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長い文章ですので、できるだけ目に優しい環境でお読みいただければと思います。

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永遠の空の下 [空のように、ひとつに] (6)

前回のお話  [空のように、ひとつに] (5) 「う〜ん……」  鏡の前で、一回転。何度回ったって、見えるものなんて変わらないんだけど。 「この服でいいかな……それともやっぱり他の服かな……」  こんなに迷ったことがあったかなって思うくらい、迷ってる。服を選ぶのは好きだけど、昨日も一昨日も、それに留学中も、そこまで着るものに迷ってなかったのに。 「……この服じゃ……ちょっとかわいすぎるかな……他の服にしようかな……」  腰を太めのリボンベルトで結んだ、膝丈のピンクのワンピース。プリーツが広がる感じがかわいくて、よく着てるお気に入りのうちの一着。だけど——かわいすぎないかなとか、変じゃないかなとか、急にいろんなことが気になってくる。  昨日はチューブトップのワンピースだったから、何も考えることなくカーディガンを羽織った。今日は、キャミソール型——って、これだってやっぱり羽織るもの必要だよね、やっぱり。肩出し過ぎ、って言われちゃうかも。  何とかトロリーバッグからボレロを引っ張りだして、袖を通す。薄いピンクで、少し透ける素材のもの。うん、これで……いいよね? 『すごく似合ってると、思ってる』  昨日は——最初にはいてたスカートが短いって言われたから、たまには長くしてみようかなって思っただけだった。  でもそれを、言い慣れてない感じでも誉めてくれたのが、何だかくすぐったくて。 『手! ——セラ、すぐはぐれるから』  そうやってただ、手をつなぐことが気になって。  普通通りにしてたはず、だけど。でもあの辺りから、ちょっと——  ううん、いつからかなんて言ったら……わかんない。会った時から、もっと知りたいって思ってた。何を言うんだろう? 何をするんだろう? 一つ一つの言葉や行動が、不思議なくらい——暖かくて、懐かしい感じがして。 『セラは——俺にとって、すごく……大事な人』  それで昨日は、最後に……頬に……—— 「う、ううん! 違うの!」  つい、独り言。もちろん、ホテルの部屋には誰もいないけど。  その、ノエルはきっとね、ちょっと過剰な感じで、そのまま行動しちゃう人なんだよ。すごく素直で、まっすぐに育ったから。表現がシンプルすぎて、えって思うことがあるかもしれないけど、きっと純粋な善意なんだよね。  それにその、頬にキスなんてほら、普通じゃない? 普段だってするよね。ほら留学先でだって、何度もしてたじゃない? そんなに特別に思うことなんて、少しも……  そ、そうなんだよ。うん。気にしすぎ、よくないよね。服だって、もうこれでいいよね。うん、変じゃない、変じゃない。大丈夫。無理矢理、トロリーバッグを閉じてみる。うん、これでもう別の服に着替えるなんてできないんだからね。  ——でも。  誉めてくれたら、きっと嬉しい……よね、って……  だめ。もう、しっかりしなきゃ。こんなんじゃ、きっとまたノエルに笑われちゃう。早く朝食食べに行かなきゃ。——ショルダーバッグを持って、そそくさと部屋を出る。  心を落ち着かせながら、螺旋階段を下りる。何となく足下がふわふわするようで、思わず手すりにつかまっちゃう。  ノエル、もういるのかな……  食堂をそっと覗くと、そこには何人かの人達が朝食をとっていたけど——あの焦げ茶色の髪は見当たらなかった。  今日は、私の方が先なんだ。  ほっとしたような、拍子抜けしたような。  そうやって食堂入り口で立ち止まっていたら、後ろから声をかけられた。 「おはよう。大丈夫?」 「は、はいっ! お、おはようございます」  び、びっくりした。振り向くと、ホテルのご主人がロビーの方から歩いてくるところだった。 「ほら遠慮しないで、入って入って」そうして、部屋番号表の私の部屋番号の隣にチェックをつけた。 「あ、ありがとうございます」  もう。ほんと、落ち着かなきゃ。  とりあえず昨日と同じようにいくつか並ぶパンのトレイから、パンを選ぶ。焼きたての、いい匂い。  適当に席に座って、深呼吸。  ——ちょっと気持ちを散らす、何か、違うもの…… 「……そういえば」  その時思い出したのは、携帯電話。そういえば昨日の朝お姉ちゃんとやり取りしてから、ずっと見てなかった。昼は川沿い散策してたし、夜は夜で食事して、お酒飲んで帰って、ケータイなんて確認しないで寝ちゃったから——  腰の横に置いておいたショルダーバッグをたぐり寄せて、開ける。 「あっ」  着信履歴を見て、慌ててコールバックボタンを押す。電話が来たのは、昨日のお昼過ぎ。ずっと気付いてなかったなんて。 「もしもし、お姉ちゃん!」  呼び出し音が切れた途端につい大きい声を出しちゃって、小さな食堂に響く。 『——セラ……』 「お、お姉ちゃん?」  もしもし、って普通の言葉が聞こえてくるかと思ったら、ちょっと苦しそうな声。 『今の……耳に響いたぞ』 「あ、ご、ごめんね。つい、嬉しくて!」  だって、しょうがないの。電話なんて、留学に行って以来。その間は我慢してメールのやり取りだけはしてたけど、声を聴くのは本当に久しぶり。 『いや、大丈夫だ。元気そうだな、セラ』  聞き慣れた、落ち着いた声色。うん、お姉ちゃんだ。途端に、懐かしさがこみ上げてくる。 「うんうん、元気! お姉ちゃんは、今何してるの?」 『今、大学にいる』 「えっ? お休みなのに? それに、朝早いのに」 『ホープと一緒に、来学期に向けた準備だ——と言いたいところだが……ああわかったから待て、うるさい』 「? お姉ちゃん?」  ガサガサという音とともにお姉ちゃんの声が遠くなって、代わりにかすかなざわめきのような音と、懐かしい声が聞こえてきた。 『おう、セラ! 聞こえるか!』 「あっ、スノウ?」 『僕もいますよ』 『私も! やっほーセラ!』 「ホープくん、ヴァニラ! みんなは、どうしてそこにいるの?」 『私とホープは、来学期の準備で来た。そうしたらスノウもカフェの準備だとか言って偶然会ったんだ。全く、静かな朝が台無しだ。スピーカーモードにしてるからな、このうるささ聞こえるだろう?』 『ったくひでえよなあ? 嬉しいくせによ。もっと甘えたっていいんだぜ?』 『エクかわいい〜! 