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長い文章ですので、できるだけ目に優しい環境でお読みいただければと思います。

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トップページ > > FF13 > いつか帰るところ

いつか帰るところ(7)

(6) 君の望む夢で、眠れ へ  ざくざく……ざく。  俺が立ち止まれば、そこは時間が止まってしまったような静けさに満ちた。  何も、動かなくなった。何も、聞こえなくなった。  誰かが家を出て、狩りをしようとする姿も。誰かが病気で苦しそうにする姿すらも。  目に見えるのは、草花のない荒涼とした灰色の大地、取り囲むような黒い山脈。人が生きようが死のうが、関係なくそこにある。  ——違うって、言ってほしい。  死んだんじゃないって。ただ、消えただけだって。……そういうこと、ついこの前もあっただろ? ユールの誕生日。狩ったベヒーモスを見せた後……ユールは霧になって消えたけど、ずっと消えたままじゃなかった。また後で、出てきてくれた。今回も同じだって、何事もなかったかのように顔を見せてくれたら。  じっと立ったまま、目の前の家の扉を見つめる。いくら待っても、動かない。あるのは、動くことを忘れたかのような薄汚れた扉だけ。いつもなら俺が開ける前に気がついて、出てきてくれてたのに。  扉に手をかけて、止める。確かめなくてもわかる。開けたところでその先に、少し遠慮がちな、でも穏やかな笑顔が見えることは、もう。………わかるのに。  腕と頭をこすりつけるように、もたれかかる。祈るように、縋るように、声を絞り出す。 「ユール、………いつもみたいに出てきて、おかえりって、笑って……」  ……返ってきたのは、真っ暗闇の静寂だった。  俺は、何も知らなかった。だから、カイアスが許せなかった。あいつは、ユールの運命を知っていたのに、黙っていたんだ。それで、ユールを俺に守れなんて言っておいて、自分は……時を変えて、ユールの命をさらに……  勢いよく息を吐いて吸い込むことを、ひたすら繰り返す。背中に当たるクリスタルの砂がひんやりして、熱を持ちすぎた身体を冷やす。たまに、苦しくなって思い切り咳き込む。  クリスタルの砂塵、たくさん吸い込んだのかも。病気になる可能性、高くなるのに。そんなことも気にせずに、ただ走ってた。昼も、夜も。立ち止まってたら思い出すから、動いてたい。何も考えたくない。頭が何も考えられないくらい、身体を動かして。  ……全部あいつのせいだ。クリスタルの砂塵でみんなが病気になったのも、ユールが死んだのも、俺が今一人なのも。  だけど、こうやって疲れ切って倒れて、動かないと、またあいつが俺を苛みにやってくる。嫌だ、来るな。……ほら。 『君は、憎むべき対象を間違えている』  ——うるさい。わざわざ思い出させてくれなくたって、わかってるよカイアス。……俺のせいだ。 『まだ、望みは残ってるって思う。他にも生き残りがいる。だから、合流すれば……』 『ノエル。お前はまだ若いから、そう言えるんだ。現実を知らないから』  現実知らないなら、ああ知らないねって、いっそのこと開き直ってさ。 『きっと……きっと、まだどこかに大勢、生き残ってる。他に生きてる人が見つかれば、ユールも、寂しい思いをしなくて済む』 『それが、虚しい希望だと、君もわかってるはずだ』  カイアスを頼らなくても、誓約者の力が手に入ってなくたってさ。 『……みんなが行かないなら、やっぱり一人でも、仲間を探してくるよ』 『行っては、駄目』  ユールが、俺を止めたってさ。  反対されたから、何だよ。力が足りないから、何だよ。いつになったら、力が足りてるって言えたんだ? いつでもない。行くべき時と思った時が、その時だ。  一人で行って、のたれ死ぬ? こんな風に一人で残って行動しなかったことを後悔するくらいだったら、行けばよかったんだ。死ぬかもしれなくても、少しの可能性に賭けて、馬鹿になればよかったんだ。……あいつみたいに。  なのに俺がやったことは……ただの日常を繰り返しただけだ! それじゃ、何も変わらないのに! 一人でこんな風に後悔して、ぐるぐる考えて、カイアスを悪く言うしかできなくて……  探しに行けばよかったんだ。一人だって……  そうだ。本当は、俺のせいだ。俺があの……無鉄砲なあいつみたいに、なれなかったから……  ………  探しに……行く……… 後悔………  ……  乱れた呼吸が、落ち着いてくる。まだ、苦しい。でも、腕をついて上半身を起き上がらせる。  やらなかった後悔をして、くすぶってる? カイアスの悪口なんかで、残りの命を無駄にするのか?   ——嫌だ。  行動は、今からでもできる。遅くても、問題ない。今から生き残りを探しに行って……見つけて…… 『人が本当に死ぬのは、誰からも忘れられてしまったとき。一人でも覚えていてくれたら、その人は死なないの。だからね、忘れないで。私のことも。みんなのことも』  ばあちゃん、そう言ってた。俺がそこで生きていられれば、ユールを、村の奴らを覚えてる人が一人でもいれば……みんなは、生き続ける…… 「女神は……諦めない者に扉を開く………」  いつかよく聞いた言葉を思い出す。狩りをするようになって、みんなが教えてくれた言葉。 「……馬鹿げてる」  こんなになってまで、そんな言葉を信じるのか? みんなだって、言わなくなったのに。その女神が……他でもないユールの命を削ってたって、知ったのに。 『女神が、憎いだろう?』  ああ、そうだな。だけど……あんたよりずっとマシだろ、カイアス。それにこうなったらすがるものなんて……女神しかいない。  ユールの命を削ろうと……それでも、未来を視る力を与えた。あんたみたいな奴にだって、誰よりも強い力を与えた。  だったら俺にだってきっと、力をくれる……だろ?   そうだ。生き残りを探しながら……女神がいる、ヴァルハラを目指そう。女神の門、ユールが見せてくれた予言の書に映ってたんだ。そこには誰も映ってなかったけど……きっと、どこかにある。探せば……きっと、運命を変えることができる。  一時は記憶から消し去りたいとまで思ったカイアスへの反発心でしか……自分の正気を保つことができなかった。  村から出て少し歩くと、いくつかの建物が集まっているのが目に入った。  生き残りがいる? でも、こんなに近くに人が住んでるとはさすがに思わなかったけど……と訝しみながら近づくと、案の定。……もう、誰も住んでいない。建物は薄汚れて、所々に隙間が空いていて、少し押したら倒れそうで。……もしかしたら父さんが生まれた村かもしれない。けど……"家"という形だけがかろうじて残っているだけで、本当にそこに誰かが生きていたのかどうかわかるものなんて……何一つ目にできない。  ……俺のいた村も、こうなるんだ。人が住むことをやめたら、家はこんな風に朽ち果てていって、そこに人が存在していた証拠なんてなくなるんだ。ユールが……、ばあちゃんが、ヤーニが、リーゴが、ナタルが頑張って生きてたことを示すものなんて……何一つ。重いため息がこぼれて、気持ちが沈んでいくのを感じる。  ……違うだろ? 俺が、変える。形としての村も家も、消え去ってしまうかもしれない。でも俺が生き抜けば。みんなが生きてたことを覚えている人がいれば、村も家もなくても、みんなの存在を留めることができる。俺がヴァルハラに行って、女神に頼めば……みんなは、きっと消えない。だから俺は……進む。  信じる方が、馬鹿……?   ……そんなこと、誰が言った? 信じなかった奴が、言うだけだろ?   集落跡はあったんだ。もう少し歩けば、辿り着けるかもしれない。ばあちゃんの生まれた村か、もしくはようやく誰かが住んでいる村か。  そう思いながら通ったのは、真っ白いクリスタルの砂漠。暗闇のどこに目を凝らしても、白、白、白、白。うねるような風紋を、自分の足で潰しながら歩く。砂に捕らわれて、一歩一歩が重い。ここで魔物に襲われたら、いつもより動けないから危険……と思うけど、それすらも杞憂。  人だけじゃない。人に見捨てられた家の残骸も、枯れ木もない。魔物すら、めっきり目にしなくなった。ひたすらに白いクリスタルの砂に覆われた、死の大地。  ……クリスタルに覆われる前は、何があった場所なんだろう。そもそもこの世界は、どんな姿をしてたんだろう。自分の気を紛らわせるために、そんなことを考えてみる。……だけど俺が思いつくものと言ったら、今まで見たものの中からしか出てこない。自分の目で見た、家だとか。予言の書に映っていた、花や木だとか。AF400年にはコクーンには大きな都市ができていたって聞いたけど、全く想像がつかない。俺が住んでたような家がたくさん密集してたのか? それとも全然違う形をしてるのか? そもそも空に浮かぶ"コクーン"って、どんな形をしてたんだっけ? 切り取られたような真っ平らな大地が、そのまま浮かんでた? それとも? ……だけど、目の前の砂漠を見ながら想像しても、全くイメージなんて湧いてこない。……ただ単純に、そこにあったはずの人々の生活が消え去ってしまったことが……言いようもなく、悲しくなるだけ。  ——なんで、こうなった? ……昔の子供同士での会話を、思い出す。  コクーンが落ちた後にせっかく生き残って、農地もあったのに、全部無駄にした。……もしその農地がちゃんと保存されていたら……?   そもそも、コクーンが落ちる時に戦争なんてしていなければ……?   コクーンが落ちる前に、有害物質を排除しておけば……?   コクーンから別の場所に、ちゃんと住む場所を移していれば……?   そういうことを考えられる人、一人もいなかった?   いた、けど……  いたけど——何だ? わからない。  ……でも、いい。俺が、変えるから。傲慢でもいい。  村の奴らだけじゃない、今までの歴史に生きてた奴の人生だってみんな、俺が救ってやる。 「女神は、諦めない者に扉を開く……」  馬鹿の一つ覚えみたいに、呟く。耳に届いたのは、聴いたことない程ひどくしわがれた声。そういえばユールが死んでから、もう何日も誰とも話してなかった。……現実に引き戻される感覚。  ユールの家の前で何か言っても、何の答えも返ってこなかった。話しても誰も何も言わないということが、寂しくてどうしようもなくて。だから独り言すら、できるだけ言わないようにしてたけど。こんな風に話す相手がいなかったことに気付かされるんじゃ、……独り言言ったって言わなくたって、変わらない。 「俺、本当に………一人なんだな……」  苦しくても、誰かがいて話していたということが、どれだけ俺を救ってたんだろう。カイアスはおしゃべりなんてしないけど、ユールがいたときは……ユールと話すことで、自分の記憶も鮮明になった。『そういうこと、あったね』とユールが頷いてくれる度に、『何、俺たちのこと話してんだよ』って、みんなが今にもそこから姿を現しそうな感覚。……みんながそこにいたことを、自分だけが覚えてるんじゃない、覚えてる人が他にもいるっていうことが、みんなの存在を強く留めておいてくれる気がした。  それだけじゃない。みんなのことをちゃんと覚えていることで、俺はまだ生きてるって思えた。……だって、死んだら思い出すことだってできない。でも俺はまだこうやってみんなを覚えてて、話すことができるんだって。……そんなことをいちいち再確認する行為だったのかもしれない、とも思う。  ……でも今は、一人。ただ、覚束ない足でざりざりと砂の上を歩いているだけ。  みんながいなくなって何日経ったのか、わからなくなってきて。  どこまで行けば仲間が見つかるのか……どこまで行けば白い砂漠が終わるのか、どこまで行けば黒と赤の空が終わるのかも、わからない。  自分の存在の輪郭すら薄れてきて、曖昧になっていく。  ……不安……?   首を振る。そんなこと言ってて、どうする?   白い砂漠に答えがないなら、黒い山に答えを探せばいいだろ……? 山の上には人が住んでないかもしれない。でも、頂上まで行けば、少なくとも周りを見通せる。人が住んでいる場所があれば、すぐに見つけることができる。そこに向かえばいい。誰も、黒い山は超えなかった。海が近いから、海の近くにいると病気になるから住めないんだって、言ってた。でも、誰かがやってたことなんて、たかが知れてる。誰もやらなかったことにこそ、答えがあるんじゃないのか?  『色んな土地を彷徨ってきたんだ。もう、十分探したんだ』  そんな風に、言ってたけどさ。 『それでも……まだ探せてないところがあるかもしれないだろ』  そういうこと。あの時はちゃんと言い返せなかったけど……みんなの考えの方が間違ってたんだって、行動で証明してやる。今まで探してないところ、まだあったんだって。  冷たく広がる不安を、希望で無理矢理押し込めて。……なんとか、足だけは止めないように。  ——違う……そんなはず、ない。  だってばあちゃん、海を見たいって、言ってたのに。 『おばあちゃんもね、天に届きそうな山を見たことはあるけど、海を見たことはないの。だから、海がどんな色をしていて、波がどんな音を立てるか、潮風がどんなにおいなのか、本当は知らないのよ』  そんな風に、死ぬ前に見たかったなんて言うようないいもんじゃない。  そう。あんな海じゃなくて……  どんな色? 濁った、黒い緑……。  どんな音? ただ、ざあざあと抑揚のないざわめきが聞こえるだけ。  どんなにおい……? ……においを確かめようと口でしてた呼吸を鼻でしようとして、思わず手を鼻に当てる。腐ったような、鼻を通って頭を刺激するような。頭痛が、より酷くなる気がする。……決して、臭いをかいでいたいなんてものじゃない。  割れそうに痛む頭をなんとか持ち上げた先に見えたものは……そんな、『海』。  そして、そんな海があるってことは……人なんて、生きられない。薄暗闇で海と山との間の平地に目を凝らしても、今までと同じ、クリスタルの砂に覆われているのが目に入るだけで。  ……山の向こうは海が近いって、聞いてたのに。海が近いってことは、人が生きられないってことなのに。 『ノエル。お前はまだ若いから、そう言えるんだ。現実を知らないから』  自分の目で見るまで、信じられない。他の人の失敗を、自分の失敗として活かせない。 『それが、虚しい希望だと、君もわかってるはずだ』  みんなが命をかけて行動して、駄目だったとわかったことを、俺一人が動いたから何とかできるなんて、本気で思ってた?  『人々は安全な場所を求めて移動を続けてきた。海から離れて、少しでも汚染されていない土地を求めて。その彼らが最後にたどり着いたのがこの村だ』  みんなの知った現実を、ちゃんと聞いてたらよかった? でも、過去や現実に囚われてたら、行動できなかった。だけど実際は……みんなの過去を活かせなくて、俺は……  ……ずっと、こんな山頂でのんびりしているわけにもいかない。生き残りもいないけど、魔物もいない。ここにいたんじゃ、どっちみち俺を待つものは死しかない。  今まで登ってきた斜面と、黒く濁った海に繋がる斜面と、交互に目をやる。 『海の近くでは生きられない』 『……誰もやらなかったことにこそ、答えがあるんじゃないのか?』  安全なこと。危険なこと。……どっちを選ぶべき? 何が正解……? わからない。何にも、自信がない。  でもいくら失敗したって、今となれば、自分しか信じるものなんてないんだ。 『生き残りを探しながら……女神がいる、ヴァルハラを目指そう』  少し前にした決意を思い出す。どうしてもこの世界で生き残りが見つからないというなら、目指すべきは——女神がいるという、ヴァルハラ。予言の書には、女神の門が映ってたんだ。女神はきっと、簡単に人の目につくところに門なんて置かないはず。だったら……俺の向かうべき方向は、毒の潮風の吹き付ける、黒く濁った海。  それで俺の身体が蝕まれたとしても……女神に会えるなら、ユールの苦しみに比べれば……大したことない。問題ない。  だから、女神。……これ以上何も望まないから、運命を変える力を与えてくれないか?   ……ああ、そうだな。代償が、いるんだったな。代償がなきゃ、願い……叶えてもらえないのか。そういえば、それを言ってなかった。  ユールの時詠みの力の代償は、その命だった。だったら、俺も同じようにしてくれていい。  命なんて、いくらでもくれてやる。もし願いが叶えられるのなら。仲間たちが、村の人々が、もっと大勢の人々が生きていられる未来があるなら。ユールの幸せにつながるなら——俺はどうなっても構わない。