(2)-3 俺がなりたかった姿 へ
新都アカデミア AF400年
漆黒のはずの空。でもその闇に向かって行くように、たくさんの鮮やかな光が上へ上へと伸びている。その間の空間をまた別の光が縦横無尽に駆けていて。その中を、人がたくさん歩いてる。こんな光景、今まで訪れた場所でも見たことがない。
「セラ、あの止まってる光は? あの空を動いてる光は?」
「止まってる光は、建物だよ。大きな大きな家を建てて、夜でもちゃんと見えるようにって人工の光をつけてるんだよ。こんなに高い建物、ノエルは見たことないと思うけど。あの中に人がいるんだよ。
空の光は、エアカーかな? 乗り物。チョコボみたいな生き物じゃなくて、機械化された、人工の乗り物だよ。空を飛んでるけど、あれもちゃんと人が入ってる。
アカデミアは、すごく機械化の進んだ都市なんだね」
「……機械……」
「人間が動かさなくても、勝手に動いてくれる。そういう便利なもの」
「へえ……すごいな。……こんな街、どうやって造ったんだ」
「長い年月をかけて造ったんだろうね。最初は小さくても、たくさんの人達が、力を合わせて、何十年か、もしかしたら何百年もかけて」
「未来を夢見て、積み重ねたのか」
ヤシャス山での、ホープの言葉を思い出す。穏やかだけど、意思の強い表情で……毅然と語ってくれた。
『直接その時代に行けなくても、方法はあります。"いま"の積み重ねが、未来でしょう? 数百年先にコクーンが落ちる可能性があっても、今から行動すれば、そんな未来を防げる』
『ノエルくんたちと僕が、それぞれ違う場所で、それぞれのやるべきことをやる、未来を変えるという同じ目的のために、役割分担するんです。仲間でしょう?』
きっとホープは、ホープのやり方で、未来を変えるために頑張ってくれたんだ。ホープが生きたのが過去だとしても、きっとその考えはこの時代にも受け継がれているはず。……この街がどんな風に動いてるのか、今のコクーンはどうなってるのか、話を聞いてみたい。
「……なあ、セラ」
「ん?」
「未来を創るには、何かを変えるしかないって思ってた。でも、何かを続けることで、実現するやり方もあるんだな。自分が生きてるうちに完成しなくても、次の時代の誰かが理想を受け継いでくれるって信じて、希望を捨てなかった」
「ホープくんのやり方だね」
……俺のやり方とは、違う。確かに俺の時代じゃ、積み重ねるとか受け継ぐなんていう時間の余裕、なかった。だけど、ホープはちゃんとホープのやり方で、望みをつないでくれた。
なあ、こうやって頑張っていくことで、ちょっとずつだって未来を変えていけるんだ。こんな風に、たくさんの人が生きて、幸せそうに歩いてる。そんな未来を作ることができるんだ。あんな風に、悲しそうに微笑まなくていい世界を作れるんだ。
……そう心の中で思うけど……空虚。それを伝えたい人達は、もういない。……もうきっと、未来にも。
「……一緒に見たかった」
「ユールと?」
頷く。……あんな、表情のない顔で"知らない"っていうユールじゃなくて、俺の知ってる、笑顔を向けてくれるユールと。こんなにたくさん仲間がいたんだって知れば、きっとまた、静かに笑ってくれる。喜んでくれるって……そう思うから。
「ノエルの、"特別"なんだね」
……特別か。なんでもしてやりたいって思ってた。寂しそうにじゃない、楽しそうに笑ってくれるなら。ユールを寂しくさせる原因を、全部なくしてやりたいと思ってた。カイアスまでいなくなって、笑顔が少なくなっても、絶対に守り切るんだって、思ってた。
「……なのに、守れなかった」
ユールは、予言の書の前で倒れて……抱き起こしたけど……寂しそうに笑うだけで。
「……ノエル」
ふうっと大きいため息をついて、一発、両頬を叩く。いつの間にか流れてた涙を拭う。……暗いけど、見られたかな。見られたよな。
「ごめん、感傷的になった」
「……ううん」
「なあセラ、ここのアカデミーに行ってみないか? ホープもアリサもいなくても、今のコクーンの様子とか、色々話が聞けると思う」
「うん、そうだね」
——そうやって人工の光の中を歩き出した時に、突然目の前に現れたのは。
目の前を歩く人達が黄色い光に包まれて、"人じゃない"姿に変わる、そんな場面。頭、手、足はあるけど、人間らしい顔は失っていて。手足も、妙な方向に折れ曲がっていて。身体が異様に大きい。奇妙、けど素早い歩き方で、俺たちを取り囲む。
「……シ骸?!」
セラが叫ぶ。……シ骸? ファルシに使命を与えられ、果たせなかったルシのなれの果て……? だけど、人から突然シ骸になることなんてあるのか?
「……誰がこんなことを」
「ノエル、危ない!」
目の前に迫ったシ骸に、サンダーが落ちてくる。バチバチ、という音と共に、シ骸が倒れていく。
「だって、シ骸だって……元は生きてる人なんだろ? ……殺したくない」
別のシ骸の腕が喉元に迫ってくるのを剣で防ぎながらも、攻撃の手が出ない。
「シ骸はもう、人の心を失ってるの! 何もしなかったら、私たちがやられちゃう……!」
「……ごめん。ここでやられるわけにはいかないよな!」
首を振る。そう、こんなところで死ねない。未来を変えるために、何でもするって決めただろ? ……迷うな!
だけど、目の前に現れたシ骸を倒しても、どこに行ってもまた人がシ骸に変わり、人を襲っていく。泣き叫び、逃げ惑う人々。
「早く、逃げるんだ!」
「どこに逃げればいいの?!どこが安全なの?!」
「……っ」
大通りは、シ骸と人がたくさんいて危険。建物の中なら安全か? いや、逃げ場が断たれる。狭い通路も、同じ理由で却下。だとしたら……どこに逃げろ、とも言えないのか?
『デミ・ファルシ=アダムはアカデミア市街を封鎖し、都市防御システムを発動しました』
そんな中、街に響き渡る声を聞いた。一切の感情のこもらない、冷淡な声。……ファルシ、って言ったのか、今? じゃあ、このたくさんのシ骸は、ファルシが? アカデミア全体が、こうなってる? 文字通り、逃げ場がないのか?
「嘘……どういうこと?!ファルシが復活して、人を支配しているの? だって、ファルシに支配されない世界を目指してたのに」
「でもこの時代には現実に、存在してる。そのファルシが、このアカデミアって都市を防御するために、人をシ骸に変えてる?」
「私たちのせいで……? だって、私たちの行くところにばかり、人がシ骸に変わってる……。私たちのせいで、こんなにたくさんの人が巻き込まれて? シ骸になって?」
「でも、なんで俺たちなんだ?!」
シ骸に襲われてる人を少しでも助けながら、先に進む。でも、倒しても倒しても、別の人間がシ骸に変わる姿を目にする。……こんなに戦い続けていてもきりがない。セラも、肩で息をしてる。雨で体温が奪われるし、長引かせると……不利だ。
もしこの騒ぎが本当に俺たちのせいで、ファルシか誰かがこの街を守ろうとしているのなら……絶対に、俺たちの戦いを全部見ているはずだ。最初から今まで全部。俺たちがいなくなるまで、この騒ぎを続けるつもりかもしれない。
でもなんで俺たちなんだ? そいつの狙いは、なんだ。それがわからなきゃ、これ以上どうすることもできない。
シ骸との戦いが途切れたところで、両手を上げる。
「……降参だ! 俺たちのこと、見てるんだろ? 無駄な抵抗はやめるから、顔ぐらい見せてくれ」
「えっ、ノエル?」
「いいから!」
雨音の中、周囲の気配を探る。聞こえてくる。雨音に混じり、近づく足音。シ骸じゃない。ゆっくりと振り返った先には……知ってる顔があった。
「カイアス? ……あんたが?」
こんなところでまで、会うとは思わなかった。ヲルバ郷以来……か? だとしたら、ユールも一緒? こんなところで何を? ……と、質問はたくさん出てくるけど。こんな状況で現れたなら、聞くまでもないのか? あんたがこのシ骸発生に絡んでる……?
「降伏と見せかけて、時間稼ぎか。素人じみた、安易な策だな」
「全くだ。あんたがわざわざ始末する価値もないだろ?」
「だから見逃せと? 否、君たちは敵。"時の矛盾"そのものだ。消えてもらわなければならない。200年前、君たちは封印された歴史を知り、あの塔で葬られた。だが、再び私の前に姿を現した。これがパラドクスでなくて何だというのだ?」
「俺たちが……パラドクス?」
200年前、俺たちが死んだ? カイアスの前で? なのにここにいる? それをこのカイアスが、パラドクスだと言っている?
