「まずは記録障害の影響調査からですね。記録が不整合を起こしているところがどの範囲なのか、まずは特定する必要があります。大まかでいいので、二週間くらいで全体像を掴みたいところです。
それとコクーン全土に、現在起きている現象を説明する必要がありますね……私たちもまだわからないところばかりですが、コクーン市民はもっと混乱しているでしょうから。まずは落ち着いてもらわないと」
目の前でアカデミーの人達に指示を出しているのは、ホープ・エストハイムだ。アカデミー最高顧問。実質的にはこの新コクーンを掌握している大ボス、と言ってもいい。
AF500年、歴史が大きく変わった。人工コクーンは無事に打ち上がり、古いコクーンは役目を終えた。カイアスのやつがどこに行ったのかはもうわからないが、とにかく姿を消した。そして、我々が勝ったAF500年を正にして歴史が再構築された……まあそういう都合のいい話だ。
そう、歴史は再構築された。しかし、あまりにも大きく歴史が変わろうとした影響で……"記録"がめちゃくちゃになった。アカデミーの記録だけじゃない。人の記憶も断片化された。コクーンの歴史、日常、全てに関する記録が、本によって……そして、人によっても違うという状況に陥ってしまった。
そこでアカデミーが、ホープの指揮の下、歴史の再編纂を行おうということになっている。
ホープは、本当に頑張っていると思う。ヴァルハラでのカイアスとの戦いの最中、ホープの成長ぶりを頼もしく、微笑ましく思っていたのだが——
しかし、どうやらもう同じように微笑ましく思えなくなってしまったようだ。
ムカつく。この一言に尽きる。
「ラーイトさーん」
「膝に頭を乗せるな。全く、最高顧問としての姿はどこへ行ったんだ?」
「いいじゃないですか。今はプライベートの時間です!」
そう言うと、膝の上で屈託なく笑う。こういうところは、14歳の頃のままだなと思うんだが。
「お前な……調子はもういいのか?」
「はい。ごめんなさい……落ち込んでばかりいちゃいけないって言われちゃいましたし」
「そうか」
少し沈んだような表情を見せられるとつい構いたくなるのは、昔の習慣だ。髪を撫でてみる。……あの頃の柔らかさはもうないけれど。
「……心配した」
「ありがとうございます。ライトさんの顔見たら元気になっちゃいましたよ」
「全く、現金な奴だ……それで? 何か言おうとしてただろ」
そう言うと、急に真顔になって、座り直した。
「プライベートの時間と言いながら、アカデミーの話ですけど……
ライトさんのおかげで、歴史の再編纂はなんとか進んでいきそうです。アカデミーだけで対応しようとしていたら、すごく時間がかかってしまったと思います。ですが、すべての歴史を正しく知っているライトさんがいれば、ライトさんの記憶を正として、再編纂を行っていけると思います」
「私も、全てを知っているわけではないのだが……」
「それでも、いてくれるのとそうでないのでは全く違いますよ。手がかりだけでもいただければ、アカデミーの方で整合性は検証しますから」
「それならいいが」
「人の記憶の断片化はもう仕方ないですが、ちゃんと記録が再編されたら、それに従って正しい事実を覚え直していくしかないですよね」
時間はかかっても何とかします、と言いきるホープは、すごく頼もしくも見える。
「ライトさんには、申し訳ないなと思ってます」
「……なんでだ」
「慣れないでしょう? アカデミーの仕事。実地調査もあるでしょうが、当面は事務仕事ですし。本当はこんなことになってなかったら、ライトさんはまた軍に入るのかな……って思ってました」
「まあ、確かに軍の情報も見ていたんだけどな……」
そういって、情報端末を見せてやる。女神の騎士としての力はなくなったが、それでも、どこにでも通用するような気はしている。
「歴史の再編纂プロジェクトだって永久的なものじゃないだろう。とりあえず、アカデミアに慣れるまでだ。その次に何をやるかは、ゆっくり考えるさ。でも、どっちにしても、もう軍隊はいいんだ」
「えっ?」
「私がこの時代で何ができるか考えると、現実的には結局軍に志願した方がいいんじゃないかっていう不安はあるが……ヴァルハラにいたおかげで、幸いなことに私はまだ21歳なんだ。人生、まだやり直しはきくと思う。軍が全てじゃない。戦うことが全てじゃない。
アカデミーの仕事をして、自分の幅を広げたい。他の道を探してみたい。だから、ありがたい機会だと思ってる」
そう、それは本当だ。
「……意外。ライトさんはてっきり、そういう道をまた選ぶんだと思って」
