだから、早く返事しなさいよ。
「……先輩?」
仕方なく、だるい身体を捻って振り向いてやる。これ以上余計な手間かけさせんじゃないわよ。ったく、金取るわよ。
っていうか。
「……寝てるし!」
アカデミー最高顧問ホープ・エストハイム……とかいう偉そうな肩書きと名前を持つこの男は、机に突っ伏していた。顔は横向きに、ゆっくりと背中を上下させている。
……しかもあんた、いつの間に寝息まで立ててたのよ。気付かなかっただけだって? しょうがないじゃない、眠いなりに早く終わらせようと集中してたんだから。あんたの様子にまで気を配っちゃいられないわよ、当然でしょ? まあ静かな寝息だから、まだマシね。いびきなんかかいて私の邪魔してたら、ほんと張り倒してるところだわ。
……って。何? 窓の外も、明るい。時間は? え、……6時半?
ああもうっ! 本当は日付が変わらないうちに終わらせるつもりだったのに。
「ちょっとぉ先輩……、かわいい後輩を差し置いて、何寝てるんですか……私だって眠いんですけど!」
むしゃくしゃして、手元にあったノートを投げつける。勢いつけすぎて、その背中を越えてバサバサと床に落ちた。何よもう、それくらい当たったって問題ないでしょ?
わかったわよ。そんなに眠いなら、もうそのまま永遠に眠ってくれたっていいわよ。ええ、それでいいわ。さよなら先輩、いい夢見てね。
……それはそれで、ムカつくわね。私みたいに悪夢にうなされてるならまだしも……こんな平和そうな顔ですやすや眠られたら、どう考えても完全に癪だわ。見るなら嫌な夢にしてくれないと。
ああもう、完全に集中力切れた! ……ほんとこの男、どうしてやろうかしら。
椅子を引き摺って、近づいてみる。もう何年も一緒に仕事をして、随分と見慣れた顔と銀髪。
「……先輩も、老けましたね。毛穴開いちゃって、肌もぎらついちゃってますよ。おじさんよ、おじさん。若くないんだし、ちゃんとお肌のお手入れした方がいいんじゃないですか?」
ズビシッ、と頬を指で差してみようとして、やっぱりやめる。だって、ぎらついた脂が指に付いたら嫌だし。
「あ。先輩……耳垢溜まってますよ」
ああそう。耳が詰まってたのね。だから私の話も聞けないで自分の研究に没頭しちゃうわけね。納得したわ。
でも、悪く言う人なんて、全然いない。……ある意味私以上に完璧な外面でできてる、この男。
『君が、アリサ・ザイデル?』
最初に会った時のことを思い出す。にこやかな笑顔で、右手を差し出してきた。……私は知ってたわよ、ホープ・エストハイム。同じ歳、同じパルムポルム出身、同じアカデミーに所属、そして、同じパージの生き残り。……違うのは、あんたが元ルシで、アカデミー創設者バルトロメイ・エストハイムの一人息子で、みんなに将来を嘱望されてる研究者だってこと。……あとは、お人好しそうなところかしらね。パージで私をあんなに苦しめたルシの同類ってところは嫌だけど、まあ、ものは使いようだし。笑顔で騙されるタイプなら、ご機嫌とって、うまく取り入ればいいだけね。
……でも、にこやかだったのは最初だけ。君の報告書読んだよ——と、話が報告書の内容に入ると、いつの間にか笑顔は消えて、ひどく真剣な顔。熱心に、細かい点まで質問してきた。巨人兵アトラス、そして、セラ・ファロンとノエル・クライスの出現と消失。それは、当時誰もわかっていなかった、歴史のパラドクスの存在の認識につながるものだったから。ホープの勢いに呑まれるように、気付けば、何時間も話し込んでいた。
あの時から、もう何年も経つ。私の人生も変わった。
最初は……ほんとに、ひどかったわね。
何もできない。大きなものが、私の上に降ってくる。動けない。暗い。夢なのに……痛い。ねえ、このまま死にたくない。怖い、誰か、助けて……!
『……っ!』
毎朝毎朝、声にならない叫び声をあげて、起きる。心臓がばくばくして、寒い日だって脂汗が出て。
……"気持ちのいい目覚め"なんて、あのパージ以降なくなった。朝が来るたびにぐったりして、夜眠るのが怖くなる。積み重なっていく、疲労。気持ちが、沈んでいく。
『なんでこんな夢ばっかり見るのよ……』
ベッドに入る度に、思う。このまま私、消えていくんじゃないの……? もしかしたら明日には、このベッドには誰もいなくなってるかもしれない……って。
『私は、生きてる……はず、よね……?』
自分が生きているってことは当たり前だって、今までは思ってた。人は死ぬものだ、そんなこと頭ではわかってても、まだまだ先のこと。それまでは適当に楽しく生きていればいればいい。そんな風に思ってた。
でも、あの日から、楽しくなんて過ごせなくなった。
一緒におもしろおかしく過ごすパートナーだったネーナが死んだ、そのことも大きいのかもしれない。
でも、それだけじゃない。もしかしたら私は今すぐにでも死んでしまう。……ううん、本当は死んでたのかもしれない……、って、初めてそんな感覚になったの。
目の前の人達は生きてるのに、私だけが突然消えちゃうかもしれない。
みんな楽しそうなのに、私だけが切り離されて、違う世界にいるみたい。
……なんで私、ここにいるの? こんなことして遊んでる場合じゃないんじゃないの……?
