(5) ホープがいてくれてよかった へ
時空の狭間 年代不明
………ない……
……ユール?
「……ここは」
ヒストリアクロスから降り立った場所を、見回す。崩れた石の神殿。底の見えない暗闇が取り囲む。……時空の狭間。
でも、隣にあるべきはずの姿がない。
「セラ! モグ!」
声を張り上げて、呼びかける。でも、反応はない。
……ヒストリアクロスで、離ればなれになった。いつもあんな風にならないのに、今回は何かおかしくて……そう、何かが。最初にモグが飛ばされて、それを捕まえようとしたセラも思うように動けてなくて。その手まで後少しのところで、お互い別々の方向に吹き飛ばされるように、流された。
あの時、声が聞こえた気がしたんだ。
『あなたたちの"新しい未来"に、私は存在できないから。……おやすみなさい』
……頭が痛い。知ってる。だって、さっきまで話してた声。……あれは。
「……アリサ……?」
「あ・た・り! うふふ、嬉しいわ。私のことわかってくれて」
咄嗟に、振り向く。さっき別れたはずのアリサが……微笑んで、そこに立っていた。言葉こそいつも通りだけど、どこか頼りなさげで、いつになく弱々しい。
「……なんで、ここに」
問いかけながらも、身体が緊張して、自然と掌を硬く握る。じわりと広がる、汗。
「ここは、人の願いが流れ着く場所なんですってね。終わりも始まりもない世界。……ふふ。そんな場所があるなら、早く来たかったわ」
そうじゃない、そんなことが聞きたいんじゃない。なんで、とまた口に出る。
「……本当は、気がついてるんじゃないの?」
首を傾げて、笑ってみせて。
「あんた、騙されちゃったのよ。……可哀想に」
どこか世間話でもするかのように、言う。
「オーパーツ、なかなか受け取ってくれなかったし。バレたのかなって思って、焦ったけどね。まあホープだってあのオーパーツ調べてたけど、騙し切れたんだし、ホープが大丈夫ならあんたも大丈夫かなって思ってたわ。………ごめんね、あんたたちの扉、閉ざしちゃって」
思い当たることがないとは言えない。あの時、オーパーツを受け取ろうとした時……
『アリサ、迷ってる顔してる』
そう言った。確かに感じてたはずの、違和感。だけど、ホープも普通に話してるから、考え過ぎなのかって思って。……でも。
「……嘘、だろ。なんでアリサが。騙した……? だって、そんな風になんて」
少なくともアカデミアの屋上で話した時のアリサは、嘘ついてるなんて思わなかった。
『確かに私は自己中心的な人間だけど。こうして人の心配してたら……おかしい?』
『あんたってほんと、他人のこと考えすぎて、自分のこと大切にできないんだから。でも、もっと自分を大切にしていいの』
結局その手を取れなかった。でも、そんな風に言ってくれたのに……?
「……なんで……」
さっきから何度も繰り返してしまう、問い。
「俺、信じてたんだ。アリサのこと。なんだかんだ言ってみんなのこと見てて、俺のことも心配してくれて……すごく嬉しかった! 一緒に未来作るって、思ってた! 新しいコクーンを打ち上げる時にまた会うんだって、思ってて……」
「……ねえ、覚えてない? あんたたちがアカデミアに来て最初に二人で話した時の会話。……あの時あんたには、言ったわよね……私パラドクスだもの、って」
何か言おう言おうと思って動いてた頭が、一瞬、急に動きを止める。
覚えてない? ……パラドクス?
『そりゃそうよ。だって私パラドクスだもの』
確かに言ってた。……でも、あまりにも平然と言うから、呆気に取られて。
『うふふ、いつだってそう思ってるわ。いつ自分が消えるかわからないって思ってるからこそ、全力を出せるの。ノエル、言ってくれたわよね。一度死んだって思えば、それ以上何も恐れることはない、何だってできるって。その延長線よ。それでタイムカプセルも完成させたし、新しいコクーンだって同じ』
俺の言ったことまで出して、ものの例えみたいに言うから、……妙に納得して。
「あんたたちがいつも解消しようとしていた、大嫌いなパラドクス。あんたの好きなセラ・ファロンがルシになったせいで、とっくの昔に死んだはずの……ただの死人よ」
覚えてる。ビルジ遺跡での、セラとの話。セラは最初アリサのこと、怖いって言ってたんだ。
『私の名前を知ってたこと、怖くて。いくら嘘が得意だって、知らなかったら言えないことでしょ? 全部嘘ですって言ったけど、私を知ってたのは嘘じゃないと思うの……』
『……だとすれば、なんでセラを知ってた?』
『私がルシだったこと、知ってる人だったら……』
「……あんたがアカデミアに残ってくれれば、私だって歴史から消えないから、嬉しかったのに。未来を変えればあんたも消えるなら、一緒にあの時代に残れば、お互い嬉しいと思ったのよ」
「そういう……こと」
全身を地面に叩きつけられた感覚。
「打算的……って思う? でもそんな理由だけじゃない。あんたと話してる時に嘘ついたのは、オーパーツを手にした経緯だけ。私が本当は嘘つくの苦手って言ったの、あんたでしょ? だから残りは、全部本当。他人のことばっかり考えて苦しそうにしてるあんたが、心配だった」
そうやって、気にかけて、たくさん考えてくれてたのに……?
わかってた? セラのせいで自分が死んだって、自分はパラドクスだって思いながら、今まで過ごしてきた?
でも……だとしたら?
「……パラドクスだったら……何? 俺たちが未来を変えたら、アリサは……?」
独り言みたいに、口から言葉が出てくる。……だけど、その先の言葉を言いたくない、考えたくない。
「自分に何の得もないことに手を貸すなんて、反吐が出るくらい嫌だったわよ。でもノエルは、ヤシャス山で言ってくれたわよね。歩いていれば、そのうち道が一緒になるかもしれないって。だから……そういう風に考えてみてもいいかなって、私、思ってたのよ」
「……アリサ、だったら、今からだって」
すぐに何か思いつくわけじゃない。でも少しでも、何か言ってやりたい。
「俺だけじゃ……厳しいかもしれない。でも、ホープだっている。アカデミアの技術、進歩してるんだろ? だったら、何とかする方法も……どこかにきっと」
「あの甘ちゃんだって同じこと言ったわ。君が消えない方法を一緒に探そうってね。でもね、ノエル。もう遅いの、もう何もかも遅いの!」
首を大きく振る。アリサが手をかざすと、そこに緑色の光が生み出される。映像が広がっていく。……予言の書と、同じような。
機械と、それが放つ淡い光に囲まれた場所。見たことのある……アガスティアタワー。
『パラドクスとゲートのメカニズムだって、君の基礎理論があったから解明できた! タイムカプセルも! 人工コクーンだってそうだ! 君がいなかったら、どれも存在し得なかった。だから……また一緒に探そう! 君が消えない方法を!』
ホープが必死に叫び、語りかける。姿の見えない誰かに向かって。
『もっと早く、僕が気付くべきだった。君の苦しさに。……それは本当に申し訳なく思う。でも、まだ手詰まりってわけじゃない。今までだって、こんなことは何度もあっただろう? 失敗したって、どんなに絶望的な状況だって、僕らは乗り越えてきた。時間はかかっても、ずっとそうやって前へ進んできたんだ!』
ホープが気付かない間に、その背後に現れるアリサ。一切の感情を殺すように、表情がない。
『前へ進んできた結果が……これなんですよ』
ホープの背中に何かを突きつける。あれは……銃? ホープがはっとして、身体を硬直させる。
『だからもう、こうするしかないんです』
さよならと言って引き金を引いた……と思った瞬間、どうして、と叫ぶアリサの姿。
『どういうことなの?! なんで私が消えるの?!』
その身体が緑色の光に包まれて、透き通っていく。
……見たことある。サンレス水郷で歴史が変わった時の、スノウ。
『多分、この先の未来のどこかで、僕は君が消えずに済む方法を見つけることになってたんだろう……』
『……先輩に向かって引き金を引いた時点で、私……自分で? 嫌だ、馬鹿みたい……』
ホープがアリサの涙を拭おうとするけど、指は宙に弧を描くように、すり抜ける。
『……なんで優しくしてくれるんですか? 私……先輩のこと殺そうとしたのに』
『それでも僕は……君に感謝してるから。君は優秀な研究者で、有能なパートナーだった。……僕自身、投げ出したいこともあった。でも君がいつだって投げ出さないで、諦めないで、ついて来てくれたから……だからここまで来れた。……前、自分の存在が何にもならないんじゃないかって言ってたよね。違う。君の存在がなかったら、ここまで来れなかった……本当に、そう思ってるから』
あまり見せることのない苦しそうな表情で、消えていくアリサに語りかけるホープ。
『……ありがとう。今まで、ごめんなさい。……これは嘘じゃなくて、本当のありがとうと、ごめんなさいですよ』
涙でぐしゃぐしゃになっても、アリサは必死に笑おうとしていて。
『私がいなかったことになっても……先輩がちょっとだけでも、私のことを覚えていてくれたら……』
だけど、掠れるような言葉を最後に、アリサの姿は完全に、消えてしまった。
スノウが消える時、確かに言った。時が正しく流れたら、"この時代にあるはずのない"ものは消えていく……最初からなかったことになるんだと、ずっと俺自身がセラに説明してきた。……でも。
「そんな。消える……? だって、……なんで」
「まだ続き、あるわよ」
言葉を失った俺に、アリサは視線だけで映像を指す。確かに、まだ話は続いている。
さっきと同じ場面。アガスティアタワーに、ホープ一人だけが残される。はっとして、自分と周囲を見回す。
『……あれ、僕……』
端末を確認して、おかしいなと首を捻る。
『エラー? こんな誰でも直せそうなエラーのために、ここに来た……?』
頭をさすりながら、一人だけでアガスティアタワーを後にする。
また、場面が切り替わる。アカデミーの研究員と会話をする、ホープの姿。
『エストハイムさんもたまにはお休みになられてください』
『みんなに頑張っていただいているのに、僕だけ休むわけにも……』
ホープがそう言ったところで、別の人が映像に現れる。
『研究員の皆さんにも、交代でうまく休んでいただいているんです。ホープさんにも、たまには休養は必要ですよ。最近ずっと根詰めてらっしゃいますし、顔も少しお疲れで、心配です』
『はは、エストハイムさん。助手はよく見てますよ』
ホープの助手だって、研究員が言う。……でも、そこに映るのは、俺がよく知ってる短い金髪じゃない。利発で気の強そうな、でも優しいところもある、その顔じゃない。
困ったな、とホープが苦笑いして、三人で笑う。そして、ホープは感謝の言葉を告げる。
『……、アイナ。ありがとう』
立つ足が、震える。
「ねえ、馬鹿みたいでしょ? 見た? あの知らない女。……あれが私の代わり。何食わぬ顔で私の研究を全部持ってって、ホープの隣で仕事を手伝ってるの。そこにいたのはあんな女じゃない、私だったのに……どうして?
