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『なんで、雨って降るのかな……』
何度も、聞いた気がする。
『ばあちゃん、質問。雨、降らないようにできないの?』
『ノエル、雨はどうしたって降るものよ』
『どうしても?』
『どうしても』
『なんで?』
『そうねえ……。例えば、ノエルの指はなんで5本なの? 3本で十分じゃない? って聞かれたって、困るでしょう?』
『……困る。俺の指、5本だもん……』
『それと同じよ』
変えられるものと変えられないものの区別も付いてなかった俺に、ばあちゃんは辛抱強く教えてくれた。
『だけど……退屈』
よほどつまらなさそうな顔をしていたのか、少し違う話をしてくれた。
『……昔はね、雨が降ったって外に出ることもできたんだけど』
『昔って? ばあちゃんが子供のころ?』
『もっとずっと、昔よ。コクーンが落ちる前の話』
『ふうん……雨が降ることが悪いわけじゃないんだ。……じゃあさ。雨が降らないようにはできないけど、雨が降っても外に出るようにはできるってこと? そうすれば、こうやって雨が止むのを待たなくてもいいってこと?』
『かも……しれないわね』
『じゃあ俺、雨が降っても外に出れる方法、かんがえる!』
ばあちゃんは、少し寂しそうな顔で笑った。
……雨なんて、降らなければいいと思ってた。
落ちたコクーンから漏れ出した大量の有害物質を含む、毒の雨。その間は、外に出ることができなかった。狩りもできなければ、遊びに出ることも。ただ家の中で、とんとんと屋根に当たる雨の音を聞いてることしかできなかった。
……あの時ばあちゃんと一緒に聞いていた雨音と、今ここで聞こえる雨音は、同じ。
だけど、今は。
できるなら、雨が、止まなければいいと思う。
このまま雨が止まなきゃ、ここから出なければ、そしたら……——
……そんな風に考えるなんてな。変わったのは、俺なのか。
深い深い、溜め息。
ふと、ばあちゃんが使っていた膝掛けが目に留まる。……薄汚れてクリスタルの砂にまみれてても、手に取れば、ばあちゃんの膝の温かさが思い出されるようで。懐かしさが、満ちて。少しだけ、子供みたいに、縋りたいような気持ちになる。
ばあちゃん……俺、どうすればいい? 今の俺に、どんなこと言ってくれる……?
『ノエルよ。……カイアスを殺し、罪を背負う覚悟はあるか?』
村のみんなの、問いかけ。
結局……答えられなかった。決めたはずなのに。覚悟あるって、当然答えるべきなのに。……迷いが、出た。
気付けば、みんなの声は聞こえなくなっていた。……俺は、その場に立ち尽くしていた。
『……ごめん』
その一言が、精一杯だった。……セラは、何も言わなかった。怒ったっていいところなのに。何も言わないから、……逆に俺は、セラと何をどう話したらいいのか……何も、わからなくなった。身体中が固まったように、動かなくなった。
……どれくらいそうしてたのか。空が段々灰色になって、肌にまとわりつく風が、湿り気を帯びてきて。その変化に気付いて、ようやく身体が動いた。毒が降る、と言って、何とか俺の家に駆け込んだ。命を削る、通り雨。……今は少し弱まったけど、まだ降り続けてる。
それからずっと続く、沈黙。セラは、絨毯に座って。俺は、家の様子を調べて。何の言葉のやり取りもない。
いつまでもこうしてる訳にはいかない。頭では、わかってる。わかってるんだ……。
いつからこんなに、不甲斐なくなった? どうしてあの時、覚悟あるってはっきり言えなかった……? セラに助けられた命だから……セラの望むようにするって。前に進むって、決めただろ。いつまで逃げてる? セラとだって、いつまで話さないままでいる?
……立て直せ。
ばあちゃんの膝掛けを置いて、どこかふらつく足を引きずって、セラのいる部屋に身体を押し込む。
「……この家も、何も変わってないな。まあ誰もいなかったんだから、当たり前か。変わったことと言えば粉塵が家の中まで入ってることくらいで……」
世間話みたいなことを、独り言のように言う。……大丈夫。それでいい。話し始めることが、大事。
だけどセラは、何も言わず、少し顔を上げて、また戻した。絨毯に座ったまま、表情もなく、クリスタルの砂を掬っては、また床に落とす。そんなことをただ繰り返すだけ。その様子に、ひどく不安になる。
「……セラ、あんまり触るな。その粉塵のせいでみんな肺をやられたんだ。雨が止んだら、早く次のゲートを探そう。モグも心配だし」
「うん。………ごめん」
返事してくれて、ほっとする。……けどやっぱり、セラの表情はないままで。
ゆっくり、隣に座る。いつも座ってた、薄汚れた、使い古した絨毯。
「……疲れた?」
そんな質問の一方で、違うだろうなとも思う。
俺が不甲斐なくて、立ち止まったせいだ——。ほんと、ごめん。歯の奥に、力が入る。
「ううん……ここが世界の終わりなんだなって。……ノエルの生まれ育った時代」
それでもセラは、小さく首を振るだけ。
……ああ。そういえばセラは、この世界は初めてなんだもんな。……驚く……よな。俺が、セラの生きる世界を初めて見た時みたいにさ。……でも俺とセラとじゃ、驚きの種類が違う。
俺にとっては、輝くネオ・ボーダムや、青い空に浮かぶコクーンの姿……それにコクーンの中にいるとわかった時も、一つ一つが新鮮で……そして一つ一つが嬉しくて……。だけど、そんな驚きと喜びを、この世界はセラに与えてやれない。
「……うん。晴れれば粉塵、雲が覆えば毒の雨。そうなればこうして家にいるしかない。つまらないだろ?」
もっと、いい時代だったら。俺の時代はこうだって、誇れたら。何百年も経てば、違うこともたくさんあるね、でも同じこともあるね、とか、楽しそうに言うセラの姿が見れたのかもしれないなと、ふと思う。
……もし、そんな時代なら。……俺が過去を変えたいと願う理由も最初からなかった。ユールとカイアスも、いて。みんなきっと、死んでない。そしたら、セラと出会うこともなくて。俺がセラを傷つけることもなかった……かもな。
気付けば、負の思考。
「つまらないだろって……」
……セラのか細い声で、現実に戻る。
「ごめん……そんな顔するな」
「……どんな顔?」
どんな顔、って言われても……。
……いつもと変わらなさそうに見えて、ふと見せる、悲しそうな、泣きそうな……顔。
そんな顔させたいわけじゃ、なくて。
もっと、違う……。
そう。ネオ・ボーダムで子供達と話す時に見たような……
そう思ったら、自然と次の言葉が出ていた。
「……ここがネオ・ボーダムだったらな」
まとまりのない思考の中からふいに思い浮かんだのは、遠い遠い過去の時代に見た、理想郷。
「青い空、眩しい太陽。それに空と同じ色の、塩っぱい海……」
「……ふふ。塩っぱかった? 入ったの?」
セラの顔に笑みが浮かんで、ほっとする。そういえば……言ってなかったっけ。
「隕石が落ちた次の日の朝早く、行ってみたんだ。……ばあちゃんが、海がどんなのか知らなくて見たかったって言ってたからさ」
何とか口から言葉を引きずり出していると、自然とその時の景色が広がる。最初に見えたのは、朝焼け。空と雲と海の色が刻一刻と変わっていく様に、すごく感動して……。呆然と見てたら、子供たちに話しかけられたんだよな。