何してたって、何も考えずに楽しむなんてこと、できなくなった。……明るくて楽しかったはずの人生に、急に、灰色の靄がかかったみたいに。
よく聞くトラウマってやつの一種なのかなって思ったわ。強い恐怖を感じた後、ずっとその時の記憶が蘇るってこともあるって聞くから。私がそんな繊細な人だなんて思わなかったけど……きっと私だって……あの時のことは、ものすごく怖かったんだって……。
暗い。誰か、そこにいないの? ねえ、誰かお願い、助けに来て……! このままじゃ、私……
夢のことが頭をよぎる度、何かに引き戻されるように冷たい感覚が忍び寄る。
こんな風になったのは、パージのせい。……ううん、全ての発端は、ルシのせい。
下界のルシの女……セラ・ファロンが、遺跡の扉を開いたから。だから、パージが起きて、みんなが大変な思いをすることになった。
ねえ、なんで? そんな女が一瞬起こした興味本位のせいで、なんで私が何年も何年も、苦しみ続けないといけないの? ルシは悪くない、悪いのはファルシだって臨時政府の発表があったって、はいそうですかなんて思えない。ファルシが人間を管理してた? それの何が悪かったってのよ。管理してたって何だって、私はそこで生きてたのに。
私の人生を……返してよ。
……ううん。昔に戻りたいわけじゃない。……結局、誰かの思惑通りに動いてるだけだった。誰かのせいでパージに遭って、なのに、誰かのせいで、パージの全容ですら知らされない。そして誰かのせいで、今も悪夢に苦しんでる。
自分の人生くらい、自分の思うようにしたい。……それって、普通の望みでしょう?
誰かの思惑通りに生きるのが嫌だから。
……私は、自分のやりたいことは全部実現するの。そのためなら、利用できるものは、なんでも利用する。能力だけじゃない、顔だって、演技力だって。人のコネも、何だって。
私は私なりに、やっていくんだから……。
「……そう、私だって、頑張ってきたんですよ……」
ホープが起きてたとしても聞き取れるかどうかの声で、呟く。
途中までは、うまく行ってるって思ってた。
勉強して、先生にも上手く取り入って、アカデミーに入った。アカデミーは、全ての情報を正しく速やかに公開することをポリシーとしている研究機関。だから、そこにいれば、利用される側じゃなくて、利用する側になれるって思った。
最初の実習先も、根回しの甲斐あって、希望通りビルジ遺跡。ご機嫌取りも面倒だったけど、希望が叶うならどうってことない。ちょろいもんだわ。
そこでのパラドクス報告書がアカデミーで頭角を現してきたホープの目に留まり、実習生から、正式な研究員になることができた。そして、ホープの助手になった。うん、順調。出世頭のホープの懐に入ることができれば、私の立場は安泰よね。やりたいこと、何でもできるようになる。
それなりに能力もあって、愛嬌も振りまけば、どうにかなる。世の中ほんと、そういう風に回ってる。それが事実なの。媚び売って取り入ったとかいうやっかみもあったけど、結局運も実力もない、媚びすら売れない奴らの遠吠えでしかないのよ。黙ってろっての。自分のやりたいことができるなら、媚びくらいいくらでも売ればいいじゃないのよ。変にプライドがあるから、それすらできないのよ。妬む暇がいるなら、まずはそのプライドの高さと地味な外見をどうにかしろって言いたいわよ。
でも、そんなこと言う奴らは何にもわかってないの。この男が、媚び売ってどうにかなる人だったら、どんなに楽だったかなんて……。
実力は、確かに見てくれる。本人も、優秀な研究者だから。世の中、実力もないのに人の上に立とうとする人もいるけど、彼はそういうタイプじゃない。自分も実力があって、その分だけ人についても正当な評価を下す。そこに、個人的な好き嫌いは入れない。
そう、個人的な好き嫌いはない。……だからこそ、媚びを売る余地が、なかった。利用してやろうって思ってたのに、……そうならなかった。
『ホープせんぱい♪何してるんですかぁ?』
『……何って』
しけたツラで、振り向く。せっかく私がかわいく呼びかけてんだから、何かもっと反応しようがあるでしょうよ。何なのよいつもいつもそのクソ真面目な顔は。お堅いやつってこと?
『例のゲートとパラドクス現象の研究報告発表、もうすぐなんだ。まだまとめきれてなくて、ちょっと余裕なくて……』
……ああ、私の基礎研究を使ったやつね。あんなクソ研究、我ながら使ってほしくないんだけど。ほんと、げんなりするわ。……なんでホープなんかに提出しちゃったんだろう。そういう研究をしてるって途中でしゃべっちゃったことが痛恨の極みだわ。『あの研究どうなった?』なんて聞くから……言っちゃったけど。ああほんと、取り返したい。過去に遡りたい。そうじゃなきゃ、過去の私に言ってやりたい。その研究、誰にも言わず抹殺しなさいよって。
『……そんなのもう、適当でいいじゃないですか』
『そういうわけにもいかない。アリサ、君の研究結果だって使わせてもらってるんだし、ちゃんといいものに仕上げたい』
『私のは……いいですよ。どうせ大したものじゃないですから。使わなきゃいいじゃないですか』
『……君の研究は、素晴らしいんだ。だから、ちゃんと発表したい。共同研究者ってことで、名前も載せる。アリサ・ザイデルって優秀な研究者がいるんだって、ちゃんと知ってもらわないと。実際僕の仮説は、君の研究結果がなければ、証明できないんだ。謙遜しないで、もっと自信持っていいよ』
……私を認めてくれるのは、嬉しい。実際、頑張ったの。アカデミーの仕事が終わって家に帰って、睡眠時間を削って研究したわ。……どうせ寝たって、嫌な悪夢見るだけだし。それだったら少しくらい疲れたって、寝ないで研究して私にとっていい結果を生めばいいわってね。
でもね、自信あるないとかそんな問題じゃないわけ。ほんと、わかってない。
私は、あんたが考えたパラドクスの仮説を覆したかっただけ。この世界に、今自分たちがいる歴史とは違う歴史が並行して存在してるなんてこと、否定したかっただけなの。
……でも出てきたのは、意図しない結果。途中で気付いて、涙が出そうになって……資料を床に叩き付けた。……どれだけその研究を中断しようと思ったかわからないわよ。最後まで、提出するかどうか迷った。
——だって、私の研究でわかるのは、今の歴史がどうかなんて関係なく、私が死んでる歴史があるかもしれないってこと……。
確かにあんたの仮説は証明できたら、すごいこと。アトラスのことも、ゲートから現れたあの二人のことも、他の色んな現象が……説明できるようになるわ。すごく画期的なこと。一応私だってこれでも研究者になったんだから、どれだけすごいことかわかってる。
でも、だって。それって……私が死んでる歴史があるかもしれないことを、アカデミーの公式見解として発表するってことでしょ? 今後、その仮説に基づいて、パラドクスの全容の解明に向けて動いて行くっていうことなんじゃないの?