だけど、もっとおかしいのは、ホープよね。あの男ね、知らなかったはずの女が隣にいたって、何の疑問も持たないの。和やかな顔で、笑いながら、しゃべってる。
わかってたわよ。あんたたちがヤシャス山で記憶が変わったって言ったときから、こんなこと。歴史が変われば、パラドクスの私は消える。最初からいなかったことになる。でもね、ホープってば……本当に私のこと、忘れてやがるのよ? 何にも思い出してなんてくれないの」
声が、出ない。
「確かに、素直に言うこと聞かないし、余計なこと言うし、面倒な後輩だったわよ? それでも、8年も一緒にいたの。8年よ? タイムカプセルも入れれば、約400年。本意じゃないとはいえ、助手として、協力してきた。ホープのこと嫌だと思ったときもたくさんあったわ。私のこと理解もしないで、自分の正義を信じて疑わなくて、そんなところが嫌で嫌で仕方なくて!
……だけどね、本当に未来を変えられるなら……あんな馬鹿な考えを信じて、私も馬鹿になって進んでもいいかなって思ったことだって、あったの。リーダーとしてのホープを、すごいと思ってたこともあったの。……一緒にいて、純粋に楽しいと思ってた時間だって、あったのよ。私なりにね。私は一度死んだ気で頑張った! 不安で、眠れなくて! でもそんなところ誰にも見せたくないから、目の隈も隠して。あんたの言う通り、考えが違ってもそのうち道が一緒になって、もしも私がいる未来が実現できるなら……って、本当に思ってたの。
なのにね……違うの。一瞬で、忘れるの。感謝してるから、だとか! 私のこと、優秀な研究者だとか、有能なパートナーだとか! 私の存在がなかったらここまで来れなかった、だとか! そんないい子ちゃんな言葉を吐くくせに……私が消えた次の瞬間から、私との400年なんてぜんっぶ、忘れちゃって。突然現れた女と楽しそうに笑ってるの。本当はホープにとって私は、そんなもの。ただの仕事相手、それ以上でも以下でもない。自分の仕事が進めば、誰だってよかったの。
はっ、あはは……何それ。私が、自分のことばっか考えてたから? その報いだとでも言いたいの? 少しでも信じた私が馬鹿って? そんなことって……ないわよ」
もう、何なのよ? とアリサは笑って。その目は、止まることなく涙を流す。
「時を戻って……やり直そう」
かろうじて、言えた言葉。
「今までだって、アリサも俺も、殺された歴史があった。でも、時を変えたから、生き残る歴史ができた。……少し前の歴史まで戻って……ホープにちゃんと話して……」
「意味ないわよ、そんなの。正しい歴史に変えるってことは、AF0年、私が死んでた歴史に戻すってことなんでしょう?」
それはそうだと思っていた……けど。
「自分のことを自分で決める。選んでること、自信持ちなさいって言ったわよね。……私も選んだの。遠慮しなかったわよ。絶対、勝ってやるって思ってたの。
……でも、私の選択とあんたの選択がぶつかって、私が負けたの。あんたが勝ったの。あんたがあんたの未来を選ぶ限り、遅かれ早かれこうなったの」
「俺が、俺の未来を、選ぶ限り……」
……俺が、未来を変えるから……アリサが……?
「ごめんアリサ。……ごめん。俺……そんな、つもりじゃ……」
本当に、AF500年で会いたいって思ってた。未来を変えて、また会うんだって。
「そんなつもりじゃなかった、知らなかった。そう言えば、何でも許されるの……?」
ただ、首を振る。
「……でも……あんたも、私と同じなのよね」
「……同じ」
「あんたも同じよ。忘れられるわ。こうやって、私みたいに。あんたが信じてるセラからも、ホープからも」
考えたくなかった、こと。
「一緒に未来を変える仲間だって言ってるわよね。あんたはあの女に対しては、それ以上の感情を持ってるかもしれないわよね。……でもね、違うの。忘れるの、簡単に。このままあんたは仲間だとか思って頑張って、未来を助けて満足するかもしれないわ。……でもあの二人は違うの……そんなこと、微塵も思わない。忘れちゃうの……私を忘れたみたいに。忘れて、スノウだとかライトさんだとか言って、ただ呑気に笑ってるだけよ」
違う、って言葉が、すぐに出てこない。
大丈夫だって言い聞かせようと……考えないようにしてたけど。……あんな映像見せられたら、現実的に考えてしまう。
俺が消えたら、セラは、ホープは……? 俺を、忘れて……?
それでもいいって、思ってたのに。
「……信じる方が、馬鹿なの。そんな人たちのために、あんただって頑張ることないわよ」
「俺は……忘れられても……」
次の言葉が、うまく出てこない。
「あんたは、頑張ったわ。自分が苦しくても進むって言って。未来を変えようと、みんなを助けようと、頑張ってた。
でも、このまま進んでも、また犠牲が出るわ。私だけじゃなくてね。
そうやって進んだ先にあるのは……人を犠牲にして変えた未来。あんたに与えられるのは、忘れられる孤独、人を犠牲にした罪と哀しみ。……そんなものが、欲しかった?」
「……違う、誰も、犠牲になんか……俺は、みんなと……」
膝が、折れる。頭ががんがんして、近いはずの床が遠い。それでも、嗚咽を押し殺したような声が、頭上から落ちてくる。
「幸せな未来なんてないの。……そんなの、悲しいでしょ? そんな未来にするために、旅立ったわけじゃないでしょう? ……だったら、もう変えなくていいじゃない」
「な、に?」
「これ以上旅を続けても、もっと辛いだけ。一緒に眠りましょう?」
——途中から、切り替わる声。アリサの高い声から、聴き覚えのある、低い声に。
咄嗟に、その場を跳びのいた。……俺のいた場所に、大剣の刃が刺さる。
「……避けたか」
どこまでも、落ち着いた声。みんなが死んでいく中、その落ち着きが安心すると思った時もあったのに。
「……カイ、アス……」
目の前に立つのは、さっきまでのアリサの姿じゃなくて。背の高い黒髪が、俺を見下すように剣を構えている。
「あんたが……アリサを騙したのか?」
「騙す? 彼女が生きることを約束した覚えはない。二つの歴史は同時に存在し得ない、その事実を伝えたのみ」
「だけど、アリサはあんたの言葉を信じて!」
「自分が嘘をついても、人に嘘をつかれることに慣れていない。そんな、愚かな娘だ。あのオーパーツを使えば自分がどうなるのか、考えもしなかった。……それとも」
蔑むような、笑みを浮かべて。
「君のような甘い人間にでも影響されて、人を疑うことができなくなったのか?」
「……っ、カイアス!」
話している間にも、 剣を振りかざしてくる。子供でも相手にするような顔。だけど、その表情に反して……ぶつかってくる剣が、重く響く。
「カイアス! さっきのアリサも……全部あんたの仕業か?!」
「幻影なら、真実ではないとでも言いたいのか? 全て、彼女の声だ。どこに偽りがあった? 真実を突きつけられて、悔しいか?」
「俺は!」
「いずれにせよ、彼女は最初からいなかった。何を悲しむ?」
「いたんだ! そこに! 俺と同じように笑って、泣いて、怒って。頑張って、生きようとしてたんだ!」
「では、君に何ができた? そんな彼女の存在を消すことくらいだろう?」
「違う! 俺は、俺は……」
「……だが、取るに足らないことだ。彼女だけでない。これからの歴史には、セラ・ファロンも、君も不要だ。私は、全ての歴史を壊す」
一歩、踏み込んでくる。剣を受けた腕が、びりびりとしびれる。力一杯押し返して、身を翻し、距離を取る。
「……何、言ってんだ」
どこかで、知ってた、という感覚もある。……だけど、なんで? なんでそうなる?