消えてしまっても構わない。自分の存在など跡形もなく消えてしまって、誰も思い出さなくなっても、最初からいないことになったとしても。  ひょっとしたら俺は心のどこかで、この世から消えたいと願っていたのかもしれない。  無力な自分。みんなのために、何もできなかった。言うだけで、行動することも。一人になってから、誰かを見つけることも。残ったのは、自責と後悔だけ。  何にもならない、誰からも必要とされない。  そんな自分でいるなら……せめて少しでも誰かのためになったっていう小さな満足感と共に、消えてなくなることができたら。  ——駄目  ……えっ?   浮遊感。崩れる平衡感覚。壊れそうなくらいの、痛み。  ……うっすらと目を開ける。……赤が、闇に溶けていく。その空に伸ばしていたはずの頭も身体も、いつの間にか無様に地面にへばりついてる。少し集中が切れて、足場をちゃんと確認しきれなくて、それで、崩れて……  だけど……大丈夫? まだ……生きてる?   少しの、安堵。だけど、上から重りを乗せられたみたいに身体が重くて、全身の感覚が……歪んでる。……でも、起きなきゃ。 「っ……!」  起き上がろうと身体を起こしかけて、左腕に走る、激痛。上半身が、また地面に投げ出される。  ……何だ、今の。今まで狩りで怪我した時でも、経験したことのない痛み。もう一度、とまた恐る恐る力を入れようとする。……だけど、今度はもう、感覚すらなくなった。  全身、同じ? 右腕は? ……なんとか、動く。右腕に体重を預けて、精一杯の力を入れて、身体を起こす。足の裏に何とか力を込めて、時間をかけて、立ち上がる。息を吸い込むと、胸と背中が締め付けられる。  痛い。膝が、全然安定しない。足の裏の力、保ってられない。  足が崩れる。全身が岩か何かに叩き付けられて、また地面に倒される。  血の味。痛い。腕も、背中も、足も。力を入れようとすれば、痛みしか感じない。身体が、わからない。どこをどうしたら起き上がれるんだったっけ。わからない。  駄目だ、起きなきゃ。血、流れてる。早く止血しなきゃ。このまま動けなきゃ、血をたくさん流すか、血の臭いを嗅ぎ付けた魔物に食われるかして……  ……"死ぬ"……?   まだ先だと思いたかった"それ"が、いつの間にか頭のすぐ横まで近づいてきてたことに……ようやく、気付く。 『人はそんなに丈夫じゃない。簡単に……死ぬんだ』  みんなが死んでいくのを見て、知ってたのに。なのにわざわざ、岩でできた危険な山道を通って、危険な海沿いに行こうとして。……そんなことしたら目標に辿り着く前に、命の危険に陥るって……考えられたはずなのに。 『俺は……ちゃんと現実を見てる』  でも。  ……言うだけで、何も行動しなかった。そんな過去で終わりたくなくて、無謀でもいいからって言って、行動した。  ……でも、諦めてないつもりで、自棄になってた……?   そして俺は……こんな、終わり方を、する……?  「………ユー、ル……」  ……ふいに、少し寂しそうな笑顔の持ち主の顔が、頭に浮かぶ。  小さい頃から一緒に過ごしてきた、みんなが守りたかった女の子。一緒に遊ぶのが、俺とヤーニの役割だった。でも……遊ぶだけじゃなくて、カイアスが守るのを指くわえて見てるだけじゃなくて。俺も強くなって……守るんだって、思ってた。ユールが喜べば、みんなも喜んでいた。寂しい顔、させたくなかった。もっともっと、喜んでいてほしかった。  ……こんな時になってまで思い出すのは、そんなユールが、カイアスのこと、時詠みの"真実"を話してくれた時のこと。 『……ごめんなさい。カイアスに口止めされてたの』 『そうだね。ノエルが怒るのもわかる』 『カイアスが出て行ったら、何もかも話そうと思ってた』 『わたしにとって、カイアスもノエルも大事な人だから、どちらの思いも大事にしたい。だから、カイアスがいる間は黙ってたの』 『でもわたしはノエルに隠し事をしたくなかった。ノエルは本当のことを知りたがるって思ったから』  そうやって静かに話してくれたから……俺はもう、何も言えなくて。ユールがそれ以上落ち込まないように、もうカイアスのことは忘れようってことしか、言えなかった。……でも。 「…………馬鹿。違う……っ、だろ……? ユール……」  違う。……全然、違う。  本当に、俺の思いも大切にしてくれるなら……なんで、あいつの言葉を先に聞いた?   なんで……早く俺に言って、未来を変えさせてくれなかった?   言ったからって、本当に俺に何ができたかなんて、わからない。  だけど……どうして? ユールが生きて、みんなが生きてる歴史にさせてくれなかった?   全て終わった後に真実を知るだけで……俺が喜ぶなんて、思った?   なんで、俺を一人にした?   ……こんなの、俺、望んでなかった。 「——なんで、俺……なんだよ……」  声を出すにも、胸の辺りに激痛が走る。それでも、誰かに聞かせるかのように、声を出す。 「なんっ……で、俺が……、最後の、一人……んだ……?」  ……なんで一人? なんで生き残った? 生きたかったから。でも……一人でじゃない。みんなで生き残りたかった。ユールもカイアスも、ばあちゃんもヤーニもリーゴもナタルも。村のみんな、全員そう。でも、今は一人。なんで……?   嫌だ。でも死ねない。俺が生きなきゃ……  何のために? みんなを、覚えているために……  何のために?  『人が本当に死ぬのは、誰からも忘れられてしまったとき。一人でも覚えていてくれたら、その人は死なないの。だからね、忘れないで。私のことも。みんなのことも』  ばあちゃん、そう言ってた。俺が諦めたら、みんなを覚えてる人がいなくなる。みんなが、死ぬ。だから俺、覚えてなきゃって思って。  ……でもさ、ばあちゃん。 『何転んでんだよ。だっせえ』  そうやってからかってほしいのに。うるさいなって言って、ふざけ合いたいのに。 『……いつまで寝てる。早く立て』  ムカつくけど俺を奮い立たせる、あの厳しい叱責が、欲しいのに。 『ノエル、大丈夫?』  これくらい心配しなくても大丈夫ってかっこつけて、小さい見栄を張らせてほしいのに。  だけど、何にも声、聞こえないんだ。自分の息が、浅く口を出入りする音しか。肺に息を届けようとしても、肋骨の辺りが痛くて痛くて仕方なくて。  ……そういうこと、だろ?   俺が覚えてたって、みんなが生き返るわけじゃない。戻ってくるわけじゃない。  俺が覚えてたって、みんなが俺のこと覚えてるわけじゃない。関係ないんだ……俺が生きようが、砂塵を吸って死のうが、魔物に食われて死のうが、海風に当たって死のうが、山で滑って落ちて死のうが。それを覚えてて気にする人なんて、もう誰一人いない。こんな風に倒れてても、誰も声かけない。誰も手を差し伸べない。みんな、死んだんだ! 俺を置いて……俺を忘れて!   ……それじゃ、もう俺……死んでるのと同じじゃないのか? 存在しないのと同じじゃないのか?   違うのに。俺……まだ、ここにいるのに。無力でも……死にかけてても……まだ、生きてるのに。女神……エトロ。きづいて——  もうすぐ、女神の門が開く……。俺は……何もできないまま、元の場所に戻る。みんなが生きてて、剣の稽古を頑張ってて、他にも生き残りがいるって希望を持っていたところに。  最初は、またやり直すチャンスがもらえたんだと思った。一度は駄目だったけど、みんなを助けるまでやり直せるんだって……そう思って、何度も何度も頑張って……。  でも……何回やり直したって、何も変わらないんだ。  みんな、俺を置いて去っていく。苦しそうに、寂しそうに、死んでいく。俺は何もできないまま、一人取り残される。探しても探しても、何も見つからない。暗闇と赤い空は終わらない。それを、繰り返すだけ……。  もう……わからない。  違う何かがどこかにあった気もするのに……何も、思い出せない。思い出そうとすると……苦しくて。  こんなこと、前にもあったっけ。覚えていたはずのことを、段々思い出せなくなって……どうして? 誰かが、傷ついて……  わからない。  俺は何もわからない……何もできない。誰も、俺を覚えてない。  ……そう。何もないなら……価値がない。死んでるのと同じ。存在してないのと、同じ……。  