歴史が複数あるってだけじゃない。……今私たちがいる歴史はただの間違いで、本当は他の歴史が正しい可能性だって、あるってことでしょう? 私は、そんなことないって、言いたかった。ただそれだけなのに……。
先輩。私、最近また夢を見るの。私の上に、大きなものが、降ってきて。痛くて……暗くて、冷たくて!
あんな夢を、現実にしようとしてるの? だって、パラドクスの解明が終わったら、次は解消するって言い出すんでしょう?
ねえ、先輩、やめてください。……お願い。嫌なんです。あんな夢、もう見たくないんです。私をこれ以上、苦しませないで。私のことも、ほんの少しだけでいいから考えてください……。
『……先輩』
『ん? 何?』
……だけど、その言葉が出てこない。こうして、何度この男の背中に何かを言いかけたかしら。
でも……本当のことなんて、言い慣れてないし。
それに資料とモニターの前で集中してる真剣な姿を見てると、言おうとしていた全ての言葉が出てこなくなる。
この男が見てるのは、未来。……私じゃない。私は、使われてるだけ……。
『…………、呼んでみただけです☆』
そうじゃないのに。私が、あんたを利用しようと思ってたのに。どうして、私が利用されるの?
これじゃあ、昔と変わらないじゃない……。
「……はあ」
ふいに、溜め息が漏れる。
他の方法だって、やろうと思った。
あの、知覚投影記録システム……予言の書。あれを使って、過去を変えられないかって思った。
予言の書は、未来を視ることができる装置。これまでは、誰かが記録した歴史しか映らなかったけど……もしどうにかして、あの予言の書の内容を書き換えることができたら?
例えばパージの映像を映せたら? 過去の私がそれを視て、パージのあったボーダムに行こうなんてことやめるかもしれない。大体、パージだってコクーンの落下だって、なかったことにできるんじゃないの?
そうしたら、パラドクスかどうかなんて関係なく、私が生きてる歴史しかなくなるの——
それ、完璧じゃない?
そうじゃないなら、過去は変わらなかったとしても……
自分のこの先の未来のどこかの地点を指定して、視れるようにできるなら?
今の私が、未来に起こりうる危険を避けることだってできるわけでしょ?
……そう思ったけど。
予言の書の内容は、外部からはどうしても変えることができなかった。
何時間も何日も何ヶ月だって、いろんな仮説立てて検証しながら、どうにかならないのかって試行錯誤を繰り返した。自分一人の力じゃ駄目なら、ホープや他の研究員にも何かアイディアないのかって聞いたけど。……どうしたって、できなかった。
『予言の書を書き換えるなんてことができなくて……正直、ほっとしてる』
そんなこと、言ってたわね。
『恣意的に歴史を操作するようなことは、……するべきじゃない』
……何言ってるのよ。全然、理解できない。
『……なんでですか? だって、予言の書を書き換えて、過去が変われば、今のコクーンの混乱だって、なかったかもしれないんですよ……? 先輩だって……パージに遭うこと、なかったんですよ? ルシにだってならなかったし、……お母さんだって、亡くすことはなかったんですよね……?』
私だって、こんなに苦しまなくたって、よかったのに。
自分がいつ消えるかとかそんなこと思う必要なんてどこにもなくて。
できるかどうかもわからない研究で、普通に遊ぶ時間も、寝る時間も、削って頑張る必要だってなくて。
『……アリサ。僕はそれでも、それがなかったらわかってなかったことが、たくさんあったと思うから……』
全く正しいこと言ってると思うわ。……眩しすぎるわよ、ほんと。
先輩は、どの歴史になったって、自分はそこにいて、ちゃんとその時々の人生を生きてるって思えるんでしょうね。
でもね、先輩。みんながみんな、先輩みたいに清く正しく考えられるわけじゃないの。
私はどうしたって、あのパージがなかったら、って思うの。わだかまりは、どうしても消えない。
あれさえなければ、私は普通の女の子として、生きてたかもしれないのよ?
あの事件が、人間じゃどうすることができない、避けようのないものだったって言うなら、私だって少しは考え方が違ったかもしれない。
でも、だって。本当は、避けられたはずでしょう? あの馬鹿な女が不用意に遺跡に近づくなんて愚行を犯さなければ。あれは、ただの人災なのよ……?
正しい歴史がある可能性? どうってことないのよ、そんなもの。どうせこの歴史なんて、正しくたって間違ってたって、そんな誰かの過ちの上に作られたものなんだから。
先輩だって、私と同じ年に、同じようにパージに遭ってるのに。私の気持ち、どうして少しでも理解してくれないの?
自分がいる歴史を、確実にしたい。ねえ先輩、そう思っちゃいけないの……?