「塔とか、封印された歴史とか……何のこと? もしかして、これから起きることなの?」
「あり得る。俺たちはこれから200年前に行って、カイアスに会うのかも。殺されるつもりはないけどな」
だけど、妙だ。言葉とは裏腹に、あの時ヲルバ郷で感じたような鋭い殺気を……このカイアスからは感じない。
あの時のカイアスは、ユールを通じて俺たちを知っていた。最初から、俺たちに制裁を加えるつもりで近づいてきて、その視線は、強い殺意に満ちていた。でも目の前のカイアスは、まだどこか俺たちを疑うような、確認するような、そういう視線。
「間違いなく、同一個体。歪みが生んだ逆説か」
「……あんたらしくないな。俺たちが邪魔なら、どうして、自分で手を下さない? 無関係の人をシ骸に変える必要なんてないはずだ! 巻き込むな!」
「犠牲が大きければ、罪の重さを実感できる。だから、あれの力を借りた」
空中にそびえ立つ、大きな物体。あれが、ファルシ?
「そんなことのために……?!」
カイアスが拳に念じると、また新しいシ骸が現れる。カイアスは、俺たちに背中を向ける。
「カイアス! 逃げるな!」
『コンディション《オメガ》。時空全体に対する危機と認定。アカデミアの全市民を抹消します』
また、"機械"の声が辺りに響く。
「皆殺しだと……? どうしてそうなる。理解できない!」
「コクーンのファルシも、そうだった。必要なら、平気で人を犠牲にしたんだ。私やお姉ちゃんや多くの人をルシにして、使命を果たさなければシ骸にした」
「頑張って生きてる命を、なんでこんな風に奪える?
ホープとアリサが、いや二人だけじゃない、生きてる人たちが築き上げたものを、なんでこんな風に一瞬で壊せる?
なあ、やめろ! やめてくれ!」
呼びかけると、カイアスが宙から姿を現す。
「命を奪い、築き上げたものを壊すのは、君たちの方だ。君たちの存在が時を歪め、犠牲を招くのだ」
「どうしても俺たちが、パラドクスってことにしたいのか……?」
「そう、この惨劇を止めるには、君たちが消える他ない」
「パラドクスはあんたたちだ! ホープは、こんなものを造りたかったんじゃない。造りたかったのは、人がシ骸にさせられる世界じゃない……人が生きてて、平和に暮らしてて、そういう世界なんだ!」
「平和だろう? 時空を歪ませる異分子を取り除いてやるのだ」
「それはあんたたちの論理だ!」
「君たちの主張も同様、君たちだけの論理に従っているだけ。いずれにせよ、君たちがここで負ければパラドクスは解消され、この時空の平穏は保たれる」
「俺たちが勝てば、消えるのはあんたたちだ。どっちがパラドクスなのか、わからせてやる!」
「君たちにはできまい」
だけど、直接は戦わない。また、人をシ骸に変えて、自分は去っていく。
「人を巻き込むな、カイアス! ……あいつ……絶対つかまえて、全部吐かせてやる!」
「ノエル、待って!」
セラの声に、一旦立ち止まる。また、人がシ骸に襲われてる。シ骸、シ骸、シ骸。
「助けて……!」
「みんな、死ぬのよ!」
シ骸から逃げ惑う人が、頭を抱えながら叫ぶのが目に入る。
「死なない! 俺が助ける! だから、みんな生きるんだ!」
「どうやって?!こんなにシ骸がたくさんいて? ファルシも助けてくれなくて?!」
「違う! 諦めるな!」
「無理よ! みんな、ここで死ぬの!」
その言葉に、俺の世界が思い浮かぶ。みんなが生きることを、諦めて。
どうして? 俺の世界とは違って、ここは死への不安から無縁の世界になってるはずだった。生きることの希望を持ってるはずだった。ホープがそうしてるはずだった。でもそれは見せかけだけだった? ここはファルシが支配していて、穏やかな生活のすぐ隣に、死への恐怖が存在していて……? そしてそこには、カイアスもいて? 人を死の淵に追いやろうとしている……?
「くそっ……逃げるなカイアス! 出てきて戦え!」
「ノエル、熱くなりすぎだよ」
「なんでだよ! こんなの、黙って見てられるか! カイアスが関わってるなら、俺があいつを止めてやる!」
「わかる、わかるよ! だけど、カイアスと戦うのが今は正解じゃないかもしれない。さっきの声、聞いたでしょ? 私たちを止めるためなら、市民全員巻き添えにしてもいいと考えてる。このままじゃ、もっと多くの人が巻き込まれちゃう。
ね、ノエル、ゲートを探そう? 200年前に行こう? 過去で私たちが封印された歴史を知ったせいで、敵だと思ってる。それがここのパラドクスの原因かもしれない。どこかの塔、としかまだわからないけど、絶対行けるよ。ね、そこでパラドクスを解く鍵を探そう? もしそこが駄目でも、また戻ってきてからでも遅くないから」
「……くそっ!」
剣を叩き付ける。ギン、という鋭い音だけが響く。
「ありがと。……セラの言う通り。ゲート、探そう」
シ骸との戦いをできる限り避けながら、ゲートを探す。
……でも、カイアスがいるならユールはどうしているんだ? どこかにいるんだろ? ユールのそばにいなくて、あいつ何やってんだよ!
そんなことを思いながら雨の中を走っていた時……見えたんだ。ユールが、手を広げて、複数の空を飛ぶシ骸の真ん中にいるのが。シ骸の急降下を受けて、転んで。
「ユール?!やめろ!」
夢中で、駆け出していた。
「……大丈夫か?」
シ骸を倒して、ユールに駆け寄る。……俺を見て、不思議そうな顔をして、何かを言うことなんてない。わかってる。言ったとしても、あなたのユールじゃない、とでも言うんだろ? でも、それでもいい。無事でいてくれるなら。
——そう思った刹那、"何か"が、ユールの身体が貫いた。
「ユール!」
セラの声が、遠くに響く。全部倒したと思ってたのに、今までとは桁違いに大きいシ骸が建物の上に潜んでいて。ユールの身体はそいつの触手で空高く持ち上げられ、そして放り投げられた。地面に叩き付けられる、ユール。起き上がる様子もなくて。
それからはもう、考えることなんてない。力任せに、そのシ骸に向けて持てる力と魔力をぶつけた。
……走る。ユールを抱き起こす。雨に濡れて、冷たい。力がない。……まだ息はしてる。だけど、すごく浅い。
「……なんで」
「死が……"視えた"の。私が生きたら、時が矛盾する」
「だからって!」
ずっと聞き慣れた、聞きたかった声で……だけど今はもう掠れて、雨に消え入りそうな程、弱々しい。
俺を知らないユール。だけどどこまでも、時詠みの巫女"ユール"で。こんな時にまで、時詠みの掟に従おうとする。……俺の知ってるユールと、同じ。
「私たちのせいだ。カイアスって人が言った通りなんだ。私たちがパラドクスを起こしたせいで、代わりにユールが……」
「セラ、違う! 俺たちは……」
「カイアス……彼は、ここにいない」
「この街にいないっていうの?」
カイアスが……いない? だったら、今まで目にしていたカイアスは? じゃあ、本当のカイアスは?
そう思った時、ユールが苦しそうに呻く。
「ユール、しっかりしろ!」
嫌だ。こんな姿、見ていたくない。俺は、何もできない? また、守れない? こうやって、苦しそうなユールを見ていることしか……あの時だって、俺は……
「わたしは、あなたのユールじゃない……」
また、そんな風に言う。だけど次に聞いたのは、よく耳にした、だけど一番聞きたくなかった言葉。
「でも………ありがとう」
その言葉だけ残して、……ユールの身体から意思が抜けていった。腕にかかる、ユールの重み。だけど。
「……ありがとうなんて……言うなよ」
だって……いなくなるんだぞ? 俺、また守れなかったんだぞ?
いつもいつも、なんで。どうして。ありがとうなんて言って、ここまで全て、受け入れるのか。
時詠みの掟があるから? だけど、苦しそうな顔してまで受け入れることないはずなんだ。辛ければ、受け入れなきゃいい。嬉しいことだけ、受け入れていればいい。……それじゃ駄目なのか?