「教えてやりたいな。ここの海は暗いけど、本当の海は青くて、きらきらしてたって」
ばあちゃんがなんで海を見たいって言ったのか、今だったらわかる気がする。誰かが、本当の海のすばらしさをきっとばあちゃんに伝えてたんだろうな。
「あと、人も良いんだって。海なんて入るものだと思ってなかったけど、見てたら村の子供たちが遊ぼうって言って近寄ってきてさ。……初めて入ってみたんだ。動くとばしゃばしゃ水が跳ねて、水は塩っぱかったし目にもしみたけど、潜れば魚も泳いでて。潜ったらベトベトになって、後でレブロには怒られたけど。子供達、みんな魚みたいな動きしてた」
あんなに無防備に、無邪気に過ごせる世界があるなんて、思ってなかった。
「そんなに速かったの?」
「速い速い。俺は泳ぎ方知らなくて悔しい思いをしたけど、絶対すぐに覚えて次は勝ってやるからまた勝負しろ! って言ったよ」
泳ぎ方なんてものを競える。それだって、すごく幸せなこと。
「お手柔らかにね。ノエルが本気出したら、子供たちなんてすぐに追い越されちゃうんだから」
「セラ先生が、裏で秘密の特訓をしてやるんじゃないのか?」
「そうそう、鬼コーチとしてビシバシね……って、そんなことしないから!」
そんな冗談を言い合うことですら、すごく安心する自分に気付く。胸の辺りで縮こまってたものが、少し柔らかくなるような。
いつもこうやって、たまにはふざけ合いながら、やってきたんだよな……。ヴァルハラに行って、カイアスとライトニングに会って、それから過去に遡って。そこで初めて、出会った。一緒にいて、安心感と、信頼感があって。大変なことだってあったけど、協力して、一つ一つ解決して……。すごく、心強くて……
……いつまで、こうしていられる?
『俺の望む夢は……これじゃない。セラと一緒に見る夢。悲しい過去じゃなくて……平和な未来』
夢から覚めた時、確かにそう思ったはずなのに。
気付けば、嫌な想像にまた陥っている。
だってセラ、未来、変えたら……
崩れる。力、なくなって。倒れる……
虚構。ただの、想像の産物。わかってるのに、身体が、潰されそうに重い。目をぎゅっと瞑る。どうにかして、その思考を見ないようにする。
違う。そんな風に不安になるために、振り返ったわけじゃない。
いい加減にしろ、俺。悲観的な考え、中止。もっと建設的に、違う見方で考えよう。セラが命を削られないためには? 何が考えられる?
……セラが、時を視なければいい。
よし。何だっていい。名案が急に浮かばなくても、まずはそんな小さな発想で十分。……じゃあ、時を視ないようにするには、どうすればいい?
——時がなくなれば。そうすれば、視ることもなくなる。
……瞬間、叫び出したいのを、すんでのところで堪える。
『この心臓が止まる時、女神も、また死を迎える。女神が死ねば、ヴァルハラの混沌が解放される。それは歴史を歪め、過去を破壊するほどの力だ』
『……わけわかんないな』
カイアスが何言ってるのか、全くわからなかった。
『なんでなんだよ……そんなに、死にたいのか……? せっかく今まで、生きてこれたのに。あんたは言葉も少ないけど、生きようって意志も、力もある奴だと思ってたのに! その強さがあれば、あんたが生きるだけじゃない。みんなを助けることだってできたのに!』
そんなに、自分が楽になりたいのかって思ってた。
『あんたを殺すとか、歴史を歪めるとか、わけわからねえ。そんなのどうせ、ユールが悲しむだけだ!』
『悲しませても、救えればいい』
……時の狭間でも、同じ。
『あんたのせいで、ライトニングがヴァルハラに飲まれた? アトラスが、ビルジ遺跡の調査を妨害してた? 巨大プリンが、クリスタルの柱、溶かしてた? コクーンを救うはずのホープが、殺された? あんたのせいで、コクーンが落ちて? みんな苦しみながら、死んでいった? 俺……一人になった?』
ただただ、信じてたあいつが、みんなを、俺を苦しめてた……それ自体が……衝撃で。
『相当の力と覚悟をもってしても、一人すら救うことは難しい。であれば、持てる全てを使って、私はユールを救う』
あいつの考えの元になっている思いにまで、辿り着かなかった。
歴史を歪め、破壊したい。そこまで思う本当の理由。カイアスの、気持ち。
……ユールが、死ぬところ、見たくないから。ユールに、生きていてほしいから。時を詠まなくなれば、命が削られなくなるから、だから、時を壊してでも、何をしたって、ユールを救いたいって、気持ち——
そういう、こと。
理解、してしまった。その、考え。一瞬でも、同じこと考えた。セラが救われるために、時がなくなったら……って。
……
身体がぐらつく。手をぐっと握る。手のひらが、汗ばんでる。
……違うっ、俺は、カイアスと同じじゃない……!
だめだ。小さく小さく、首を振る。目の前には、セラがいる。これ以上、心配かけられない。何話してた? さっきまでどんな声色だった? 思い出せ。こんな動揺、セラに気付かれないように。
「……でも、本当にいい場所だよな。だからこそ俺も、みんなが生きていられる未来……ネオ・ボーダムみたいに平和な未来を作りたいって思えた」
嫌な思考を振り払うように、自分に言い聞かせるように。そう、あの場所が、今の俺の原点なんだ……。
セラは、柔らかい表情を返してくれる。多分……成功。それとも、わかってても敢えて言わないだけなのか。
「ネオ・ボーダムをそんな風に言ってもらえて、私も嬉しい。……未来、変えようね」
なぜかまた、胸が苦しくなって。言葉が、出てこなくなる。目を、逸らす。
………"みんなが生きてる未来"……か。
俺が生きてた時代が消えても、それでいいと思ってた。みんなが救われるなら。自分の存在が消えるったって、迷いなんか……なかったのにな。それを疑うことも。こんな風に足を止める? ……考えもしなかった。
……いや、そうでもない、か。
『止まりたいなら止まりたいって、言って』
アカデミアで、セラに言われたんだっけ。
『あるかもしれないじゃない。少しだけ立ち止まりたくなる時も。前に進みたくなくなる時だって』
隠してたつもりで、伝わってた。前に進む決意が変わらなくても、自分の気持ちがわからなくなってたこと。
遡った過去で出会ったユールとカイアスが、俺のこと全然覚えてなかった。セラとホープとアリサのことだって、一緒に進む人がいるっていいな、って思ってたのに。……生まれた歴史が違うから、進む道は一緒でも、帰るところが違うんだって思ったら、やっぱり俺は一人なんだ、って、勝手に思って……
何のために進むのか。変えた先の未来、俺はどうなってるのか。そんなのを考え始めたら、段々苦しくなった。セラとホープたちが笑ってる、そんな幸せな未来を見ることもなく、俺は一人で消えてしまうかもしれない。そう思ったら、どうしてか、すごく悲しくなって。
……アカデミアに残ってみんなで一緒にいればいいって、アリサが言ってくれた。
少しだけ、考えた。未来を変えるためにって自分が無理するんじゃなくて、……平和な時代で、身近な人と一緒に過ごす。そんなことが、可能なら……?