赤くなってる! ——あっ!』どん、と激しくものがぶつかる音。『スノウ、大丈夫?!』 『放っときましょう。それくらいが妥当ですよ』  もう、相変わらずなんだから。まだ帰ってないけど、一瞬で心があの街に戻ったような気分。目の前にいるわけじゃない、それでも声を聴くだけで、すごく懐かしい。 「ヴァニラは?」 『私は午後からゼミの集まりがあるんだよ。でも、ホープが来るっていうから少し早く来てみたんだ。ねっ』  へえ、ふうん…… 『お前は、元気だったか? みんな、お前の様子を気にしていた。メールはたまにあったが、直接連絡がなかったからな』 「あ、うん、元気だよ! 今は朝ご飯食べてたところ。ごめんねお姉ちゃん、昨日は電話もらってたのに気付かなくて」 『ああ、大丈夫だ。私こそ、おすすめの場所を教えてやれなくてすまなかったな。まあ、電話に気付かないくらい旅行を楽しんでるのかなと思ってた』 「えっ、あ、うん! それは、もちろん。うん」  何の不思議もない言葉。なのに、何だか見透かされてるような気分になる。 『その様子じゃ、ホームシックなんて言葉とは無縁そうだ。充実してそうだな』 『俺はよ、てっきりひとりで泣いてんじゃねえかって心配してたんだけどよ……エクが正しかったっつーことか?』 『おい。まるで私が心配してないように言うな。私だって心配していたさ』 『エクもずっと気にかけてましたよね。研究室でもよくメールチェックしてたりして』 『ホープ。……そこまで言うな』 「ふふ、ケンカしないで。二人とも正解だよ」  ひとりになって涙が出ちゃったのも、充実してたのも。……どっちも本当だから。  だけど、それよりも大事なこと。 「——気にかけてくれて、嬉しい。ありがとう、二人とも」  うん。みんなこうして、ちゃんと心配してくれてるんだよね。それって、すごく嬉しくて、ありがたいことで……みんなに支えられてるんだ、って今は本当に思う。だからって、甘やかされてるってわけじゃない。もし何かあった時には寄りかかる場所がある。そういう安心感があるの。  ……足を踏み出さないでいたら、そんな風に思えなかったかもしれないね。  するとちょっとの沈黙ができて。その後に聞こえたのは、スノウの声だった。 『……へえ』 「……何?」 『セラも成長した! ってことか?』 「えっ?」  突然の言葉に、戸惑った。 『前はどっちかっつーと、心配しなくても大丈夫だからって言ってさ。心配されるの好きじゃなさそうにしてたのによ』 「そ、そうだったかな?」  わかってたんだ……そういうところあるって。自分の中だけにしまっておけてるって思ってたのに……。  ——その時思い浮かんだのは、昨日一昨日と一緒に過ごした、焦げ茶色の髪の男の子のこと。  2日間だけで、たくさんたくさん、心配かけてた。一時は辛そうに、涙を流させてしまうまで。  だけど、それが嫌じゃなかった。本気で気にかけてくれてるって——すごくすごく、伝わるから。  だから私がもし、心配されることを受け入れて感謝できるようになったんだとしたら——それはもしかしたら、ノエルのおかげなのかなって……思うんだ。   それにノエルは—— 『セラなら——できるよ』 『危険だから何もするななんて、思わない。ただ、危険とうまく付き合えばいいだけ』  心配してたとしても、ちゃんと歩かせてくれるから。それが……すごく心地よくて—— 「——うん。ありがとう。成長してると、いいな。日々ちょっとずつでもね」 『そっか』  スノウの安堵の声に続いたのは、ホープくんの声。 『セラさんなら、大丈夫ですよ』柔らかい言葉。そして、急に声が低くなって。『成長が必要なのは、スノウの方だろ? 身体じゃなくて、中身のな』 『うん、そうそう! 人のこと、言えないよ〜?』 『お、俺かよ!』 『頑丈だから心配いらねえ、無茶するからこそ俺なんだ! ってところあるんだからさ。それでいいと思ってるのかよ』 『ん、んなこたねえって。今は俺も気をつけてるって。な、エク!』 『私に振るのは間違いってものだろう?』  ……何ていうか——  お姉ちゃんはホープくんといい雰囲気だと思ってた。  でもそれなりに、どうしても、スノウともいい雰囲気みたいに思えてきちゃう。あれ? ……不思議な感じも、するけど——  それにホープくんはホープくんで、ヴァニラともいい感じみたいにも見える。そうじゃなきゃヴァニラも、ホープくんが来るから早く来る……って言うかな?  ヴァニラはファングと……なんて思ってたんだけど……。  あっそういえば……ホープくんは……さすがにアリサとは……ないよね?  お姉ちゃんとホープくん。お姉ちゃんとスノウ。ホープくんとヴァニラ。ヴァニラとファング——   ちょっと……わからなくなってきたかも。なんだかあの神話みたいに、混沌としてる……ような気がする……なんてね…… 『とまあ、朝からこんな騒ぎだ。おかげで来学期の準備も進まない』 「……ふふ、うん。楽しそうだね」  そんなことは置いといたとしても。みんなで騒いでるこの感じ、すごく懐かしい。  ——それにしても……来学期の話だなんて、変な感じ。  別に、どこもおかしくないはず。もうすぐお休みは終わって、新しい学期が始まって、私もまたあの大学に戻る。それは、そうなんだけど……どうしてか、それがすっと頭の中に入ってこないような……  心の中に生まれた落ち着かなさを振り払うように、私はお姉ちゃんに問いかけた。 「それで——お姉ちゃん、昨日の電話は何だったの? お姉ちゃんから電話なんて、珍しいよね」 『ああ、そのことなんだが』  スノウがいると話が脱線するんだ、と文句を言って、お姉ちゃんは続けた。 『お前、いつ戻ってくるんだ?』  どきん、と胸が鳴った。 「えっと……その、もうちょっとしたらだけど」 『もうちょっとって? 今日の夜は大丈夫なのか?』 「えっ?」今日って……何だっけ? その……「えっと……祝賀会?」 『セラさん、祝賀会のこと覚えててくれたんですね! 帰ってこられたら、ぜひやりたいですね』  ホープくんが言ってくれる。だけど、っていうことは、違うみたい……。 『その話もあるな。だがそれはお前が帰ってきた後ならいつでもいいんだ。今日は、そうじゃない』  やっぱり違うんだ。今日って……何日だったっけ? 旅行してから、日にち感覚がないような気がする。 『お前……その様子だと、忘れてるだろう。父さんの誕生日だろ』 「……あっ!」  お、思い出した。うん。そういえば、そうだった。うん。 『お前が父さんの誕生日には帰ってくるって言ってたから。