「……ていうか、いつまで寝てるんですか?」
昔のこと思い返したら、余計苛ついてきたわ。
「……起きないと、イタズラしちゃいますよ? それで証拠写真撮って、アカデミア中にばら撒いちゃいましょうかぁ? アカデミー最高顧問、新コクーンの指導者が、こんな姿に! アカデミア中、大変ですねっ! 誰ももうついて来なくなるかもしれませんね。そんな大スキャンダルで、新コクーンも頓挫しちゃったりしてね」
「……」
つまんないわね。身じろぎくらいしなさいよ。っていうかほんと、どんだけ深く寝てんのよ。私が頑張ってる時に、あんたって人は。
……ったく、無防備な顔。
そうやって寝顔は見せるのね。他の人となら、無理したって起きてるだろうに。
私に心は許すことなんて、なかったけど。
……少しは、気を許してる?
「——先輩。起きないなら、キスしちゃいますよ?」
さらさらの前髪に手をかけて。少しの間、反応を見てみる。ひょっとして寝たフリしてたら、起きるんじゃないかなって。
そうじゃなきゃ、私にキスでもされて、うなされればいいわよ。ええ、先輩にとって私ってそういう位置づけでしょ? わかってんのよこのボンクラ男。
でも、先輩、少しは……——
そこまで考えて、手を離す。
……ほんと、しらけるわ。この男にも、……私自身にも。
普通のやり方してたんじゃ、通じない。あの男のペースに持って行かれるだけ。
なら、どうする? どうにかして、パラドクス研究からホープの注意を逸らさせたい。
ふと、思う。……あの男、それなりにモテそうなのに、恋人いないのかしら。さっさと恋人でも何でも作って、そっちにかまけてればいいのに。そうすれば、パラドクス研究をしなくなって、私が死んでる歴史が現実になるなんてこともなくなるかもしれない——そこまで考えて、そんな光景想像できないって自分自身思った。アカデミー内での女性の接し方を見てれば、わかる。全然そんな素振り見せないし、……大体、そういうタイプじゃない。ただひたすらに、パラドクス研究に情熱を注いでる。
『僕は本当に、コクーンが落ちずに幸せな世界が続いていくことを願っている。未来までずっと』
パドラ遺跡でもそんなこと言うから、ほんとイライラした。幸せな未来? あんた、もっと足元見てよ。
『……まっじめ〜。そんなホープ先輩は、私と付き合えばいいんですよ』
『はっ? 今なんでそうなった』
まったく考えたこともなかったかのような反応。はん、これだからこの男は。普段女性に優しい顔してるくせに、いざとなればこんな冷たい男よね。
でもね、本当にそう。恋人にかまけて堕落しちゃってよ……なんてのは本音中の本音だけど、そうじゃなくたって、この男にはもうちょっと足元見てほしいって思う。遠い未来のための研究に、情熱を注ぐ? ……研究者としては、理解しないでもないわ。私は自分のために研究してるって言っても、それでも、そんな自分の研究が遠い未来にまで使われるなら、研究者冥利に尽きるってやつかもしれない。でもね、遠い未来じゃなくて、今ここに生きてる人達だっているの。ここでしか生きられない人もいるの。ねえ、……私は、ここにいるの。パラドクスが解消されたら、遠い未来が助かっても、私……いなくなっちゃうかもしれないんですよ……? それでもいいって言いたいんですか?
『……なんでなんですか? 付き合ったことないですか? いいコいなかったですか?』
私じゃなくてもいいからなんて言っても、恋愛なんて別に、みたいな反応をする。
『まあそもそも僕と付き合おうなんて人そんないないしね。付き合ったことはあるけど、違った。それだけだよ』
『違った?』
『はっきり言えば、時間の無駄』
……ああもう、本当に、この男は!
『少し会えばまた会いたいって言ってきて、僕は忙しいですって言ってるのに、連絡ばかりしてきて』
『あの〜先輩、恋愛ってそういうもんじゃないですか?』
『向こうは会えば満足なのかもしれないけど、僕にとっては、パラドクス研究が進んで、コクーンが救われる道を探すほうが大事だった。目的が違った』
『はあ、目的ですか』
『付き合えば付き合うほど、違いがわかるだけだった。自分にとって大切じゃないことがわかるだけだった……残念だけど、それだけだね』
げんなりする。力が抜けて行く。
こんな男と個人的な関係になってでも手懐ける。そうすれば、私のいるパラドクスを消そうなんて思わないかもしれない。……そう思ってたことこそ、時間の無駄だって思った。
この人は、大きな目的のためなら、私を消すことも……きっと、厭わない。
"ルシの仲間が、そんなに大事……? "
……薄々、わかってたけど。
パージに遭って、ルシになったこと。それをなかったことにしなくてもいいと思う程の仲間がいたってことなんでしょ?
研究を頑張ってるのも、未来ばかり見てるのも。直接そんなこと言うことはなかったけど、ルシの仲間を、助けたいんでしょう?