……でも、曲げられなかった。諦めたんじゃ、俺がこの世界に存在する理由が、なくなるって。だから、自分の思いは隠して、前に進むって……そう答えた。嘘じゃない、嘘じゃないけど……本当のことでもない。
だけど、俺がそんなこと言ったって始まらない。俺が、未来を変えたいって言ったことなんだ。辛いことだってある。でも、辛いって言わずに前に進まなきゃいけないことだって、ある。そういうこと。そんな決意だったんだ。
……だから、止まりたいならそう言ってって……セラの気遣いに、逆にすごく苛立って……。
『なんで? そんな風に、見えてる? 正直……心外』
そんな風に、反発したっけ。そんなに俺、弱く見えてるのかって……急に、すごく悔しくなった。
セラが怒って出て行って。しばらくして、ホープが来てくれて……俺のために、色々言ってくれた。その時も。
『強くあることの……何が悪い?』
ホープに対しても、そう言い返した。
『俺はずっとそうやってきた。みんな余裕ない。俺が諦めたら、みんなが諦める。弱さなんて見せられない。だから!』
……でも、ホープの考えは、俺と違ってた。悲しそうな表情で、言った。
『迷いや苦しさを覆い隠したら、本当の強さが手に入るのでしょうか……?』
……だけど、ホープ。
今の俺は……本当に、不甲斐ない。
諦めないとか前に進むとか言ってたのに。全部思い出したら、今までそこにあった、無知や忘却から来てた強さが全部消え去って。……急に、怖くなって。セラを、不安にさせて。それを取り繕うことも、できない。どうやってカイアスと戦うか、どうやったら未来を変えられるか。……どうやったらセラの命は削られないのか。覚悟はあるのか……。問いだけは頭の中をびっしりと埋め尽くすのに、結びつく答えは何一つとして出てこない。
心の内がどうだろうと、覚悟あるって言い切ればよかったかもしれない。今までみたいに。そうすれば、セラも安心しただろうし。……なんで、そうできなかった? さっきからまとわりついてる、小さな後悔。
——今、思えば。
『あんな一人で空回りしてただけの過去を全部知られたかと思うと、いくら何でも……恥ずかしい』
『ノエルの過去なんだから。……全部、大事だよ』
セラが、そう言ってくれるから。
過去も全部知られて、もう、セラを前にごまかしても意味がないって気持ちが、どこかにあったから……
だけど……結果。
無理に強くあろうとしなかった。それだけで、……俺、すごく弱くなった気がする。それで、セラを心配させて……。普段通りも、難しい。前じゃなくて、後ろ。理想じゃなくて、現実。そんな自分の暗いところばかり見て、落ちるだけ。
……弱さを見せても強さがなくならない、なんて、俺には……できない。
なあ、ホープ。ホープの言いたかったことって、何? 本当の、強さって……何?
埋没。……終わることのない思考の砂漠。まるで、風紋を踏み潰してクリスタルの砂漠を一人で歩いてた時みたいに。どこまで歩いても、どこまで行っても……
ぱきん。
何かが当たるような音で、はっとする。身を潜めるように辺りに意識を向けるけど、何も起こらない。……風で、何かが家の壁にぶつかっただけ、か。
ふと気付く。また戻っていた沈黙。セラはまた表情なく、俯いている。
平気? ……何、考えてる……?
「……セラ」
「えっ?」
「さっきから少し、ぼうっとしてる。大丈夫か?」
もしかしたら、人のこと言えない。俺だって十分ぼうっとしてるのかもしれないけど。
「あ、ごめんね。大丈夫。……ネオ・ボーダムで旅に出て、今までのこと……いろいろと、思い出してたの」
……話してないと、俺が、不安なんだ。
俺は、ここにいる。セラも、ここにいる。でも、今にもどこかに消えてしまいそうな不安。
何考えて、そういう顔してる?
思ってることがあるなら、何でもいい。話していてほしい。
「じゃあ……セラも今までのこと話すか? この前のホープみたいに」
何だって、いい。
黙ってないで、少しでも——
そうやって始まったセラの話は、より一層、終わらない不毛な思考の砂漠に俺を沈めていくことになる。
——ネオ・ボーダムで最初に会った時のセラは、どこか……ユールを思い出させた。
『おっと、そいつは?』
『ノエル。私やレブロが危ないとこ、助けてくれたの』
ふうん、と言って、あいつ、俺をじろじろ睨みつけたっけ。
『ガドーだ!』
威嚇するように、声張って名乗ってた。
『……あれ? 俺って……不審者? 噛み付いたり、エモノ横取りしたりしないって』
『気をつけろよ。もしものことがあったら、大将にブッ殺されるんでな!』
ノラの奴らは、それぞれやり方は違っても、みんなセラのことを心配してた。絶対にセラを守るんだって、そういう気概を感じさせた。
『セラ、俺が導くよ。ライトニングを探しに行こう。きっと、あんたに会いたがってる』
そう言った時、ガドーが、今にも殴ろうとする勢いで俺に詰め寄った。止めようとしたユージュも、マーキーも、やっぱり俺のこと、疑ってた。
『……もし信じたとしたら? セラが危ない目に遭うんじゃないのかい?』
翌朝、レブロもやっぱり疑念と心配を投げかけた。ガドーよりは落ち着いた口調。それでも、セラへの気持ちは同じくらい強くて。
手強いな、と思った。一方で、何だか微笑ましかった。人同士で守ろうとする気持ち、この時代もあったんだって。人と人との争いで、コクーンが落ちたって聞いてたから……昔の人は、もしかしたら人を守るなんて気持ち持ってなかったのかも、って考えたこともあった。……でも、人を守るって気持ちは、時代を超えても、変わらず人の中にあるものなのかもしれない、って思った。
そしてセラは、村のみんなに守られる存在。どこか儚げで、みんなが、その笑顔を守りたいと思ってる。……その姿が、……少しだけ、ユールみたいだって、思った。もしもコクーンが落ちていなければ、俺の時代も、ユールも、こんな風になってたのかもなって思った。
コクーンが落ちてなきゃすべてがうまくいくなんて、言うつもりない。今まで見てきた歴史にも、あった。ファルシに支配された時代。ファルシがいなくなっても、ホープを狙う奴らの存在だってあった。それでも、俺の時代と比べれば、ずっといいと思ってた。実際、たまには俯くことがあっても、旅を始めた後のセラは前向きだったし、励ませば笑顔を見せてくれた。
……だから、そんなに鬱積した気持ちを抱えてたなんて、思ってなかったんだ。
「私は人に守られるしかしなかったのに、多くの人を……ヴァニラ、ファング、そしてお姉ちゃんを犠牲にしたかもしれない。私が生きたせいで、お姉ちゃんたちが死んだかもしれない。そう思えば思うほど、自分が生きてることに……罪悪感しかなかった」