『カイアスを、望まぬ永遠から解放してあげたい』
『彼は優しくて真面目な人だから、不死を受け入れ、使命を果たそうとしてくれている。でも……本当はそんなこと、望んでいないと思う』
そう言うユールに、それでもカイアスは、ユールを守りたいから守ってるんだって……俺、言ったのに。
今までのこと全て、無に帰して? 歴史を壊そうとしている?
「……あんた、まさか……」
ホープと、ユールの言葉が頭をよぎる。
『何者かが歴史に干渉している、そいつが過去を変えたんです』
『歴史は既に壊れているの。あなたたちが出会う前に、時は歪められ、未来は破滅にねじ曲げられた』
「——あんたが、歴史を歪めてるのか? この世界を、滅ぼそうと?」
自分の言葉に、全身がざわついていく。
「……あんたのせいで、ライトニングがヴァルハラに飲まれた? アトラスが、ビルジ遺跡の調査を妨害してた? 巨大プリンが、クリスタルの柱、溶かしてた? コクーンを救うはずのホープが、殺された?
あんたのせいで、コクーンが落ちて? みんな苦しみながら、死んでいった? 俺……一人になった?」
言葉を重ねるごとに、何かが音を立てて俺にぶつかってくる気がする。
「だったら、何だ?」
肯定するかのような冷徹な問い。再び間合いが詰められて、カイアスの剣が眼前に迫ってくる。
「俺……あんたじゃないって。アカデミアであんたに似た奴が人をシ骸に変えてた時も、絶対にあんたじゃないって! 歴史を歪めた奴がいるって言われたときも、本当の敵は他にいるって……セラにも、ホープにも言ってたのに!」
「さっきも、言われただろう? 信じる方が、馬鹿なのだと」
「なんで! なんでだよ、カイアス! あんた程の力があれば、みんなを救うことだってできただろ?!」
「君は、私にどんな幻想を見ている? 私は、無力だよ。……百年かけても千年かけても、一人のユールでさえ、救えない。生まれて、少しずつ成長して。その命が儚く散りゆく様を、見ていることしか叶わない」
口元を歪めて、嘲笑する。
「みんな、だと? ユールの命を踏み台にして争うばかりの者たちに、何をしてやる必要がある。
巫女を崇め、時詠みにすがったかと思えば、巫女を疎み、遠ざける。社会を混乱させる妄言だとばかりに亡き者にしようとする。そのような者達に、救う価値があるとでも言うのか?
……相当の力と覚悟をもってしても、一人すら救うことは難しい。であれば、持てる全てを使って、私はユールを救う」
「だからって、誰かを犠牲にしていいって思ってるのか……?!」
「君と何が違う? 未来のために、アリサ・ザイデルを消すのだろう。彼女は生きる道を探した。だがその命を一瞬で消すのは、君だろう?」
「違う……俺は」
「彼女だけではない。誰を犠牲にしているのか、わかっているのだろう?」
剣と剣が、ぶつかる。剣の向こうに見える、静かながらも強い怒気と威圧感を感じさせる、カイアスの表情。
わかっている? 何を?
「時詠みの巫女の運命。わからないのか?」
……思い出せなくなっているはずの記憶の空白部分から、何かが揺さぶってくる。
「君が歴史を変える度に、ユールは犠牲になっていた。……君の手によって」
わからないのに、どこかにその言葉を理解してる自分がいる。
シ骸のいたアカデミアで会ったユールは? ……シ骸に殺されたから、わからなかった。でも、もしシ骸に殺されていなかったら?
ヲルバ郷とアガスティアタワーで会ったユールは、たくさんのことを教えてくれた。でも……セラも心配してて。俺たちがゲートくぐった後、あのユールは……どうなった? ゲートくぐって、未来が変わったから……犠牲に、なって……?
「……、でも、なんで? だって、時を守ってほしいって……言われてたのに……」
「なんでって聞きたいのは、私たちよ」
後ろから、声が聞こえる。さっきまで聞こえてた声と、……もう少しだけ幼い声と。
「ねえ、どうして? なんで、わたしを殺すの。あの時も、あの時も……」
瞬間、カイアスの大剣が俺の剣を弾き飛ばす。一瞬の、油断。遠くで、俺の剣が落ちる音が聞こえる。衝撃で、手と膝が床につく。
カイアスの声に、ユールと、アリサの声が混ざって、頭上に落ちてくる。
「君が行動し、未来を変えたから、消える人がいる。死ぬ人がいる。偽りない、真実」
ユールも、アリサも……
……俺が、未来を変えたから……
刹那、全身に激痛が走る。俺の腹から、カイアスの剣先が、見えて……。
「悲しみ、怒り、焦り。そんなもので己を見失うなど、戦う者として君は本当に未熟だ。熱くなりすぎるなと、誰かに言われなかったか?」
……言われてた。そう、セラに……
「力も覚悟もない。そんな君に、未来も人も救うことはできない。君の……負けだ」
力が入らない。意識が霞んでいく。
セラ、モグ。ホープ。ライトニング。ごめん……
「君の望む夢で、眠れ」
俺の、のぞむ……
黒……
……血の赤が、流れていく
……俺、死んだ?
声もしわがれて。中身が出そうなくらい頭が痛くて、左腕も動かそうとすると激痛で。起き上がることもできなくて。……もう、死ぬんだって覚悟して。
違うな。その後、頭の上に光が見えて。女神の門、くぐった。エトロが俺を、助けてくれて……?
だけど。
意識を集中する。知覚するのは、少し前と何も変わらない色。いつまでも明けない夜中みたいな、黒い暗闇。赤は、俺の血じゃない。……あり得ないくらい深紅に染まった、空の色。
「やばかった……。やっぱ、きついな。一人だと」
背中には、やっと息絶えたベヒーモス。身体を落ち着かせるために肩で大きく息をしながら、思わず寄りかかる。
俺一人でも楽に狩りができなきゃいけない。強くなって、カイアスに勝たなきゃいけない。そのために、日々鍛錬してたはずだった。……でも実際は、これか……。カイアスが一瞬で倒せるベヒーモスに、どれだけ時間かけた? 喉もカラカラ。身体中で息してるみたいだ。
ああくそ、こんなに苦戦する予定じゃなかったのにな……。今まで、どれだけ仲間たちに支えられてきたのかを思い知る。今までは、みんなと力を合わせていたから、狩りだってうまくやれてたんだ。ヤーニとは、ユールとのことで口ではなんだかんだ言ってても、同じくカイアスに戦い方を教わってるおかげか、狩りでは息が合ってて。今だと思えば、いいタイミングで次の一手を繰り出してくれてた。
「もしも、俺が一緒に行ってて、二人とも無事に帰ってきてたら……お前、今もここにいたのかな」
そしたら、三人だけじゃなくて、四人で暮らしてて……
ため息。また、過去ばかり見てる。首を振る。
少し落ち着くと、脱力。腹まで鳴る。……ここ最近ちゃんと食い物にありつけてなかったからな。そのせいで力出ないし、考えも後ろ向きになってたのかもしれない。……言い訳かな。
でも、問題ない。過程が何であれ、結果は上々。一人でベヒーモスを倒せた。
「誕生日のお祝いは、これで充分かな」
せっかくの誕生日にユールが腹減ってるなんてことがないように、ちゃんと大物を食べさせてやれる。しばらく食料には困らない。……それに、俺が少し強くなったんだって言えば、少しは喜んでくれるかな。
そう、それに……カイアス。
ベヒーモスは俺にとって、ただの大物の魔物じゃない。ベヒーモスを倒せるようになったら、誓約者の力を賭けて、戦いを挑もうと思ってた。カイアスは強いから、時間がかかるかもしれない。でも、いくら時間かかっても、泥臭くてもいい。カイアスに勝って、誓約者の力を手に入れる。
本当はすぐにでもカイアスへの挑戦を宣言しに行きたいけど……ベヒーモスをここに置いといて、他の獣に食われたら元も子もないからな。
もう少し休みたいと主張する身体を、なんとか立ち上がらせる。ベヒーモスに縄をかけて、ずるずると引きずっていく。
「……重い。腹減ったな。でも、あと少し……」
……ああそうか。また、これか。何回目……? もう数えることもできなくなった。何度も何度も同じ話を見ては、また始めに戻ってきて。
「カイアス!」
闇に溶けていきそうな黒を纏った俺の師匠を見つける。一旦、息を整える。
「仕留めたか」
「ああ、俺一人でな!」
ほら見ろとばかりに、ベヒーモスを見せてやる。一人で戦って、倒せるようになった。村の誰だって、ここまでできなかった。もう、あんたと戦えるだけの力はついてるんだ。
「腕を上げたな。だいぶ、苦戦したようだが」
……何でだよ? 危なっかしいからって、こっそり俺が戦うの見てたとか? ……そんな甘いことする奴じゃないか。じゃ、顔に出てた?