どうすれば苦しまずに済んだ? どうすれば、笑顔でいてくれた? もしかして、いつもいつも生まれ変わる度に、こんな風に苦しんでた? 今まで会ったユールも? 最期の時に居合わせなかっただけで……もしかしてみんなこんな風に、死んでいった? そんなのって……ないだろ。
わからない。涙だけが溢れて、止まらない。
ユールのいた場所から程なく、ゲートは見つかった。きっと、200年前へのゲート。真実を突き止めて、パラドクスが解消されるって……今はそう信じるしかない。
「ノエル……その」
下手したら聞き逃していたかもしれない程の小さな、セラの呼びかけ。
「……どうした?」
「何て言ったらいいか……。だって、その……ユールって、ノエルの特別な人だったんだよね? ノエルが、心配」
遠慮がちに。だけど、まっすぐにかけられる言葉。
「……ユールには、視えていたんだ。自分が今日ここで死ぬってことが、ずっと前からわかってた」
「わかっていたのに、避けないなんて……」
「時詠みの掟。己の身を守るために、時を変えてはならない。それは、たくさんの人に、より悪い運命をもたらす」
そう、聞かされてきた。……だけど。
「だけど……自分が死ぬくらいなら、ユールも掟なんて関係なく生きればよかったのにな……」
「……ノエル」
「どっちにしろ過去に行って……真実を突き止めるしかない。こんなパラドクス、解消するんだ。ホープが本当に造りたかったものはこんな世界のはずじゃない。パラドクスが解消すれば、さっきここで死んだユールだって救われる。……そう思うしかない」
「そうだよね。ユールだって、オーパーツを残してくれたんだもんね……」
心配そうに見つめるセラの顔を見てると、しっかりしないとな、という気持ちになる。頭をぽん、と叩く。
「……そういうこと。大丈夫だよ、セラ。ありがと。心配かけてごめん」
「……うん」
アガスティアタワー AF200年
そう。そうやってユールはありがとうなんて言って、すべてを受け入れていた。
いつも寂しそうなのに、受け入れて。
あるものに感謝する、それは、すごくいいことだと思うけど。
現状を変えることは、よしとしなかった。
仲間を探しに行こうって言っても、ありがとう。人が減って寂しいだろって言っても、そんなことないよ。
今回だって、自分が死ぬってのに、ありがとう……って。
俺が言うことなんて、聞いてくれた試しがない。
どれだけ近づいても、最後に頼るのはカイアスで。カイアスが言うから……って。
カイアスは、誰よりも強くて、誰よりも巫女の近くにいて、巫女を守る、特別な存在。
ユール以外にはふてぶてしい表情を見せても、ユールにはどこまでも優しくて。悔しいけど。……だから。
「……アカデミアで会ったカイアスは、何かが違う。本人とは思えないんだ」
AF200年のアガスティアタワーの一室。さっきまでいたAF400年のアカデミアでの俺たちの映像がなぜか映し出されるのを見ながら、考えたことを言ったのに……そう? とセラ。意外とでも言いたそうな声。
「……何?」
「意外だなぁって。さっきはあんなに、逃げるなカイアス! 出てきて戦え! なんて、熱くなってたのに?」
「あ、あれは! ……しょうがないだろ? 違和感はあったけど、あんな場面見せられたら嫌でもああなる」
そう反論すると、セラも頷いた。
「……そうだよね。ホープくんのアカデミアが、ファルシに支配されて……人がシ骸にされて。私だって、許せない。ファルシはああやって自分たちのために、人の生活とか、幸せとか、命とか、簡単に奪っていくの。今回は、ユールの命だって……」
早く真実を突き止めてパラドクス解消しないとね、と言われれば、こっちも強く頷くしかない。そう、そのために俺たちはこのアガスティアタワーにいる。ここが恐らく、アカデミアでカイアスが言っていた”200年前のあの塔”ってやつだ。
アガスティアタワーは、"アカデミーによって建設された情報拠点であり、タワー全体が演算能力を持つ巨大な人工知能"……らしい。何のことだかよくわからないけど、とにかくそれが勝手に色々判断してくれるってこと。
ここでまずわかったことは、アカデミアにいたデミ・ファルシ=アダムとやらは、コクーンを浮かべるためにホープが造ったって話だった。……ホープ、いくらコクーンを救うためだからって、ファルシまで機械化したのか? しかも乗っ取られてあんな風に使われてるんじゃ駄目じゃないか? と思ったのは、さすがに口にしなかった。まあセラだってそう思ったかもしれないけどさ。今更そんなことを言っても仕方ないし、後は俺たちが軌道修正すればいいだけの話。
「……でもそうやって熱くなって飛び出しちゃうところ、やっぱりノエルってお姉ちゃんとスノウに似てるんだから」
冗談めかしたように言うセラ。……それは、聞き捨てならない。
「微妙。ライトニングならいいけど、スノウとは一緒にするな。俺は現実見てるって言っただろ?」
「誉めてるんだよ?」
「誉めてても。誰かと一緒とか、そういう言われ方は嫌だ。不本意」
「……ふーん。自分ばっかり、そんな風に言うんだ。ふぅーん」
急にセラが、拗ねたような声を出す。
「……何?」
「私だって、ノエルに言われたくないことたくさん言われてるのに」
「えっ?」
……何だっけ。一気に汗が出る。
「呑気すぎて何も考えてない、とか。人の後ろに隠れて何もしないで遊んでろよ、とか」
「そ、そこまで言ってないだろ!」
思い当たること、なくはない。スノウのことでケンカしたときのこと言ってるんだよな? だけど、全然違う。ものすごく違う。
「言ったよ。私にとっては同じ意味。すごーく、傷ついた。私なりに頑張ってるつもりだったんだけどね。ノエルって私のこと、そんな風に思ってたんだって。人の気も知らないでって」
「違う! あれはその……なんだ」
色々言葉を考える。だけど、拗ねた中に一瞬本気で悲しそうな表情を見せられると……何の言い訳もできない。
「……ごめんって、セラ。反省してる。勢いで出たけど……本当はそんな風になんて、全然思ってない」
「本当に?」
「本当。もう絶対、言わない」
学習。確かにあの時ノエルのバカって言われたけど、セラにとってそれ程の重みのある言葉だとは思ってなかった。同じ失敗はしちゃいけない。俺がどう思っていようと、セラは違う風に受け取ることもある。
「……ありがと。ごめんね、わかってたんだけどね。ノエルは真剣に考えてくれたから、そう言ったんだって」
「でも……嫌だったんだろ?」
「私もノエルの嫌がること言っちゃったしね。これでおあいこ。私もごめんね、一緒だなんて言って」
「え、ああ」
さっきの話か。正直、今の話が衝撃すぎて忘れかけてた。
「ちゃんと、ノエルはノエルとして見てるよ」
「……なら、いいよ。俺も」
頭を掻く。まあ、熱くなったのも飛び出したのも、その通りだったんだけどさ。
「……全く、話が逸れただろ?」
「ごめんごめん。それで? なんで、アカデミアのカイアスが本人じゃないって思うの?」
そう、カイアスの話。ようやく戻る。
「ヲルバ郷でも言ってたかもしれないけど……一緒に暮らしてたんだ。俺もあいつも、守護者ーー巫女を守る戦士だった。俺は駆け出しだったけどな。俺は、あいつに勝って誓約者になるんだって思ってた。でも……あいつは、ユールと俺を残して、勝手に出て行ったんだ。俺は、ユールを守れなくて……」
そう、カイアスと違って、俺には力が足りなかった。
「たった一人になった時、ゲートが現れた。気付いたらヴァルハラだった。その先はセラも知ってる通り」
「そっか。そこで会ったんだよね、お姉ちゃんと、カイアスに」
落ち着いたセラの声を聞いていると、言葉が出てくるような気がした。
「うん。どれも、俺の知ってるカイアスには見えないけどさ。ヴァルハラ、ヲルバ郷、アカデミア。どうして行く先々でカイアスと会うのか、よくわからない……」
……そして、予言の書に映っていたあいつの横には、落ちていくコクーンの姿があった。
なあ、カイアス。あんたじゃないよな? コクーン墜落も、アカデミアのシ骸だって。あんたはあんな卑怯なことしない。ユールに見せてたような優しさを持ってる人で。
「でも少なくとも、あんな風にユールを死なせるなんて……巫女を犠牲にするなんて、ありえない。あいつは、ユールが傷つくような真似は、絶対にしない。あいつがいれば、ちゃんとユールを助けに来てるはずだ」
「ノエルがそう言うなら、アカデミアのシ骸発生に関わってるのは……カイアスじゃないんだろうね」
妙な自信、と思うけど、それだけは断言できる。
「……突き止めないとね。アカデミアの事件も、この塔に起こった真実も。ここへ導いてくれた、ユールのためにも」
「ああ」
あんな風に、ユールが寂しそうに微笑みながら死ぬのをもう見たくないから。だって、あの時も。
………あれ? あの時って……なんだ?
あの時のユールは、どんな風に……。
「おかしい……まただ」
「どうしたの?」
「思い出せない。思い出せなくなってる。カイアスが出てった後、ユールが、どんな風に死んだか。最期の寂しそうな顔は、覚えてるのに……」
戦争も、コクーン墜落の原因も……確実だと思ってたものさえ、不確実になっていく。
それだけじゃない。身近な記憶も、曖昧になっていく? あの村のことも? ……ユール、も?
……俺は、ここにいるんだよな。ちゃんと俺の記憶、確かだよな。
その内、すべてを忘れてしまうことが、あるのか? その時俺には何が残ってる……?
「ノエル……大丈夫だから」
「……え」
「ここにいるよ、ノエルも私も。ちゃんとここにいる」
セラが穏やかな表情で、両手で俺の手を取って、握ってくれる。ビルジ遺跡でそうしてくれたのと、同じ。
「……そうだよな」
こうしていると、あの時と同じように、不安が和らいでいくような気がする。落ち着く……だけど。
「……?」
落ち着くのに、違うって思う。同じはずなのに違う。あの時は、その温度が落ち着いて。今も嬉しいし、ありがとうって思うのに、違和感。
……何?