記憶と現実の違い。大事な人を犠牲にしたかもしれない。でも、違うはず。それを受け入れられないってもがくセラの言葉は、痛々しい、と思った。
「自業自得で、ルシになって、クリスタルになって。それどころか、大事な人たちもルシにしてしまって。それでも、お姉ちゃんとスノウ……みんなが助けてくれて、クリスタルから戻れた。コクーンは落ちたけど、……ヴァニラとファングが助けてくれた。どうやってコクーンを復興させるかってことは考えないとだけど、それでもみんな生き残った。そして、いがみ合ってたお姉ちゃんとスノウが和解してて、スノウが、結婚を許してくれってお姉ちゃんに言ってくれた。私が覚えてたのは、そういう記憶」
……そういう場面、見た。ヲルバ郷にあった予言の書に、映ってた。隣にいたのがスノウだって、あの時はまだわかってなかったけど。嬉しそうに微笑むセラの姿を見たら、幸せ、平和……そう思った。予言の書が書き換わるまでは。
「だけど、違ったの。現実は……
自業自得で、ルシになって、クリスタルになって。大事な人たちをルシにして、そして……自分が生きる代わりに、お姉ちゃんを犠牲にした。ホープくんが、お姉ちゃんのナイフを形見みたいに渡してくれた。そんな、話……」
覚えてる。コクーンが落ちる様子が映し出されて。幼いホープが、ライトニングのナイフをセラに渡してた。スノウもいる、だけどライトニングの姿は見えない。泣き崩れる、セラ。
……あの映像、カイアスも映ってたんだよな。
コクーンを落としたのはカイアスかも、って言われて……、違うって返した。あの時はまだ……カイアスのこと、信じてた……信じたかった。
「ノラのみんなに話したって、同じ。みんな驚くくらい、お姉ちゃんがいないことを受け入れてた。お姉ちゃんはすぐにクリスタルから戻るからって言ってくれるけど、だって、私はお姉ちゃんがクリスタルになったってこと自体、信じられてないのに。
信じたくないのはわかるけど、って言われても、違うの。信じたい信じたくないじゃない。だって、お姉ちゃんはいたんだよ……。だけど、そう言っても……誰もそれが、わからない。……責めたい訳じゃないの。仕方ないことだったって思う……」
仕方のないことだった、って理解しながらも、どこか悔しそうな表情。
……状況は違っても、わかる。
自分は、そう信じてるのに。誰にもわかってもらえない、誰にも信じてもらえない。
俺は、生き残りが見つかる歴史を、セラは、ライトニングが生きてた歴史を。それぞれ信じていた。
でも……みんなが、同じように思えるわけじゃない。
「みんな、目の前のことで手一杯。お姉ちゃんのことが夢だったのか、疲れてただけなのか、私がそう信じたかっただけなのか……みんなにとっては正直些細なことだったんだよね。目の前にある紛れもない真実は、お姉ちゃんはいないっていうこと、そして生活を立て直していかなきゃいけないっていうこと」
目の前に迫った、現実。日々の生活。それがどれだけ大事かなんて、ちゃんとわかってる。食べられなきゃ、生きていけない。でも、それも大事だけど、違うんだっていう思いは、どうしても消えない。
「スノウは、ネオ・ボーダムを作るんだっていってみんなを励まして。……わかるでしょう? コクーンに住むなんて考えたこともない人たちに、大丈夫だ! いけっから! 食べ物もあるし! 俺も死ななかった! って」
思い出して微笑むように、スノウのことを話す。
「ああ……想像できるな。でもよく信じられたな。あんな頑丈な奴に言われても、あんただからだろ! って俺なら言いそうだけど」
「みんな、切羽詰まってたの。ボーダムは破壊されちゃったし、少しでも可能性があるなら信じていかないと、食べることもできないんだから。でもすぐに騎兵隊の人たちも協力してくれたし、ネオ・ボーダム建設は順調に進んでいったんだ」
……スノウ。あんた……すごいんだな。
人に信じてもらうって……何よりも、難しい。
セラは、俺のこと信じてくれたけど。少なくとも村にいた頃の俺は、あんたと同じこと、できなかった。生き残る可能性のかけらを信じて、みんなで村を出る。その一歩までが、何よりも……遠かった。
しかもあんたは、信じてもらうだけじゃない。結果を残したってこと。協力してくれる人を広げて、ネオ・ボーダムを作っていった。あんな滅茶苦茶に見えて、一歩一歩、着実に。
状況が違うって言い訳、言えるのかもしれない。あの時代と俺の時代じゃ、状況も、環境も、条件も、全部違うけど。……それでも、口だけで終わった俺とは、違う。
なあ。……俺とあんたじゃ、何が違った? 俺、何が足りなかった?
「……それなりに私も何かできるって思ってたんだ。でも、違ったの。そうじゃなかった。お姉ちゃんがいなくなって、できてたこともできなくなって。今までの自分が自分じゃなくなるみたいな……」
懐かしそうな微笑んでいた目が、どこか寂しそうに下を向いて。……俺の方も、身につまされる気持ちになる。
「みんな頑張ってるのに、私は何もできない。お姉ちゃんのことばっかり思い出してた。お姉ちゃんは、色んなものを与えてくれた。なのに私はどれだけそれに応えられてたのかな。恋愛なんかして、お姉ちゃんのことどれだけ考えられてたのかな。今お姉ちゃんが戻ってきたら、謝りたいことたくさんあるのに。今ここにお姉ちゃんがいたらどんなに良かったんだろう……って。そうやって、ふさぎ込んで。泣いてることが、増えたって思う……。余計に何もできなくなって」
違う、と何か言おうと頭を働かせようとしたけど、セラの話は続いた。
「……そんな時スノウは、ノラのみんなは、私のことを守ろうとしてくれたんだと思う。スノウは、何もできないなら、ただ笑っててくれればいいんだって、言ってくれた。……私が生きてそこにいるってだけで、それだけで十分なんだって、言ってくれて……」
焦るセラにかけた、スノウの言葉。
……その気持ちは"わかる”、と思う。
何かしようなんて思わなくても、セラはセラだって。俺がそこにいたって、きっと同じことを言う。
ただそこにいてくれれば。できれば、少しでも笑ってくれるなら。少しでも、喜んでくれるなら。そうすれば頑張れる。……違う。無理に笑おうとしなくてもいい。自然に笑ってくれるように、俺がもっと頑張る。そういう気持ち……わかるんだ。
ユールに対する、みんなの、俺の、気持ち。ちょうど、スノウと同じ。
そこにいてくれるだけで、よかった。みんなが明るくなった。毎日の生活のために、ユールに何かしろなんて言う奴、誰もいなかった。時詠みの巫女だからっていう理由もあったかもしれない。でも、それだけじゃない。