父さん、楽しみにしてるぞ』 「あ……あはは。嫌だなぁお姉ちゃん、忘れてなんてなかったよ。言ったでしょ? 色々あって、ちょっと帰るのが遅れただけなの」 『どうだか。なら、プレゼントは買ったのか? お土産で買うって言ってたが』 「……それは……今から……」  電話してすぐは大きすぎた声も、だんだん小さくなっていく。 『父さん悲しむぞ。お前が留学を決めたことも、事後報告だった何も相談してもらえなかった〜なんて私に愚痴ってきたんだ』  そ、そうだったのかな。話したらわかってくれて、お前がやりきれるかちゃんと見届けるよって言ってくれたから——そんな風に思ってるって、考えたことなかった。 『まあまあエク、そういう話は帰ってからでも』ホープくんがなだめようとする声が聞こえる。 『そうだよ。セラがかわいそうだよ〜?』 『わかってる。だけど、間に入る私の立場も考えてくれ』  もう、何も言えない。お姉ちゃんの言葉を聞いてるだけで、いっぱい。  呆然と電話の向こう側のやりとりを聞いていたら——不意に、その時間は破られた。 「おはよ、セラ!」 「——あ」  つい、声が出る。携帯電話とは違う方向から、デジタルじゃない、生の声。  呼びかけられた方を振り向くと、ノエルの姿。私と同じく、あ、という顔をして私を見る。  あ、えっと。今のノエルの声、みんなに聞こえたかな。聞こえた……よね—— 「あ、あのねお姉ちゃん。うん、大丈夫。わかった。何とか帰るようにするから」  何か言ってる気もする。言ってないかもしれない。でもわかんない。 「えっと、今から帰りの便調べるから。また連絡するね!」  早口で言うだけ言って、通話終了ボタンを勢いよく押す。 「——……」  まだドキドキしてる。心が、驚いたような、落ち着かないような、そんな気分。 「その……ごめん、セラ。電話してるの気付かなくて……」 「う、うん。大丈夫、平気だよ。お姉ちゃんと電話してたんだ」  ごめん、と繰り返して、ノエルは椅子に座った。 「えっと……帰りの便? 帰る話?」  あ、そっか。最後、そう言ったから。それは聞こえてたんだよね。  だけど、そのことを言うのが、……何だか、すごく苦しい。 「……うん。今日帰ってくるんだよなって」 「今日? ——急だな」 「うん。……ついバタバタしてたら忘れちゃってたんだけど……お父さんのね、誕生日のお祝いがあるの」  そっか、とノエルは呟いた。 「それは、大事。セラの父さんがいなかったら、セラも今ここにいないんだ。ちゃんと帰って顔見せて、安心させて。父さんが生まれてきたことに、感謝しないとな」 「……うん」  ——ノエルは、お父さんもお母さんもいないって言ってた。だから余計に、大事だって言ってくれるんだろうね。  私だって、そう思ってる。お父さんもお母さんも、大事。だから—— 「でも……帰れるのか? そういえばさっき聞いたら、今日から電車は動いてるって言ってたけど」 「あ、そうなんだ。でもどっちにしても電車じゃ絶対間に合わないと思うから……多分、飛行機は飛んでると思うんだ。ほら、近くに空港あるって言ってたでしょ? 多分なんとかなると思う。今から調べて、予約しなきゃ。あと、プレゼントも買ってなかったから、何とかしないと……」  携帯電話を使って、その場で帰りの便を調べた。幸いにして夕方の便があったから、すぐに予約した。これだったら、夜には間に合う。 「16:30、か。よかったな、間に合いそうで」  ——だけど、素直に言えば……ちょっと、ほんのちょっとだけ、思ったの。  もし、満席だったら……って。  電車だって、最初はいつ運転再開するんだろうって思ってたのに。  今は—— 「そう……だね」  ——旅が、終わる……?  ……わかってたはずなのに。来学期も始まるし、私は帰る。ノエルだって新しい場所に行く。  私たちは偶然、この街で出会って。たまたま少しの間、一緒にいるだけで——  なのに。それが当たり前みたいに思って。どうしてか、終わるなんて……少しも…… 「——よし。じゃ、セラ。今日は新市街にでも行くか」 「……えっ?」  うん、と頷きながら、ノエルは笑顔で言った。 「誕生日プレゼント、買うんだろ? だったら、そっちの方が色々ありそう。昨日見てた限り、旧市街の方はプレゼントになりそうなもの少なかったしな。食べてすぐ出て買いに行けば、夕方の飛行機には間に合う。余裕」 「うん……そうだね……あ、えっと、ノエルは、大丈夫? 私みたいに急ぎの用なんてなかった? 電車も動いたって言ってたけど……」 「俺は1日くらい延びたって、平気。それより、セラの方だろ」 「……うん。ありがとう、ノエル」 「じゃ、決まりだな!」  昨日のゆったりした朝食と違って、急ぎ気味でパンを食べて、コーヒーを飲む。そして、ホテルを出る準備をする。  荷物が片付けて、部屋が元あった通りになっていくのを見てると、それだけなのに……何かが、なくなってしまうような。  最後に、リネンがしわしわになったベッドにもう一度座って、部屋全体を眺める。  ——ここで私、ノエルに怒られて。それで、落ち着くまで一緒にいたんだっけ……  2日しか滞在してないのに、そんなこともなんだか愛着があるのに。  ……もう、出なきゃ。  何とか立ち上がって、ドアに向かう。だけど、その途中にある鏡の中の自分を見て——ふいに、足が止まる。  たった数十分前まで、ここで服がああだこうだなんて浮かれたように悩んでた自分が、まったく別の世界の人みたいで。何してたんだろ、私?  似合うとも、似合わないとも、言われなかったよね。帰ることが急に決まったから、私の服がどうかなんてそんな小さいこと、話すどころじゃなかった。  代わりに言われたのは—— 『よかったな、間に合いそうで』 「……」  それだってきっと、素直にそう思ったから、言っただけ。どうってことない言葉なのに……——  チェックアウトする時には、ホテルの主人夫婦が出て来てくれた。 「この街を気に入ってくれた?」  明るくて感じのいい笑顔をくれてた、奥さん。 「そ、それはもちろん! ね、ノエル。短かったけど、すごく……楽しかったです。いい思い出になりそうです」  ——思い出。  自分で言っておいて……その言葉に、心がざわつくくらいの寂しさを感じた。 「ああ」  ……ノエルは、いつもみたいに笑った。 「二人のおかげで、本当にいい時間を過ごせた。ありがと」  ホテルの主人夫婦は、笑った。最後に握手すると、ご主人が、祈るような仕草で手を組んで、言葉をかけてくれた。 