クリスタルの柱になってる、ヲルバ=ダイア・ヴァニラと、ヲルバ=ユン・ファングと。
……予言の書に映っていた、エクレール・ファロンと……。
『……エクレール・ファロン。先輩と一緒に行動していた、コクーンを救った英雄の一人。通称ライトニング。AF5年にビルジ遺跡に現れたセラ・ファロンのお姉さん』
発掘した、予言の書。何とか起動してみると、どこかの映像が映っていた。どこなのかは、わからない。でも、映ってる人は見たことがある。パージの時……そして、臨時政府の会見の時に、何度も何度も繰り返し、映像で見た人。名前を記憶の中から引っ張り出して、口にした。
その時のあんたの顔、覚えてるわよ。いつもより、青白い顔して。……そりゃ、そうよね。クリスタルになったって信じ込んでた人が、全然違うところにいたんだもの。
……でも、それだけじゃない、何かを感じた。
好きじゃない男に媚び売るのは、平気。それでやりたいことができるなら、どうってことない。
だけど、手懐けられない、全く私を見る気配さえない男に、いつまでも無駄な労力は使う気はないわ。
効果がないとわかってるなら、わざわざそんな意味のないことしない。
大体恋人でも何でもないんだし、あの男が誰を考えてたって、あらそう良かったわね暇そうで、ってなもんでしょ。
私は私のやり方でやるだけ。余計なことしてる暇なんてないの。そんなことしてる間に、……消えちゃうかもしれないんだから。
私は、あの男じゃない、自分のために、ちゃんと時間を使わなきゃいけないの。
そう割り切ってた。
そのはずだったのに……。
『……見てほしい?』
散々ホープの悪口を言い連ねた私に、端的な言葉で、そんな投げかけをするから……笑うしかなかった。もういいのよあんな人って言い返したのに、時代が変わっても、同じ言葉を言われた。
『見てほしいなら、見てほしいって言えばいいのに』
何よ。別にって言ってるのに、しつこいのよ。何回も、同じこと言うんだから。
『別にって言ったの、もう忘れたの? 健忘症?』
『覚えてるけどさ』
そんなつもりなかったのに、ふとしたことから、彼には私の裏の顔を見せるようになってしまった。そんなの、誰にも見せたことがなかったのに。
特に彼は、ホープと……そして、何と言ってもセラ・ファロンと一緒に行動している人間だから、私の裏側なんて見せるつもりなかった。彼を経由してあの二人にまで私のことが伝わったら、今後に支障が出ちゃうかもしれない。……でも彼は彼でまたお人好しそうだから、『私との話はここだけにしといてよね』ってお願いしたら、ちゃんとその約束は守ってるみたいだった。素直な人。
いつもやってるような作り笑いなんて、しない。媚び売るための言葉だって言わない。自分勝手、自己中心的、人の悪口ばっかり出てくる。
『大体ホープって基本的に人への興味は限られた人にしか向かないし、あとは全部研究に意識が行くのよね。あんたと違って、私って人に関わろうとはしないわ。基本的に最低限のことしか言わない』
……だけど、私がどんなに睨みつけたって、口悪く言ったって、びくともしない。前と何も変わらない態度で、私と接する。
この人とは、アカデミーでの利害関係もない。ホープやセラに対しても、ちゃんと、口は堅そう。
"この人には何を言っても大丈夫"、っていう気持ちが、ほんの少しだけ……いつもと違う言葉を引っ張りだした。
『……でも、……そりゃあね、あるわよ? 人として見てほしいって思うことだって。普通のことでしょ? 表面的にじゃなくて、ちゃんと私って人を見て、わかってくれたら。そう思うわよ』
言いながら、驚いたわ。ホープを悪く言う気持ち、その裏にあった、自分の正直な気持ちに。
『私だって自己中心的な性格だし、適当にしか人と接して来なかったわけだし。なのに人には中身を見てほしいって思うなんて、馬鹿げてるわよね。だけど……こうして関わってるなら、少しでも自分を見てほしいって思うのは、そんな特別なこと? そんなに受け入れられないこと? ……人並みの話じゃない』
"ちゃんと自分を、見てほしい"——
今まで人に嘘ついて、自分にいいように振る舞ってきたのに。それ以上、何かが必要だなんて思わなかったのに。そんな子供みたいな、"ふつう"の気持ちを持ってたことに。
……ああ、そうなんだ。私、……ちゃんと見てほしかったんだ……って。
そして。
今までだったら、そんなこと人に言うこともなかったのに。なのにそれを、誰かに話そうとしたことにも、驚いたの。
……妙に居たたまれない気分になって、発言を打ち消したい気持ちに駆られた。
『……ま、そんなこと言ってみたけど。頑張れば報われるなんて、そんな子供みたいなこと信じてるわけじゃないし。ホープが見てくれたからって、何か起こるわけでもない。結果が全てよ。ていうか、なんで見てもらわないといけないわけ? 私が見てやってるんだっての。逆よ逆』
……でも、ノエルは、言った。若さの残るまっすぐさと、……若いなんて思えないくらいの、落ち着いた声で。
『でも、本当はそう思ってるってことも……本音で、言えばいい』
「本音、ねえ……。本音ですって。どう思う? 先輩」
返事もくれない夢の住人に、語りかける。
……でもね、ノエル。あんたの言うことなら、少しは聞いてもいいかなって思ったけど。……でも、物事ってね、そんな簡単に行くわけじゃないの。
「……今更よね」
私だって、自分の思いを言うことを考えなかったわけじゃないのよ。先輩、私、パラドクスかもしれないんです。毎晩、夢を見るんです。私が本当は、パージで死んでいた夢……。そんな風に、言い方を考えたこともあったわよ。
でも、ホープを見てると、やっぱり言っても無駄だ、っていう気になるの。
最初からそうだった。パラドクス報告書について最初に話した時に感じた、自分への圧倒的な信頼と、目標に対して揺らぐことのない情熱。
私なんて、自分の存在自体の信頼感でさえ、どこかへ置いてきたままなのに。
ねえ、そんな完璧な人に、欠如した私の話をしたって……どうにもならないって、思うでしょ?
媚びだって、受け取ってくれる人ならどれだけよかったか。どれだけ愛想振りまいたって、冷めた反応。
もう、わかってるの。この男が私を見ないなんて。
どれだけやったって、この男は私を消すことしか考えてないの。自分が正しいことをしてるって、信じて疑わないんだから……。
『俺も、みんな同じ考えを持つべきだって思ってたこともあったけど……本当はそれぞれ、いろんな考えがあるんだよな』
あの時、……彼は、そう言った。
AF010年。ヤシャス山。ホープもセラもいた。予言の書で、コクーンが落ちる映像を視た時のこと。
『ねえ! コクーンはいつ落ちるの? 何年後? もうすぐなの?!』
すごく焦って、声を上げた。
だって、コクーンが落ちる? 落ちたら、どうなるの……? 頭の中で、シミュレーションした。コクーンの中にいたら、どこに隠れたって……落下の衝撃で即死。運がよくても重傷だけど、全ての社会システムが壊れてるから、支援も得られずやっぱり生き残れない。じゃあ、事前にグラン=パルスに避難したらどう? でもグラン=パルスだって、コクーンもクリスタルの柱もバラバラに砕け散るんじゃ……重度の大気汚染、よね。それが原因で太陽光も地上に届かなくなったら? 低温、日照不足。水質汚染もあり得るか。農作物にとって、最悪の生育環境。全ての生態系が変わらざるを得ない。
……そんなところ生きられない、誰も生きられるわけない。私が消える消えないの問題じゃない、消えなくたって、生きる場所が何もなくなっちゃうじゃない!
