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長い文章ですので、できるだけ目に優しい環境でお読みいただければと思います。

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永遠の空の下 [空のように、ひとつに] (5)

前回のお話  [空のように、ひとつに] (4)  その後私たちは市場のある通りを抜け出て、川沿いを目指した。 「あ、船!」  並木道をくぐって遊歩道に着くと、ノエルは声を上げた。  川のすぐそばの芝生に立ってみる。幅の広い、大きい川。空の色を反射してうっすら水色をした水面には、何隻かの船がゆっくりと身を滑らせていた。 「ほんとだね。小さいのもあるけど……あれは、遊覧フェリーかな。たくさん人が乗ってて、楽しそう」 「遊覧?」 「うん。船に乗って、この街の風景を眺めるものだよ」 「へえ、新鮮。そんなこともするんだ」 「あっちは、貨物船かな? たくさんコンテナ積んでて」 「貨物船、か。……なあ、セラ。あれは? 船、たくさんある」  ノエルの指差す方を見ると、川の向こう岸、少し遠いけど、確かにたくさんの船とその帆先が見えた。  さっき見えてた貨物船は、少しずつ少しずつその港に吸い込まれるようにして入っていった。 「港かな。そういえば確かこの街って、そういう交通の便がいい場所なんだよね。ターミナル駅もあって、ちょっと行けば空港もあって、こうして港もあって」 「河川港、か。初めて見る。って——港自体、初めてだけど」 「でも、私も港って初めて。普段の生活の中じゃ、直接触れる機会ないよね。何だか社会科見学みたい」 「意外。セラって、何でも知ってそうなイメージ」 「そ、そんなことないよ。知らないことばっかりだよ。旅行だって、自分だけじゃしたことないし」 「へえ、そうなんだ」 「この旅行もね、留学の帰りにせっかくだから旅行してみようって思ったからなんだ。電車で少し寄り道して、行ったことない街を見ながら帰ろうかなって。——でも、ストライキがなかったらこの街に寄ってなかったかもね」 「そっか。似たようなもんか」 「そうなの? ノエルは——あ、大学に行く途中で寄ってみた……とか?」 「大正解。安く周遊券買って、色んなところ回って、それで大学に向かおうかと。でも俺も、ストライキがなかったら別のところに行ってたかもな」 「じゃあ……——本当に偶然だったんだね。駅で会ったのも、朝市でも、広場でも」 「そういうこと」  旅行しようって思いついたから。偶然ストライキがあったから。そうじゃなかったら、出会ってなかった。  そう思うと、すごく……不思議な気分。人が出会うって、本当に偶然が重なってできることなのかもしれないね。  ……そういえば。 「ねえ、ノエル」 「ん?」 「ノエルは今まで、どういうところで育ったの?」  本当にずっと、私の話ばかり聞いてもらっちゃってたし。さっき話してくれた時も——あまり、ちゃんと聞けなかった。 「うーん。本当に、小さい村。山のふもとにあってさ、坂道が多くて。色々、こことは違うかな」  芝生から遊歩道に戻って、ゆっくりと歩き始める。 「色々……って?」 「天気も、人の表情も」  ほら、ってノエルは手を空に伸ばした。 「ここって昨日も今日も、晴れてるだろ? ……それに広場にも通りにも、人がたくさんいるけど、みんな表情柔らかくてさ。  でも俺の村はいつも灰色で、よく曇ってた。それに色んなことがあってさ、俯きがちな人が多くて。みんな大変だったし、仕方ない。  それでもみんな、精一杯暮らしてて——……俺は、その村の、教会で育った」 「……教会?」 「うん。小さい頃から両親がいなくてさ。もう、覚えてないんだ。いたのかどうかも——よくわからない」 「……そうなんだ」  ノエルには、お父さんも、お母さんも、いないんだ……  それに、もう覚えていないってことは、本当に小さい頃から両親のいないところで育った、っていうことなのかな。  ……急に、何て言えばいいのか、わからなくなる。 「——……セラ?」  返す言葉に戸惑っていると、ふいに、ノエルが握ってた手にきゅっと力を込めた。 「? どうしたの?」 「気にしてくれたのか? ありがとな」 「えっ?」 「今セラが、手をぎゅっとしてくれたから」  そんなこと言うから、びっくりする。 「あ、そ、そうだったかな。無意識だったみたい」 「うん、ありがと」  てっきりノエルからだって思ってたのに。何だか、恥ずかしい。  ——そういえば、今気付いたけど……  朝市の通りは抜けたし、人ごみはなくなった。もちろんこの遊歩道には人も歩いてるし、たまにジョギングしてる人もいる。でも、ぶつかる程じゃない。  だから、その必要はなくなったはず。だけど……  そういえば、ずっと手をつなぎっぱなしだったんだって、今ごろ気付いた。  でも……いいのかな。別に、このままでも……。 「だけど、大丈夫」心配いらない、って顔して、ノエルは明るい声で言った。「教会に引き取られたけど、そこに、他にも親のいない子供達がいてさ。みんな、一緒に育ったんだ。だから、寂しくなかった。帰ればいつも誰かいたし、むしろすごく……温かくてさ」 「そうなんだ。何人もいたの?」 「引き取ってくれたのは、牧師で、みんなが"ばあちゃん"って呼んでた人。他にいたのは、ユールと、ヤーニと、リーゴと、ナタル。あと俺。だから、6人家族だな。みんなで食事作り分担したり、教会の手伝いしたり。みんな大変な時もあったけど——支え合ってた、って思う。みんな、大切」 「そっか……そうなんだ」  心の中が、ほっとして、落ち着いてくる。  両親がいたかどうかも、覚えてない。だけどノエルは、ひとりだけで、寂しさや悲しさを抱えて生きてきたわけじゃない。もしかしたら大変なこともあったかもしれない。それでも、大切に思う人達と、支え合って、一緒に生きてきた。  ——そんなこと、わかってたはずなのにね。ノエル見てたら、ノエルだって温かい人達に囲まれて——素直にまっすぐ育ってきたんだよね、って思うんだ。  私もノエルが言ってたみたいに、"想像"してみる。歳の近い子供たちと、わいわいおしゃべりしてたのかな。たまには喧嘩もしながらも、励まし合ったりしてきたのかな。——多くを聞かなくても、すごく温かい気持ちになる。 「……よかった」 「ん?」 「ノエルも私のこと、幸せに育ってきたって言ってくれたけど、私も同じこと思うよ。ノエルもそうやって、大切な人達と、一緒に生きてきたんだね。——すごく、嬉しい……」  照れたように、笑って。「そ、そうかな」その照れを隠すように、私に質問を返してくる。「セラのところは? 姉さんの他は?」 「あとはお父さんとお母さんがいるよ。だから、4人家族」へえ、とノエル。「だからきっと、ノエルのところの方が賑やかだね」 「そう……だな」  だけど、少しだけノエルの声のトーンが低くなった。  あれ? って思って、ノエルの顔を覗き込む。視線に気付いて微笑むけど、少し寂しそうに、首を振って。 「でも、あそこには、もう戻れないな——」 「……えっ?」戻れない? 戻れないって……「どうして? 何か……あったの?」 「あ、いや……」  ノエルは、少し慌てたようにまた首を振った。 「ごめん、誤解招く言葉だったかな。もちろん、いつでも戻ってきてもいい、って言ってくれたけどさ。  みんな、停滞してた俺を見かねて、ちゃんと前に進めって言って、背中を押してくれたから……だから当分、何かしたって思えるまで戻れないな、ってこと。  いつでも戻れるなんて思ってたら、弱くなりそうだから。それくらいでいいんだけどさ」 「……ノエル」  あ、また。そういうところ。  ちゃんとやらなきゃ。頑張らなきゃ。そういう、どこか張りつめたような感覚が伝わってくる。  ノエルは、人にはすごく優しくて、思いやりを持って接するけど。きっと自分に対しては、……すごく厳しいんだ。  でも——どうしてそうなのかな……? そういうノエルを見てると、私まで、心を絞られるように……苦しくなる。  そうして歩いてると、ノエルが「座る?」って言う。見ると、川が見えるように置かれたベンチ。うん、って頷いて、座った。ノエルもバックパックを足下に下ろして、少し伸びをしてから座った。ゆったりした川の流れが見れて、過ごしやすい。たまに吹く風が気持ちいい。 「——このペンダントはさ」昨日私が見せたみたいに、ノエルも着けてたペンダントを手にとって見せてくれる。「旅立つ時に、一緒に教会で育ったユールって子にもらったんだ」 「そうなんだ。羽……だよね」 「生命の神のカイアスっているだろ? そのカイアスが頭につけてるやつがモチーフ」 「うん、わかるよ。かっこいいね」  昨日から見てた、シルバーのペンダント。動くたびに、2枚の羽の形をしたトップが揺れてて。男の子らしくっていいなあ、って思ってた。 「でもさ。セラのペンダントがいつも安心をくれるお守りっていうなら、俺のは、そういうのじゃないな。守ってもらってるって感じじゃない」 「そうなの? じゃあ、どういうもの?」 「何かさ、いつも叱咤されてる気分。