「してないって! 全然、余裕。楽勝過ぎて、退屈だった!」
あんたが一瞬で倒せるベヒーモスに苦戦してる? まだまだ追いついてない? そんな風に思われたら困る。
「頼もしいな。もはや一人前の守護者だ」
仏頂面の口元が、ほんの少し緩むのを見つける。普段誉めることもしないで、無言で人をボコボコにするような師匠だからこそ、その言葉は純粋に嬉しい。
だけど、俺はもっと上を目指す必要がある。師匠が弟子に、大人が子供にするような誉め言葉で満足してられないんだ。
「ただの一人前じゃ嬉しくないな、あんたを超えなきゃ意味がない」
あんたを超えて、誓約者の力を手に入れて……そうしたら、今度こそ生き残りを探しに旅をしようってあんたとユールを頷かせてやる。
「ああ、超えてみせてくれ。君には挑戦する資格がある。私に勝って、巫女を支える誓約者になるがいい。私も前代の誓約者を倒したんだ」
挑戦するだけの力があると認めてくれたようで、嬉しい。心の中で拳を握る。……だけど、最後の言葉にひっかかる。
「……そいつはどうなった?」
「殺した。誓約者は、この世に一人。それが掟だ」
殺した? 掟だから?
ってことは……俺に、カイアスを殺せって言ってる?
「私を超えたければ、私を殺せ」
やっぱりか。ため息が出る。このクソ真面目な誓約者は、ユールの次に掟を大事にしている。時詠みの一族を軽視するわけじゃない。けど、俺たち三人になれば掟も何もないだろ?
「できるかよ。俺はあんたに勝ちたいだけだ」
俺が何のためにあんたに勝ちたいって言ってると思ってんだ。
あんたを倒すためじゃない。ましてや殺すためじゃない。一緒にユールを守りながら、他の生き残りを見つけて、この世界で生きていくためだろ?
あんたには、一緒にいてほしいんだ。あんたがいつも平然とした顔してるから、ユールはもちろん、俺だって安心できて……みんなが死んでも、何とか生き残っていけそうな気がしてる。あんたと一緒なら、ユールも守っていけそうだって思う。あんたが頷けば、他の生き残りだって見つけられそうな気がしてるんだ。
……でも、俺があんたより弱いままじゃ、ユールが俺の話聞いてくれないから。
もうすぐあんたに勝って頷かせてやるんだ、と思いながらカイアスに向き直ったところで——突然カイアスが、霧になったように目の前から消え去った。
「……カイアス?!」
慌てて、手を伸ばす。でも、何もない。さっきまでそこにいたのに。なんで? なんで消えた?
「なんでだよ……俺、まだあんたに勝ってない……勝手に消えんなよ……!」
まだ、戦ってもないのに。勝って、生き残りを探しにも行けてないのに。みんなが苦しみながら死んでも、あんただけは俺を置いていかないって思ってたのに。
わかってる。目の前から消えただけで、カイアスが本当に消えたわけじゃない……。
ユールの誕生日祝い、まだしてないだろ? カイアスがいなくなるのはその後だから、まだ先。
そう、この話、順番がごちゃついてるんだ。
周りを見ろ。三人しか残ってないって思ってたけど、そうじゃない。人は残ってる、生きてるんだ。
「まだ生きてる……みんな?」
また、歩き出す。
……俺が、強くなれば。俺がカイアスくらいの力を持てば、きっと世界を変えることができる。この村以外にも、この世界のどこかにまだ誰か、きっと生きてる。探し出して一緒に暮らせば、きっとなんとかなる。ユールだって、喜ぶ。村のみんなだって、昔みたいに、もう少し前を向いて生きることができる……。
人がたくさん死んでいく。子供も生まれない。……そんな、希望もなかなか持てない時代だけど。だからこそ昔は、どんな小さなことでも喜んでたんだ。ユールも、村のみんなも。
「ユール。何してるんだ?」
チョコボのいる小屋。地面近くにしゃがんで、じっとしてるユールを見かける。
「……チョコボ。雛が孵らないかなって思って見てるの」
視線の先には、枯れ草に載せられた四個の小さな卵。
「親鳥、死んじゃったもんな。雛だけでも孵るといいけど……」
「孵った後も、面倒見てやらないとな。ちゃんと育つように」
「でも、見てたって孵らないだろ。もう暗くなってきたし、家に戻ろう」
「孵る。……聞こえない?」
ヤーニと顔を見合わせて、ユールを挟むようにして卵に耳を近づける。小さいけど、コツコツと叩く音が聞こえて。よく見れば、ちゃんとヒビも入ってる。
「……生きてる」
「うん。小さいけど、ちゃんと生きてる」
「もうすぐ孵るかな?」
「孵る。……あ」
控えめに、ぱり、と割れる音がして。殻の中に見える、黄色い羽。
「が……頑張れ!」
少しずつ割れ目が広がって、……最後には雛が、ピィ、って鳴きながら殻から出てきて。
「……孵った」
ユールがそっと両手を差し出すと、少しまごつくように数歩進んで、手のひらに乗った。
「脚……くすぐったい」
「こいつ、ユールを親だと思ってるんじゃないか?」
「だろうな。大事に、育てないとな」
「……うん」
そうして、すごくきれいな笑顔を見せてくれたんだ。
大人たちだって、ユールのチョコボが生まれた、って言えば、すごく嬉しそうな顔をした。
「有り難いことだな。こうして、少しずつでも命を紡いでいけたら」
「大丈夫さ。ユールだっているんだから」
「ああ、そうだな。時詠みの巫女が笑顔でいてくれれば、我々も大丈夫だ。女神エトロも、見守ってくださっている」
そんな風に言えていたのは、いつまでだったか。
雛も死んで、人もいよいよ少なくなってきて。段々みんな、余裕がなくなってきて。
ユールもカイアスもいないところで、悪く言う人まで、出てきたんだ。
「どうして女神エトロは、私たちを救ってくれないの……」
「もう女神でさえも、どうすることもできない世界になってしまったんだ」
「だったら、もう終わりにすればいいだろう。神話通り、人間がエトロの血から生まれたのだとすれば……我々をもうこの世界に送り出さないこともできるんじゃないか? 元々、死の女神なのだから。死ぬために生まれるなんて……これじゃ見殺しじゃないか」
時詠みの一族が仕える女神エトロ。心の中で疑問を持ったとしても、表立ってそんな風に悪く言う人なんて今までいなかったのに。
「せめて、巫女が未来を教えてくれたら……」
「本当は、視えているのかもしれない。でも、守護者が……カイアスが、巫女はもう時を詠まないのだと言う」
「時を詠まないでも詠めないでも。なら、何のための巫女なんだ? 何のために我々は巫女を守っているんだ?」
ユールを守ってることへの疑問だって、今まで一度も聞いたことがなかったのに。
「我々は、女神エトロに仕える巫女ユールを支える、時詠みの一族。エトロと巫女を侮辱することは許されない」
そう、その通り。もっと言ってくれ。悪いことばかり言ってたって、仕方ないんだ。
「あんただって、もう苦しいだろう? あんたの奥さんだって、お腹の赤ちゃん共々死んでしまった……」
妊娠も出産も危険だから、みんなで気を配って手を尽くしたけど……駄目だった。それも事実だけど。
……そして次の反論はもう、聞けなくなってしまった。
「もう、限界だろう。時詠みの一族ももう、終わりだ」
……終わり。最近、よく聞く言葉。一人だけじゃない。みんなが言うようになってる。
違う、そうじゃない。騙し騙しなんとかやってきたことだって、知ってる。みんな苦しい。だけど諦めたら、そこで全部終わるのに。みんながここで運命を受け入れたら、未来なんて何も変わらないのに。そこで待ってるのは、死と滅び。そんな終わりだけなのに。
嫌だ。苦しみしかない世界かもしれない、それでも俺は、みんなと一緒に生きていたい。作物は、育たない。狩りだって、返り討ちとの隣り合わせ。毎日食べることすら大変。でも……力を合わせて、励まし合って、一緒に生きてきただろ?
俺に何ができるかなんて、わからない。でもここで、俺が口を閉ざしていたら? 何も言わなかったら? みんな、諦める……?
「……ダメだ!」
誰も言えないなら、俺が言わなきゃ。……女神、みんなと違うことを言う勇気をくれ。
「女神エトロは、絶対に諦めない者に扉を開く。そう教えてくれたのは、みんなだろう?」
狩りをするにもまだ不慣れで、ついていくだけの時も。魔物に襲われた時だって。その言葉に、どれだけ勇気づけられてきたか。
「……だから、諦めずに最後まで自分たちで何かしないとダメなんだ」
「……ノエル」
「だって俺はまだ、諦めたくないんだ。みんなと一緒に生きていく世界を。だから、みんなにも諦めてほしくない。俺はみんなと一緒に生き残りたい。……まだ、望みは残ってるって思う。他にも生き残りがいる。だから、合流すれば……」
なのに返ってきたのは、呆れるような、憐れむような——そんな視線。
「ノエル。お前はまだ若いから、そう言えるんだ。現実を知らないから」
若いから? 現実を知らないから?