ねえ、どうすればいいの?
『……慌てるな。今から何百年も後だ」
その言葉を聞いて、思わず安心しちゃって。……つい、"素のアリサ"が、出ちゃったのよ。
……ああ、何度思い出しても、嫌になるわ。あんなの、いつもだったら出してなかったのに。
『は……。なあんだ、ずっと先じゃない……みんな生きてないわね』
彼は、700年後の滅びの世界から来た、最後の人間。
……私の言葉、嫌だったでしょうね。
自分の生きてた世界を、目の前で無視されるんだから。
『ホープ・エストハイムもセラ・ファロンもあんたも、何なのよ未来未来って、馬鹿の一つ覚えみたいに』
『この際あんたにとって未来が大事で私がどうだとか、もう関係ないわよ。それぞれ自分の思う通りにやるだけなんだから。でもあんたのせいで、いつもの私が崩れたじゃないの!』
『あんな取り乱すところ、見せたくなかったの! 特に、ホープ・エストハイムには! アカデミーでの私の立場が悪くなるようなことは困るの』
二人になって、この上なく自分勝手な文句を、ぶつけた。
『もういいのよ、あんな人。悪口言えて、すっとした。普段こういうこと言えないから。私だって、自分のためにやってるだけなんだから。他人がどうかなんて関係ないわよね』
……でも彼は、怒ることはなかった。
心の中では怒ってたかもしれないし、悲しんでたかもしれない。
でも、口にしたのは、……全く違う言葉。
『……それでも、いいんじゃないか? 俺も、みんな同じ考えを持つべきだって思ってたこともあったけど……本当はそれぞれ、いろんな考えがあるんだよな』
軽く目を閉じて、何かを思い出すように、話す。私が言ったことなんて、何事もなかったかのように。
『みんなが同じく未来を考えることなんてできない。それでも歩いてれば、結局行き先が同じことだってある。アリサは、まずは自分が安心できることを考えればいい。そうすればそのうち、道は一緒になるかもしれない。だろ?』
……どうして? なんで、そんな風に言えるのよ!
そういえば、彼は、ビルジ遺跡でも励ましてくれたんだっけ。ネーナのお墓を見つけた時のこと。
もしかしたら私はあの時死んだんじゃないかって……今の生活は、夢なんじゃないかって思ってたって……そう言った時も。軽く、私の頭を小突いて。
『……夢じゃないだろ?』
何でもないんだ、大丈夫だって言いたそうな、笑顔で。
『俺もあんたも、確かに今ここにいる。ちゃんと生きてる。それだけは、確実』
目の前の人がどんな人なのか、あの時は全然知らなかったけど。
確実。……そんな単純明快な言い方が、……そう、嬉しくて。自分でも不思議だと思うけど、作り笑いじゃなく、本当に笑うことができた。
『……そうですね! 一度死んで、またチャンスをもらったんだと思うことにします』
そう。パージの時に死んだ可能性だってあったのかもしれない。でも、私は生き残ってる。それが、大事ってことでしょう? 不安になってばかりじゃ、いけないのよね……?
そう言うと、彼は手を顎に当ててまた少し考えてから、言った。
『……アリサ。俺は、こう考えるようにしてる』
『何ですか?』
『一度死んだんだ。だから、それ以上何も恐れることはないんだ。恐れなきゃ、何だってできる。そう思えばいい。だろ? だから……できるよ、大発見。アリサなら』
一度死んだって思うことにしてる……か。
そんなに年は変わらないように見えるのに、……そういう発言をする程の経験を、この人もしてきたのかしら? って……あの時は思った。
ねえ、本当は……気付いてるんじゃないの? あんただって。
今生きているこの歴史がパラドクスなら、パラドクスが解消されたら、私は消える。でも、あんただって、きっとそうなんでしょ? 今あるパラドクスの延長線の未来で生まれたあんただって、消えちゃうんだって……本当は、気付いてるんじゃないの? それって……私は、わかる。本当は、すごく不安なことでしょ?
なのに私と違って、不安な顔は全然出さないで、人を励まそうとしてる……? あのビルジ遺跡の時も、ここヤシャス山でも。
いつかは、道が一緒になるかもしれないなんて言って。
『……私のこと、嫌な女だと思ってんでしょ?』
『なんで?』
『なんでって。自分で言うのもなんだけど、表向きはかわいいのに、裏じゃこんなんで。普通、嫌がるわよ』
『普通……がよくわからないけど。大体アリサって、本当はそんなに嘘つけないんじゃないか?』
今まで嘘つけないなんて言われたことはなかったから。何言ってるのか、わかんなかった。
『前のビルジ遺跡だって。探してた墓が見つかった時のアリサは、何も取り繕ってなかっただろ。今回だってそうだし』
ああもう、これだから!
嘘なら、ただの嘘よって言って、ついた嘘を身体から剥がして手をひらひらさせて逃げればいい。だけど、嘘じゃなかったら? 私の本体を掴まれて、逃げられない。
素の私が誰かに好かれるなんて思わない。ここまで来たら、そんなことどうでもいいの。でも、素の私で弱みを握られたら駄目。そんなことになったら、また誰かの思惑に従わなきゃいけなくなっちゃう!