「二人の旅と、今後の人生に、幸福がありますように」  私たちの旅と、今後の人生に……——   * 「う〜ん。何あげたらいいのかな……」  セラはショーウインドウの中を見つめながら、さっきから同じことを繰り返してる。  ——この街に来た日に電車から眺めてた、近代的なビル群の方まで移動した。時間短縮ってことで路面電車を使って。流れていく景色を見ながら、セラは『ここもゆっくり歩いてみたかったな』って言ってたけど……そうも言ってられないからな。それで飛行機に乗り遅れたら、セラにもセラの父さんにも申し訳ないし。ちゃんとプレゼントと一緒に、空港まで送り届けないと。それが今の俺の最大の使命。  路面電車を降りてショッピング街に足を踏み入れる。今日も晴れてて、少しひんやりした気持ちいい風が吹く。人は、まだ多くない。ちょうど開店し始める時間で、まだシャッターが閉まったままのところもあるけど——でも、少しずつ動き出していくような感じがする。  最初に辿り着いた通りは、いわゆるブランドショップが並んでるところみたいで——巨大な広告写真を貼った天井の高いガラス張りの建物に、黒いスーツを着た販売員がいたりして、朝市とは全く違う近寄りがたい雰囲気。それでも一応ショーウィンドウを眺めてみると…… 『高! 何だ、これ』 『やっぱりここは手が出ないね……』  値段を見て、そんな一言二言。あの値段の違いって何なんだろうねなんて話しながら、通り過ぎるしかなかった。  一つ裏の通りに移動すると、比較的手の出しやすい雑貨や、お土産品を売るお店が並んでいた。野外の朝市とは違って基本的に建物の中に商品は入ってるから、ショーウインドウを眺めながらだけど、いくつかはワゴンに入って建物の外にも置かれていたから、手に取ることも出来た。  その道を、セラは悩みながら、俺はセラのトロリーバッグをがらがら引きながら、歩いてる。 「本当はね……プレゼント選びって、自信がないの。何欲しいか聞いてから買う方が好きなんだ」 「意外。なんでかな。相手の喜ぶもの、選んでそう」 「うーんと……前お姉ちゃんの誕生日に、プレゼントあげたんだけどね。お前は私を何だと思ってるんだ、って怒られちゃったの」 「……何あげたんだ?」 「……サバイバルナイフ」 「それは……どうなんだ?」 「やっぱり、ノエルもそう思うんだね……」 「いや、どうしてもそれだっていうなら別だけど……姉さんって、そういうのが好きなのか? 軍人か何か、とか?」 「全然、そういうんじゃないけど……その時はどうしてか、それがいい!って思っちゃったんだよね。もっとかわいらしいものあげたらよかった……」  セラはうなだれた。今日は朝から元気ないのに、その時のことを思い出したからか余計落ち込んで見える。  何となく歩きにも元気がなくて、とぼとぼと歩いてる、って言ったらいいのか。 「ねえ——ノエル」 「ん?」 「お父さん……何あげたら、喜んでくれると思う?」  困った顔で見上げてくるけど、明らかに、難しい質問。 「……俺に聞く?」 「だって……男同士だから、何かわかるかなって」  悩んでるから、少しでも手伝えたら、とは思うけど。一応、試しに考えてみる。  何だろ。セラが自分の娘だとして、自分の誕生日に何かをくれようとしてる。その時、何だったら嬉しいかって聞かれたら? ……そんなの、何だって—— 「……セラがくれたら、何でも嬉しいと思う」  思いついたままに言ったら、セラは瞬きをして、満足とも不満ともつかない表情をした。 「……ありがとう。でも——それじゃ……何も言ってないのと同じだよ」  まあ……確かにそうか。難しいな。 「じゃあ、違う質問。ノエルは、みんなに何あげてたの?」  村のみんなに、か。それは答えやすいけど、きっとまた答えにならなさそうなんだよな。 「特に、物はあげてなかったな……」  でも、その時のことが思い浮かぶ。キッチンのある部屋にみんなで集まって、ああでもないこうでもないって言いながら…… 「——でも、特典はあった」 「特典?」 「ああ。俺のいた教会だと、誕生日のやつは、その日だけは手伝い免除でさ。代わりにみんなで、その人のためにちょっとしたご馳走を作るんだ。鳥の丸焼きとかさ、そういうの」 「あ……そういうの、いいね」 「特別なことはしてない。でも、その人が何事もなく無事に生きてきたことに、ただ感謝しよう。そういう日、かな」 「うん……素敵だね。誕生日って、そういうものなんだよね」  答えになってないってのは、わかってる。だけど、セラが笑顔になってくれると、嬉しい。 「俺自身、それでも嬉しかったんだ。みんな一緒に、自分の誕生日を祝ってくれてるってことがさ。だからセラの父さんも、セラがいれば、それだけですごく嬉しいんじゃないかって思ってた。それは、本当。——ごめんな、気の利いた提案できなくて」 「う、ううん。そんなことないよ。……嬉しいよ。ごめんね私こそ」 「でもセラが言ってたから、物があったらそれはそれで嬉しいんだろうなって。その人のこと、その時のこと、思い出すわけだし。  ——だからセラの父さんも、きっと同じ。もらったものを見れば、”忘れられそうだったけど、それでもセラが駆けつけてくれた日!” なーんて、思い出すのかもな」 「も、もう。忘れられそう、は余計なんだから」  つい笑ったら、セラは俺の背中をばしばし殴った。っていっても、別に痛くないけどな。 「ちゃんと買うってば。もう」  うん、いつもの調子。元気なさそうなセラより、やっぱり笑ったり、怒ってたりするセラの方がいいな。  ……そういえば。  手で叩かれて、気付いた。  今日は、手、つないでなかったな——  昨日は自然と、一日中つないでたけど。早くしなきゃって焦ってたせいか、今日はそういう風にならなくて。  いや、まあ……元々は人ごみではぐれないためだったし、ずっとつないでなきゃいけないわけじゃないけど——  少し先を歩く、セラの細い背中。行ったり来たりを繰り返しながら、セラは最終的にこの地域の伝統的な織物を使ったっていう落ち着いた色のネクタイを手に取った。 「定番かもしれないけど……仕事でも普段使いでも、使えた方がいいかなって。今までの反省も踏まえて」 「賛成。いいんじゃないか? それにこの辺にしかないっていう話だし、お土産にもなってる」 「だ、だよね? よかった」  会計を済ますころには、幾分ほっとした顔に変わってた。 「ありがとう、ノエル。