さっさと立て、さっさと歩けってさ。それはそれで、必要だけどな」 「ふふ。カイアスって、生命の神って言ってもどっちかって言ったら厳格な神様だもんね、そういうのもあるのかもしれないね」 「かもな」  ノエルは、小さく笑って。 「そうやってみんなから背中押されないと……俺は、出られなかったんだよな」  雲の浮かぶ空を見上げて、ため息が漏れて聞こえそうな声で言うから。 「そ……そんなことないよ!」  自分でもびっくりするくらい、大きい声。近くにいた一組の男女が一瞬だけ振り向いて、また歩いていく。  ノエルは、笑う。だけど、どこか寂しそうに。 「ありがと。でも、そういうことあるんだ」 「……そんなこと、ほんとに……」  そんなこと、ないのに。どうして、そんな風に思うんだろう……?  そういえば昨日大学の話してた時も、不安だって言ってた。 『覚悟はしてるけど…知らない世界に一人で放り込まれるのって、想像以上に怖くてさ』  何も知らない、新しい環境に飛び込むことは、誰だって不安に感じることはある。  わかるよ、その気持ち。私だって、足を踏み出す前はすごく怖かったんだから。でも飛び込んでしまえば、足を踏み出してしまえば——心配いらないんだよ、大丈夫なんだよって、わかってほしくて。いろんなこと、話した。 『だから、ノエルも大丈夫。そんなに気負わなくても、絶対大丈夫だからね』 『……セラ先生が言うなら、間違いないかな』  あの時ノエルは、照れたように笑ってたから。ただ、嬉しくて。それだけで、私は安心してた。  一回私が何か言ったからって、その人の考えがすっかり変わる。不安が、安心に変わる。そんなこと、思ってたわけじゃないけど……。 「……そういえばセラは——留学、したのか? さっき、言ってた」  突然、また話は私の方に戻ってきた。ノエルの話、聞いてたはずなのに。ノエルが聞きたいなら、いくらでも話す気はあるけど…… 「あ……うん。それは言ってなかったんだっけ。短期留学なんだけどね。  ——私、先生になりたいってことは、言ったでしょう? 私、……勉強したくてもできる環境にない子どもたちの元へ行って、教えてあげたいの」 「勉強したくてもできる環境にない……」  うん、と頷く。「例えば——長く戦争が続いてて、勉強できない子供たち。そういう子供は、戦争のある国にだけいるわけじゃない。戦争のない国——きっと、この国にだって——戦渦から逃れて、難民として暮らしてる人もいる。……去年ね、子供たちに本を読み聞かせるボランティアに参加した時にも、そういう子供がいたよ」  読み聞かせそのものは、楽しんでくれてたって思う。でもやっぱり他の子供とは顔つきが違ってて、不安、悲しみ、心配——そんなものをどこかに隠し持っていて、100%の笑顔を見せてくれてたわけじゃないって、どうしても感じた。少しだけでも助けになれたら、って思えたけど、歯がゆさが残って…… 「私はいつも、当たり前のように勉強していた。でも、勉強したいっていう気持ちがあるのに、その環境が、そうさせない人がいる。食べるだけで必死、生きてくだけで精一杯。生きるか、死ぬか。将来の夢なんて、ない。あるとしたら、生きてること。そんな人がいる。  そういう子供たちがいることは、昔から知ってて、何かしたいって思ってた。でも——どうしてか、ずっと忘れてて——」  そう、昔は確かにそう思ってた。大切なこと。なのに、……どうして、忘れてたんだろう?  誰かと話したから、そう思うようになったはずなのに。なのに、——誰と話していたのか、思い出せない。大切な記憶だって、思うのに。どうしてか、すり抜けていって。そして——いつの間にか、思い出さなくなってたんだ。 「——でも、ノエルがさっき言ってた、民族紛争のニュースを見て……私、はっきり思い出したの。そういう子供たちにも、勉強を教えたかったんだって。  だから、色々調べて。教育専門の大学で、そういう子供たち向けに特化したコースがあるって知って、参加したの。——だからね、あのニュースが私を変えてくれる一つのきっかけになったって言ったのは、本当なの。それまでは何もできてなかったけど、ちゃんとお姉ちゃんにもみんなにも、もちろんお父さんにもお母さんにも……やりたいことを話して、留学のこともわかってもらって……」  ノエルはずっと、何も言わなかった。どうしてか心もとなくなって、声が細くなっていく。  しばらくしてノエルは、そっか、って小さく呟いた。 「先生になりたい……か。勉強できない人たちのために、教えたい、か……」  だけど。 「セラの言ってること、すごく、いいことだって——本当に、思ってる。