『……もう、うるさいのよ! たまたまだって言ってるでしょ。たまたまあんたが居合わせて、しかもわざわざ話しかけてきたから。普段はこんなんじゃないの!』
『たまたまでもいいけど。それがアリサの本音なんだよな?』
『だったら何!』
『だったら、正直に言ってくれてたほうがいい。その方がわかりやすい』
はあ? ……わかりやすい?
何、それ?
『そうだろ? 思ってること言ってくれたほうが、俺もちゃんと理解できる』
嘘つくの得意って言っても、今まで、嘘ついたことがバレたことだってあった。
そういう時、決まって言われるのよね——"嘘つき"って。
だから、嘘つきって言われることなんて、慣れっこ。ま、今回はバレちゃったけど、それまではうまく騙せてたってことでしょ? 私もなかなかやるじゃん、ってね。
でも、何? 嘘つけないとか、文句言ったってわかりやすいとか。……この人が言ってるのは、全然予想してなかった反応。今まで言われたことなんて、一度もなかった。
……どうしてか、一気に毒気が抜かれて。
『ふん! 変な人』
言葉ではそう言ったけど、……珍しく、謝るなんて気持ちになった。
『……悪かったわよ。みんな生きてないわねなんて言って』
……正直に言ってくれた方がいい。
まずは自分が安心できることを考えればいい。そうすればそのうち、道は一緒になるかもしれない——
その言葉は、不思議と心地よかった。
……本当に?
本当に、そのままでいても……いい?
ホープはあんな風に未来しか見てないし、あんただって、本当はそうなんでしょう? 未来を変えることだけしか、見てないんじゃないの? でも私は、あんたたちみたいには……どうしても、なれないの。自分のことで精一杯。自分の存在がここにあることが、確かかどうか。それが今の私にはすごく大事で。だから、遠い未来のことなんて、考えてる余裕がないの。
でも、無理しなくてもいいの? 無理に、未来のことなんて考えなくてもいいって……言ってくれる?
……不思議な、人。
この人が言うように、いつか道が一緒になる未来があるのなら。
自分を消そうとするかもしれないホープの隣で、アカデミーの研究を続けながら、自分のやり方を探していても、いいのかしら。
今は、確かにすごく大変な時期。人生を楽しむ余裕なんてない、まずは研究、研究、研究。寝れないし、心だって疲れきって、投げ出したくなることだってある。
でも、これを乗り切ったら? 自分の存在への不安が全部消え去って、こんな風にいつも焦って苛立つ自分がどこかへ行って。新しい自分に、なれるのかもしれない……。
少しだけ……そう思えてたのよ……。
なのに、私の意図なんて、また……無視された。
『……デミ・ファルシ計画を進めることを、やめたいと思っています』
文字通り、耳を疑ったわよ。
デミ・ファルシ計画。ヤシャス山でコクーン墜落の映像を視た後に、私が発案した計画。今のコクーンは、その体を支えていたファルシがいなくなったから、自分で浮遊することができなくなった。細いクリスタルの柱で、ようやく落ちずにすんでいる。そこで、人工的にファルシを生み出して浮かべることによって、コクーン墜落を回避する。……そういう計画。
コクーンが墜落するって聞いても、他の誰だって、具体的な対応案を出せなかったのよ? 私がアイディアを出してようやく、検討が始まった。
わかってる? 本当だったらね、コクーンが落ちるのが何百年も先なら、私には関係ないから——そう言って無視することもできたのよ。……だけどね、ノエルの顔と言葉を思い出したら、少しはね……手伝ってやってもいいかな、アイディア考えてやろうかな、って。それで、また睡眠時間削って考えてやったのよ。
そして、沢山の人を巻き込んで……人工ファルシの設計、人工ファルシを制御するためのアガスティアタワー建設計画も立てて、それこそアカデミー中で進めてきたんじゃない。どれだけの人の労力を使ったのか、……わかってるわよね?
なのに。
『……なんでですか?』
でも、答えなんてすぐ予想がつく。一応聞くけど、……そんな言葉が、この男の口から出てくるのを聞きたくないわ。
『もしかして、予言の書で、セラさんがいいかげんにしてよってホープ先輩に怒鳴ったからですか?』
『……きっかけは、そうです』
ここまでバカだなんて、思わなかった。……もう、うんざり。
『………はっ、バカバカしいわ。そんなんで、計画を見直すんですか? 何人もの人が関わってるプロジェクトなんですよ? それを、セラさんの言葉一つでひっくり返そうって言うんですか?』
『そう言われても、仕方ない。特に立案者であるアリサには申し訳ない』
申し訳ない? ほんとにそんなこと思ってんなら、口にも出してほしくなかったわ。
『先輩……、冗談はやめてください。バカじゃないですか? もう自分だけの話じゃないんですから、もっと考えてくださいよ! そんなのに振り回されるこっちの身にもなってください』
何? また、あの女なの? 私を邪魔するのは。ほんと、ふざけんじゃないわよ。
どこほっつき歩いてんだか知らないけど、どこだかわからないところから予言の書を使って、"いいかげんにしてよ"? いいかげんにするのは、あんたでしょ? 大体、全部あんたの蒔いた種でしょ? あんたがいなけりゃ、私はもっとマシな人生を送ってたのに! 私はそれでも、私なりに譲歩して接してるつもりなのに! ホープもノエルもいないなら、あんたなんかとっくの昔にぶち殺してるところなのよ? なのにあんたはあくまでも、私を邪魔するの?