それならいっそ、こんなのも、繰り返したくない。  だから、頼むから……  もう、消えさせてくれ——  ……駄目、そんなの……  ……  消えちゃ駄目……!   ……また、声。前まで、こんなの、聞こえてた……?   もう、誰もいないのに。俺に話しかける人なんか……誰も……  こんな悲しい夢に囚われたままだなんて、絶対に駄目……!   悲しい、夢……?   ……俺は、これ以外の世界は知らない。悲しいかどうかなんて、わからない。  どっちにしても、消えてしまえばいい。そうすれば、全部終わる。 『……また、強がっちゃって。本音は……?』  ……だれの……記憶?   本音……? ……俺の、ほんねは…… 『自分の望みを大切にしていいんですよ』  俺の、望み……  ……なに、望んでた?   今までこんな苦しかったんだから、ノエルには絶対に、幸せってどんなものなのか知っていてほしい……  ……しあわせ……?   ささやかかもしれない、それでも……  明日死ぬんだって思いながら暮らすんじゃなくて、明日どんな楽しいことしようか? って考えられる暮らし。  周りにいろんな人がいて、お互いを励ましたり怒ったりしながらも、日々成長していける暮らし。  ユールも笑ってるよ。カイアスだって、仏頂面じゃなくて、穏やかにユールを見つめてるよ。そう言ってたよね?   そういう、みらい……つくりたいって……  そう、私とホープくんが笑い合って喧嘩するところに、ノエルもいるんだよって言ったじゃない……  ……俺も……  だから、消えちゃ駄目……。お願い、消えないで……私………  ……身体が、冷える。ユールみたいに。意識が、ぼんやりしていく。  なんとなく、かんじる。頭のうえに、やわらかな光。  痛みが、ひいていく。  身体がゆっくりと浮かびあがって、女神の門にすいこまれていく。  女神の、門……  このまますべてをゆだねれば、俺は……  ……そうじゃない。  ……ちがうんだ、女神……  俺は、希望だけもってなにもしないんじゃなくて、きぼうを形にするために、足をふみだしたはずで……  こんなこと、望んだわけじゃない  こんなゆめ、みてたいわけじゃない。しにたいわけでもない。きえたいわけでもない。  ……おれは、ただ…… あい た い 「——……ノエル!」  ……なにかが、したからひっぱった。……ひえたはずなのに、そこだけあたたかい。……手?   このかんかく……なに? ……なつかしい。安心できる、なにか。  ぼやけるいしきのなかでめをあける。しんぱいそうに見つめるひとの……かお。温かくて、きれい。でも、ひとはもういない。だとしたら……俺のよびかけにこたえてくれた…… 「めがみ……?」 「私のこと……もう忘れた?」  ちがう。ずっと、きこえてた声。  だれ? でも、……しってる。覚えてる。こんなふうに、穏やかだけど芯のある、眼差し。 「——セラ?!」  離れてた意識が戻る。身体を翻して、両手をつなぐ。セラは、小さくうん、と頷く。  知ってる、この眼差しも、この声も。この手の温かさも。俺のこと信じて、ずっと隣、歩いてくれてた。思い出せなかったのが不思議なくらいに。 「ノエルは……夢を見ていたの。優しい記憶だけでできた、終わらない夢」  苦しそうな表情で、言う。 「……壊したのは、私………ごめんね」  ずっと、呼びかけててくれてた。無力じゃないよって。こんな悲しい夢に囚われたままじゃ駄目だって。 「夢はいつか、覚める。……教えに来てくれたんだな」  セラが教えに来てくれなかったら、また何度も何度も、繰り返してるところだった。  まだ希望を持って、だけど何も変えられなかった、終わった過去を。 「俺の望む夢は……これじゃない。セラと一緒に見る夢。悲しい過去じゃなくて……平和な未来」  うん、と頷いてくれる。  穏やかな光と、女神の門が消えて。眼下には、いつか見た、巨大な化け物。 「倒そう。倒して、進もう。  一緒に進むしかないよ。ノエルの代わりは、どこにもいないんだから!」  セラの代わりだって、いない。  同じ夢を見て、同じ時を旅した。未来を変えるために—— 死にゆく世界 AF700年  終わらない黒と、血の赤が消えて。……空が、晴れてく。青い空は見えないけど、それでも……白い光が、辺りに満ちていく。  眩しい。目の奥が痛いくらいに。  ……熱い  思わず、手で目を覆ってみて、気付く。  ………眩しいんじゃなくて…… 「……遅くなってごめんね、ノエル……」  耳に届くのは、あの時聞こえてた声。もっと聞きたいって思ってた……声。 「つらかった……よね……一人、生き残って……。苦しかったよね。なんで自分が生き残ったんだって、思ったんだよね……?   ……それでも、……ノエルが生き残ったことには、ちゃんと意味があることなんだよ……」  ——生き残った、意味……。  その言葉が、どこか厳粛な重みを帯びて、胸の中に入ってくる。 「それがノエルじゃなかったら……きっとこの世界、もう終わってたんだよ。歴史が歪んで、コクーンが堕ちて、みんなが死んで……そんな悲しい歴史のまま、終わってた。苦しかったのに、ノエルはそれでも諦めなかったから……だからこの世界は、まだ希望を見ていられるんだよ。ノエルがいたから……私だって……」  咽ぶようなセラの声が近づいてくる。 「……だから、消えなくてよかった。声が届いて、よかった。目が覚めてくれて、戻ってきてくれて、本当によかった。………だから」  少しだけひんやりした指が、俺の頬に触れる。 「だから、ノエル。もう、泣かないで……」  手の隙間から流れ出ようとするものを……止められない。 「……ノエルの苦しみをわからなくて、ごめん。……もちろん、話では聞いてたよ? コクーンが落ちて、そのせいで人が住めない世界になって、滅んだんだって。みんながいなくなってから、ノエル一人でゲートを探していたことも。  ……でも、理解してると思ってたけど、違ってた。そこに生きていた村の人達の苦しみとか、ノエルの痛みとか……何の実感も伴ってなくて。わからないって、どれだけ酷いことだったんだろうって……思う。知るのと見るのじゃ、全然違うんだって……私だって知ってたはずなのに。  ノエルは今までの経験で色んなことがわかってて、その分たくさん見えてるから、人は簡単に死ぬって……今までも、心配して言ってくれてたのに。私……どこか現実味がなくて、その言葉をちゃんと受け止め切れてなくて。簡単に大丈夫だよなんて言って。  ノエルきっと、苛々してたよね。私が現実見れてない分、ノエルが頑張ってくれてたんだよね。本当に、心配ばかりさせてごめんね。わかってなくてごめん。……私はノエルに何もしてあげられてなくて、ごめんね……」 「……来てくれただけで、十分」  上手く伝える言葉なんてない。  それでも今の気持ちを伝えようとすれば、自然と……腕が伸びていく。 「………来てくれて……ありがとう。覚えててくれて、ありがとう」  覚えててくれた、呼びかけててくれてた、助けてくれた。そのことが、身体の中で、胸の奥で、膨れあがって……詰まりそうになる。  上手く言えなくても、でも、言わないでいられない。 「誰も俺のことなんて見捨てたって思ってたのに、セラは……そうじゃなかった。セラがいなかったら……俺、ずっとあのままだった……」  まだ、覚えてる。セラに手を掴まれた時、すごく懐かしくて、温かくて、……安心できるって、思った。  本当に、女神なのかって思った——。 「……ノエル……」  ゆっくり、腕を離す。 「……だからさ、セラももう……泣くなよな」 「………だって」 「セラのおかげで……今、こうして生きてる」  それは、心からの気持ち。  過去の夢に囚われて、生きてても死んでるのと同じになるんじゃなくて……ちゃんと今、ここにいる。 「ずっと俺……セラのこと守るって言ってたけど……そうじゃなかったな」 「そんなことない。私の方が……いつもノエルに心配ばかりさせて」 「違う。俺の方が、守られてた。……セラは本当に、強くなった」  そう言ってようやく、そうかなと首を傾げる。 「……ノエルが言うなら、そう思っていいのかな。守られるだけじゃなくて、守れてるかな?」  俺の様子を窺うように言うから、大きく頷く。 「当然。今までだって、そう言ってただろ? 本当に……そう思ってる。