「あの……セラ、ありがと」
そう言って、手を離してしまう。ノエル? って呼びかけを聞いた気もしたけど。心配してくれるのも、わかる。でも、先を急ごう、って返してしまう。
そう今は、ユールの記憶が思い出せないことも、セラに感じた違和感のことも、考えてる暇はないんだ。このアガスティアタワーでカイアスが歩いている姿が目に入ったんだ。早く追いかけて真の歴史ってやつを吐き出させないと。早くパラドクスを解消して、あのシ骸に溢れたアカデミアを元の姿に戻さないといけない。
そう思いながら、途中で出会ったアリサ、といってもデュプリケートに話しかける。
「アリサ。ここで外の人間を見なかったか? 名前はカイアスって言うんだけど」
デュプリケートなんてよくわからないけど、人工的に本人に似せて造った生命、機械、そう思えばいいみたいだ。アカデミーは都市もファルシも機械化したばかりじゃなくて、人まで機械化しようとしたのか? 正直その感覚は俺の理解を超えるけど、まあこの際そんなことを言っていても始まらない。オリジナルのアリサ・ザイデルをモデルに造られました……と言ったから、性格まで本音全開のアリサだったらセラもいるしどうしようと思ったけど、そこは杞憂。アリサらしさも元気も覇気も見られないけど、落ち着いた話し方。まずは安心。
「ええ、先ほど最上階に向かいました。緑の瞳の少女と一緒に」
「ユールも? どうしてここに?」
この時代のユールは生きてるんだな。あの二人が一緒にいるのを見るのは、AF200年のヲルバ郷以来か。あの時のカイアスは明らかに、俺たちに"制裁"を加えようとしていた。でも、必要ないと言って止めたのはユールだった。あの時は冷静に考える余裕なんてなかったけど、あの時のユールは何をしようとしていた? そして、このアガスティアタワーにいるユールは何を目的にしている? ……答えが出ない。これも不明、要確認か。
そんな風にあれこれ考えてると、ふいにセラが言う。「ユールって……かわいいよね。緑の瞳が神秘的」
ユールって、かわいい……? ……ん、そんな話? ま、いいか。
ユールってかわいい……。ユールってかわいい、か。そりゃそうだ、言うまでもない。緑の瞳が印象的だなんてセラもいいところ見てると思う。あの長いさらさらの銀髪だって女性たちの憧れだったし、まっすぐに伸びた眉毛だって芯の強さがあっていいし、それを付け加えてくれればもう言うことは皆無に近い。だけど敢えて言うとすれば、ユールのかわいさってもっと違うところにもあって。そう、例えば……
……うん、そうだ。俺の記憶、なくなってない。ぼんやりとしてるけど、まだ、ちゃんと残ってるって思う。消えてなんかない。
『……ユール。何してるんだ? ……』
『……チョコボ。雛が孵らないかなって思って見てるの……』
雛が孵った時には、控えめな笑顔で喜んで。雛の成長を、慈しむように見守っていた。結局雛はすぐに死んで……その時には、静かに涙を流していたっけ。
あんな殺伐とした時代でも、慌てず、騒がず、一人泰然としていて。その態度に、みんな安心した。みんながユールの笑顔が見たくて。それが気休めであったとしても、みんな嬉しくて……。時詠みの巫女が落ち着いているから、大丈夫だって。
結局ユールは時詠みを人に聞かせることはなかった。それで一部の村の人が騒いだって、結局それで何が変わるわけじゃない。みんな変わらず、ユールを喜ばせたかった。俺も、もっと笑ってほしくて。仲間を見つけてやりたくて。だけどユールはこれでいいんだって、ずっと言って。
『……寂しくなんてないよ。ノエルとカイアスがいてくれるから……』
『……なら、いいけど……』
『……みんないなくなったし、チョコボの雛ももう生まれないけど。わたし、ちゃんと生きている、って思う。ちゃんと生きていて、ノエルとカイアスと話して。そういう時間を過ごせているってことが、大事だと思う……』
静かだけど確かにそう言って、ユールは笑ってくれた……。
そういうところは、俺にとってはもどかしくもあり、だけど……良いところだったんだよな。うん、覚えてる。
「ユールは自分から話すタイプじゃないから、セラもアリサも、まだわからないかもしれないけど。
ユールって一見クールなんだけどさ。笑うとこれが可愛いんだ。見た目つんとしてるかもしれないけど、笑うとふわっとして。人が少なくなって、みんな落ち込んでたけど、ユールが時々見せる笑顔を見れば、誰だって癒されてたんだ。生きてることに感謝しようって、思えていたんだ。いつも健気で、ユールの周りだけ違う世界みたいで! セラもアリサも、そういうところ一度見ればわかるさ。俺なんかもう……思い出すだけで胸が……」
なんだろう。胸が……高鳴る? いや、少し違うような。温かくなる? 優しくなる? どう表現したものかな……と迷ったところで、セラとデュプリケート・アリサの、濃淡のない視線に気付く。……あれ。こんな頑張って伝えようとしたのに、先走った?
「ノエル? 何の話?」
「えっ、セラが……」言い出したんだよな? ユールがかわいいってさ。だから俺言ったんだけど……って、セラの冷静な水色の瞳を見ていれば、最後まで言葉を続けられない。……え、違う? 何か間違えた?
「……その、あれだよ……」
駄目だ、話を戻した方が賢明。ええと……その前は何の話だっけ。まずい。上の空すぎた。反省。
「……そう、カイアスとユールが、なんでここにいたのかって話だよ! な!」
うん、間違いない。セーフ。
「そんな話してたかしら? ねえ?」
あれ?
「ううん、してないよね、アリサ」
「えっ、嘘……」
「聞いてもないのにノロケる男って、最悪ですよね」
「違っ! 単に俺は……」
「うんうん。私そんな話、聞きたくなかった」
「えっ、セラ……」
待て、なんでこうなってる?
「女の子って、他の女の子を誉められたって嬉しくないもんですよ。女心、わかってないですね?」
「いや、そんなこと……」ない、と、この二人を前にしたら断言できそうにない。
「ノエル、女心わかってないクポ〜!」
だけど。
「……モグ、少なくともお前は女の子じゃないだろ?」
「ノエルの前ではいつでも女の子クポよ♡」
「……黙れ。しなを作るな、ブタネコ」
「モーグリに八つ当たりするなんて、男として最低だと思いませんか?」
「うん、駄目だよね」
「そうクポよ! 最低クポよ〜!」
ちょっと待て。お前ら、仲悪かったよな? セラ、アリサのこと警戒してたよな? アリサなんて、根本的に気が合わないとか、嫌いなのとか言ってたよな? デュプリケートだからって許されるのか? 何なんだ、こういう時の女の子(+α)の連帯感って。いや、そんなこと口が裂けても言えないけど。
「……何だよ! どうすればいいんだよ!」
「適当にいいこと言っておけばいいじゃないですか、私みたいに」
「適当にって……思ってもないこと言いたいわけじゃないし!」
「下手ですねえ。思ってないことを言えなんて一言も言ってないじゃないですか? 思ったことに少しの飾りをつけて言ってあげれば十分なんですよ」
「そんなもん、どうやるんだよ!」
「知りたいですか? 教えてほしいですか?」
「あ、ああ。そこまで言うなら正解、ちゃんと教えてくれ」
「仕方ないですねぇ、いいですよ。でも言っただけじゃわからないでしょうから、実地訓練ってやつで、まずはやり直させてあげます。ほら」
「えっ?」
そう言って、デュプリケート・アリサがセラを俺の目の前に立たせる。戸惑うセラ。そうして、俺の顔を見て言葉を続ける。
「はい、目をじっと……見つめてみて?」
「え……」
「何か言うことありますよね?」
「え、何か……って?」
勢いで教えてくれと言ってはみたものの、戸惑って、デュプリケート・アリサに目を向けてみる。でも、俺の訴えは無視。デュプリケートに油断して、自ら逃げ場がないところに入り込んだ気分。ハンター失格。
「こう、顔を見つめて、心の中からわき上がってくるものがありますよね? そこに言葉をくっつけて口にするんですよ」
「顔を見つめて……? 言葉をくっつけて……?」
「そうそう」
何だそれ。完全に不得意分野。聞くだけで混乱。
考え方を変えればいいのか? アリサの言う通り、これは実地訓練。よりよい自分になるため。気付かないうちに失言してセラを悲しませるんじゃなくて、思っていることを思っている意図でちゃんと伝えられるようになるための演習。そう、稽古、訓練、演習! いつもと同じ。よし、来い!
……
思い切って、セラの顔を真っ正面から見る。セラが、戸惑いながらも、その大きな瞳でじっと見つめてくる。……瞬きできない。
頭が、真っ白。息が、苦しい。顔が、熱い。
どうした俺。え、と。 何、 か。 頑張れ、俺。
その服どう考えても目の毒……じゃなくて、刺激的……でもなくて、怪我したら痛そうだから。いや違う違う。そんなことしか思いつかないのか俺。そうじゃないだろ?
いやちょっと駄目だ。落ち着け。目を閉じよう。深呼吸。よし、こっちなら何とか考えられそうだ。
イメージするんだ。なんだろう。えっと………わき上がるもの、思い浮かぶもの。……何?