ユールが笑ってくれるから、おかえりって言ってくれるから、頑張れた。控えめな笑顔、それで十分。できれば寂しそうな笑顔じゃなければ、もっと嬉しい。最後の誕生日祝い、苦戦しながらベヒーモスを狩ってきた時だって、そう。カイアスに挑む資格ができたって達成感……それと同じくらい、ユールの笑顔を守れるようになるんだって思えば、嬉しくて。
スノウだって、きっとそういう気持ち。セラもきっと、わかってる。わかってるけど。
「でも……、嬉しかったのに、私の気持ちはまた寂しくなった」
「……セラ」
「コクーンが落ちた後ね、臨時政府っていって……混乱したコクーンをまとめる組織ができたの。そこに、お姉ちゃんと一緒に戦ってたリグディさんって人がいて、その人が、世間のみんなに向けて言ってくれたの。お姉ちゃん、それにヴァニラとファングは、ルシになったけど、身を挺してクリスタルになってコクーン落下を救った英雄なんだって。ボーダムにいた人達も、変な魔力に汚染なんかされてないって……。
ボーダムの人たちは、ファルシのせいで、変な魔力に汚染されてたって誤解されてたから、ファルシがいなくなった後も、ずっと肩身の狭い思いをしてた。でも、リグディさんのおかげで、お姉ちゃんや私たちにかけられてた、いわれのないひどい言葉が撤回されて、これからは胸を張って生きていくんだって。復興も勢いに乗っていくんだって……みんな喜んでた。活気づいてた」
だけどまた、セラの目線は下がって。何かを我慢するように、口元も一度、ぎゅっと結ばれて。
「……でも、私の気持ちは置いてけぼりになって。違うのに……お姉ちゃんはいたのに。どうして? なんで、クリスタルになったなんて言うの? 夢だったの? それとも私の願望? 何が真実なのか、何にもわからなくて。テレビの中の臨時政府の話も、目の前のノラのみんなの話も、どこか遠い世界にあるように思えて。
そうやって一人だけお姉ちゃんのことにこだわって、何もできない自分。みんなが頑張れば頑張る程に足が動かなくて。そして、気を使われるだけ使われて、何もできない自分。みんなを傷つけたのに、みんなの好意を受け取っているだけの自分が……全部嫌で……」
……そんな風に思う必要、ないんだ。何も。
思い出してほしい。……夢の中で、俺に言ってくれたこと。最初は誰が言ってるのかわからなかったけど、聞こえてた。
……無力なんかじゃないって——
「………そんなこと。セラだって、学校の先生になったんだろ?」
ネオ・ボーダムの子供たち、セラのこと厳しいって言ってた。だけど、セラを見る目はみんな、温かくて、親愛の情に溢れてた。信頼してなきゃ、そういう顔できない。
セラがやってること、子供たちにとってちゃんと意味があって、みんなそれを喜んで受け取ってる。……そんな気がした。
「うん……スノウは覚えてなかったけど、クリスタルから戻った時に先生になるって言ったし。それに、魔物が現れるようになって、子供達に身を守る手段を身につけてもらわないといけないって思ったから」
「そう言っても、なかなかできるもんじゃない」
うん。例えば俺が誰かに何か教えるなんて、想像できない。狩りも剣も歴史も教えてもらってばかりで、教えたこと、ない。それとも、生き残りがいたら、また違ったのか? ……考えても、仕方ないけど。
「ありがとう。子供達に教えるようになってからは、ちょっとだけ気分がよくなったの。私にもやれることがあるんだって」
セラの顔がふっと柔らかくなって、安心する。
……よかった。
「そのうちにね、スノウが……お姉ちゃんの話を聞いてくれたの。私だけが覚えてた記憶の中で、何があったのかって」
「……そっか」
「その時も、ちゃんと信じてくれた。お姉ちゃんは生きていて、私を抱きしめてくれてたんだって。
スノウは、いつも味方になってくれるから。私がルシになった時、お姉ちゃんですら信じてくれなかった時でも……、私を信じてくれたから」
……信じる……、か。
……スノウ。あんた、本当にすごい。
信じてもらう、それだけじゃない。あんたは、先なんて何もわからなくても、セラのこと……信じたんだな。
セラが言うなら当然だろ? って言うのかもしれないな。
セラがルシになったってこと、ライトニングでさえ信じられなかった時に、スノウはセラを信じた。
ライトニングが本当は生きてたって話も、やっぱり最後には信じた。
誰も信じてくれないのに、信じてくれること、助けに来てくれること。それだけで、孤独感が和らぐ。
スノウはセラを信じてる。セラはそんなスノウを信じてる。
『あんたのそういう態度、嫌いだ。あんただって、セラのこと考えて行動してるって、わかる。でも、なんでそんな風に言える? セラだって苦しいとか寂しいとか、あるんだぞ? なんで何年も放っておいて、大した言葉もかけずに、平気でいられる? あんたにだって、何か事情があるのかもしれない。でも、そんな事情とセラの気持ちは別だろ? なんで、セラの気持ちちゃんと聞きもしないで、これでいいなんて決めつけられる? あの時だって、今だって!』
あいつにまた会った時、つい、言ったっけ。自分の考え、押し付けた。
『……理解不能。二人に、俺の知らない何がある? 何があれば、そんな風に思える?』
すごく、苛々して。何に怒ってたのか、とも思うけど。
だけど。
別に言葉なんて、要らなかったのかもな。後で会えるって、信じてる。だから、大丈夫……。
……そういえば、旅立つとき、セラも言ってたっけ。
『今まで疑ってごめんね。誰にも信じてもらえないつらさは、誰より知ってるはずなのに。スノウが私を信じてくれたように、私はノエルを信じる』
だから、セラは、俺のことも信じようとしてくれたのか。
……信じる気持ちの連鎖、か。
『泣かないで、また、会えるから……』
でも、今の俺は……
『お前にしか、できないからだ。このヴァルハラに辿り着いたお前なら、セラを導いて、未来を変える奇跡を起こせる』
何を信じるのか。
『信じる方が、馬鹿なの。そんな人たちのために、あんただって頑張ることないわよ』
何を信じないのか。
『俺……あんたじゃないって。アカデミアであんたに似た奴が人をシ骸に変えてた時も、絶対にあんたじゃないって! 歴史を歪めた奴がいるって言われたときも、本当の敵は他にいるって……セラにも、ホープにも言ってたのに!』
現実に振り回されて、わからなくなって……。
『だからノエルも、私を信じて……』
なあ、スノウ。
あんただったら、今、セラに……何て言うんだ?