あと……せっかくだから、みんなにも買っていくことにする」  またいろいろお店を回ってみて、姉さんにはかわいいデザインのポーチ、母さんには爽やかな色のエプロン、大学の仲間にはお菓子、ってたくさん買ってた。 「これで一安心、だな」 「そう、だね」  買ったものをうまくトロリーバッグに収めてるところを見ながら、……ふと思う。  ——今まで、物に特別こだわりを持ってきたわけじゃない。  だけど、少しずつ、認識が変わってるのを感じる。  物っていっても、ただの物じゃないんだな。そうやって特別な思いを込めて持ったり贈ったりすることも、あるんだな。 「——ノエルは、買わなくて大丈夫? お土産、とか」 「……うーん」  最初は、特に考えてなかった。でも、少しずつ…… 「ちょっと、考え中。……セラは、他にはいいのか?」 「あ、今考えてたところ。——自分へのお土産、買おうかなって思って。この街に来たこと……いつでも思い出せるように」 「……ああ、そうだな」  そういう物がなくたって、きっと……忘れないけど。  でも、それでも—— 「あ、セラ。あれ」  買ったものを詰め終わって、また歩き出して。店の並びを注意深く眺めていたら、ふいに心にひっかかるものがあって——足が止まった。 「えっ? 何?」 「あそこ。時計売ってる」  道の反対側。もう少し先。他と比べると少し小さめで、下手すると見落としそうな店構え。でもその看板には温かみのある絵で時計のロゴが描いてある。遠目にも、そのショーウインドウの中に時計らしきものが並べられているのが見て取れた。 「あ、ほんとだ」 「いいのあるかわからないけど、一昨日落としたままだろ? お土産兼ねて、ってのもいいんじゃないか?」 「うん、そうだね。見てみたい」  そうして時計屋に近づいていくと——急にセラが声を上げた。 「……あっ! モーグリ!」  近づいた時計屋のショーウインドウの隅にあったのは、ピンクの鼻をつけた白くて丸い生き物——の、ぬいぐるみ。  ——って、ぬいぐるみ? 時計屋に?  でもガラスの向こうには、確かに白くて丸い顔をしたぬいぐるみが座ってる。ぬいぐるみの上の方には、その生き物のイラストとその時計の写真が載ったポスター。よくよく見ると、その小さな足には時計が置かれていた。 「モーグリの時計! すごい! こんなのあるんだ……!」  セラは嬉しさと驚きの混ざった顔で、目を見張った。 「あのね、ノエル。すごいんだよ。モーグリ、知ってる? この子、すっごくかわいいでしょ! そのモーグリが持ってるステッキの先にある時計が、腕時計になってるんだよ!」 「わ、わかった、セラ。わかったから落ち着け」 「だって、嬉しくて……! 私ね、モーグリ、大好きなんだ」 「あのブタネコ?」  つい思ってたことを言ったら、セラは表情を変えた。 「えっ? ブタ……ネコ?」 「豚みたいな猫みたいな。ブサカワって言えばいいのか?」  そう言うと、セラは怒ったような顔で見上げる。 「ブタネコ……ブサカワ……。モ、モーグリはこう見えて森の妖精なんだよ!」 「知ってるって。——森の奥深くに住んでて、夜にだけ姿を現す不思議な生き物。翼があるのに飛ぶのを忘れるおっちょこちょい。人間を助けたり、逆に迷子になってて助けてもらったり。モットーはおきらくじんせい、ってな」  知ってることを並べてみる。セラは、首を傾げる。 「……あれ? 詳しいね?」 「小さい頃、アニメもよく見てた。というより、毎回」  他のみんなはそこまで興味なさそうだったけど、俺は——放送が始まる時間には、テレビの前で待機してたな。そんなに面白いのかよ?ってヤーニあたりには馬鹿にされたけど。 「なんだ、そうなんだ……! 嬉しい。男の子でそういう人、いなかったから」  あのねあのね、とセラは嬉しそうに言って、つけていたペンダントをまた見せてくれた。 「——このペンダントもね、お姉ちゃんからもらったって以外にも、好きなところがあって。ちょっと……モーグリに似てない? このピンクパールのあたり」 「その……鼻?」  言われてみればそうだ。昨日は、つやつやしててきれいだなとしか思ってなかったけど。触ったらクポクポ言いそうな気がしてくる。 「正解! それとノエルが言ってくれたみたいに、羽にも見えるかなって」 「納得。モーグリペンダントだな」 「あ、あとね、これと同じようなぬいぐるみも家にあるんだ」といって、ショーウインドウの中のぬいぐるみを指差した。「すべすべしてて、気持ちよくて。子供っぽいって思うかもしれないけど、よく一緒に寝てたの」 「へえ、いいな。こんなのあったら、俺投げつけるだろうな」 「な、投げる?!」 「アニメでもよく投げられてるだろ? 弾力あって、よく跳ね返ってきそう」 「も、もう。投げるんじゃなくて、撫でるんだよ。ほんとはね」  そう言いながら、ふいにセラが——言いにくそうに、だけど、真面目な顔をする。  「——あのね、ノエル。みんなが馬鹿にするから、最近はこういうこと言わなかったんだけど……ノエルだったら、言ってもいいかなって」 「? 何?」 「私……モーグリのこと、本当にどこかにいるって思ってたんだ」  すごく真剣な表情で切り出すから、何かと思えば——つい、笑ってしまった。 「もう! ノエルまで馬鹿にして!」 「ごめん、そうじゃない。怒るなよ。俺の秘密も話すから」 「……秘密って?」  怪訝そうに、見上げる。 「実際俺、最近までモグを探してた」 「えっ?」 「何のオチもない話で俺も馬鹿にされたりしたけど、妙に好きでさ。どうしても会ってみたいなって。  俺の村には森っていう森はないけど、小高い山があって、毎日登っててさ。木が生えてたら、もしかしたら陰から出てくるかも? って、つい探してた」 「……、ふふっ、そうなんだ……」  怒ったり驚いたりした顔から、だんだん笑いをこらえるような表情に変わっていって。 「今、セラも馬鹿にしただろ? 俺のこと」 「してない! ふふ、かわいい」  かわいい、か。嬉しくない形容詞だけど、まあこれはしょうがない。セラも笑ってるし、いいか。 「でも——別に冗談でもない」 「……うん」 「世の中何があるかわからないんだ。信じるのも悪くない、だろ?  そこに誰もいないのに、声が聞こえるなんてこともあるんだ。モグだって、どこかにいるんだってさ。それを誰かが見つけて、描いたから、アニメにもなったんだってさ」 「うん……本当に、そうだよね」 「いつか、探しに行ってみたいな。周りには、何馬鹿なことって大反対されるんだろうけどな」 「うん、行ってみたいね——」  行ってみたいね、か。  ——……  何となく、会話が途切れて——  開いてた店のドアから、ひょっこりと人影が姿を現す。 「こんにちは、いらっしゃいませ! モーグリちゃんの時計、気に入ってくれました?」  店の前で散々騒いでたからか、店員が出てきてくれた。若い、といっても俺たちよりは年上で、短くて赤い髪をした快活そうな女性。 「えっと……そうですね。このモーグリの時計、見せてもらってもいいですか?」  かしこまりましたお入りください、と笑顔で答えて、店内に案内してくれた。  店内は決して広くないけど、左右の壁一面に色んな色や素材と大きさの時計がかかっていて、中央には少し高級そうな雰囲気の金属の時計がガラスケースの中に収まっていた。 「モーグリ時計、かわいいですよね! ちゃんとあのステッキの時計を再現してて。でも、最初に言っておきますが、おもちゃじゃないですよ」  そう言いながらショーウインドウから時計を取り出して、真ん中のガラスケースの上の黒い布製の板の上に置いた。 「キャラものなので他と比べたらお求めやすい値段設定にはなってますが、ちゃんとしたメーカーで作ってるものですから、ものはしっかりしてるんです」  弁舌滑らかにたくさん説明してくれる。そういえば——ショーウインドウの中の値札を見たら、手頃な値段だったかな。 「普段使っていただいても自然なデザインですし、パッと見だとモーグリの時計!ってわからない人もいるでしょうね」  セラの視線の先にある時計は——ピンクゴールドで、時計盤の部分がまさにあのテレビの中のモーグリが持ってるステッキのままだった。でもベルトの部分はキャラものっぽくなく、細身のブレスレット。ステッキについてる丸っこい飾りがいくつも連なった、って言えばいいのか? 「でも時計盤の裏を見るとちゃんとモーグリの羽のロゴも彫られてて、モーグリ好きなら絶対持ってて嬉しいアイテム!」  そう言って時計盤の裏を見せてくれる。ほんとだ、とセラは声を上げた。シルバーの盤にさりげなく羽が彫られてる。……どっちにしても—— 「……いいんじゃないか? かわいいし、似合う」  細身のピンクゴールドが、セラによく似合うと思った。 「う、うん……ありがと……」  セラも、買う気になったみたいだ。その内に、なぜか雑談が始まった。「旅行中なんですねー」「でも今日帰るんです……」なんて店員とやり取りしてるセラの姿を見ながら、ふと、思い出すことがあった。  ——時計、か…… 『ノエル、時間は大事だからね。授業の時間だとか、誰かとの待合せ時間だとか。時間を大幅に遅れても気にしない人達もいるけど、ノエルはそうならないようにね』  ばあちゃんがそう言って、"入学したら買いなさいリスト"に入れてたもの。  今買う予定はなかったもの。……いや正確に言えば、新しい街に着いたらそのうち買おうとしてたもの。  でも……そのうち買うなら、別に旅行先で買ったって、いいのか?  ——もしそこに、セラみたいに、その時の気持ちや思い出を詰めておくことができるのなら……  きょろきょろと、周りを見渡す。ショーケースの中は手が出せないとはいえ、壁の方なら安めのメンズ用の時計も、たくさん置いてる。 「お兄さんも何かお探しですか?」 「……そうだな。そういえば俺も買わなきゃいけないんだった、って思い出して」 「ノエルも?」 「ああ。時間は大切だから、ばあさんが買いなさいって。他にも、安めの時計ないかな」 「たくさんありますけど、——それなら同じモーグリシリーズで、メンズ用もありますよ! お兄さんもモーグリお好きでしたらいかがですか?」 「そ、そんなんあるのか?」さっきは、セラの見てたやつしか目に入ってなかった。「でも俺がモーグリって……さすがにないだろ?」 「そんなことないですよ〜。ほら」  ぬいぐるみがあったショーウィンドウから、別の時計を取り出してくる。 「レディースは華奢でかわいらしい作りですけど、メンズはかっちりした作りしてますからね。それに確かに飾りもありますけど、全体的にシンプルで落ち着いたデザインですから、男性が身に着けてても自然ですよ」  確かに——こっちも時計盤の周りにモーグリのステッキの飾りが付いてる。でもレディース用とは違って、金属のベルト部分はすごくシンプル。色もシルバーで、言われなきゃ普通の時計と同じ。  だけど、想定外。 「モーグリ時計か……」  まさかのモーグリ時計。いや別に、他にどんなのが欲しかったってのは、全然ないけど。  その言葉を聞きつけたからか、セラが声をかけてくれた。 「ふふ、乗り気じゃなさそうだね。でも他にもたくさん時計あるし、ノエルは他にも色々見てみたら?」 「——いや」確かに想定してなかったかもしれない。でも、それでも……——  そう言いかけたところで、店員の押しの一手。 「あ、あとですねお兄さん。メンズとレディースどちらもお買い求めいただいたら、さらに10%のペア割引できるんです。お二人にとってもすごくお得ですよ〜! ご旅行の記念にもなりますし!」  その言葉に、セラと目を見合わせた。つい、苦笑いしてしまう。 「……商売上手だな。じゃあ、俺もそれにする」 「い、いいの?」 「ああ。俺もモグ好きだしな」  ——それだけじゃ、ないけど。 「ありがとうございます! 早速用意しますので、少々お待ちください」  それからは店員は駆け抜けるように準備をしてくれた。奥から新しいものを出してきてくれて、手首のサイズに合わせてちゃっちゃとベルトの長さを調整してくれた。その手際の良さはすごい。 「すぐ着けられるようにして、箱に入れておきますね」  調整も会計も全部終わって、時計を箱の中にしまいながら店員は言った。 「はい、ありがとうございます」 「あ、あとペアでご購入いただいた際の特典でモーグリのぬいぐるみもついてますからね。一緒に入れておきますね」  ぬ、ぬいぐるみ? オマケで? 「ペア割引にオマケ。世の中いろんなのがあるんだな」  俺の村じゃ、普通に値段があって買うとか、それくらいしかなかったのに。——ああ確かに、肉とか野菜を安売りするってこともあったけど、それと時計とはまた違う気がするし。 「喜んでいただけるなら、どうってことないんですよ」  笑顔で答える。ふうん、そんなもんか。  そして最後に、なぜか嬉しそうに楽しそうに、ふふ、と微笑んだ。 「——でも、いいですね。お揃いの時計っていいですよね」  ……お揃い?  あ。一緒のって、そういうことになるのか…… 「買っちゃった——ね、モーグリの時計」  セラは大事そうに紙袋を抱えた。 「すごく、嬉しい。