少しすると落ち着いて、頭の中に、色が広がっていく。透明感のある……青。
「うーん……青い……」
「えっ、青い?」
「セラの髪は、ピンククポよ」
「そうだけどそうじゃなくて……」
小さく、揺れてる。……波打つ。
「……海」
「海?」
波に浮かんでた。俺の世界にはなかった。風も、音も、声も、気持ちよくて。たまには、水が顔にかかって、塩っぱかったけど。
「うん……ネオ・ボーダムの海」
「話、飛んでませんよね?」
「飛んでない」
浮かんでる時。ふわふわしてた。一見、心もとない。だけど、ちゃんと支えてくれて。全身の力、預けられた。心地いい。大きな力に、包み込まれた。
「セラって……ネオ・ボーダムの海みたい」
「って……」
「例えじゃわからないですよ。もっと具体的に! つまり、どういうことですか?」
「つ、つまり? えっと……」
えっと……セラって……
温かい。落ち着く。
信じてくれる。存在を受け入れてもらえる。俺、一人じゃないんだって……物理的にも、精神的にも。
たまには、冗談めいたことだって言うし、考え方が違うってぶつかることもあるけど。
でもそれもひっくるめて、俺っていう存在が、ここにいても大丈夫、って思わせてくれる。
あの世界でだって感じたことなかった、感覚。
……ユールにも?
えっ。そう言われると……どうなんだ? でも、違うだろうな。
同じ守らなきゃいけない存在。だけど、ユールの守るとは、ちょっと違う……何がって言われると、難しいけど。
一緒にいて、落ち着く。一緒に歩いてて、嬉しい。同じ方向を向いて歩いていながらも、違うときは違うって言ってくれる。それが、何よりも心強くて、安心できて。
「……つまり……」
「つまり?」
他の誰かと一緒、じゃ嫌で。
もっと、知りたい。知ってほしい。近づきたい。近づいてほしい。手に触れるだけじゃなくて、もっと、触れたい。もっと触れて……
って。……あ、あれ?
どうした、俺。却下。出過ぎた欲求。
え? 欲求?
触れたいって、認める? そういうこと? どういうこと? 煩悩? 違うそんなんじゃない。じゃあ何? もっと純粋に、精神的に……いや待て待て。え、ユール? え、セラ? ……いや、何だ。え。意味不明。
「却下却下!」
「な、何?」
「何でもない!」
もっと違うこと。何かあるだろ? アリサの言う通り、適当に。
いや、思ってもないこと言いたいわけじゃない。じゃあ、何て言うんだ? 言えないだろ?
いやもう何でもいいんだ。何か何かなにか
「……む」
「む?」
「……やっぱ、無理!」
目を逸らして、その場で、腰を落としてしまう。
「あれ、これだけ時間かけて、それだけですか?」
「いや、あのな……」
「それだけクポ~?」
「うるさい!」
「ノエルはやっぱり、私には何も言ってくれないんだ〜」
「そうじゃない! そうじゃないんだけど……」
「ほんと、女心がわかってないですね〜」
俺……悪者?
「………で! アリサ! 正解は?」
「何のことですか?」
「えっ、いや、だって、教えてくれるって言ったよな?」
「ああ、もしかして。ふふ、あんな言葉に騙されたんですか? ほんと、お人好しさんですねえ」
あくまで表情はいつも通り。なのに……いや、だからこそ、毒々しい。
「もちろん嘘です。そんなの私が教えるわけないじゃないですか? 世の中正解なんて存在しないんですから。わかってますよね? この程度のこと、せいぜい自分で考えてください」
「……アリサ。あんた、本当にデュプリケート……なのか?」
「ええもちろん。苦情があるならオリジナルに言ってください。私、ただのデュプリケートですから」
「……」
「ノエル、修行が必要クポね~」
「……早く、行くぞ! カイアスを探しに! っていうか、こんな話してる場合じゃないし!」
後ろから、くすくすとした笑い声が聞こえてくる。……なんでこうなった。女って……何? セラには大体、今度から隠しごとしないで、いろんなことを何でも共有しよう思ったのに。もしかして、ここまで言っちゃいけなかったのか? 女の子との距離感って、難しすぎ。それにデュプリケートがあんなことするなんて思わなかった。心を贈ったのは人間だけ……そうじゃなかったか? なあ、女神。
いやそんなことはこの際どうでもよくて。
……何だ、今の。しっかりしろ。俺の目標は何だ? 思い出せ。みんなが生きてる世界。そして、セラが幸せになること。
だけど、みんなが生きてる世界になったからって、俺がセラを幸せにするわけじゃないんだ。戻ってきたライトニングやスノウと幸せになる。この前も同じこと考えただろ?
うん、そういうこと。やめやめ。しつこいな、思考停止! 命令。今そんなこと言ってる場合じゃない!
そう、本当に、そんな場合じゃない。
アリサに案内されて、乗り込んだエレベータ。床も動くんだなと感心していた矢先、それは起こった。
壁に映った映像。予言の書じゃない、これはパラドクスが見せてる映像。だから……きっと、未来じゃなくて、起こった過去。
……ホープの声。ホープが何かを指示して、アカデミーの研究員がその場を立ち去ろうとする。突然、声を上げて倒れ込む研究員。アリサの悲鳴。ホープとアリサの姿が映る。二人の前には何体もの機械が現れて。ホープの叫び声。そして、映像が途切れる。
「何だ、今のは!」思わず、声を上げる。
「……パラドクス現象ですね。187年前に、この場所で発生した事件が見えたんです」
こんな映像が現れても、デュプリケート・アリサは世間話でもするかのような口調で。
「今の、今の続きは?!だって、機械に襲われてたんだぞ!」
「この映像の続きはないみたいですね。でも、十分でしょう? 映像が終わったのと同様、彼らの命も終わりました」
一瞬、息が止まる。
「……ちょっと、待って。本物のアリサやホープくんたちは、殺された……?!」
「ええ。タワー完成の直後でした。デミ・ファルシ建造計画に関して、人工知能と人間が対立したの」
「……対立? 何を巡って? 邪魔だから、殺された? 人工知能に? ……そんなこと、あっていいわけないだろ!」
「私は、勝敗の事実を言ってるまでですよ。善悪なんて関係ありません」
「そんなわけあるか! 人が死んでるんだぞ?!他人事みたいに言うけどさ、あんたのオリジナルだっていたんだぞ?!」
「そういえば、そうですね。もう殺されてしまったなら、私に対する苦情も言ってもらうこともできませんね」
あくまで淡々とした表情のままのデュプリケート・アリサ。
「……理解、不能」
「ええ、理解する必要はありません。あなたたちが見たのは、封印された歴史。……知りすぎた者は葬られるの。あなたたちに、死んだ人間を心配する暇なんてありませんよ」
デュプリケート・アリサはそう言い残すと、青白い光と共に姿を消した。エレベーターは、ようやく停止する。
時を隔てても、目的は一緒ですね、って言ってくれたのに。一緒に未来を変える、って言ってくれてたのに。AF200年なんてさすがにホープはもう生きてはない、って最初から思ってたけど、……天寿を全うしたと聞くのと殺されたって聞くのとじゃ……全く違う。
「ホープくんが、殺された……? どうして……? アカデミーは、人工知能に乗っ取られた……? あの街ももう、人工知能に支配されてた? ……あのシ骸も? ……私たち、これから殺されるの?」
呆然と、でも言葉を並べて目の前のことを理解しようとするかのように、セラが呟く。
「なんで、どうして……? どこかで、間違えたの……? どうしてこうなっちゃってるの……」
……何のいい答えもできそうにない。俺たちを責めたいわけでも、他の誰かを責めたいわけじゃない。でも、俺の中にも、やり場のない気持ちが膨らんでいく。
「……アカデミーは人工知能を作った。でもその人工知能が、反対する人間を消して……デミ・ファルシ建造計画を推し進めた。で、あのデミ・ファルシと、それに支配されたアカデミアができた。逆らう人間は抹殺。街を乱す人間も排除。そのためなら人間を全てシ骸にしても構わない。……人の命と幸せを、奪っても」
身体の底から、深いため息が出る。
「人工だとか機械だとかさ、何なんだ? そもそも何のための機械化なんだ……? 知能も機械、街も機械、ファルシも機械、人間も機械。そこまでして、何になるんだ。コクーンの墜落を防いで、人間が生きて、幸せになるためじゃなかったのか……? 人間を殺して、どうするんだよ……。今回のことだけじゃない。アトラスだってそうだろ? なんで人間て、自分の作ったもので自滅しようとするんだ。……別にさ、何かを責めたいわけじゃないんだ。だけど、意味がわからない。俺の感覚だと、わからない。
俺が目指したかったのは、みんなが生きてる未来。だけど……みんなが生きてるからって必ずしも幸せなわけじゃないんだって、理解してたはずだけど……今回、再認識した。一歩間違えれば、生きてるのにこんなに悲しい世界もあるんだって。生きてればいいわけじゃない。わかってたけど……だけど、やり切れない。ファルシに支配された世界なんて、一例でしかなくて。きっと……世界が救われたからってそれで終わりじゃないんだよな……?」
俺は未来を変えたい、いや、変える。でも、変えた後の世界は……みんな幸せなのか?