「……何だよそれ。若いからとか、そんなの理由じゃないだろ」
俺だって現実、見てる。食べられない。病気になる。人が次々と死んでいってる。子供も生まれない。それくらい、俺だってわかってる! ……俺だって、不安なんだ。若いから、知らないから、不安がわからないだけ? ……そんなわけないだろ。
現実もわかってる。みんなの不安もわかる。だけど、それを受け入れるなんてできない。俺が受け入れたら……誰も未来を信じる人がいなくなる。そんなのは、嫌だ。
「どうやったら、信じられる? ありもしない未来を」
「どうやったら……って」
ユールみたいに、時詠みの力があるわけじゃない。こんな明るい未来があるって、俺がみんなに言ってやることはできない。
「ノエルにいい時代を過ごさせてやれなくて、申し訳ないと思ってる」
もう終わったことを前提にするかのように、話が進んでいく。嫌だ。そんな風に謝られたいわけじゃない。
「……そうじゃない。いい時代じゃなくたっていい……」
いつか子供同士で起動してしまった予言の書にあったような、色とりどりの花に囲まれた世界で生きられたらと願った時もあった。
でも、そうじゃなくてもいい。
「ただ、よくなるように頑張っていきたい。それだけなんだ……」
多くは望まない。今は、この世界でも、十分だから。こんな荒れ果てた世界でも、細々とでも生きていけるのなら。あの花に囲まれた世界にするために少しずつ変えていくんだって、そんな風にみんなが思えたら……それでいいんだ。
「でも、もう、今が精一杯なんだ。今を生きることだけで。この先の未来なんて考えられない。これ以上、どんな未来があるっていうんだ。どこで何をすればいい? ……みんな頑張ってきたんだ。色んな土地を彷徨ってきたんだ。もう、十分探したんだ」
俺の知らない過去のこと。何回も、聞いてはきたけど。……でも、頷けない。首を振る。
「そんなのって、ない! それでも……まだ探せてないところがあるかもしれないだろ」
「仮に生き残りと合流できたとして……? 同じことじゃないのか」
「……同じって?」
「今まで彷徨ってきた土地、全部汚染されていた。新しい場所が見つかったとしても……そこも汚染されてるだろう。……根本が解決されてないんだ。この世界には、クリスタルの砂塵と有害物質が溢れてる。なら、結果は同じこと。……人は生きられない。死んでしまう」
「……わからないだろ。まだ違う未来があるかもしれないだろ……」
俺が言ってることは、所詮”かもしれない”こと。根拠なんてない。……わかってる。
だけどみんな、首を振るか、俯くかしかしないんだ。
なんで? どうして? 俺の言うこと、少しでも信じようなんて思わない? ……何も知らないから? ただの、少年だから? ユールみたいに、時詠みの巫女なんていう絶対的な存在でもない。カイアスみたいに、有無を言わさぬ誓約者の力があるわけでもない。俺一人で、頑張って喚いたって、聞いてくれる人なんていない。
みんなそこに立ってるのに、俺とみんなの間にはすごく距離があるような……孤独感。
……いい。
みんなに言って駄目なら、ユールに言う。俺じゃ役不足で、年下の女の子に頼るしかないなんて、正直少し悔しいけど。そんな小さなプライドに拘ってる場合でもない。ユールが旅に出るって言えば、きっとみんな頷いてくれる。
「俺……諦めない」
みんなに背を向けて、家を出る。
走っていると、ユールが青ざめた顔で村人の家から出てくるところを見つけて、駆け寄る。
「どうした、ユール」
「さっき……亡くなったの」
……ああ。昨日の夜もずっと苦しそうに咳き込んでいて、心配してた。そういえば今日は見かけてないって、思ってた……。
やっぱり、このままじゃ絶対に駄目だ。このまま何もしなきゃ、何も変わらない。だから……言うしかない。
「あのさ、ユール。探せば、まだ仲間はきっと残ってる。だから、みんなで探しに行こう」
ユールは、自分からこうしたいって何か言うことはないけど。
「みんな、死んでいってる。このままじゃこの村の奴らは、みんな死ぬ。……俺だって、ユールだって。……他の村がすぐに見つかるかはわからない。俺も、狩りの途中で少しは周りの様子を伺ってるけど、村がある気配はない。でもだからこそ、みんなで遠くまで探しに行って生き残りと合流しないと、駄目だ」
さすがにこんな状況になれば、ユールもわかってくれるよな? ……そんなことを期待して、返事を待つ。
「気持ちは、嬉しい。……ありがとう」
……違う、ユール。
「ありがとうじゃなくて! ちゃんと、行動しよう」
今ここで感謝の言葉なんか、嬉しくない。欲しいのは、行動。俺一人でじゃなくて、みんなで。そして、一人でも多くの人が生きられる可能性を、探すこと。行動しなきゃ、何も変わらないんだ。……ユールだって、同じ気持ちだろ?
ユールは少しだけ微笑んで。……だけど、首を縦に振ることはない。
なんで……?
こうなってしまうと、ユールが答えを覆すことはない。さっきと同じ。こんなに近くにいるのに、誰よりも遠い。きっぱりとした意思のある瞳が、今ほど悲しくなったことは……ない。痛いくらい、奥歯を噛み締める。
他の誰も理解してくれなくても、ユールだったら。巫女と巫女じゃない者じゃ、立場は違うのかもしれない。でも、年が一番近い子供として……小さい頃から長い時間を一緒に過ごしてきたユールなら、きっと俺の言うこと理解してくれるって思ってた。……なのに。
どうして、俺……一人。俺が一人だけでそんなこと言ってたって、意味がないのに。俺一人じゃ力不足で、みんなでまた力を合わせる必要があるのに。なのに誰も、理解して、一緒の気持ちを持ってくれる人がいない。
「——みんなが行かないなら、やっぱり一人でも、仲間を探してくるよ」
今まで考えながらも、実際の行動に移してなかったこと。もうそれしか選択肢はない。
「ばあちゃんは、生き延びる可能性が最も高い道を選べって言ってた。一人で行くなんて、生き延びる可能性が低いこと、知ってるけど」
まだ十分に魔物を倒す力も、ついてない。自殺行為だって、わかってる。でも……もしかしたら、俺一人だけでもどうにかできる可能性だって、あるかもしれないだろ? 少なくともここに留まることは、死を待つこと。だったらわずかな可能性に、賭けるしか。
「行っては、駄目」
「……あれも駄目、これも駄目って……」
寂しさと悲しみに、怒りに似た気持ちが混じってくる。
「どうして! ユールも、俺に反対するのか? 諦めるのか? こうして人が減っていくのを、受け入れられるのか? 現状を変えないで、このままみんなで死んでもいいとでも思ってるのか?!」
「そうじゃない」
「だったら、何!」
「カイアスが、これでいいって」
「っ、何だよそれ……」
身体中から、力が削ぎ取られていくような感覚。
「彼は、何でも知っている。誓約者だから」
「そんなの、わかってるけど!」
当然。ユールは巫女で、カイアスは巫女を支える誓約者。知ってる。
昔からいつだって、ユールはカイアスを信頼していた。巫女たる者はとカイアスが言えば、ユールは素直に耳を傾けていた。俺もヤーニも、面白くなさそうにそんな場面を見てきた。だけど。そんなのだって、わかってるけど。
現状を変えたいって思う俺の言葉が、……なんで、何もしないなんていうカイアスの言葉に負ける? そんなに、間違ったこと言ってる? そんなに俺、信用ない?
『ユールは、俺より、カイアスを信じるのか?』
ユールの顔を見ていたらそんな言葉を言ってしまいそうで、ぐっと踏みとどまる。首を振って、背中を向けた。
……ため息。乱雑にクリスタルの砂を踏みながら、自分の家に向かう。
その途中で、黒ずくめの男がこっちに向かって歩いてくるのが見える。ユールを迎えに行くのか? 正直今、会いたくないんだけどな。歩く方向を変えようかと思ったけど、それも癪だからそのまま真っすぐに歩く。
すれ違う、ってところで、つい口が開いてしまう。
「……あんたのせいだ」
何がだなんてわざわざ聞き返す奴でもないけど、話を聞いてることはわかってる。だから、言ってやる。
「あんたのせいで、誰も未来を信じようとしない。行動しようとしない」
別にカイアスに言うべきことでもないって、わかってる。でもカイアスは、そんな俺の八つ当たりにも静かに答える。
「君は、憎むべき対象を間違えている。君が憎むべきは、私ではない」
「……言われなくたって、知ってるさ。俺が悪いんだろ? 俺自身が、力がないから。みんなを守って旅をするって言ってやれないから」
わかってるんだ。剣の稽古をしてもらってたって、まだまだカイアスみたいな力は持ててない。
「自省的だな。悪くはないが、それも違う」
「じゃあ……何だってんだよ」
「女神が、憎いだろう?」
いつも不機嫌そうな顔だけど、今は……それとは違う。忌々しそうな、憎悪を秘めた表情。背筋を、何かが通り抜けるような感覚。
「君は、多くの者の苦しみの声を聞いただろう? 女神エトロは、彼らを見殺しにしている。女神に救いを願っても無意味だ。女神がもたらすのは、苦しみのみ」
だからって……あんたまでそんなこと言うのか。
「全部女神のせいだって……言いたいのかよ」
ただ、冷笑。
「女神のせいだから、何もしないって? ……ふざけんなよ。あんた、ユールの誓約者なんだろう! だったら最後まで女神と巫女を信じて、生き残る道を探すべきじゃないのか?」
ふん、とカイアスは鼻で笑う。
「君は、何も知らない」
またか。どいつもこいつも知ってるとか知らないとか。……知らなかったら、言うことも許されないのか? そうじゃないだろ。
「だったら、教えろよ!」
カイアスは背中を見せて、声だけで言う。
「知りたくば、早く私に勝てるだけの力をつけ、誓約者になれ」
「……言われなくても、そうするさ!」
力がなきゃ、何もできない。今の俺は、巫女と誓約者の言うことに従って、この村にいるしかない。俺一人で出て行ったって、無駄死にするだけ。わかってる。
でも、俺がカイアスに勝って誓約者になれば、違う。ユールも俺の言うことを聞いて、生き残りを探しに行くことに賛成してくれるようになる。俺がみんなを守りながら、旅をすることができるんだ。強くなりたい。強くならなきゃ。……今は、それしかない。
……だから、俺が強くなるまで待っていてほしいのに。もう少しだけ、生きていてほしいのに。
なのに、一人一人、いなくなっていく。
「もう、だめ……」
そう言いながら、そこにいたはずの村人が、消えてくんだ。霧みたいになって。
「どうして……」
……俺の台詞。どうして、みんな俺を置いてく? 一緒に、生きたいのに。
「傷ついて……失って……死ぬために……生まれたのか?」
そうじゃない、……違うのに。きっと、まだ違う未来があるはずなのに。
「……死にたくない!」
俺だって、死んでほしくない! 消えてほしくない! まだ、待っててほしい。
「助けて……」
助けるから! 絶対に強くなって、生き残り見つけるから。今より絶対楽になるから!