あんたなら、セラを信じるって、言ってやれるのか。セラが不安にならないように、迷いなんて見せないで。いつでも前を見てるって、言い切ることができたのか。
無謀、無鉄砲、無茶苦茶。だけど、そんな破天荒なやり方で、全部解決して、セラを笑顔にしてやれるのか。
——……ここにいるのが、俺じゃなくてあんただったら、よかったのかもな。俺はパラドクスで消えてしまって、あんたが……
……身体中が、沈み込む感覚。胸が縮こまって、苦しくなる。息が、詰まる。
何か言わないと、また際限なく沈んでいきそうだ。
「………ふぅん。また、言っていいか?」
「「……馬鹿だからだろ」?」
悔し紛れの言葉。……完全に、読まれた。
「……わかってるじゃん」
「もう、何回言われたと思ってるの?」
痛恨。……でも、セラがどこか得意げな表情で笑うから、少しだけ気持ちが軽くなる。
「……実はね、ノラのみんなにも言われたの。スノウが話を信じてくれただけじゃなくて、お姉ちゃんを探しに行くって言ったから」
「……ああ。そうだったな」
それで、ネオ・ボーダムからいなくなったんだよな。
「やっぱりノラのみんなには、反対されたけどね。この生活が不満なのかって。お姉ちゃんはいない、それが現実。だけど、みんないて、やりたかった学校も作って、支えながら生きている。それじゃだめなのかって……。今目の前にあるものを精一杯大事にしようって思おうよ、って言われた。
私……何も言えなかった。答えられなかった……。
スノウはね、それでも行くって言ってくれた。お姉ちゃんはどこかで生きてるから、探しに行くって」
「ほんと、行動力のある奴……」
「ん?」
「いや、すごい奴だなって思ってさ。……思ったことは、全部行動にする。そうやって、一つ一つ、変えていく……」
「……でもね、一言、言われちゃったの。一人で行くことについて、ノラのみんなと話してたとき。
最初二人で話してた時はね、子供たちに教える先生がいなくなったら困るから、一人で行くって言ってたんだ。でも、みんなで話したとき……危ない目に遭わせたくないから連れて行かない、って言ってたの。
……わかってるの。それも全部、私のこと心配してくれたからだって。スノウやお姉ちゃんと違って鍛えてるわけでもないし、旅にも慣れてないし、連れて行っても大変だろうって考えてくれたんだって。そう思うけど……。
スノウは、いつも味方になってくれて。どれだけこれに救われてきたことか、って思うの。でも……その時もまた、じり、と少し心が縮こまって、沈み込んでいくのがわかったの……。
スノウに悪気はないの。でも、私はまた守られるだけで、何もしないんだ……って」
……ふと、思う。
ライトニングにセラを導いてくれって言われてたから、俺はセラのことは最初から一緒に戦う仲間だと思ってた。だから、そんな風に扱ったことはなかったと思う……けど。
俺が守ろうとしていた人は……ユールは、どう思ってた? 守られてるユールの気持ちなんて、聞いたことなかった。
『俺は、あんたみたいなバカが一番嫌いだ! 守る守るって、守られた方がどう思うか、考えたことあるのか!』
……
本当に、馬鹿は、俺だ。
「だけど、スノウはすぐ戻ってくるって言ってたから……スノウがお姉ちゃんを探し出して戻ってきてくれれば、きっと上手く行くって思ってたの。お姉ちゃんが帰ってくれば、きっと私は今までみたいにうまく振る舞えるようになる、って思ってたの。本当に、他力本願だって思うでしょ?」
ただ、首を振る。
「でも、あの時の私は本当にそうだった。行きたいなら自分で行けばよかったじゃんって子供たちに言われて、涙が出て。ノラのみんなには、死んだ人のために、生きてるスノウを犠牲にするのかって言われて、何も言えなくて……スノウが言ってくれるままにここまで来たけど、本当はどうしたらよかったのかなんて、わからなかった。スノウを信じてないわけじゃない。でも、どうすればいいのかわからない。もう、どうすることもできない……
そうやって、ただただ時間が過ぎるのを待ってたある日……ネオ・ボーダムにあの隕石が落ちてきたの」
「隕石……あの日か」
俺が、ヴァルハラに辿り着いて、ライトニングと会って、そしてまた女神の門を通って過去に遡った日。
「うん。隕石が落ちて、自分の服も変わってて、見たこともない魔物がたくさん現れて……なのに足がすくむだけで……お姉ちゃん助けて、って言ったのは覚えてる。またレブロに怒られて。いい加減、現実と向き合ってって……。みんな、必死に戦ってくれてた。なのにこんな状況になってまで何もできないんだ私、って思って……。
そんな時、ノエルが助けに来てくれたよね?」
「ああ。囲まれてて、危なかった」
そこは、覚えてる。俺だって一度にあんな数の魔物と戦ったこと、なかった。一瞬の隙が命取りになる、そんな場面。
『立てよ、セラ』
目の前の魔物に、知らない奴。状況が飲み込めないのか、呆然として、驚いた目を俺に向けてた。
あなたは、って言われた気もしたけど、それに答えてる暇もなかった。まずは目の前の危険を排除しないと、話も進まない。
『話は後。戦えるだろ?』
『え……』
『やればできるって!』
そうして、差し出した弓を手に取ってくれた……。
「……厳しかった?」
俺も必死だったから、そんなことしか言えなかったけど。
「違うの! ノエルの言葉……嬉しかったの。一緒に戦ってくれて、本当に嬉しかったの……ちょっとしたことかもしれない、でも自分で何かできるんだって、ちゃんと思えたの! だから……私にとっては、すごく大きなことで……」
ちゃんと俺の顔を見て、すごく真剣な顔で、力一杯言ってくれるから。
「……そっか。よかった」
さっきみたいに、何もできないって言ってた時のセラの表情じゃない。
少しでも、俺がセラの役に立ったって言ってくれるなら、……それだけで十分。
「……その後、お姉ちゃんがヴァルハラにいる、ヴァルハラに行こうって言ってくれたよね。嬉しくて、でもさすがに急なことだったから戸惑って……」
「ノラの奴らにも反発されたな。まあ、そりゃそうだよな。突然来た奴がセラを連れていこうとするんだから、反対するよな」
「……ノエルが寝た後、ノラのみんなとはもう一度話したの。レブロがね、私の気持ち、ちゃんと聞いてくれて。
今までみんなに言えなかったこと、言えたの。みんなが守ってくれようとする程、守られてるだけの自分が、嫌になってたってこと。自分が行動を起こせなくて、人に頼って、そうして人を傷つけてたっていう気持ちも……。私、ひどいこと言ってたって思う。……みんな、私のためにって動いてくれてたのに、それが嫌だったなんて、ほんとワガママな女だったと思うけど」
「……そんなことない」
「ううん、本当に今でもまだ、そう思ってる。与えられるばかりで、何もできない。そのくせ自分の行動のせいで人を振り回して、たくさんの人を傷つけてた。
……だけど、ノエルは、違ったから。戦えるよな? って、言ってくれたから。少しでも何かできるって、思えたから……
ノエルと旅立ったら、私、変われるのかもって……思えた。誰かに何かしてもらうだけじゃなくて、望んだら、自分でも何かができるんだって信じられるのかもしれないって。子供たちに口うるさく言うだけじゃなくて、ちゃんと"先生"として胸を張れる自分でいたいって……ごめんノエル、あまり上手く言えないけど……」