セラといると、……大丈夫って、安心できる」  安心感。精神的な、心強さ。ちゃんと、そこにいるって思える。ついてきてくれる。……いや、違うな。ついてくとかついてかないじゃなくて、一緒に歩いてる。そういう……気持ち。つながり。安定。信頼……。セラがいることは、ありえないくらいすごいこと。  ……セラは、一度は落ち着いたのに、また涙ぐんで。 「すごく……嬉しい」  そうやって大きな笑みを見せてくれるから。……胸の辺りが、ぎゅっとされた気がした。 「私も、同じ。安心……してる。私たちなら……大丈夫。これからも、何があっても、大丈夫。  ……だから、行こう、ノエル。……私たち、未来を変えられるよ」  力強い、セラの言葉。  いつだって俺のこと、信じてくれること。一緒に歩いてくれること。……それが何よりも、嬉しくて。  だから今も、そうだな、と言おうとしたのに。  急に、身体が強張る。  ……"未来を、変える"?   未来が変わったら……時詠みの巫女はどうなった? その結末、何度も見ただろ?   その、結末は……。  そして、セラは時詠みの力を持ってる。  ……同じじゃないのか?  『……あなたは、わたしと同じ……』 「…………」  ずっと、不安だった。セラが時を詠むたびに。  最初はセラも、気のせいだって言い張ってた。アガスティアタワーで倒れて気を失った後、時を視てるってようやく話してくれて。 『ノエル、聞いてくれてありがとう』  その言葉にも、当然、大丈夫。そんな言葉で取り繕って。でもどうしても不安で。  なんで、こんな大事なことを忘れてたんだろう。なんで、もっと早くそれと結びつけられなかった? もっと早く気付いてれば……。 「……どうしたの?」  心配そうに覗き込む、セラの顔。いつものセラ。外から見る分には、変わらない。……だけど、中は?  「……あ」  もう……削られてる?   そのことに俺が気付かなくて、未来を変えようって言って、たくさん時を変えてきたから。  だとしたら……俺が、セラの命……を…… 「大丈夫? 顔、すごく白いよ……?」  俺に向けられてるのは、全然違う顔。だけど、なのに……どうしても、重なる。腕の中で崩れ落ちていった、ユールの顔。そして、悲しい目をして、冷たい涙を流してた、アリサの顔。  俺が守るって……俺が助けるって言ってたのに。大丈夫だって、言ってたのに。だけど……助けられなかった。  あのアリサはカイアスが見せた幻影。……かもしれない。だけど……そうやって思い切ることもできない。 『でも……このまま進んでも、また犠牲が出るわ。……私だけじゃなくてね』  アリサ、言ってた。犠牲が出る。アリサだけじゃない、としたら……それは。 「…………」  ……絶望的な状況なんて、いくらでもあった。村でみんなと一緒にいた時も、みんな死んで一人でヴァルハラを求めて旅した時も。それに、ライトニングに頼まれてセラと旅を始めた後も。  でも、ぎりぎりのところで何とかなってきた。  今セラも、言った。大丈夫だって。未来を変えられるよって。そうだ、俺たちの目標は何だ? ……未来を変えること。  絶対に目標は達成するんだって、言ったよな。手段ならいくらでもある。だけど、目的地だけはブレるなって。  ……だけど—— 「…………駄目だ」 「えっ?」  前に進もうっていつもの言葉が……身体の奥底に沈み込んで、逆の言葉が口をついて出てくる。  でも、だったら、俺はどうしたい? わからない。……だけど、今まで口にしたことのない言葉が出てくることが、……自分自身、怖いと思った。 「……ノエル……?」  どこから何を言えばいいのか……頭がぐちゃぐちゃ、だけど。  セラに……言わなきゃ。俺が、傷つけてたこと。セラがどこまで俺の夢を見たのか、わからない。でも、どっちにしたって……俺が、言わなきゃ。  もう、大丈夫なんて、言えない。今までなら、言えたこと。でも今はもう……前と、同じじゃない。 「——セラ、聞いてくれ」  ……口が、震えそうだ。……ちゃんと話さなきゃと思うのに、正面切って話し始めるのが難しい。 「今の夢の中で……記憶が繋がった。今まで忘れてたこと、思い出した。大事なことも、嫌な思い出も……全部」 「うん。……本当に辛かったね……ノエル」 「違う……セラ。そうじゃない。俺のことはいいんだ」  そうじゃなくて……言いたいのは……。 「………時詠みの力は……呪われているんだ」  そう。さっきまでの夢の中で、繰り返しユールが説明してくれた。  未来を視るなんて特別で神聖なものでって思ってたはずの力が、……ユールを、不幸にしてた。俺は、全く知らなくて……。 「ユールは、たった15で死んだ。時を視ることは……命を削ることなんだ。……時を視る代償として、巫女の命は不可視の世界に奪われる」  心を痛めるかのような、セラの顔。……シ骸のいたアカデミアでも、俺の夢の中でも……ユールが死ぬ場面を見てしまったから……それを思い出しているのかもしれない。  セラには関係ない話、って言い切れたら、どんなにいいか。だけど。 「そして、セラも未来を視てる……」  息を飲む音。セラの表情が、不安と動揺に塗り替えられていく。  ごめん、……俺の、せいで。  ……そして、口を開いて。 「——私……もうすぐ、死ぬの?」 「っ、違う……!」  思わず、否定。……俺自身、言わなきゃいけないと思ったから、切り出した。でも……そんな言葉、言いたくも聞きたくもなかった。 「……セラ。大丈夫だ。ユールと違って、セラはまだ……そんなに時を視てない……」  セラの肩に、手を置く。少し、震えてるようで。……不安そうな顔なんて、見たくなくて。安心させたくて。そして自分自身にも、言い聞かせるように。  実際ユールと違って、セラは生まれた時からその力を持ってるわけじゃない。今まで、数えるくらいしか時を視てない。だったら……命も、そんなに削られてないはず。  ……だけど、自信なんてない。ユールだって、実際どれくらい時を視て命を落としたのかなんて、わからない。絶対に大丈夫だなんて、間違っても言ってやれない……。 「でも、これからはわからない。歴史が変わると、違う未来が視える。嫌でも視えてしまうんだ。この先俺たちの行動で、大きく歴史が変わったら、時が視えすぎて……」  どれくらいの影響かはわからない。でも、正しい歴史に戻ったら? 全部歴史が書き換わったら? その分、セラが時を視たら? その分だけ、また命が削られたら……?  「………セラの命に関わる」  死ぬ、なんて、言葉だけでも口にしたくなかった。  やっぱり、セラは、俯いてしまう。ごめん、本当に。 「……ユールを守れなかったことは覚えてた。でも何があったのか思い出そうとするたびに、まるで、記憶が消されたみたいに、頭の中が真っ白になって。もっと早く、気付いてれば……」  事実。……だけど、ただの言い訳。  セラが時を詠んでること、俺は知ってた。セラもライトニングもそのことを知らなかったとしても、俺なら気付くべきだった。  今まで会ったユールだって、ヒントはくれてた。セラを指して、『あなたもわたしと同じ』って。……その言葉を聞いて、もっとたくさん考えて、ちゃんと確認すべきだった。 『俺がセラを守る。傷つけたり、死なせたり、絶対にしない』  どこが、守ってたんだよ。  ……守られてるばかりか、傷つけてた……。 「もっと早く気付いてれば……どうしたの?」  セラの問いに、一瞬、言葉に詰まる。 「旅………やめてたってこと?」 「……ああ」  自分でも、声が小さくなるのがわかる。 「つまり、諦める……ってこと?」  ……俺の言ってることは、つまり……そういうことか。  信じてくれた人を裏切れないってアリサに言ってた俺が、……裏切る、ってことか。  俺は、自分からその言葉を言いたくなくて。……セラの方から言ってきてくれることを、どこかで期待してたのかもしれない。言われたら、きっとそのまま、頷いてた。 「………ノエルらしく、ない」 「らしい、らしくない、じゃない。これ以上俺のせいでセラを傷つけることは……できない」 「……ノエルのせいじゃないでしょ? 私が、選んだの」 「俺のせい。俺が、未来を救いたいなんて思わなきゃ……こんなことにならなかった。エトロに何も願わないで、俺があのまま、……山から落ちて、死んでいたら——」 「ノエル」  いつになく、強い口調で呼ぶから。