「あの子を頼む」
「あの子をお願いね」
そんなこと、俺に頼むなよ!
俺が死んだら、その言葉を誰に言えばいい? 誰にユールを託せばいい?
もしも、ユールが俺よりも先に死んでしまったら? ……俺は?
「嫌だ! 消えないでくれ! まだ……もう少し、一緒にいてくれ!」
——そして、三人だけになった。ユール、カイアス……そして俺。俺が手をこまねいて、何もできないでいる間に。
ずるずる、ざらざら。ベヒーモスの巨体を引きずる音と、自分の足がクリスタルの砂を踏みしめる音だけが、耳に響く。相変わらずの暗闇。視界が狭くて、どこを歩いてるのかわからなくなりそうだ。
……止められたって、生き残りを探しに行けばよかった? でも一人で行ったって、あの時の俺じゃのたれ死んでた。死んだら意味がない……。今みたいな力を早く持てていたら、信じてくれた? 助けられてた?
首を振る。駄目だ。過去のこと思い出して後悔しても、心が後ろ向きになるだけだ。現在と未来を見て、考えるんだ。未来はともかく……現在には、何がある?
そう、ユールの誕生日。子供が生まれても育たないこんな時代で、15年間、生きてこれた。病気も怪我もなく、無事に成長してこれたんだ。……それはまさに女神が祝福した、奇跡みたいなことで。だからその日は、ちゃんと祝ってやりたい。ユールに喜んでいてほしいんだ。……もちろん、カイアスにだって。
……うん、大丈夫。誕生日祝いもある。ベヒーモス、俺一人で倒したんだ……って言える。些細なことかもしれない、でもそんな話をしながら、心静かに一日を過ごせれば、まずはそれでいいんだ。後のことは、次の日に考えよう。
ユールの家にようやくたどり着いて、ベヒーモスにかけていた縄を下ろす。家の様子に、心がふっと安心する。……ああ、人がいる。
そして、中に入る前にユールが扉から顔を出してくれるから、思わず顔がほころぶ。
「……ただいま!」
「おかえり、ノエル。狩り、どうだった?」
息を整えて、ベヒーモスを見せてやる。
「……見ろ、大物仕留めたぞ! 今日はユールの大事な日だろ」
「私の誕生日、覚えててくれたんだ」
少しだけ驚いたように、でも嬉しそうに、両手を組む。
うん。そうやって喜んでくれると、倒すの苦労したことも全部消えていく気がする。
「当たり前だろ、今夜はお祝いだ。待ってろ、今さばいてやるから」
うん、と頷くのを見て、準備に取りかかろうとする。……ふいに違和感がして、立ち止まる。
……何だ?
「どうしたの?」
ざわざわとした賑やかさが、耳に届いた気がした。ぐるりと辺りを見回す。でも、そんな音はどこからも聞こえない。
……ああ。そうか。
「……いないんだ」
誰かの誕生日があると言えば、昔は何十人の村人が一同に会して、お祝いをしてた。特にユールの誕生日となれば、俺みたいに魔物を狩ってくる奴もいれば、狩った魔物の牙を集めて首飾りを作る奴もいたり、毛皮を服にする奴もいたり。その日だけは暗い話は、禁止。一緒に食べて、成長を語り合って。これだけ背が伸びたとか、何ができるようになったとか。小さなことでも話題にして、何事もなく無事に育ってきたことを心からお祝いしてたんだ。
「……昔みたいにもっと大勢で祝いたかったな。……三人だけじゃ、逆に寂しいか」
そんな過去を思い浮かべれば、ここにいるはずだった人達の顔が思い浮かぶ。ばあちゃん、ヤーニ、リーゴ、ナタル……。
ごめん、みんな。俺が、不甲斐ないから……。
あ……駄目だ。今すごく俺——
「そんなことない、寂しくなんかないよ。ノエルとカイアスがいてくれるから」
ユールは、首を振って、……微笑んでくれる。
「……なら、いいけど」
「みんないなくなったし、チョコボの雛ももう生まれないけど。わたし、ちゃんと生きている、って思う。ちゃんと生きていて、ノエルとカイアスと話して。そういう時間を過ごせているってことが、大事だと思う。毎日が、大切。だから……今は、幸せ」
静かに、でも、確かな言葉で、励まそうとしてくれて。
……でも逆に、胸が痛むんだ。本当は、寂しいんじゃないのか? 俺もカイアスも外に出ていれば、ユールは一人だけでこの村で留守番しなきゃいけない。魔物が村に入ってくる可能性もあるから、家にいても安全とは言い切れない。話す人も守ってくれる人もいないんじゃ、寂しいし、心細いだろ。……俺が一緒にいてやれればいいけど、それじゃ逆に狩りができない。……だから。
「その……ユール」
言いかけた。その瞬間、ユールが消えたんだ。白い霧になって。
「っ……、ユール?!」
手を伸ばす。でも、いない。空を、切るだけ。
なんで? どうして? ユールも、俺を置いて?
まだ、大丈夫。ユールは、まだいる。カイアスと同じで、目の前からいなくなっただけで……
だけど……
わかってるよ。こんな風に、何度も何度も、見なくても……。
だって……俺に何ができた? ……寂しい思いをさせて、結局救えなかった。
許せない運命があって、許せない相手もいた。けれど、一番許せないのは、何もできない無力な俺だ。
言うだけで、知らなくて、何の力もなくて。結局全部見ているだけで、何もせず時間だけが過ぎ去っていった。
……知識も、力も、行動もない。
みんなを、ユールを、見殺しにしたのは、俺だ。
俺が、無力だから……。
……そんなことないよ
——何が?
ノエルは、何にもできない私を立ち上がらせて、前に進ませてくれたの
ノエルがいなかったら、今の私はないんだから
……誰?
ノエルは、無力なんかじゃない……
こんなこと、誰かに言われたかな。思い出せない。
懐かしい気持ち。村の誰か?
……だけど、思い出せないでいる内に、その声は遠くに行ってしまった。
単に、そういう風に言われたかったって俺の願望が、出てきただけかもしれないな。
だって今までそんなこと、一度だって言われたことなんて——
「私を殺す気になったか」
「なるかって! ……あんた、自分が生きてることに少しは感謝しろよな! 全く……大体ユールの誕生日なんだから、物騒な話はよせよ」
誕生日に暗い話は禁止って言ってたの、忘れたのかよ。しかも、あろうことか殺せ殺せって、師匠ながら正直苛立つ。どんな状況でも平然としてる姿に安心できてたのに、……こんなに死にたがる発言するなんて、思わなかった。
……気を取り直そう。表に出さないだけで、カイアスも疲れてるのかもしれない。たまにはそういうこともあるってことだろう。
「殺す気はともかく、勝つ気はある。だから、明日だ! あんたに勝って、俺は誓約者の力をいただく。俺とあんたで、ユールを守って旅しよう」
「何のための旅だ?」
……今更、何だよ。俺のしたいことくらい、わかってるだろ。
「仲間を探すに決まってるだろ。きっと……きっと、まだどこかに大勢、生き残ってる。他に生きてる人が見つかれば、ユールも、寂しい思いをしなくて済む」
「それが、虚しい希望だと、君もわかってるはずだ」
さも当然かのように話すから、思わず噛み付く。
「何だよ! 虚しい希望って!」
「人々は安全な場所を求めて移動を続けてきた。海から離れて、少しでも汚染されていない土地を求めて。その彼らが最後にたどり着いたのがこの村だ。……君も、話くらいは聞いたことがあるだろう?」
……確かに、言ってた。みんな頑張って、色んな土地を彷徨ってきたんだって。もう十分探したんだって……。それを言うときの苦しそうな表情、覚えてる。……気持ちはわかっても受け入れたくなくて、否定したけど。みんなだって本当はそんなの言いたくて言ってたんじゃないって、今ならわかる……。
「ここは終焉の地。もはや、ここより他に人が暮らせる土地は残されていない」
確かに、それも言ってた。もう、探した。いなかった。いたとしても、どこも暮らせないから、また死ぬんだって。
……じゃあ、どうすれば?