「……そうだね。生きてるのはありがたいと思わなきゃいけないって思うのに、それが苦しいときだって………あるよね」
「……セラも?」
うん、と静かに頷く。
「そうだった時もあった。クリスタルから人間に戻って、でもお姉ちゃんも……周りの人は私のせいでいなくなって。でも私は生きていて。それが、どうしようもなく苦しくて」
「……そっか」
「でも……今はこうやってノエルと旅して、未来を変えてるって思うから。生きてることに、感謝してるよ。私でも、未来の世界の役に立ってるんだって。……ノエルの求めてる言葉とは違うかもしれないけど」
「……そんなこと、ない」
そういう言葉でも、十分。
「知りすぎた者は葬られる、か……」
俯いて小さくため息をついた後、セラは俺に向き直る。
「ねえ、ノエル。私たち……生きるんだよね? これからも、未来を変えるんだよね……?」
セラが、決意と不安とが入り混じった眼差しで、俺を見つめる。そんな風に問われれば、答えは一つしかない。
「……当然。ここで未来を諦めるつもりなんてない。相手が俺たちを抹殺しようとしてるかもしれない、でも、俺がセラを守るから。一緒に生き延びよう」
「……そうだよね」
うん、と頷く。
「……怖い?」
「そういうわけじゃないの。ただ……確認したくなっただけ」
小さく、首を振る。
「私たちはここで封印された歴史を知ったけど……生き延びる。生き延びれば、歴史は変わる。あんな風にファルシに支配されて、シ骸の恐怖に怯えるんじゃなくて、ちゃんと人としての普通の幸せを送れるようになってるよね。コクーン墜落の危険はまだあるけど、それが起きないように、ホープくんとアリサと、一歩一歩進んでいける歴史になってるよね。それは私たちの旅の最終地点じゃないけど、途中絶対に行きたい場所。行かなきゃいけない場所。……そこに行けば、未来は守れるよ。ちゃんと人間が生きて、幸せになってる未来」
頷いて、不安のない、決意のある表情を見せてくれた。
「同感。全く一緒。……ホープとアリサの命も懸かってるんだ。ここじゃ終われないよな」
「モグもここで死にたくないクポ。ライトニング様に顔向けできないクポ……」
ピンク色のポンポンも、いつになく垂れ下がってる。
「それも、同感。俺も同じだな……」
「ふふ、別に怖い人じゃないんだよ? お姉ちゃんて」
「それもわかってるけど」
「うん。じゃあ、笑顔で会えるように頑張ろ?」
「……だけど、今まで以上に気を付けよう。誰がいつ俺たちを殺そうとしてるかわからないんだ。モグも、周り注意しとけよ。そのポンポン、最大限活用しろよ」
「うん」
「了解クポ〜」
俺たちは、アガスティアタワーの最上階に向かった。デュプリケート・アリサの言ったことが本当なら、ユールとカイアスがいるはずだけど……だけどそれも、敵か、味方か。そもそもこの塔のデュプリケートが人工知能の仕業なら、アリサの言葉もどこまで信じればいいのか。
エレベータが止まったところから扇形の階段を上っていくと、その階の真ん中にゲートがあって。その横には……俺たちを待つように静かに佇むユールの姿があった。
「ユール? 一人なのか?」
「……カイアスは?」
「いや……気をつけろ。いくらユールだからって……アカデミアのカイアスみたいに、俺たちを騙して抹殺するための偽物かもしれない。……モグ、わからないか?」
「……クポ……」
「違う。わたしはわたし。今は、わたしひとりだけ。カイアスもいない」
ユールは、いつもの様子で静かにそう告げた。
「だけど……カイアスがこの塔にいるのを見た。それは偽物?」
「本物。あなたたちに用があるのは、わたしだけだから」
用? ユールひとりで? ……何のために?
「……これを届けに」
そう言って差し出してくれたのは、オーパーツ。……すぐ横で光るゲートの、か?
「なんで、私たちに……?」
「……時を守ってほしい。ヲルバの郷で会ったあなたたちは、信じられる」
「ヲルバ郷……今と同じ時代? あの時のユール?」
ユールは静かに頷く。その右手には、ヲルバ郷で会った時と同じように、一輪の花があった。
ヲルバ郷で会って以降歴史は変わったはずなのに、あの時のことをユールは覚えてる。女神が与えた混沌の力を持っているから。……顔と声とが同じなだけじゃなくて、このユールもやっぱり時詠みの巫女なんだ、と改めて認識する。
「ねえユール……時詠みって一体何?」
堪りかねたように、セラが問う。
「……最も古き一族の巫女、時を視る者。未来を視て、予言の書に記録してきた。けれど……それもずっと昔のこと。もう記録する必要はない。カイアスがいるから」
「どうして?」
「彼は時詠みを守り、時詠みが視た未来を記憶する者。死を超えて、あらゆる時を永遠に記憶する。彼は、カイアスは、決して死なない」
ユールはあくまで、静かに言うけれど。
「……あいつは不死身だっていうのか?」
知らなかった。衝撃。ずっと、同じ時代に生きているもんだとばかり思ってた。同じ時代で、誓約者になって、ユールを守ってるんだと。でも……違う? 不死身?
でも、衝撃と同時に、納得。ヲルバ郷で、何度斬りつけても何度セラが魔法をぶつけても、ものともしなかったのも。そして、戦って、地面からあいつを見上げた時……小さい頃見上げた姿と全然変わらない、って思ったことも。おかしかったんだ。みんな、背が伸びるか皺が増えていくのに。あいつは何も変わらなかった。
「時詠みがエトロの瞳を持つように、カイアスは混沌の心臓を持っている。女神は、望まぬ永遠を彼に与えた。彼の使命は、時詠みの力を守り、時詠みが視た未来を全て記憶し続け、その未来がねじ曲げられることのないように守ること。未来を視る力は、歴史を狂わせる凶器にもなるから」
「歴史が狂わないようにするのが目的なら……ユールは、どうして私たちを助けてくれるの? ……知ってるよね? 私たち、歴史を変えようとしてるんだよ」
「歴史は既に壊れているの。あなたたちが出会う前に、時は歪められ、未来は破滅にねじ曲げられた。……氷の花の咲く未来に」
俯くユール。……クリスタルの粉塵のことを言ってる? このユールは、俺のいた滅びの世界を視たのか。
「未来が変われば、時をさかのぼった過去までも変わる。コクーンを支えた奇跡も、変えられてしまった。帰ってきたはずの者は、矛盾に呑まれた」
「帰ってきたはずのって、お姉ちゃんのこと? ……じゃあ、お姉ちゃんが消えたのは……」
「そう。未来が変えられたから」
ユールが断言する。ホープも言ってた。何者かが歴史に干渉している、そいつが過去を変えたんです、と。
「じゃあ、私たちがゲートを使ってパラドクスを解消していけば……」
セラが、俺に振り返る。
「未来は再び変わり、時は戻る。あなたが覚えていた過去に。……あなたたちなら、正しい時を導ける」
「私たちのしてきたこと、間違いじゃなかったんだ」
ユールがそう言うなら、きっとそうなんだろう。このまま歴史を変えていけば、未来は変わる……。
カイアスが不死身であることや、元々違う時代の人だったことも衝撃だし、知らない誰かが歴史を歪めていることには憎いと感じる。まだまだ道のりは長い。だけど……少なくとも間違ったことをしてるわけじゃないとわかって、心のどこかがほっとするのを感じる。
「ユール、知ってるなら教えてくれ。封印された歴史を知った者として、俺たちを抹殺しようとしてる奴がいる。……誰の仕業なんだ? 歴史を変えるためにも、俺たちは生き延びないといけない。そいつを倒さないといけない」
デュプリケート・アリサは、人工知能と人間が対立してホープたちが抹殺されたと言ってた。だったら今回も同じように、人工知能が俺たちを邪魔に思って殺そうとしているかもしれない。だけど、ここにいないあいつである可能性だって、捨てきれない。
ユールは、頭上に浮かぶ、大きく無機質な、光の筋を時折発している物質を指差した。
「敵は、その中にいる。あなたたちを追いつめた時の矛盾——自我を持つ機械」
「自我を持つ機械? ……人工知能のことか?」
「そうであって、そうじゃない」
「……何だそれ。どっちにしろ、機械なら壊せばいいだけか?」
「そう簡単じゃない。敵はその中にいるけど、そこにいるわけじゃない」
「……ユール。なぞなぞしてるんじゃないんだぞ……」
「わかってる。だけど、それが時の矛盾」
頭が痛くなる気がする。そこに、セラの言葉。
「敵は、人工知能の他にもいるのかもしれないね。そして、この時空にいないのかもしれないね」
「……今のでわかるのか?」
「なんとなく、ね」
驚き。……感覚でも似てるのか?