……言葉が、止まる。 「……未来は、救うよ」  顔を上げて。さっきまでとは打って変わって、迷いのない表情。 「覚悟……してる。私の命と引き換えに未来が救われるんだったら、それでも構わない」  どうして……そんな風に。 「……私たち、生きるんだよね? これからも、未来を変えるんだよね?」  ……覚えてる。アガスティアタワーでデミ・ファルシと戦う前に、言われた言葉。 『当然。ここで未来を諦めるつもりなんてない』 『俺がセラを守るから。一緒に生き延びよう』  あの時は、そう答えられてたのに。……今は、その言葉が出てこない。  ほんとはあの時だって不安もあった。だけど、大丈夫だって言葉にすれば……セラが頷いてくれれば、強くなれる気がした。  遠い過去のようで、懐かしくさえ思う。あの時はよかったな、とも。 「……違うんだ」  そうじゃない。駄目なんだ。……セラ、もっとちゃんと言わないとわからない?  『俺はちゃんと現実を見てる』  そう、スノウと一緒にされたくなかったんだよな、子供じみてたって思うけどさ。これも懐かしいな。  でもやっぱり、現実は見るべきなんだ。セラがやっぱりまだわからないなら、俺がちゃんと現実を見てやらないといけないんだ。  ……じゃあ現実は何だ?  「——怖く、ないのかよ。セラだって、死ぬかもしれないんだぞ……?」  自分では、絶対に口にしたくない言葉。……足が、すくむかと思った。思わず、背を向ける。 「ユールがどうなったのか、見ただろ? 今までだって、俺の夢でだって……」 「わかってる、わかってるよ。……それ以上、思い出さないで」 「だったら、わかるだろ? 見た目には、いつもと何も変わらない。命が削られてるなんて、自覚も何もないかもしれない。自分は元気だって、思ってるかもしれない。……でも、"それ"は突然やってくるんだ。元気だって思ってても……何の前触れもなく、突然。また明日なんて言ってても、……明日なんて永遠に来ないんだ!」  前の晩は喧嘩したって言っても、まだ元気だって思ってたのに。その翌日には、苦しそうな顔で……身体も冷えていって、力もなくなっていって……そんな、光景。楽しいことだけ考えよう、って言ってたのに、そんな最期すら、送らせてやれなかった。  ……それに。セラは見たかわからない、でも俺の見た現実は……  俺、大丈夫だって言ってたのに。AF500年でまた会いたいなんて言ってたのに。……もう、会うこともできない。人に見せない努力……優しさ、抱えていた不安を、俺はもっとわかってやれたかもしれないのに……俺は心配をかけただけで。今はもう、何も言ってやることもできない。  パラドクスなんだからいずれは消えてたなんて言われたら、どうすればいいのかわからない。何もできなかったって言われたら、うまく返せない。でも、あんな風に消えて、悲しそうな涙を流すアリサなんて……見たくなかった。  ……信じてるものと、現実は、必ずしも一緒じゃない。  この現実が見たくなくて、俺は……夢に逃げ込んだのかもしれない。俺があの世界で何とかできていれば、ユールも、アリサも、……セラも傷つけなくて、済んだのかもしれないって、思って……。  また、間違うかもしれない。  大丈夫だって言って、また同じことが起こるかもしれない。アリサも消えた。ユールだって、死んだんだ。俺の目の前で。今後歴史が変わって、セラが時を詠んで。そしたらユールみたいに、セラが、倒れて、それで、……… 「俺は……いや、だ……」 「……ノエル」 「未来のために、犠牲になっちゃ駄目だ……」  セラがいないかもしれない選択なんて、……絶対に、できない。  ……今まで、何のために戦ってきた? セラがいない未来のためじゃない……セラがいなきゃ、意味がない。  それでも、セラは追いすがるような口調で。 「でも……ノエルと、同じなんだよ……? ノエルだって……未来が変えられるなら、消えてもいいっていう覚悟を持ってるでしょ……?」  確かに、言った。ずっと、そういう気持ちでやってきた。俺は、大切なものはもう全部失ったって思ってたから。  ……でも、違う。思わず、振り向く。 「同じなんかじゃない。俺が消えてもいいって思ってるからセラも同じだなんて……言ってほしくない……」  何だ? ……俺が、消えてもいいなんて言ってたから?   違う。俺とセラは……同じじゃない。  セラは、いなきゃいけない。俺は、消えるべき未来の人間で……だから、俺は消えてもセラは消えちゃ駄目だ。 『諦めてるんですか? それを運命だと思って、受け入れるんですか?』 『………、そうじゃ、ない』 『だったら、諦めずに進みましょう。歴史が壊れてるんだとしたら、それが戻る時に何が起こるかなんて、誰にもわからないんですから。自分の気持ちを大事にして、自分の望む未来を創る。それでいいんです』  ホープは……そう、言ってくれた。だけど……絶対的に、違う。……セラは…… 「ごめん、そういうつもりじゃないの。……言い方、悪かったね」  何て言えばいいのかな……と言いながら、その場で少し歩いてから、セラは俺に向き直る。 「あのね。……ノエルはネオ・ボーダムを見て、みんなが生きてる未来が、絶対叶えたい願いに変わったって言ってくれたよね……?」  ……覚えてる。これも、随分前のことのように思えるけど。ネオ・ボーダムは俺にとって……自分の故郷以外の、特別な場所。  みんなが幸せだなんて、難しいのかもしれない。……だけどネオ・ボーダムみたいに、みんなで協力し合って。そして子供たちが笑って、走り回って、明日に希望を持ってる。そんな未来、作りたいって思った。 「私も、同じ。ノエルと、みんなが生きてる未来……絶対叶えたいって、思ってるの。それはもう、ノエルだけの願いじゃないんだよ……。私たち、同じ夢、見てるんだよ。  だから、私だけ安全なところになんて、いられない。ここまで来たのに……止まりたくない」 「……、………」 「今まで苦しい思いしてきたノエルに、また思い出させるようなことするのは……私も苦しいよ。だけど、……言わせて。……ネオ・ボーダムでも、言ったことだけど」 「……何?」  迷いのない、真剣な表情。 「……私は、ノエルを信じる。決めたの……だから、一緒に来て……」  ……ずるいな。俺にとって、あの時言われた言葉がどれだけ大きくて、深いものだったのか……わかってて、言ってるのかよ。  初めてちゃんと、人に信じてもらったって感覚。だからこそ、すごく嬉しくて……、絶対にその信頼は裏切りたくないって思った。……今だって。今までの決意を翻して旅をやめようとした覚悟ですら、また揺るがしてくる力を持つくらいに。 「だから、ノエルも、私を信じて……」  ……また、涙が出てきそうだ。  ほんとうの"信じる"って、……なんて、難しいんだ。……安易に口にしてた自分が恥ずかしくなる程に。  俺が今までやってきたように、何も知らない、わからないままで進むこととは全然違う。信じているものと違うかもしれない現実を全部知った上で、それでも迷いなく前に進んでいく。  言葉だけじゃない、無知なだけじゃない、そんな大きな"信じる"を、……俺はセラに、返せる?  「なんで……セラは……」  ……嬉しい、けど。なのに同時に、ただただ……。 「なんで、俺のこと、そんなに信じてくれるんだ……?」 「……え」 「誰も、俺のこと信じようとしなかったのに……セラが信じてくれること、すごく嬉しいけど……今は……逆にすごく、すごく………苦しい」  こんなに大きな"信じる"をもらったのに、返せるかわからない。それどころか、それがセラをもっと傷つけるかもしれないって思うと——  ……また、勢いよく、首を振る。そんなこと、言っちゃ駄目だ。信じてくれた人に、信じてくれることが苦しいなんて。あまりにも、無礼。 「……ごめん。今の、なし」  大きく息を吐き切って、セラに、向き直る。 「俺……セラがいなかったら、夢に閉じ込められて、この世界から消えてたから。セラに救われた命だから……」  そう、それは、心の底からそう思ってるから。  何が返せるのか、わからない。でも、何かを返したいと、強く願う。……だから。 「だから……セラの望むようにする。未来を、変えに行く……」  そう、言葉にはするけど。  わからない。