どうにかなるかもしれない、としかみんなには言えなかった。それじゃ、カイアスには絶対通じない。
だけど何も、代替案が浮かばない。
「……もう、どうにもならないのか……?」
言葉に力がなくなっていくのを感じる。それじゃ、駄目なのに。何か考えなきゃいけないのに。
「一つ、方法がある」
「……何?!」
何を言っても厭世的だったカイアスが、方法があるって言うから。縋るような思いで、次の言葉を待つ。
「私を、殺せ」
「……また、そんな話か……」
項垂れる。首を振って、睨みつける。
でもカイアスは、全く意に介する様子はない。手を左胸に当てて、口を開く。
「知っているか。我が胸にあるのは、混沌の心臓——女神エトロの分身だ」
カイアスの胸にあるのが、エトロの心臓? ……聞いたことがない。ものの例えか……それとも。
「この心臓が止まる時、女神も、また死を迎える。女神が死ねば、ヴァルハラの混沌が解放される。それは歴史を歪め、過去を破壊するほどの力だ」
女神が死ぬ? ヴァルハラの混沌? 歴史を歪める? 過去を破壊? ……何言ってんだ。
「……わけわかんないな」
「殺せば、わかる」
「どっちにしたって、あんたを殺せって? できるわけないだろ……?!」
「できなければ……死ぬのは君だ」
低い声音で、背負っていた大剣を構える。……他の誰でもない、俺に向かって。
「……なんで」
後ずさることすら許さない、そのまま斬り込んでくる。……本気。
身を低くして避けて、剣を構える。でも、違う、カイアス。あんたと戦いたいって言っても、こんなことを望んでたわけじゃ。
「なんでなんだよ……そんなに、死にたいのか……? せっかく今まで、生きてこれたのに。あんたは言葉も少ないけど、生きようって意志も、力もある奴だと思ってたのに! その強さがあれば、あんたが生きるだけじゃない。みんなを助けることだってできたのに!」
あんたは、俺がないもの、全部持ってるのに。
「助けてって。死にたくないって言いながら、死んでいったやつだっているんだぞ……?!」
村の奴らの、悲痛な最期が目に浮かぶ。苦しそうで、世の中を恨むような表情と声。みんな、救えたのかもしれないのに。
今更そんなこと言って、死んだ奴が還ってくるわけじゃない。だけど、わかってほしい。みんなの分まで、生きようって思ってほしい。
「……生きることは、無意味だ」
カイアスの剣が、重いだけじゃない、早い。今までの剣の稽古は、相当手加減してたんだ。剣を受けるだけで、精一杯。構え直す余裕がない。
「どうした、応戦だけでは勝てないぞ。勝てなければ誓約者にはなれない。君自身、死ぬことになる。それでいいのか?」
わかってる。けど……違うんだ、カイアス。
「俺は、あんたとユールで、三人で生きていきたいんだ! もう三人しか、いないんだ! あんたを殺すなんて、無理だ!」
「覚悟を持て。覚悟がなければ……終わらせることはできない。君も辛い思いをする」
「何の覚悟だよ! 俺は……嫌だ!」
繰り出される剣筋を、弾き返す。
その内にカイアスは、剣先を俺に向けたまま、足を止める。そのまま、視線だけで睨み合う。そして、どこか悲しそうな声音で、言う。
「やはり……今の君には無理か」
ゆっくりと剣を下ろすのを見て、静かに息を吐く。
「……あんたを殺すとか、歴史を歪めるとか、わけわからねえ。そんなのどうせ、ユールが悲しむだけだ!」
「悲しませても、救えればいい」
「そんなわけないだろ! 悲しませていいはずないだろう!」
俺も村のみんなも、ユールにどうやって喜んでもらうか考えてたのに。カイアスは、逆のことを言ってる。
「……君は、何も知らない」
「だったら、教えろよ!」
また、同じ言葉を聞いて、同じ返事をしている。でも、違う。
「力も覚悟もない君が知ったところで、どうなる」
前カイアスは、『早く私に勝てるだけの力をつけて誓約者になれ』と言った。あの時は、俺が追いつくのを待ってたかもしれない。
でも、今はあの時と違う。冷たく突き放す言葉。——何かを、逃した。間に合わない。そんな感覚に、心が突き上げられる。
カイアスは、俺に背を向ける。
「……どこ行くんだ?」
怖い。この背中が、こんなにも寂しいと思ったことはない。今にも、どこかにいなくなってしまいそうで。
「ユールを……、見捨てるのか……?!」
「ヴァルハラに行く。愚かな女神を葬るために。女神を殺してユールを解放する」
女神を殺す? ユールを解放する? ……ヴァルハラの、混沌?
頭が混乱して、何を言っていいかわからない。
「君のユールは、君が守れ。……君の巫女を思う気持ちに嘘はない。君はもう一人前の守護者だ」
「俺のユール? そんなこと言われても、嬉しくない! 俺は、あんたじゃない! 俺は俺で、あんたはあんただ。どっちか一人がいればいいって話じゃないんだ!」
……本当に、わかってないんだあんたは。
村のみんなが、あんたみたいに生きられることをどれだけ切望してたか。
ユールが、どれだけあんたを信頼して、一緒に生きたいって思ってるか。
俺はあんたみたいにユールのそばにいたわけじゃないけど、ずっと見てたから、知ってるのに。
……みんなだけじゃない。ユールが悲しむなんて言ってるけど、それだけじゃない。
俺だって、どれだけあんたに憧れてるか。頼りにしてるか。尊敬してるか。
その圧倒的な強さ。無口だけど、何か揺るぎないものがあんたを形作ってて。口ばっかりで無力の俺とは、全てが違う。あんたがユールをいつも静かに守ってる姿、ずっとかっこいいって思ってた。あんたみたいに人を守れる奴になるんだって、思ってた。
行かないでほしい。置いていかないでほしい。
あんたがいないと、俺だって、不安なんだ。
一人で、どうやってユールを守ればいい? もし俺が死んだら、ユールはどうする? 誰も守る人がいなくなる。それは、絶対に駄目だ。……もしも、ユールが死んだら? 俺は? こんな世界に、一人だけで……。
……もしこの時、俺が十分に強かったなら……
カイアスが闇に溶けるようにいなくなって、命の火が二つだけになった。ユールと、俺。
「なんでだよ。俺、まだあんたに勝ってない……」
強くなって、カイアスに勝つ。誓約者にさえなれば、みんなを守れる。たった三人でも、俺とカイアスならユールを守って生きていける。それだけを目標に、この世界で今まで頑張ってきたのに。
なのに、突き放された。もう時間切れだって、置いて行かれた。待ってくれるって思ってたのに。俺の力が、足りないから。
……力だけじゃない。覚悟だって、足りないって。
見て、追いかけて、頼っていた背中が急になくなって、頭も足もふらつく。どうしたらいい? どうしたら……。
違う。辛いのは……俺じゃない。ユールだ。カイアスがいなくなったことが、俺でさえこんなに苦しいんだから……ユールが知ったら、もっともっと悲しむ。
……さすがに、泣く……かな。そしたら、何て言って慰めればいい? そういうの、苦手なんだけどな……。『カイアスは、ユールのこと悲しませようとしたわけじゃなくて……』……いや、駄目だな。嘘ついても、すぐ見破られそうだ。起こったこと、ありのままに話せば……ありのまま? 悲しませてもいいってカイアスが言ってたこと? ……そんなこと聞いたら、もっと悲しむ。
光も見えないまま、暗闇をざくざくと歩く。
気がつけば、ユールの家の前に立っていた。だけど、扉を開ける勇気がない。そのまま帰ろうかと思ったところで、いつもみたいにユールが静かな笑顔で出てきてくれる。
「おかえりなさい」
だけど俺の方は、ただいまって返すことができない。全然、笑えない。自然にも、無理をしてでも。……いつもみたいに、できない。
「……どうしたの?」
不思議そうな顔の、ユール。心配してるかもしれない。……だけど、言いたくない。言葉にすれば、取消しのできない事実みたいになるのが……嫌だ。カイアスがひょっこりと横から出てきて、やっぱり違った、何でもないって言うことができたらって、有り得ないことを願う。
「……カイアスのこと?」
「あ……、うん」
先に言われてつい頷いたけど、失敗。話がここまでわかってしまうと、もう後がない。
……予定通り、ありのまま話そう。……だけど、俺だって、カイアスの言ってたことの半分も理解できてない。女神を殺すとか、歴史を歪めるとか、説明できないことばかり。唯一わかるのは、カイアスは殺されたがっていた……ってことだけど。そんなこと、言えるわけないだろ?
無言のままでいたら、ユールが口を開く。いつもと変わらない表情で。
「何も言わなくていい。知ってる」
知ってる?