「そんなに、戦ってるイメージしかないか? 確かに14歳から軍隊にいたし、他は何もやっては来なかったが……」
「そんなことないです! でもなんでそう思ったのかな、って」
「……殴っていいか?」
「な、なんで!」
はあ、なんなんだこいつは。むかつくむかつくむかつく。あーむかつく。
「もう、お前としゃべってるだけで頭痛がするし、胸くそが悪くなってくるんだ……」
「ぼ、僕が何したんですか!」
「……頼むから、ほっといてくれ」
そうして、顔を逸らす。
「そんなこと言われて、ほっとけないです! 僕、何かしましたか? 言ってください! 直しますから」
くそ、なんでだ。昔だったらこんな風に顔を逸らせば、多少なりとも落ち込んでくれたっていうのに。こいつのほうが年上になった今となっては、顔を逸らすくらいじゃ効かないのか。かわいくない。全っ然、かわいくない。
「……そういう問題じゃない」
「ライトさん! 嫌だからってそうやって話すのをすぐやめちゃうのは、よくないと思います」
「そんな大人じみた正論を振りかざすな!」
「大人ですし!」
「もういい。ノエルのところに行ってくる」
「えっ? セラさんじゃなくて? ノエルくん?」
立ち上がり、扉に向かう。もう話すだけで疲れる。
「やっぱり男は、年上より年下がいいな。うるさくなくていい」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなの納得できません!」
そう言って、ホープは私の目の前を遮る。
……大体、慣れないんだ。今まで散々ヴァルハラから見てきたのに。その銀髪が目線の上にあることも。首だって太くなったし。肩幅だって広くなってるところも。子どもみたいなところもあるくせに、やけに大人びた顔をするところも。
「何が……嫌ですか?」
目をそらす。近いんだ。その距離で、囁くように聞くな。声だって、あの時より落ち着きと深みがあって。
半歩踏み出せば、触れそうな距離。触れてないのに熱が伝わってくる気がして、じりじりと後ろに下がる。でも、ホープもその分だけ距離を縮めてくる。
「この前手刀をお見舞いしてくれたことに原因がある?」
その時に気付け。でも、もういい。もう思い出したくもない。
「それを、思い出させるな! 嫌なものは嫌だ!」
反射的にみぞおちに拳を入れて、逃げ出してしまう。後ろから、ホープの呻き声が聞こえる。悪い……ホープ。でも今は。
……戦いはもういいとか言いながらも、今はこんな風に逃げることしかできない。
はあ。どうしようもないな……
事の発端は、ヴァルハラ。ヴァルハラからは、全てが視える。そのヴァルハラから、ふとホープの様子を視ていたら、ホープとアリサ・ザイデルの会話が目に入ってしまった。
それが、この最悪な話の始まりだった。
散々からかった挙句、ライトさんのこと、好きなんですよね……とアリサ・ザイデルは言い、ホープは認めたのだった。
そして、その後のセラ、ノエルとホープとの会話。アリサとの会話を白状させられた後、ホープくんの気持ちは私からお姉ちゃんに言うよ! と言ったセラに対し、会えたら自分でちゃんと言いますよ、と答えたホープ。
考えていなかった。いや、考えてなかったかといえば嘘になる。それほど、ホープとの精神的な距離は近かったと自分では思っている。
どうするんだ……? あんなヴァルハラで平和な話だなと言われそうだが、急に、いろんなことを考え始めてしまった。
が。アリサ・ザイデルがこの世から消えてしまったことで、その会話もなかったことになったらしい。
ああ。人に意識させるだけさせておいて、自分は忘れたのか! お前はっ!
……とまあ、大人げなく(今はあいつの方が大人だが)思ったのだが。まあ、仕方ないんだと思った。
自分が消してしまった人間のことを覚えているというのは、苦しいだろう。だから、忘れてしまえばいいと思った。そうすれば、私だって、何も聞かなかったことにしておこうと思ったんだ。
しかし、記憶障害のせいで、逆にホープはアリサがいたことを思い出してしまったんだ。
アリサがいたことは思い出せて、あんなに悲しんでいたくせに、私について話したことは思い出せないのか? いや、別にそれは嫉妬なんかじゃない。そんなものじゃ決してない。ないんだが……
やめてくれと言いたい。無駄にベタベタしてくるのは。
なんなんだお前は! 無駄に意識させるな、私を!
しかも、お前、成長して大人の男になってるんだ! それなのに子供みたいに甘えてくるな!