……どうなんだ? ……声に力が、入らない。自分の声が、遠い。 「俺たちは……諦めない……自分たちで歴史を変える。……そうだよな? ……みんなが生きてる未来のために」 「……ノエル……」  だけど、"みんな"って……、誰だ?   セラの代わりはどこにもいないんだ。  セラがいなきゃ……、意味がないのに。  他の誰が生きてたって……セラがいなきゃ…… 「……ゲート、探しに行こう」  クリスタルの砂を踏みしめる音。  足は、少しずつ進んでいるけど。  だけど、心は…… 「次のゲートまでに、モグの奴も見つかればいいけど……」  そしてこんな時に思い出すのは、あのブタネコの顔。いないことに何となく落ち着かないからっていう気もするし、何かいい突破口をくれることに期待してるからかもしれない。……まあ、クポーって言ってるだけかもしれないけどな。それでも、単純に今の俺の凝り固まった頭をほぐしてくれるだけでも、あいつの頭とポンポンを撫でてやりたいくらいの気分。 「もしかして……あいつも、変な夢につかまってたりするのかな」 「心配してるんだね」 「そりゃ……そうだろ? ……カイアスの奴、あんな卑怯な罠しかけてくるなんてな。力で勝負するだけじゃない。……目的が果たせるなら、手段は問わない、ってところなんだろうな」  ……そうだ。セラの問題だけじゃない。カイアス、か。  本当の敵はあいつじゃないって、セラにもホープにも言ってたのに……俺が、間違ってた。……これも一つの現実、か。あいつは、ユールを救うっていう目的のために、すべてを利用して、犠牲にしようとしてる。  ……それぞれの時代で会ったユールは、知ってたのか? 例えば、アガスティアタワーにいたユールは、"誰かが歪めている"としか言ってなかった。そこでわざわざ隠したとも思えない。……まさか隣にいた誓約者であるカイアスがそうだなんて、知らなかったのかもしれない。時詠みでも、視なかったのか。カイアスがわざわざ教えることも……しないだろうな。カイアスは、全て計画通りにやろうとしてた。ユールが知って、万が一何かを変えようとして、また歴史が変わって時を視るなんてこと……あいつは絶対に避けただろう。だとしたら、本当に少しずつの影響しかないもの……例えば何百年かけてプリンでクリスタルの柱を溶かすとか……それか、ユールが生まれ変わる間の空白期間を狙って何かをするか、に限るだろうな。  用意周到。今のカイアスは……力だけじゃない。力だって勝てなかったけど、それ以外でもあいつは……。今回の罠だって……。 「きっと……俺一人じゃ……抜け出せなかった」  これからまた、カイアスと対峙する。力だけじゃないなら、また罠を仕掛けてくるのか? どう仕掛けてくる? そしてその時は……どうする? 俺は、セラを守れる……? まだまだカイアスに及んでいない……俺が。 「……あのね、ノエル。力が足りなかったとか、そんな風に考えないでね。……私も、助けてもらったんだよ」 「セラも?」  うん、と頷く。それは、初耳。 「ヴァニラとファングが助けてくれたの。夢見てる同士、繋がったんだって。時の狭間の夢は、助けがないと永遠に目覚めないからって」  ああ。"女神の娘たち"……か。  ……ふと、思う。セラは、どんな夢を見てたんだろう。  やっぱり、ライトニングとスノウと……それとノラの奴らと一緒にネオ・ボーダムで平和に暮らしてる夢……かな。……まあ……そうだろうな。パラドクスがなければ、元々はそういう生活、するつもりだったんだもんな。  ……… 「ノエルの夢はね……最初は呼びかけても全然聞こえてないし、身体もすり抜けちゃってたんだよ」  ベヒーモスを倒して走ってきた時もぶつかると思ったんだけどと言われると、さすがにちょっと待てと返してしまう。 「どうして?」  どうしても何も。ユールに真実を聞いた場面は見てなかったとしても……それじゃほぼ最初から見てたってことだろ?  「あんな一人で空回りしてただけの過去を全部知られたかと思うと、いくら何でも……恥ずかしい」  ……知ってもらったことで、気持ちの根本の部分が支えられたような……そんな気持ちは確かに存在する、けど。もう何のごまかしも効かないな、って気分もある。  セラは、少しだけ笑って。 「ノエルの過去なんだから。……全部、大事だよ。私は、知ることができて……よかったと思ってるよ。  ……もちろん、ノエルがあんな夢見ないのが一番だったかもしれないけど……ね」  横を歩くセラを窺うと、また、表情が沈んでるから。 「……セラ」  声をかけると、ううん、と首を振る。 「……あのね。助けがあっても、ちゃんと自分で出たいって思わなかったら、助けに行っても助けられないんだって。  ノエルの夢も、同じだよ。最初は声も聞こえないし、身体もすり抜けるし。……でもノエルが出たいって思ってくれたから、最後にやっと手が届いたんだよ」 「……そっか」  自分で出たいと思わなかったら、出れなかった……か。 「……セラの声、聞こえてた。最初は、途切れ途切れだったけど」 「そうなの?」 「ああ。セラがずっと呼びかけてくれてたから……だから、あれが夢だって思い出すこと、できた。夢から出たいって、強く思うことができた……」  そうじゃなきゃまた繰り返すか、……消えたいなんて、思ってた。  ……それはまさに夢みたいな、ありえないくらいの話。  だけど一方で……まだどこか、現実感がないのも事実。 「少し、変な話。セラが助けに来てくれたこと」 「……どうして? 助けになんて来ない、ノエルが困ってても放っておくなんて思ってた?」  心外とでも言いたそうな、不満そうな声。 「ごめん、そうじゃない。けど、その……同じ時代に生きてた村の奴らだって、俺のこと忘れて……いなくなったのに。セラは違う時代の人でも、覚えてて、探しに来てくれた」  もう誰からも忘れられたんだって、思ってた。……だけど、そうじゃなかった。ネオ・ボーダムでの生活、夢見てたかもしれなくても。……それでも、来てくれた。 「セラは……俺のこと、覚えててくれたんだな……」  ……そう言うと、ふいに、視界の横に見えてた姿がなくなって。ざくざくとする足音の一つが、やがて止まってしまう。 「……セラ?」  立ち止まって、振り返る。  セラは、伏し目がちにしていて。 「……ノエル」  低くて、静かな口調。……もしかして、怒ってる?   でも、そうでもない。ゆっくりと、近づいてくる。そして静かに、正面から、両方の手を取って。 「あのね。……ノエルはもう……違う時代の人じゃないよ。時を超えて、出会っちゃったんだから」  穏やかだけど、真剣な表情で、言う。 「だから……お願い。一人でいることに、慣れないで。一人でいることを、当たり前だと思わないで。置いていかれるとか、忘れられるとか、消えるとか、そういうことを受け入れないで」 「……」 「……ね? ……返事、は?」  首を傾げて、下から覗き込むように見上げるけど。  ごめん。……言葉が、出てこないんだ。何も。 「……ほんと、ノエルは悪い生徒。少し言っただけじゃ、わからないんだから。……でも、わからないなら、何回でも言うからね」  少しだけ、冗談めかすように言うけど。首を振る。 「なんでセラは、俺にそこまで言ってくれるんだ……」  また、涙が出そうになる。目に力を入れて、こぼれないようにするだけで、精一杯。  違う時代の人じゃない。一人でいることに慣れないで。  そういう風に言われたら……嬉しくて……余計に、苦しくなる。  他人って、思ったことあった。ちゃんとセラのこと見てたと思ったのは間違いで、俺はただの他人で、セラと違う時代から来てるからって。  ……でも、そうじゃない。他人っていう線、引いても、引き切れない。  だからこそ……余計、セラを命の危険に晒すことなんて、したくなくて……。  きっと、自分が忘れられるよりも……ずっと苦しい。  ……俺は……  ——少し経つと、また気持ちが幾分落ち着いて。それから先は、しばらく沈黙したまま集落跡に向かって歩く。  見慣れた家並みが、だんだんと近くなってくる。少しだけ、重くなる足取り。 「………」  繋いでた手から、大丈夫? って問いかけられる気がする。大丈夫、って返して、足を一歩一歩進めていく。  改めて目にする、家並み。ぼろぼろで、薄汚れて、荒れ果てて。