上手く言えないって言うけど、一つ一つの言葉を、すごく丁寧に考えて、伝えてくれてる、と感じる。
その一つ一つに、嬉しいと感じる反面……どうすればいいのか、わからなくなる。
くすぐったいような、俺にそぐわないような、荷が重いような。持て余す、って言葉が当てはまるのかもしれない。
どこかで、違うんだ、と言いたくなる。そんな気持ちが、積み重なっていく。
「そう言ったら、みんな……わかってくれて。ちゃんとノエルと話して、って言ってくれた」
「……納得。だからあんなに反対してたのに、次の日にはすっかり静かになってたんだ。ガドーなんて特にそうだよな。
変だと思ったんだ。だって反対してるのに、ライトニングのナイフを研いでやったり、猫にブラシかけてやったり、ペンダントのチェーンを付け替えてやるなんてしないよなあ、って」
「うん。本当に、みんな味方だって言ってくれて……嬉しかった」
「……それに、セラ。俺の方こそありがとう……俺の言うこと、信じてくれて。あの時は必死だったんだけど、そりゃ突然現れて信じろとかいっても、信じられるかわかんないよな」
心の中の一部だけ、切り取って、言葉にする。
「その次の日。……私が、ノエルの願いは何? って聞いたでしょう? 何て言ったか覚えてる?」
咄嗟に聞かれたけど、そんなの、すぐに思い出せる。
「うん。……みんなが生きてる未来」
もちろん、覚えてる。
……今となっては、夢みたいな言葉を、平気で口にしてた。
「そう。それで、未来を変えられるって言葉を俺は信じる、ってノエルは言ってたの」
「……うん。ネオ・ボーダムみたいな未来にみんなが生きられるんだったら、いいなって思って」
そう言いながらも、心のどこかに、ちくちくと刺す痛み。降りしきる、罪悪感。
「何て言えばいいんだろう。あの時はまだ、ノエルが実際どんな人で、どんなところから来たのか、全然わからなかったんだけど……。
例えばね。何か自分のためにやってたり、嘘をつこうとしていたりしていたら、そんな言葉、絶対に出てこないよね。
私……自分のことしか考えられてなかったんだなあ……って思ったの。みんなが頑張ってるときにも、お姉ちゃんがいないことを寂しく思う自分の気持ちばかり見てた。でもノエルは、そうじゃなかった。自分のことじゃなくて、みんなが生きてる未来を作りたいって真剣に話してくれた。だから……この人の言うことは信じられる、って思ったんだよ」
……誉めすぎ。
違う。セラ、俺は、そんなんじゃない。セラにそんな風に言ってもらえる奴じゃない……。
「別に……そんな大したことじゃない。俺だって、別に自分のこと考えないわけじゃないし、そんなに聖人でもない」
「今は、そういうところだって知ってるけど。自分の気持ちに正直に行こう! がモットーだもんね」
前、俺が言ったこと。
「……、そういうこと!」
努めて、明るく。……そんな自分に、失笑。
俺、今、どんな顔してるんだ?
自分の気持ちに正直に? ……俺が一番正直じゃない。弱くなりたくないから、心配かけられないから、未来だけ信じたいから、虚勢ばかり張って。
それならそうといっそそれを貫けばいいのに、だからって虚勢を張り続けられる訳じゃない。さっきからずっと、ぐらぐらして。
実際の俺は、信じろって言ったのに、信じてって言われたのに、その未来を信じきれなくなってる、ただの腑抜けで。
みんなが生きてる未来。もしかしたらそんなものは……どこにも……って……。
『ほーんと、こんな嘘つきの私でもたまには嘘つかなくて。あんたみたいに自分が正直者って思ってる人が嘘付くんだから』
そんな言葉も、思い出す。……本当、その通りだよな。
「それでもね、ノエルのそういう前向きさに、すごく助けられてたよ。ノエルは自分ではすごくないって言うかもしれないけど。旅に出てすぐのビルジ遺跡だって、そう……」
ビルジ遺跡? 最初にゲートを通った後に訪れた、場所。何があったっけ。セラは、何を言おうとしてる? アトラスがいて……そして……、あ。
「……アリサ?」
「……うん」
今まさに心の中で思い浮かべた人。アリサと、初めて会った。
……あの時は、そう。アリサの探し物に付き合っただけのはずが、どうしてか途中からセラの元気がなくなった。
あの時の俺は、どこか遠慮してちゃんと聞かなかったけど。……今なら、わかる。
『5年前、ボーダムという街が一つ、軍隊に消されたの。私は友達の家に遊びに来てて、巻き込まれた。大人たちと一緒に逃げて、隠れてた。でも引き揚げる途中、ここで落盤事故が起きて……。
あれからずっと、夢を見るの。瓦礫の下敷きになって、暗くて痛くて息苦しくて。気付くと、私の魂は身体から抜け出して、このお墓の前に立ってるの。そこに書いてあるのは、私の名前……』
『私、パラドクスだもの。……あんたたちがいつも解消しようとしていた、大嫌いなパラドクス。あんたの好きなセラ・ファロンがルシになったせいで、とっくの昔に死んだはずの……ただの死人よ』
アリサがパラドクスだったかどうかなんて、セラは知らなかった。でも、セラがルシになったから、死んだ人がいたってこと……きっと改めて知った。
「自分の軽率な行動で、今も苦しんでる人がいる。本当にいいのかな……、って、前に進もうっていう気持ちに、水を差された気がしたの。歩き出したけど、足が止まりそうになった……。
それでも、何も知らないノエルが、"どんなつらいことでも、過去がなきゃ、今この瞬間の俺もない"って言ってくれたから。……なかったことにはできない、だけど、それでも前を向いていかないといけないんだな……って思った」
……あの時は、別にセラを励まそうと思って言ったわけじゃない。アトラスがいて、コクーンが落ちて、大地が汚染されて、みんなが死んだ。そんな歴史がなかったら、……歴史を変えたいと思う俺も存在しないのかもしれない、って思ったら……ただ、自然とそういう言葉が出ただけで。
『だから、この瞬間もムダにならないさ。まっすぐヴァルハラに行けなくたって、回り道にも意味はあるんだ』
何も迷わずそう言ってたあの時の自分が、……つくづく不思議。
回り道、か。
……例えば、今の迷いも、必要な迷いだったって、言える時が来るのか……?
「……そっか」
何とか吐き出すように呟くと、うん、とセラが頷く。
——セラは、知ってる? アリサが、いなくなったこと。
『一応! 今後も会う機会はあるでしょうけど、私との話はここだけにしといてよね。特にホープ・エストハイムとセラ・ファロンに今の話は一切言わないこと』
『……まあ、いいけど?』
ヤシャス山で俺に指を突きつけたアリサを思い出す。……あの約束が今も生きてるのか、わからないけど。
それに……言って、どうするんだ。
セラ、落ち着いて聞いてくれ。アリサはパラドクスだった。ビルジ遺跡でアリサが心配してた通り、本当は、セラがルシになった時に死んでた。どうしたって、俺たちが変える未来では生きられなかった。共存できなかった。だから、消えたんだ。今じゃなくても、その内、消えてたんだ。わかるか?