なんていうか、お前、それわかっててやってんのか? 確信犯なのか?
で? そんなに意識させといて、僕別にそこまで考えてませんとか言うつもりか?
ふざけるな! あの女の言うとおり、ただのタラシだな! ……という言葉を、ぐっと飲み込んだ。
心配したのが馬鹿馬鹿しくなる。あれだけ私は心配したのに、あいつはいけしゃあしゃあと。
というか、忘れたなら何もしてこなきゃいいんだ! そうすれば私だって忘れてやるつもりだったさ!
……馬鹿なのは私だ。ホープからあの会話が消えてしまったのなら、あんな会話を聞いたことだって私の中から消えてしまえばいいのに。
と言いながらも。次の職は、もうちょっとホープの役に立つものにできればなとか考えてる自分が、馬鹿馬鹿しすぎるんだ。
いや……間違えるな。これは決して、ホープが好きだからとかそういうものじゃない。
ただ単に……そう、世界のためだ。世界は、新しいコクーンを迎え、古いコクーンに別れを告げた。が、古いコクーンの処理だの、予言の書の処理だの、タイムカプセルの扱いだの、それに壊れた歴史の再編纂だのと、いろんな残作業が山積みなんだ。
それをあいつは最高顧問として対応しようとしている。世界の危機が去ったって、あいつはまだ戦っているんだ。
それを、支えてやりたい……って思った。思ってた。
そうだ。それは公の目的に沿っているだろう?
私利私欲を捨てろ!
……最後に残った歴史のホープは、私の事をどう思ってるんだろうか……
はあ。そんなこと言ってる時点で、駄目だな。私は。馬鹿だ。やめやめ。やめだ。
どちらにしても、ホープと顔を合わせる機会なんて歴史の再編纂が終われば減るはずだ。
そうすれば、こんなことを考えることもなくなるだろう。
「最低、10年、だと……? なんでだ! なんでそんなに時間かかる?」
「影響がありすぎて、すぐに修復できるなんてものじゃなかったんです」
こういう時だけ理性的に答える目の前の男の顔が、今はやけに忌々しい……。
*
「……お姉ちゃん、どうしたの?」
「何がだ」
「イライラしてるよね」
「……する理由もない」
「あんなに好きな人と近くにいるのに。もっと楽しそうにしていればいいじゃない? 楽しそうにしてるお姉ちゃん、見たいな」
「好きじゃないって、言ってるだろう?」
「そんなこと言っちゃって。……この前の話……だよね? ホープくんが、忘れちゃってたから?」
「もういいんだ。私もそのことは忘れることにした」
「もう……。
本当になーんとも思ってない人だったらね? その人が何を忘れてたって、そこまでは気にならないよ。自分を好きだと言ったことを忘れてて悲しい、って思うのは、その人に覚えててほしかった、自分のこと好きだって言ってほしかった、ってことじゃない?」
「いや……」
「何?」
……言い返す言葉が思い当たらない。
「……でも」
「でも?」
「あいつにとっては私と会ってから13年も経ってる。そう、13年だぞ! 13年も経てば考え方だって変わるし、もう私の知ってるあいつじゃないんだ!」
「そうだね、13年だね。ていうか500年? 早くしないとまた時間だけ過ぎちゃうよ? ねえお姉ちゃん、そんなに、ホープくんが変わったって思ってるの? あんなに頑張ってたの、ヴァルハラから視て知ってるはずなのに」
「変わったさ」
「どこが?」
「………背が高くなった」
「……お姉ちゃん」
「ち、違う。中身だって」
「どんなところが?」
「……大人っぽくなった」
「……問題無し、ってやつかな?」
「私にとっては、問題だらけだ! ……もう、ほっといてくれ」
「……あのね、お姉ちゃん。
お姉ちゃんもモテてたんだろうから、あんまり自分から好きって言うことなんてなかったんじゃない?
でも、自分から好きになった人に、好きって伝えるのって、ドキドキするけど、それだけでも幸せなことなんだよ」
「……何が言いたい」
「お姉ちゃんから好きって言えばいいじゃない♪」
幸せな結末 へ
ホープ編「人の弱さと強さ」(3)からの派生妄想パラドクスエンディングなホプライです。ライトさんからぜひ告白してみてほしいななんて思って、のものなのですが、書き始めてから半年も塩漬けにしていまして、と……とりあえずサルベージ! と思い、アップしました……。ええほんと書きかけ放置な状況ですみませんです。でもライトさんかわいいです。
(2013/11/20追記)続きを書きました →
幸せな結末