「知ってるって? その……あいつが……いなくなったこと?」
念のため、確認。ユールは静かに頷く。
「なんで……? あいつ、ユールの誕生日に、そんなこと言ってたのか……?」
誰かの誕生日に暗い話は禁止だって、今までずっと言ってきたのに。でも、ユールは首を振る。
「ずっと前から知ってた」
ずっと前から? というと、カイアスはずっと前からこのことを考えてた? 俺が、一人で大物を倒せたらカイアスに勝って誓約者になろうと思ってたのと同じように?
ユールの発言の意味を考えたところで、ユールが腕を引っ張る。
「……来て」
「お、おい」
普段よりずっと、強い力。いつもにない雰囲気に、ただ引っ張られるがままになる。
ユールの家を出て、暗闇を歩く。見えてきたのは……三人の女性が天に向けて伸び上がろうとするかのような彫像——時詠みの碑。昔みんなが生きてた時に子供たちだけで内緒でここに来て……あの時は、何を見たっけ。色とりどりの花と、白い花を摘む巫女の後ろ姿……ひと際大きいベヒーモスと一人で戦うカイアス。あのカイアスの姿を見て、強くなりたいって思った。
「少し前に、これを視たの」
予言の書に映し出されたのは、……まさにさっきまでの俺とカイアス。言い合って、戦って。俺がユールに言おうとして言えてなかった場面、そのもの。……そしてその後には、ヴァルハラにつながってるという女神の門も映った。
ユールは、これを、ずっと前から知ってた?
「カイアスは、巫女たちを呪われた宿命から解放するために、ヴァルハラへ行くって言ってた」
それは、確かに言ってた。ユールを解放するため、と言ってたけど、今までの巫女も含んでるんだろう。……どうやって解放するのかは、わからないけど。
「今のノエルなら、一人になっても守護者としての務めを果たせるだろう、だから何も心配しなくていいって」
それも、聞いた。まさに俺がさっき、ユールに説明しようとしてたこと。
「カイアスは巫女たちのために何かをしようとしてるってことだけはわかった。だから、止めなかった」
でも、うまく頭に入ってこない。俺の疑問が、口から出ようともがく。
「なんで……教えてくれなかった?」
できるだけ静かに言うのが、精一杯。
「ユールは、知ってた? カイアスが俺たちを、置いてくこと。なんで言わなかった? もっと早く知ってれば、俺、何があってもカイアスを止めてた」
……違う。それだけじゃない。
カイアスがいなくなって、悲しいのはユール。わかってる。だけど腹の中に、黒いものが渦巻いていく。
「そもそも三人だけになるって、知ってた? いつから? 俺、旅をして他の生き残りと合流したいって……言ってたよな? ユールが寂しくないようにって思って……。なんで、賛成しなかった……? こうなるってわかってたのに、俺を止めたのか……?!」
ユールは、視線を地面に落とす。
「……ごめんなさい。カイアスに口止めされてたの。ノエルがこれを知って、違う行動を起こせば、未来が変わって、私はまた時を視るかもしれない。時を視れば命が削られるから、黙っているようにって。ノエルと過ごす残りの時間を少しでも引き延ばせるようにって」
口止め? 何を? ……時を視れば……命が、削られる?
目眩がして、身体がふらつく。
「時詠みの力は混沌の力。不可視の世界、死者の魂の向かう先へとつながる力。使うたびに巫女の命は不可視の世界に奪われる」
時を詠んで、命が奪われ、削られたら……? そのうち巫女は……死ぬ?
「時詠みは……女神エトロの贈り物じゃないのか……?」
未来が視えるなんてすごいって、小さい頃は思ってた。誰もできないのに、時詠みの巫女だけはできるんだって。女神エトロに繋がる特別な力なんだ、って。もし俺に未来が視えたなら、狩りで危険を回避したり、生き残りを見つけるための方法を考えたり、もっとうまく活用するのにな……なんて、安易に考えたりしてた。
だけどユールは、ただ首を振る。
少し前にこれを視たの、とユールは言った。今までも言わないだけで、時を視てたのかもしれない。ということは、ユールの命はもう……削られている……? もう、長くない? ……なのにそれを俺に知らせないように、カイアスが口止めしていた……?
「……あいつ、知ってて黙ってたのか! こんな大事なことを……!」
「怒らないであげて。カイアスはノエルを苦しめたくなかったんだと思う。知ればノエルはきっと悲しむ。残りの日々をずっと悲しんで、苦しんで過ごすようになる。だから……」
「違う! そんなんじゃない! あいつは……あいつは……」
そんなきれいごと、あのカイアスが思うわけない。カイアスは、死にたがってた。ユールを看取るなんてしたくなくて……生き残りと合流するとか、もっと生き延びるとか、そんな俺の話を馬鹿にしながら……あいつはユールを俺に守らせて、自分は死にたかったんだ。
「そうだね。ノエルが怒るのもわかる」
……何が、わかってるんだ?
「カイアスが出て行ったら、何もかも話そうと思ってた。わたしにとって、カイアスもノエルも大事な人だから、どちらの思いも大事にしたい。だから、カイアスがいる間は黙ってたの。でも、私はノエルに隠し事をしたくなかった。ノエルは本当のことを知りたがるって思ったから」
ユールの声すら、遠い。
時を視れば……命が削られる。みんなは、知ってた。俺だけが、知らなかった……。
……それに、ユールだって……。
『もうカイアスの話はやめよう。楽しいことだけ考えよう』
もうカイアスはいない。二人だけでも、どうにか生きていくんだ。
そんな風に言ったけど、気分を切り替えられなくて、とりあえずまた明日と言って昨日は話を終えた。
だけど、一晩明けても、前向きな気持ちはなかなか取り戻せない。
……だって、そうだろ?
俺が違う行動を起こせば、未来が変わって、ユールが時を視る?
ふざけんな。勝手に俺を理由にするなよ。俺が知ろうが知るまいが、ユールはああやって時を詠んでたってことだろ。俺、何もしてないのに。
そこまで考えて、ふと、思考が立ち止まる。
……なんで?
少し前にこれを視たの、とユールは予言の書を見せてくれた。俺が知る前に、俺が違う行動を起こす前に、ユールは時を詠んでいた。
時を詠んでいた。なんで? ……未来が……変わるから……? でも、俺は行動してない。俺じゃないとしたら、別の要因があるから?
例えば、俺じゃない誰かが、行動を起こすから……?
……カイアスは何て言ってた? あの時は、わからなかった。思い出せ。
『私はヴァルハラに行く。愚かな女神を葬るために。女神を殺してユールを解放する』
ヴァルハラに行く? 歴史を、歪める? そうすると、どうなる? ……歴史が、変わる?
そしたら、ここにいるユールは?
「……やめろ、カイアス!」
気がついたら叫んで、家を飛び出してた。
「ユール! ユール、どこにいる?」
クリスタルの砂を思いきり蹴り上げて、走る。
家にもいない。ユールの行く場所なんて限られてる。ということは、時詠みの碑? なんで? また、未来を視てる? 駄目だ、視るな。
走っていくと、思った通りユールが見えた。予言の書の前。倒れてたりしなくて、まずは安堵する。……でも。
膝を折って横から覗き込むと、ユールの顔は見たことないくらい青ざめていて、苦しそうな表情をしていた。
「……ユール! おい、ユール!」
思わず肩を揺さぶると、ユールは力なく崩れる。ユールの背中を支えて、肩を手で支える。……すくむほどの、体温の低さ。
「ノエル……」
苦しそうな、辛そうな表情で、俺を見上げる。
「わかってたけど……さよならって、怖いね」
さよなら。
わかる。ユールが言いたいのは、今日明日のさよならじゃない。明日も、明後日も、その先も、もう二度と会えない。話して、笑って、怒ったりもできない。……そういう、さよなら。
ずっと、考えてた。ユールが先に死んで、俺が最後になったらって。でも、こんなに早く? 全然、考えてなかった。カイアスもいないし、二人しかいないけど、どうにか俺がユールを守って生きていかなきゃ、って思ってたのに。
ユールの右手を、握りしめる。その手からも、体温がなくなっていく。知ってる。体温がなくなったら……人は。
「もう少しだけ一緒にいられたら……」
なんで? なんで、こうなった?
嫌だ。昨日は怒ってごめん。さよならしたくない。置いていくなよ。怖い。死なないで。一緒に生きたい。たくさんの言葉が喉に詰まって、代わりに目から涙が溢れてくる。
「……泣かないで」
ユールは、涙を拭うように手を伸ばす。
「また、会えるから……」
苦しいはずなのに、微笑んで。その目を閉じたのと、手が地面に落ちたのは、同時だった。その小さな身体の体重が全て、俺の腕にかかる。そう思った瞬間、その身体が、光になったように消えていった。
その亡骸を抱き締めることも、できない。ユールの身体と共に、何もかもがなくなった。大切にしてた人達と、その人達と一緒に暮らす未来も、全部。
「っ、う……、うわあああああああああ」
(7) 覚悟って……何だ? へ
セラは、「ノエルが諦めるわけない」って言ってましたが……。色んな人が傷ついてるって知ったら? そして、夢の中はもうあの赤と黒が文章では表せないですが、すごく怖かったです。後半のユールとの会話は小説からですが、あれもまたノエル的にはきついんじゃないかと思ってしまいました……。
アリサ編Find Your Way (4)
(4) 何があっても後半あたりに対応しております。