……悲しむに決まってる。
セラは知らなくていい。俺だけが知ってれば、いいこと。……そういう考え、セラは好きじゃないかもしれないけど。
それに、……俺自身、口にしたら辛くなる。
思い浮かぶ。夢見る前の時空の狭間にいた、アリサの涙。カイアスが見せた幻影かもしれなくても、どうしても、忘れられない。
『もう遅いの、もう何もかも遅いの!』
頑張ってたのに。アリサだって、生きるって信じて、アリサなりのやり方で前に進んでたのに。
『わかってたわよ。あんたたちがヤシャス山で記憶が変わったって言ったときから、こんなこと。歴史が変われば、パラドクスの私は消える。最初からいなかったことになる。でもね、ホープってば……本当に私のこと、忘れてやがるのよ? 何にも思い出してなんてくれないの』
『本当に未来を変えられるなら……あんな馬鹿な考えを信じて、私も馬鹿になって進んでもいいかなって思ったことだって、あったの』
『あんたの言う通り、考えが違ってもそのうち道が一緒になって、もしも私がいる未来が実現できるなら……って、本当に思ってたの。——なのにね……違うの。一瞬で、忘れるの』
『はっ、あはは……何それ。私が、自分のことばっか考えてたから? その報いだとでも言いたいの? 少しでも信じた私が馬鹿って? そんなことって……ないわよ』
……嫌だ。
なあ、ホープ。俺たちの目指してた、未来。ホープだって、そこにアリサもいるって、思ってたんだよな……?
だけど、現実は。
"みんなが生きてる未来"。そこから、アリサはいなくなった。
『せっかく私が、この時代にいればいいって言ってやったのに。なのに選ばないんだから。ほんと馬鹿だわ! ……でもそれも、選ばないことを選んだってことよ?』
あの時の笑顔の裏、どんな気持ちだった?
『でも、いいの。選んでること、自信持ちなさい。誰かが決めた滅びの運命を選ばされるのが嫌だから、こうして頑張ってるんでしょ? 私だってずっと、そうやってきたわ。自分がいいと思うことをやってきた。……正解も、今後どうなるかだって、わからないけど……。でも、誰かの決めたことに従うなんてまっぴら。自分のことは自分で決める。そうでしょ?』
『……そうだけど』
『誰かが決めた人生を選ばされるんじゃなくて、自分が人生を選んで作っていくの。それって、大事なことよ。あんたは自分が苦しくても、諦めないで前に進んでいくことを選んだ。それで、いいの』
ごめん、アリサ。俺、あの時、アリサの言うこと聞いてたらよかった? あの時代に残って、あの時代で生きて……。
『君と何が違う? 未来のために、アリサ・ザイデルを消すのだろう。彼女は生きる道を探した。だがその命を一瞬で消すのは、君だろう?』
『違う……俺は』
『彼女だけではない。誰を犠牲にしているのか、わかっているのだろう?』
……どうして、進むんだっけ。
どうして、カイアスを倒すんだっけ。
カイアスが壊そうとしてる、みんなが生きてる未来を取り戻すため。
自分がいなくなっても? そういう覚悟はあったはず。
例え、誰かを犠牲にしても?
アリサを?
ユールも?
そして、今後、セラも犠牲にしても……?
そんなこと、俺、望んでるのか?
"みんなが生きてる未来”。……それが、本当にもう、どこにもないんだとしたら……?
「それでもね。……そうやってね、進んできて。ヤシャス山でホープくんと会って、予言の書を見せてもらって、ヲルバ郷でパラドクスを解消して、戻ってまたホープくんと話して。
お姉ちゃんが生きてるのは夢だったって前は言ってたホープくんも、この時には、ちゃんとどこかで生きてるって言ってくれた。その内にコクーンが落ちて、そのせいでノエルの世界が終わるってこともわかったけど、ホープくんとも協力して未来を変えていったら、コクーンと、そして世界も救えるかもしれない……って話したよね?
……だから……、何かしてもらうのを待つだけじゃない。誰かに守ってもらうだけじゃない。自分も、何かできる。助けてもらいながらでも、ちゃんと行動できる。ホープくんみたいにすごいことなんてできないかもしれない。でも手伝ってもらって、一歩一歩、進めていけてるんだって、実感できたの」
「……ああ、俺だって同じだ。この世界で一人で歩いてたときを考えれば……間違いなく、未来を変えるために動けてるんだって思えた」
そう、思えてたんだ……未来を変えるって。実際、変えてるって。
だけど、穏やかに、前向きに未来を見つめるセラの表情を見てると、また、思い起こす。
"未来、変えて、その先は……? "
セラの夢見る、幸せな未来。この先を進んだって、それが叶えられないとしたら……?
……今更引き返したって、それを叶えてやれるわけじゃないかもしれない。でも……
『未来は……救うよ』
セラが、強い眼差しでそう言うから。
『私も、同じ。ノエルと、みんなが生きてる未来……絶対叶えたいって、思ってるの。それはもう、ノエルだけの願いじゃないんだよ……。私たち、同じ夢、見てるんだよ。だから、私だけ安全なところになんて、いられない。ここまで来たのに……止まりたくない』
一度は、頷いた。セラの望むようにするって。
でも、あの時封じたはずの疑問が、また姿を現す。
『なんで、俺のこと、そんなに信じてくれるんだ……?』
そんな言葉、困らせるってわかってたけど、言わずにはいられなかった。
『誰も、俺のこと信じようとしなかったのに……セラが信じてくれること、すごく嬉しいけど……今は……逆にすごく、すごく………苦しい』
こんなにたくさん信じてくれて、でも、それがセラをもっと傷つけるかもしれない。
だって……わからない。
なんでそうまでして、未来、救いたい? そこまでする理由、何?
命削られたらもう、ライトニングにも、スノウにだって会えないかもしれないのに。
だって、ライトニングとスノウに会いたいんだろ? 乱暴な言い方を恐れず言うなら、それさえ叶えばいいだろ?
……だったら、先に進むんじゃなくて、もっと違うやり方、ないのか?
さっきみたいな、時をなくすなんて、カイアスの発想は論外。だったら、何だ。
少しのパラドクスの解消だけで、済むような……?
そう、例えば、また歴史を戻って、少し……ほんの少しだけ、パラドクスを解消する。セラの命が削られすぎない程度に。何かの方法で、ライトニングと、スノウを同じ時代に戻す。例えそれがパラドクスでもいい。コクーンが落ちたって。そこで旅をやめたらいい。そうすれば、セラは死なない……。
どうやって?
そのパラドクスまで辿り着くのに、どれだけの歴史を変える?
その間に、またどれだけセラの命を削り続ける?
……もし、あまり歴史を変えずに、それができたとして。
それで、いいのか? 俺……。何のために、やってきたと思ってる……?
でも。
アリサは、消えた。もう、"みんなが生きてる未来"が不可能だって言うのなら。
俺がいた未来が救われなくても。未来が、全部救われなくても。本当に守りたいものだけは、守りたい。
だから、セラの幸せを壊すくらいなら、歴史を全部戻せなくたって……それでもいいって……
"諦める"。やっぱりその言葉を言った方が、ずっとマシだって、今は思う……。
(8)-2 約束(終) へ
やっと
セラ編(1)の裏側まで来ました。もうほんとセラとは真逆に、後悔、自己否定、劣等感、等々、本当はすごく悩んだのではないかと思ってしまいます……。