そう。先輩だって、あんな女に振り回されないでよ! だって、リーダーなんですよ? みんな、あんたの言うことならって言ってついてきてる。私だって……なんだかんだ、そうなんですよ。ムカつくけど、嫌だけど、……的確な指示と判断をくれるし、一緒にやっていると研究が進む感じだってするし。何より、……ブレないから。私の目指す未来とぶつからないなら、先輩と一緒に研究してることだって……いいなって思えることだって、あるのに。
なのに、そんな風に、あんな女の言うことで、簡単に方針変えちゃったり……するんですか……?
ずっと一緒にやってきたのは、あの女じゃない。……私なのに。
どうしてなの? なんで、あんな一瞬の会話や映像なんかで、何年もの積み重ねをひっくり返すんですか……?
『ファルシは、決して僕たちのコントロール下に置くことができない。僕は元ルシなんだからそれがわかっていたはずなのに、計画段階できちんとそれを想定できなかった。……本件は、僕が間違っていました。僕の、主任としての判断ミスです』
判断ミス、心から謝りたい。そんな風に謝られたって、みんなには効果があるかもしれないけど、私にはムカつくだけ……。もう、嫌。聞きたくない。
デミ・ファルシに代わる新しい浮力源になりそうな13thアークは、AF400年にしかない。ってことは私たちが生きてる間にはコクーン墜落の対応策を実現することはできなくなる——それで、ホープは青ざめてた。でも私は、きっと何か他の案があるだろうなって思った。だって私がいるから。タイムカプセルだってその時はまだ実用段階じゃなかったけど、それも時間の問題だと思ってた。別にタイムカプセルも本当はホープの目的のために作ったものじゃないけど……何かしらの解決策はあるんじゃないかって妙な自信があった。そういう意味じゃ、私は心配してなかった。
そもそもそんなこと、別にいいの。コクーンが落ちたって落ちなくたって。ノエルには悪いけど、なんだかんだ言って、何百年後のことなんでしょ?
でも、そうやって、あの二人がいろんな時代に行ったり。そして、こっちでも"未来を救うため"にって何かを計画したり、やめたり。そんなことを繰り返していたら?
歴史が……少しずつ変わってくるかもしれない。そしたら、どうなるの?
歴史がまた狂って、私のいる歴史が、なくなるのかもしれない……。ホープは目の前にいるのに、その姿を見ながら、私が消えていく。そんな時が来るかもしれない……。頑張ってやってきたことが、全部なかったことになって。私のいたことを覚えてる人なんて、誰もいない。そんな時が、いつか訪れるの……?
ねえ、先輩。本当に、それでもいいんですか? 私がいなくなったって、どうってことない。そう言いたいんですか?
私は、お互いに納得できる道があれば模索してみよう、って思ってたけど、先輩は、どうしたってその逆を行く。そんなつもりはないって言葉では言うかもしれないわね、私より完璧な外ヅラでできてるんだから、自分が責められるような言い方なんて絶対にしないんでしょうね。
でもね、外ヅラがどれだけよくったって、どれだけ良いこと言ってたって、変わらないの。先輩はね、私の努力も全部踏みにじってるの……!
……まあ、努力を見せなかった私も悪いんだけどね。……だって、こんなに頑張ってますなんて言ったって、頑張ったから何? 結果はどれ? って言われそうな甘えたことなんて、言いたくない。努力を自慢できるのは、結果を出してから……。それまでは、どんな主張したって自己満足でしかないの。そんなかっこわるいこと、できるわけない。
——……それに私は、本当のことを言うのが苦手だから。最高のパートナーだったネーナとだって、本当に仲良かったかって言われたら、わからない。ずっと、楽しければよかった。いつも何考えてるかなんて、そんな深いところまで、お互いに聞いたことなんてなかった……。
本音で付き合うなんてしてこなかったから、自分をさらけ出すなんてできない。ホープとだって、同じ。私の置かれた立場を正直に言うこともなく、ここまで来てしまった。……今更、言えるわけもない。この男が聞く耳を持ってるわけも、ない……。だって、あの女の一言だけで、私の今までの努力を否定するような人なんだもの。
やってもやっても、潰される。
そうやって、先輩が私を否定し続けて、そして……
「……タイムリミットは、……いつ?」
「えっ? 何か言った? アリサ」
「……何でもないです」
何に対しても、誰に対しても余裕なんてなくて。不安がなくなるようにってパラドクスの研究に没頭してきたのに、全然、消えてくれない。むしろ、増していくばかりで。駄目だ駄目だって、言われ続けて。
……私のタイムリミットは、いつ? 私が消えずにいられるのは、いつまでなの?
どうしたら、この不安はなくなるの……?
そのタイムリミットまで、生きてる限り、この不安は続くの……?
……ううん、生きてる限りなんてことは、ないはずなの。
そんな人生を送る運命だったなんて、思いたくない……。
生きてる限り、じゃない。
きっと、未来を変えようとする人達がいる限りは、ずっとこれが続いていくってこと……。
そう。あの人達が、いる限りは……。
だったら、どうすればいいかなんて……——
(2) 生まれて初めて へ
「ライホプアリorアリサ愛溢れる短編」というリクエストにお応えしようとして外れてきた文章。
アリサの生き方……ですね。嘘で固められた愛嬌と、その裏の攻撃的な毒舌っぷりと、さらに裏にある人並み外れたど根性な努力と、そのさらに裏の裏にある繊細さ……の四層構造(?)をイメージして書きました(何言ってるんでしょう……)。ほんと管理人の勝手な妄想を形にした「アリサ」かもしれませんが、お気に召していただけると、アリサ好きの一人としてとても嬉しいです^^ (アリサ視点だからホープを悪く書いてますが、管理人はホープ好きですよ!!)そして、続きます。時系列が行ったり来たりでわかりづらかったらすみませんm(__)m
なお、人の弱さと強さ
(1),
(2), いつか帰るところ
(1)-3,
(2)-2,
(4)あたりが混ざっています。