だけど……確かにみんな、ここに住んでた。……そんな村の風景。 「……まだ……あるんだな」  俺とばあちゃんの家、ユールの家、ヤーニの家……。荒れ果ててるけど、俺たちがちゃんと生きてた場所。……見た目には、それほど変わらない。俺がいなくなってからそれほど日数は経ってないのかもしれない。……荒廃しきって崩れゆく村の様子を見ることになってたら、どんな気分だっただろう。  でも、そのうちそうなっていく。人も、魔物も、全ての生命が途絶えてしまった世界。  みんなが苦しみながら生きて、死んでいった。そんな歴史をどうしても変えたいと思って、俺は今までやってきた。 『忘れないで。……覚えていてくれたら、私たち、きっとまた……』  ……パドラ遺跡でも、そんな声聞こえたんだっけ。  覚えて、未来を変えることができたら……みんなの苦しみもきっと、なくなるのかな—— 「……ノエル」 「えっ?」  名前を呼ぶ声に、思わず横に振り向く。でも、セラも驚いた顔してる。じゃあ……セラじゃない? ……そもそも、声色も違ったとは思うけど。 「……ノエルよ」  声の主が見えるわけじゃない。……でも、確かに、聞こえる。  ユールの家の隣の空き地。何か村の集まりがあれば、大抵時詠みの巫女の家の横でって決まってた。みんなここに集まって、話したりしてた。……ここから、聞こえる。 「……聞き覚え、ある。村の奴らの声だ! でも、どうして……?」  嬉しいけど、今までこんな風に声が聞こえたことなんてなかったのに。 「きっとみんな……ノエルのこと、心配してるんだよ……」 「俺のこと忘れたんだって……思ってたのに」  そう、最後にはそんな風にまで……思ってた。 「村のみんなだってノエルのこと、忘れてなんてないよ。ちゃんと覚えてて、今でもこうやって気にかけてるんだよ」 「……俺が、その声、ちゃんと聞けなかっただけ……かな」  俺がみんなに気付かずに、一人で憤って……逆にないがしろにしてた?   一人きりなんだって、思い込んでただけなのかな。 「大丈夫だよ。みんな、ノエルが大変な思いをしたって……わかってるから」 「……ありがと、セラ」  そうやって話していると、みんなに対して心のどこかに持ってたつかえが消えていくような気さえする。  俺は、一人になった。だけど、一人じゃなかった……。  大丈夫、と頷いて、聞こえてくる声に耳を傾ける。 「——ノエルよ、カイアスと戦うつもりか?」  ……瞬間、身がこわばる感覚。  わかってる、戦うことになるって。  さっきだって自分でも、考えてた。だけど。 「奴は女神の心臓を宿す戦士。カイアスを殺すことは、神に背くこと」  カイアスも言ってたこと。あいつの心臓は……女神エトロの心臓。  あいつに言われた時、ものの例えなのかどうかもよくわかってなかった。  ……だけど、本当に、女神の心臓? だからあいつは……死なない。ずっと生き続けられる。でも、だったら……本当に戦ったら、どうなる?  『この心臓が止まる時、女神も、また死を迎える。女神が死ねば、ヴァルハラの混沌が解放される。それは歴史を歪め、過去を破壊するほどの力だ』  カイアスはそう言ってた。それが、あいつの狙い。 「お前の力なら、不死身の心臓を止め、奴を永遠の呪いから解放できるかもしれん」  一方で、声は、そう言う。うまく止められれば、……カイアスを永遠の呪いから解放できる?  「……だが、覚悟と力が足りねば、逆に混沌の心臓に呪われよう」  ……力と、覚悟が、なければ……。 『力も覚悟もない君が知ったところで、どうなる』  ……強くなりたいって……思ってた。カイアスを倒せるなら、そして村のみんなを救えるなら、どんな力だって手に入れたい。そういう気持ちでやってきた。  力さえあれば……カイアスに勝てるんだと思ってた。だからベヒーモスを倒して、カイアスに戦いを挑もうとして。  でも、いざカイアスに殺せと言われたら……何もすることが、できなかった。……それは、力の問題だけじゃない。 『覚悟を持て。覚悟がなければ……終わらせることはできない。君も辛い思いをする』 『何の覚悟だよ! 俺は……嫌だ!』  覚悟のない俺が偶然勝ったとしても……混沌の心臓に、取り込まれてた。カイアスは死んで、俺がその不死身の心臓を受け継いでた、ってことか。  それじゃ、歴史を歪めようとするカイアスの目的は達成されない。あの時カイアスが戦うのやめたのは、それがわかったから……か。 『悲しませても、救えればいい』 『女神を殺してユールを解放する。……君のユールは、君が守れ』  ……カイアスは、力が強いだけじゃない。ユールのために、あらゆる手段を使って、全てを犠牲にしようとしてる覚悟を持って、俺たちに挑んでくる。一人一人のユールの小さな悲しみをも顧みない決意で、ユールという存在を……救おうとしている。 『相当の力と覚悟をもってしても、一人すら救うことは難しい。であれば、持てる全てを使って、私はユールを救う』  実際、そんなカイアスを見た。あいつは、誰にも知られず、不死身の命を使って何百年もかけて、あらゆる手段を使って、歴史を歪めて。クリスタルの柱を溶かして、人間を争わせて。コクーンを落として……みんなを苦しめた。ライトニングをヴァルハラに引きずり込んで、コクーンを救うはずのホープも殺そうとして、……アリサを平気で利用して、そしてセラと……一緒に暮らしてた俺も、あんなやり方で、葬り去ろうとしてた。……決して、誉められない。だけど、それくらいの大きな覚悟。 『力も覚悟もない。そんな君に、未来も人も救うことはできない。君の……負けだ』  ……未来を救えるなら、どんな力でも手に入れたいと思ってた。仲間を救うためにってルシになったスノウのことだって、理解できるって思ってた。でも……本当に必要なのは、そんなものだけじゃなかった。 「ノエルよ。……カイアスを殺し、罪を背負う覚悟はあるか?」  その言葉が、押し潰すかのように、身体と心にのしかかる。 「……覚悟………」  喉が詰まって、その先の言葉が、出てこない。  ……カイアスを許せない、って気持ちはある。ユールのため、それはわかるのに。……だからって、みんなを犠牲にしてきたこと。 『だったら、何だ?』  なのに、そのことを何とも思わない。ユールが"救われる"ためなら、誰が悲しんだって……誰が苦しんだって、カイアスには関係ない。  カイアスがいる限り、終わらせることはできない。この世界の歴史の歪みも、村のみんなの苦しみも、他の時代に生きてた全ての人の悲しみも。  俺が、止めないといけない。同じ時詠みの一族である俺にしか、できない。  だけど、その先にあるのは……。 「……ノエル……」  心配そうな、セラの声。握ってた手に力、込めてくれる。だけど、その声に振り向くこともできない。顔……見れない。 『私は、ノエルを信じる。決めたの……だから、一緒に来て……』 『だから、ノエルも、私を信じて……』  ……ごめん、不甲斐なくて。  未来が変わるなら俺は消えてもいいっていう覚悟なら、持ってたはずなのに。  だけどどうしても、セラの隣にいると……今更、わからなくなるんだ。  覚悟って……何だ?   ……未来のために、カイアスみたいに、全てを賭ける覚悟? セラを、犠牲にするかもしれない覚悟……?  『そうやって進んだ先にあるのは……人を犠牲にして変えた未来。あんたに与えられるのは、忘れられる孤独、人を犠牲にした罪と哀しみ。……そんなものが、欲しかった?』  違う。あれは……幻影。  だけど、わからない。……怖い。 『過ちを繰り返すのが人間。でも、新しい道を見つけることができるのも人間なのさ』  自分で、言った。でももしかしたら、そうじゃないかもしれない。過ちは、取り返せないかもしれない。  ……ごめん、セラ。だけど、俺……。  セラの望むようにするって。未来を変えるって。そう決めた。なのに。  ……心が、ついてきてない。  俺の覚悟は……どこにある?  (8)-1 みんなが生きてる未来がないのなら へ
セラがひたすらに眩しいです。でもだからこそ、悩んじゃいますよね……。夢から覚めた後の村の人達の声は、本当は死にゆく世界を一度後にして再度訪れた時に発生するライブトリガーなんですが、ごめんなさい。混ぜ込んでしまいました。こんな暗いところまでお読みいただいてほんとありがとうございます!