「……ヤシャス山で会ったユールも、そうだったな。謎掛けみたいな言葉だけ残していなくなったんだ。アカデミアで会ったユールは……少ししか話せなかったけど……やっぱり同じ。俺の知ってるユールもそう。カイアスは、一人として同じユールはいないって言ってたけど、言葉も表情も少なめなのはみんな一緒だな。俺は……知ってる」
突然そんなこと言ってどうなるものでもないけど。カイアスはユールのことずっと知ってて、セラだってユールのことわかるのに俺だけ知らないなんて悔しかったからか。だからって目の前のユールがそれに応えることはないって、わかってるけど。
「そんなこと言われても、困るよな。ユールは俺のこと、知らないんだもんな」
「……ごめんなさい」
「別に、いいけど」
よくないけど。ていうか、わかり切ってることをまた確認して自分から落ち込んでどうすんだ。……うん、話を戻そう。敵の話に。
「……だけどさ、だったらどうやって倒すんだ?」
「他の時代にいるなら、ゲートが必要なんじゃない?」
「倒せる」
ユールの、端的な言葉。言葉が短めなのも、ユールらしい、とも思う。……人のことは言えないけどさ。どうやって、には答えてもらえてないけど、もうそれでも十分な気がした。ユールが倒せるって言うなら、どうにかこうにかして倒せるんだろう。
「とりあえず、了解。……あのさユール。カイアスは……関係ないんだよな? アカデミアで、カイアスが俺たちを排除しようと、人をシ骸に変えてて……」
「……そう。機械が生んだ、紛い物」
これには、ほっとする自分がいる。そう、カイアスは……俺たちに制裁を加えるためだとしても、無関係の人を巻き込むなんてことしない。そんな奴じゃないんだ。
「じゃあ、私たちがこの塔で見たカイアスは?」
「それは本当の彼。わたしをここに届けただけ。……彼は、わたしがあなたたちに会うのもよく思っていないから。だけど、全て終われば迎えに来る」
全て終われば迎えに、か。……今回は制裁を加えるつもりはないのか? ユールが必要ないと言っているから、そうしないのか。
「……あのね。私があなたたちを助ける理由、もう一つある」
話が途切れかけたところで、ユールが口にする。
「……何?」
「カイアスを、望まぬ永遠から解放してあげたい」
「……」
「カイアスは、あなたたちが歴史を変えること、よく思ってない。壊れた歴史であっても、時詠みの一族は歴史を守る義務があって、あなたたちは歴史を乱す存在だと思ってる。だけど、わたしは……ヲルバの郷とこの塔で見てきて、あなたたちが悪いことをしてると思わなかった。あなたたちは、未来を守ろうとしてる……。この世界が、氷の花に満たされることのないように」
ユールは、手にしていた花を見つめた。
「そしてそれは、カイアスが楽になることだとも思う。
わたし、時詠みの中で、カイアスの未来も視た。彼は、放浪していた。一人だった。誰も周りにいなかった。苦しそうな、怖い顔をしていた。わたし、そんな顔、一緒にいても今まで見たことなくて……悲しいって思った」
表情は変わらなくても、わかる。ユールが悲しい、という言葉を口にしてるってことは、……本当に悲しいってこと。
「……彼は優しくて真面目な人だから、不死を受け入れ、使命を果たそうとしてくれている。でも……本当はそんなこと、望んでいないと思う。壊れた歴史が変わって、混沌の心臓がどうなるかまではわたしにもわからない。でも、もし叶うなら………カイアスが私を守る使命から解放されて、普通の人としての穏やかな暮らしを送ってほしいと思う」
なんで、……なんでそうなる? ……苦しい。だけど、ユール、違うんだ。間違ってる。
「……あのさ、ユール」
ユールの前に、膝を付く。いつもと違って、俺が少し見上げて、ユールが俺を見下ろす。ユールは少し驚くような、不思議そうな瞳で、俺の顔をじっと見ている。
「ユールを守る使命から解放してやりたいって、ユールがあいつを思って言ってるのは知ってるけど。あいつのこと、もっとわかってやってくれないか……? 何て言えばいいかな。嫌々やってるわけじゃないんだ。あいつのことだから、使命だとか時詠みの掟だとかそんなことしか言わないかもしれない。でも言葉はなくたって、わからないか? 例え使命だからって、何百年も誰かを守るなんてできることじゃない。解放してあげるって言われたって、あいつ、何事もなかったようにユールの隣にいると思うぞ? カイアスは本当に、ユールを守りたいから守ってる。……俺はそう思ってる」
いつだって勝てなくて。こんなこと言うだけでも悔しいのに。顔で笑って心で泣くなんて、こういうことかもしれない。だけど、そんな言葉が口をついて出てくる。……だって、守るって、そんな軽い気持ちであるはずがないんだ。
「それと。俺たちが歴史を変えて、壊れた歴史が元に戻って。その時に穏やかな暮らしをするのは……ユールも同じだから。ユールはカイアスのこと心配してるけど、ユールだって、そこに自分もいるって希望持っていいんだ。……自分の幸せだって、考えていいんだからな……」
今の俺の最大限の言葉。だけど、ユールは、黙ったまま。
「……そうだよ、ユール。"みんな笑ってる未来"があるんだよ。……私たち、そのために頑張るから」
セラの言葉に、ユールはようやく口を開く。
「みんな、笑ってる未来……?」
「うん。カイアスも、ユールも、私たちも」
「……そういう未来、視たかった」
「視えるだけじゃないの。いるんだよ。ね、ノエル」
「……そういうこと」
その言葉に、ユールは少し考えるようにして。
「わたしのことは、わからない。……だけど、……期待してる」
そして……ユールは、微笑みを浮かべた。
「行って。新しい明日をわたしに視せて」
——ヲルバ郷でも、ヤシャス山でも、アカデミアでも、"知らない誰か"を見る目が苦しくて。
ここで、初めて笑ってくれた。それは、俺の知ってるユールと同じ笑顔。その顔を見たかった。だから、嬉しいはずなのに。
笑ってくれるからこそ辛いなんて、な。
……俺だから、笑ってくれるわけじゃない。
ユールは転生していて、同じ時代に生きてると思ってたカイアスは不死で。
もし、もしも。歴史が正しくなったら……二人とも、やっぱり俺とは別の時代に生きる?
そしたら、ここで別れたら、もうユールとは会えないのかも………って考えが、急に頭をもたげて。
首を縦にも横にも振れず、足を動かすこともできなくなる。
……違う。俺がそんな後ろ向きでどうする? 振り切れ。
「……、……わかった……」
ユールも、笑顔で頷いてくれる。そう、今は、彼女が望んだ未来を信じるだけ。だけど。
同じ顔、同じ声。そして、同じ笑顔。だけどやっぱりこれは、俺の知ってるユールじゃない。たくさんのユールのうちの、一人。
たくさんのユールがいて、そのそばには必ずカイアスがいる。今は姿が見えなくても、迎えに来る。
俺は、15年しかユールを知らなかった。ユールが同じ顔、同じ声で転生していることは知っていても、その内の一人しか知らなかったことになる。
でもこうしてユールとカイアスがいつも一緒にいるのを見ると、歴史の重さを知る。そして、自分の発言の軽さを知る。
『……ユールも、俺に反対するのか? 諦めるのか? こうして人が減っていくのを、受け入れられるのか? ……』
『……カイアスが、これでいいって……』
そんな話をする時はいつも、俺よりカイアスを信じるのか? ……その言葉を、飲み込んでたけど。
当然、かもしれない。転生前のことを覚えてなかったとしても、同じ魂だとすれば、カイアスに守られた記憶ってのは、どこかでずっと残っているかもしれない。魔物に襲われて初めてカイアスに助けられた後も、ユールは言ってたっけ。
『……知らない奴? 怖くなかったのか? ……』
『……魔物は怖かった。でもあの人は怖くない。優しい人だから……』
『……知らないのに、なんでわかるんだよ……』
『……わかる……』
確信に満ちた表情だった。
それに、そのカイアスがベヒーモスと戦っていた時も。
『……あいつ、ベヒーモスにやられて死ぬんだな……』
『……死なない。大丈夫……ほら……』
ユールにしては珍しく、妙に自信ありげな表情だと思った。そして一瞬後に、ユールの言った通り、カイアスがベヒーモスを薙ぎ倒していた。
『……ね? 大丈夫だったでしょ? ……』
きれいな笑顔の、ユール。ヤーニと俺は、面白くなかったけど。
ユールはこうしてずっと、カイアスに守られてきたんだな……。
カイアスはいつも肝心なことを言わなくて、俺は、だったら教えろよ! って突っかかってたけど。聞いたところで、その真意を理解できたのか?
不死身で、死ぬことができないカイアス。ヲルバ郷で、一人として同じユールはいない、って言ってた。ユールが生まれ変わって、記憶がなくなっても、カイアスはきっと一人一人を大切にして、ずっと守ってきた。その時代のユールが死ぬのを、見つめてきた。そう、何百年と。俺自身が、ユールに言った通り。途中で放棄することもできたかもしれないのに、そうしなかった。……守るって、決意してるから……? それだけの、強い覚悟だってこと。
今更に、自分とあいつの違いを見せつけられる。……力さえつければ、カイアスに勝って誓約者になれるんだと思ってた。でも、きっとそうじゃなかった。あの時代でだけじゃない。今も、カイアスは俺たちに制裁を加えようとしている。……どこかでまた対峙することも出てくる。その時、どうする?