こんなのあるなんて、知らなかった」 「俺も。大体モーグリのぬいぐるみだって、見たことなかったのに」 「ふふ、そうなんだ。——でも、大丈夫だった? 他に気になる時計なかった?」 「大丈夫。俺も気になってた。ずっと使える物だし、すごくいい買い物できた、って思う」  それは、本当。どうせそのうち買おうとしてた物だし。それだったら、こうして——いつでもこの時のこと、思い出せるような形で持てたら、って……思ったから。 「そっか、よかった」  ふう、と二人で息を吐く。 「……何とか一段落、だな。今はちょうど——」太陽もだいぶ上の方に昇って、足元の影が短くなっていた。「昼前、か。これなら、昼飯食べても余裕で間に合う。父さんも嬉しいだろうな」  セラは……無事に帰れる。セラの父さんも、喜ぶんだろうな。俺は、もう——父さんも母さんも、思い出せないから。”とうさん”って存在も、”かあさん”って存在も、想像でしかないけど。  生まれた時から、ずっと大切に、育ててきたんだろうな。この3日間俺が心配するよりもずっと長く、ずっと深く、気にかけてきたんだろうな。セラの父さんには会ったことはないけど、セラを見てると……何となくそんな気がする。  だからこそやっぱり、セラの父さんには——もちろん母さんにも、姉さんにも、セラが成長して無事帰ってきた姿を、見せてやらないと。ちゃんと、安心させてやりたい。 「あ、うん……そうだね」  バタバタしてさすがに疲れたのか、セラは元気がないように見えた。 「セラは、腹減ってない? 何か食べる?」  そうして、通りの真ん中にあった軽食店に立ち寄った。  昨日のレストランとは違って、先に支払う形式。そこは大学の食堂に似てる。ガラスの自動ドアを開けて、カウンターで注文してお金を払う。店内は席数が少なかったから、代わりに外に出る。店から突き出るように張った大きな青と白のストライプの日よけの下、メタリックな丸テーブルに座った。ショッピング街の人の流れもよく見えて、動きのある店。 「朝より、さすがに人が増えてきてるな」  今日はどちらかといえば、ぼうっと人の動きを見ながら気がついたことをぽつぽつ話してる感じ。昨日たくさんお互いの話をしたのもあるかもしれないし、それに——  セラ、疲れた?  さっきまではちゃんとプレゼント買わないとって俺自身気が張ってたけど、プレゼントも買ったしどうやら余裕で飛行機に間に合いそうだって段階になって、やっと俺も落ち着いたからか——初めてそこでちゃんとセラの様子を窺う。……今日は全体的に、あんまりしゃべらないんだよな。  ……セラとの旅の、最後の日なんだし。どうせなら今日もいっぱい、笑っててほしいけど……——  今日は朝から飛行機予約したり、ばたついてたからかもな……って言っても1日目だってストライキでばたついてたけど元気だった気もする。歩き疲れた——って言っても昨日もたくさん歩いてたけど平気そうだったし。いや、蓄積疲労? 3日も歩き回ってればさすがにそうかもな。でもモグの時計見つけた時は、すごく元気そうだった。それともあの時は特別? もう昼で腹減ったから元気ないのかと思ったけど、食べたら戻るわけでもなかった。それとも……えっ? え、あ、ばあちゃんが言ってたような、ユールにもナタルにもあるっていう、女の子特有の日が……とか——だとすると俺に打つ手はないのか——いや諦めるな。ただ必要なのは、気遣い……?  いや、不明。勝手な推測は厳禁。確かに話すのが少ないって言っても、話しかければ普通に返してくれるし、特に問題ないのかもしれないし。  一通り食べ終わると店員が食器を下げてくれた。あとはもうコーヒーはいいなってことで、俺はリンゴのサイダー割りを飲んだり、セラはフルーツティーを飲んだり。そんなこんな。  そうだ、とセラは言うと、さっきの時計屋の紙袋を椅子と背中の間から取り出した。 「えっと……この子はノエルに譲るね」  紙袋から取り出したのは、さっきもらったぼてっとしたぬいぐるみ。 「お、俺?!」 「うん。私の部屋には一つあるから。そしたらノエルかなって。撫でてもいいし、ほら、投げたりしてもいいし」  セラは、ぽんっと投げる素振りだけした。投げるなんて、って言ってたけどセラも楽しく投げてそう。——それにしても。 「お、俺の部屋に飾るのか……」  細い目でにこっとした、というよりにやっとした顔の白いぬいぐるみを見ながら、思う。確かにモグは好きだけど……自分の部屋にモーグリのぬいぐるみがある姿を想像してみる。——でも、違和感。俺の部屋、別に飾り気も何もないし、そこに突然この顔? いや、それともこういうのは慣れなのか? 時間が経てば、それが俺の帰りを待つ姿を自然だと思うのか…… 「お前……うちに来るか?」  ぬいぐるみの頭を触りながら、語りかける。クポ!って返事が聞こえる気さえする。それは嬉しいのか、嫌なのか。  まさか時計だけじゃなくて、ぬいぐるみまで俺の部屋に飾ることになるなんて、想像もしてなかった。 「ふふ、ノエルの部屋にモーグリがいるって、ちょっと意外な感じかもね」  ——だけど。セラが微笑むから、何だかすごく安心する。 「そうだな。——でも、了解。ありがたくもらっとくよ。これもお土産の一つだな」  モグの時計と、ぬいぐるみ。これがあれば、いつでもこの旅行のこと思い出せそうだな。この二つに、この旅行の記憶や思いを全部詰めて——  ……そういえば。 「セラの時計、ちょっと貸して」 「えっ? 私の?」  もうすぐ、セラは飛行機に乗って帰る。きっと落ち着いて話せるのは今が最後。……だから。 「うん。開けてもいい?」 「ん、いいよ」  白いリボンを外して、薄いピンク色の箱を開ける。落とさないようにそっと、目の高さまで上げてみる。ピンクゴールドのブレスレットが、太陽を浴びて、もっときれいに見える。 「セラ、手出して」  こう? とシルバーのテーブルの上に差し出された手を、取る。少し、ひんやりしてる。  昨日はずっと手をつないでたわけだけど——そういえば、まじまじと見たことはなかったかな。思ってた以上になのか、思ってた通りになのか、手首細いなと思う。  ——だけど、細いけど、すごく頑張ってる手だから。いや、手だけじゃないか——セラっていう存在は、きちんとすごい夢を見つけて、一歩ずつ歩いていってるから。 「セラのお守りに一つ追加……かな」 「——えっ?」  時計のバックルを外して、その手に通す。手首のところで、ぱちん、とはめる。 「この時計に、願掛け。——セラがどこにいても、俺とモグが、いつでもセラを守れるように。……セラがもっともっと、幸せに生きていけるように。そして世界も……幸せになるように」  今の俺の、一番の願い。  きっとセラは、姉さんも、父さんも、母さんも……そして周りの人、未来の生徒たちも、たくさんの人達を幸せにしていくから。そんなセラが、幸せに暮らしてないなんて絶対にありえない。  俺はもしかしたら、その場にいないかもしれない。だけど——この世界にとって宝石みたいな大切な存在が、ちゃんと守られるように。セラがいつも前を見て、夢に向かって歩いて——そして、セラ自身も幸せになれるように。この世界の平和と同じくらいに……セラの幸せも、大事だから。  俺がいなくても——その願いがこの時計に込められて、ずっとずっとセラを守っていければいい。——そういう、気持ち。 「……別に俺が買ってやったわけじゃないのに、偉そうかな?」  セラは勢いよく、首を振った。 「う……ううん。そんなことない——それに、一緒に買ったんだから……」 「そっか。そう言ってくれると、嬉しい。もう……なくすなよ」  うん。ここまで願掛けしたのに、この前みたいに前方不注意でどこかになくされると困る。 「な、なくさないよ。……絶対」  セラは、俯いて、首を振る。そして、「ノエルのも、貸して」と手を伸ばした。 「俺の?」 「私も……願掛け、する。私だって……ノエルに守られてばかりじゃないから」  その言葉に、微笑ましくなる。——そうだよな。確かに3日間一緒に行動して、それはわかった。セラは、守られるだけじゃないって。ちゃんと自分で考えて、行動していけるんだって。 「ああ、セラは——そうだよな。ありがと。じゃあ、頼むな」  セラもどことなくぎこちない手つきでスカイブルーの箱を開けて、俺の時計を取り出した。同じように時計のバックルを外して、祈るように手に取って、同じように、言う。 「……ノエルがどこにいても、私とモーグリも、ノエルを守れるように。ノエルも、もっともっと、幸せに……——」  ——だけど。  そう言ったまま、セラは言葉を止めた。俯いて動きを止めて、時計を、俺の手首にはめようとしなかった。 「……セラ?」 「ノエルは……平気なんだよね」  セラはまた俯いて……そっと、震えるような声で呟いた。  でも……へいき、って? 「お守りは、嬉しい。うまく言葉にはできないけど、本当に……すごく、すっごく嬉しいよ……。でも、だけどノエルは、お守りがあれば、それでもういいって思えるの?」 「もういいって……」 「3日間、楽しく過ごせた。もう……それで十分だって思うの? あとは私がどこで何してようと、お守りさえあればどうにかなるだろうって思うの?」  おまもりさえ、あれば……?  ——俺は、すぐに、何かを返すことができなかった。 「……私ね。広場でノエルとまた会う前も、考えてたの。——一瞬だけ会う人なんてたくさんいる。その時だけ会話を交わして、また会うかもしれないけど、もう会わないかもしれない。旅行中でも学校でも普段の生活でも、同じ。人にはそれぞれの人生があって、縁あってそれが少しだけ重なって、——離れる。もう少し長く一緒にいる人だってもしかしたら、少し長いか短いかだけの違いでしかなくて。それはもうどうしようもないこと。  ——でもだからこそ、こうして一緒に過ごせる時間を大切にしようとしてる。後悔しないように、一歩一歩進んでいってる。……ただ、それだけのこと……」  一度深い息を吐いて。そして、また吸って。 「でも……それでも私は」  顔を上げて、俺の顔を見る。その目には少しずつ、涙。 「……2回目までは、偶然だったかもしれない。でも3回目は、偶然じゃないの。偶然じゃ、嫌だったんだよ。また会うかもしれない、じゃ嫌だったの。  人違いしたのだって、ノエルを探してたからだよ。……後ろ姿が、ノエルに似てたから。あのお兄さんたちには、運命の女神が応援してるのは俺たちだなんて言われたけど——私には、そう思えなかった。私だって、どうしてかわからない。でもどうしても、ノエルにまた会いたい、って思ってたから——」  ……セラは、首を振って。伏せた目からは、涙が、落ちていく—— 「でも……ノエルは、違うんだよね」  セラは持っていた時計をテーブルに置く。じゃら、という固い音。セラはこらえるように、両手で口を覆った。 「ごめんね、私……お守り、つけてあげられない」  囁くくらいの声音で言うと、ゆっくりと椅子を引いて、立ち上がった。 「ノエル。この3日間、本当に——ありがとう。私……もう大丈夫。……ひとりで、空港行けるから」 (7)-1に続く
お待たせしていてすみません(>o<) 冒頭乙女っぽいセラさんは…たかせさんよりいただいた「セラは服を気にかけそう」というご意見とほたぴんさんよりいただいた「前日のノエルの台詞でバタバタしてそう」というご感想を、許可をいただきまして使わせていただき、ああなりました。なんだか甘酸っぱい……! その後のテンションとの上下が激しい回で、我ながら可哀想な感じになってしまったなあ…と思ったりしました(^^; セラの電話先との会話では、つい魔がさしてちょっとカオスな感じになってますけど……あれ……? いやもうすみませんm(_ _;)m そして、時計!!!!モグの時計がほしいです!とお願いして描いて頂いて、3ヶ月前には設定にあったのですがようやくお目見えです。まあ……ちょっとこれを巡る会話もまたアップダウンが大きくてすみませんです〜。 ストーリーとして元々考えてたものにたかせさんの何気ない一言でイメージを広げたらこんな不穏な感じになっております。ああノエセラ……。 たかせさんからも、「二人の想いがうまくかみ合ってないような、ちょっと不安な雰囲気を目指した…」という絵をいただきまして。ドキドキしながら見させて頂いております……(今回もお忙しい中絵を描いて頂いてありがとうございます!) でも微妙なズレ感っていうのもノエセラっぽい気がしてきてしまうようで、不思議です。 ※たかせさんの画廊も更新されていますので、ぜひご覧下さい〜。時計のデザインやセラの服も載ってます!徒歩gall さて、このお話も残るところあと1回となりました!! ご感想もいただいていて、本当にありがとうございます(*^_^*)とても嬉しく読ませて頂いております。私もたかせさんも本当に励みになります。 あと少し、おつきあいいただけたら嬉しいです!

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