できれば、戦わないで済めばいい。カイアスが出てくる前に、本当の敵を倒せれば。
そう。相手はカイアスだけじゃない。俺たちの本当の敵。……この時空を歪めてる奴。最初に俺が時を歪めてる奴がいるって言った時は、まだ推測だった。でもホープも、何者かが歴史に干渉して過去を変えたと言った。そして今回も、ユールが、未来は破滅にねじ曲げられ、過去も変えられたと言った。そいつは、確実にどこかの時空に存在している。
……未来が変われば過去も変わる、か。
そんなもの、どうするんだ? どう、倒すんだ? ふいに、不安が入り混じる。……ユールにもっと聞けばよかった。
いや、でも、1人じゃないから。ホープはきっと俺たちのために何かを残してくれてたはず。それに、隣にはセラがいる。……あの時とは違う、今は力を合わせる人がいるんだ。
だからまずは、目の前の敵を倒していけばいい。
そう。人工知能であってそうじゃない、この中にいてこの中にいない、そんな謎掛けみたいな敵。
機械仕掛けのファルシ、デミ・ファルシ=アダムは、AF400年から過去に干渉していた。
未来のデミ・ファルシが人工知能を乗っ取り、過去にデミ・ファルシ計画で対立していた人間を抹殺させ、その計画を遂行させた。過去の人工知能が、未来のアカデミアに、デミ・ファルシを造り上げた。……セラはそう言ったけど、本当に理解したのかよと思うくらい、相変わらず俺たちの常識からかけ離れた話。
デミ・ファルシ計画を考えていた時は、まだ歴史にもいろんな可能性がゆらぎとして存在してたんだろう。その中の一つに、デミ・ファルシ=アダムがアカデミアを支配していたゆらぎがあった。そのデミ・ファルシは、塔の人工知能から過去に干渉して、自分がいない歴史の可能性を一つ一つ潰していった。そう考えた方が俺にはまだしっくり来るな。仮想空間から過去に干渉する原理なんてわからないけどな。
とにもかくも、そんなデミ・ファルシは消え、人工知能も機能を停止して塔から光が消えた。ホープくんったらもういい加減にしてよ、なんてセラの言葉で。
「やったな! セラ!」
「私、何も……」
暗闇の中で床に手をついたまま、呆然とするセラ。
「そんなこと。わかってたんだろ? 人工知能もデミ・ファルシもホープが造ったのなら、そのホープに働きかければまとめてこいつらをどうにかできるって」
「だからって……今ので? そんなはず……ないよね?」
「何にせよ次の時代に行けばわかる。俺たちは、生き延びた。歴史は変わったんだ」
「生き延びた。歴史は、変わった……」
そうだ、と言おうとして、言葉が飲み込まれる。
セラの顔に見えたのは、暗闇に光る二つの目。
「……セラ?!」
エトロの紋章? そう、サンレス水郷でもあった、こんなことが。
駆け寄る。あの時と同じ、違うものを視ている目。……ユール、と、同じ。だけど。
ふ……と、その身体から力が抜ける。
「セラ!」
嫌だ、だって、……何が?
抱き起こす。脈を確認する。……大丈夫、ちゃんと動いてる。大丈夫。この前だって元に戻って、すぐ動いてた。
だけど、嫌だ。だって、どうして? 怖い。だって、このまま目を覚まさなかったら? 前にもこんなことがあった……?
なんで? わからない。だけど……怖い。
「セラ!」
呼びかけるしかできない。
「頼む……目を開けて。このまま俺の前からいなくなるなんて、しないよな……?」
だけど、反応はない。苦しい。俺にとってはすごく長く感じられた時間。
そして、セラがゆっくりと目を開けた。
「セラ!」
まだ、意識のはっきりしない目。
「大丈夫か、セラ!」
もうそこには、エトロの紋章は浮かんでいない。いつも通りの、水色の瞳。
「……私、生きてる?」
ゆっくりと身体を起こすセラ。安心して、後ろに手をつく。
「………よかった………」
安堵。……だけどその途端感じる、衝動。……いや、それはまずい。
「……もう、変な顔しちゃって」
「いや、その……安心しただけ」
変な顔って……どんな顔だ。でもこの際、それでもいい。
言えるわけない、抱きしめたくなった、なんて。
「ノエル、心配しすぎだよ」
そう笑って、セラが立ち上がる。そう、立ち上がってくれた方がいい。抱きしめたいと思う腕が届かない距離にいてくれたほうが。
セラが俺に手を差し出す。うん、そういう距離で十分。
それでいい。それでいいから、セラには無事でいてほしいんだ。
——だけど、だから、ちゃんと聞きたい。
「あれ、さっき電気消えたはずなのに、いつの間にか戻ってるね。デミ・ファルシはいないけど、何かの形で塔の機能は残ったってことなのかな?」
「そうだと、思うけど」
気付かなかったけど、確かにそう。……だけど、もう塔もデミ・ファルシも、どうでもよくて。
「なあ、セラ。ちゃんと言ってくれないか? ……何か、視えるのか?」
「……え」
「今もそう。それにサンレス水郷でだって、そうだったよな? あの場所に着いてすぐ……スノウと会う前。何か視えてたよな?」
セラは、俯いた。……その仕草だけで十分だとも思った、けど。
「あの時も今も同じ。セラの瞳には、エトロの紋章が浮かんでた。時詠みの力は、ユールにしかないものだと思ってたから、ユールとセラが同じって言われても、まさかなって思ってた。さっきユールに直接聞ければ一番良かったけど、ごめん、……余裕がなくて、聞けてなかった。
ビルジ遺跡の時は気のせいだって言われたし、俺も確証なかったから何も聞けなかった。でもこんなに何回も重なれば、こうやって隠されたまま何もわからずにいるなんて嫌だ」
「隠してなんか……」
「ごめん。隠すって言葉は良くなかった。でも、言いにくいかもしれないけど、聞くから。言って」
そう言うと、セラは俯いたまま、でも口を開いた。
「……だって、怖い未来ばかり」
視たものを隠すかのように、手で顔を覆うようにする。
「コクーンが落ちる姿。スノウが戦って倒れる姿。そんなのばっかり。口にしたら本当になりそうで……言いたくなかった」
その声は、いつになくか細くて。
「最初は本当にね、ただの気のせいだと思ったの。そういうのを見たくないっていう不安で、自分で勝手に心の中で想像しただけなんじゃないかって。だから、そんなことノエルに言っても信じてもらえないって」
「そんなこと、ない。セラだって、俺の言ってること信じてくれただろ?」
「……そうだね」
うん、とセラが頷く。
「……今回視えたのは?」
「ノエルも、私も。カイアスと戦って、倒れるの……」
「……そ、か」
カイアスとは戦わずに本当の敵を倒せれば、って思ってた。だけど、……そんなわけにも行かないんだな。あいつは、俺たちを狙ってる。
「わかった。カイアスは……ものすごく強いけど、あいつと対峙しなきゃいけないってわかってれば、対処のしようもある。スノウも倒されそうだったけど、無事だっただろ? 今回だって、俺たちは生き延びたんだ。次もきっと、大丈夫」
「……そうだね」
そこで、セラは顔を上げてくれる。
「ノエル、聞いてくれてありがとう」
当然、と言いながらも、心の中ではやっぱり不安が拭いきれない。
カイアスが本気で俺たちに向かってきた時……どうやって倒せばいい? 強い力と、……そして、ユールを守るって強い覚悟を持ったカイアス。どんなことでもしてくるかもしれない。
それと……時詠みの力。ユールと同じの意味は、きっとこのこと。ようやくわかったけど……だからといって、心のどこかでまだ、怖いって言ってる。なんで、そう思う? また何か、忘れてる?
わからない……。わからない、だから。
「……怒ったセラの顔って、やっぱりライトニングと瓜二つだな」
次のゲートを通るために、何かの機械を操作するセラ。そのまま集中させておけばいいのに、そんなことを言う。
「ふふ、怒らなくても似てるよ」
「だけどさ、本当に迫力満点。あれはセラにしかできない技だった」
「もう。そんなこと」
「事実。ホープの責任だって最初に言ったのは俺だったのに、その時はデミ・ファルシ消えなかっただろ? セラの剣幕があったからこそ、ホープも相当まずいことをしたって気付けたんだろうな」
「だとしても。きっとね、これは私だからじゃないの。お姉ちゃんだからなんだよね」
「っていうと?」
「ホープくんは、お姉ちゃんに怒られた気分になって、シュンとしちゃったんだよ」
「そういうこと?」
「そういうこと」
「俺とモグだけじゃないか。みんな、ライトニングには弱いんだな……」
「さすがライトニング様クポ〜」
「ふふ。きっとホープくんにとっては、特にね」
「……かもな?」
くだらなくても、今はそんな他愛ない会話をしてたいと思う。それが今の俺にはほっとする。
セラと普通に話しているだけで、それでいい。
自分が消えたとしても構わない。だけど、……セラがいなくなるのだけは嫌だ。
………何だよそれ。何なんだ、俺。
人がいなくなるの、もう嫌だから。
導いてほしいって言われたから。
守るって、決めてるから。
一緒に歩く、仲間だから。
セラが笑ってる未来が、理想だから。
そうだと思ってたけど。全部間違ってないけど、だからってそれが全部でもない。
……認めるしかないのか? ……そういう、感情。
(4) 自分も、そこにいたくなった へ
色んな感情……ありましたよねきっと。また守れなくて……一緒にはいられなくて……セラも時を詠んでるし、でも思い出せなくて不安だし。そしてアリサはデュプリケートですら楽しい(え、しつこいですか)