……でも」  低くなる、声のトーン。  "でも"。——雰囲気からして、その言葉の続きは……いい言葉が続くわけじゃないって、わかったけど。  だけど、……どうして? 心が、深く、重く、沈んでいく。 「セラがどういうことを想定してるかわからない。でも、場合によっては危険だって——ちゃんと、認識してる?」 「……それは、もちろん——」  留学先でだって、そういう話もあった。だから、わかってるつもり。  そう言いかけたのに、ノエルの言葉が、すごく——悲しくて。気持ちも、声も、細っていく。 「もしそれが戦地に近いなら、セラ本人だって——危険なことだって、あるんじゃないのか?」 「そう……だね」 「勉強したいのにできない子供達に教えたい、その気持ちはわかる。いいことだって、思う。……でも、だからって、自分が犠牲になったら?」  どういう場所で、どういう風に教えるのか。そこまではまだ、具体的に考えきれてない。そこまで考えることないんだよって、言えたのかもしれない。  でも、そういう言い訳で逃げるなんて、考えられなくて。それよりも——  なんでなのか、わからない。  だけど私は、そんなことを——ノエルから聞くなんて……これっぽっちも思ってなかったの。  ノエルだったら、私のやりたいことに賛成してくれるんじゃないかって——勝手に、思い込んでいたの。  この二日間でさえ、あれだけ、ノエルに心配かけたのに。その度に、私が申し訳なくなるくらい、心配してくれてたのに。  広場で会った時だって、言われたんだっけ。私が間違えて、違う人に話しかけちゃったから—— 『確かに今回はすぐどっか行ってくれたけど。相手次第じゃ、もしかしたら強引にしてたかもしれないんだぞ?』 『……だよね』 『大体! あんた、わかってるのか。……そもそもあんたみたいなのが一人で出歩いてたら、危ないに決まってるだろ!』  それと、昨日の夜も—— 『あんたは毎回どうしてそうなんだ! 危険って、言ってるだろ? 寝るなら、ひとこと言え! あと、ちゃんと鍵かけろ!』 『え、えっ? 鍵? あ……』 『やっぱり、疲れてたんだよな? それは理解する。でも、最低限ってのがあるだろ? 何かあってからじゃ遅いんだからな!』 『ご、ごめんね……心配かけて……。いつもはこんなことないのに——』 『いつもはそうじゃない、大丈夫だって思ってた。大抵そういう気持ちが、油断につながる。命取りにだってなるんだ』  最後の言葉も。 『……考えたことある? 取り残される方の、気持ちなんて——』 『だって、セラに何かあったらどうする? 俺、守るって言ったのに!……大丈夫だって、信じたかったのに——俺は、ひとりだけで、残されて——』  そして、涙を流していたのを……私は、見ていたのに。私まで苦しくなるくらい、辛そうにしていたのに。  そういうのじゃなくたって、今日の午前中だって——、ずっと同じだった。人ごみの中で、またはぐれないように、誰かにぶつからないようにって、いつも、気にかけててくれてて。——昨日よりずっと、歩きやすかった……って、思うんだ。  ノエルはそうやって、人一倍心配するんだって、私は……知ってたのに。 「ノエルは……やっぱり、反対?」  勝手に賛成してくれることを期待して、勝手に落ち込んで。って——私は、何やってるんだろう……。 「反対、って言ったら……やめるのか?」  静かな問いかけの言葉が、耳に届く。 「そ、そんなこと……!」思わず横を向いて、ノエルの方向に向き直って。「その夢は……私にとって、大切な夢だから。やっと、思い出せたの。大切な、約束なの。まだ一歩しか……ほんのちょっとしか踏み出してないし、どんな形になるかもまだわからないけど、だけど、少しずつ進んでいきたいから。だから——」 「——……うん。セラらしい、な」  向き直って見上げたノエルの顔は、日差しを背に受けて、少し陰っていて——それでも、すごく真剣な顔。 「セラ。一つだけ、言っとく」 「う、うん」  ノエルはしばらく目を閉じて、そしてまた開けて、言った。 「昨日からずっと、同じこと言ってる。口うるさいし、大げさ。その自覚はある。いつもはそうじゃないけど、セラに対しては、言っても言い過ぎることない。だから、今から俺が言うこと、絶対覚えててほしい」 「——うん」  ノエルの勢いと強さに呑まれるように、首を縦に振る。 「セラは——俺にとって、すごく……大事な人」 「……えっ?」 「セラは、この世界に絶対、いてほしいって思う。セラがいなかったらきっと……この世界は、色がなくなっていくと思う。——だから」  一つ一つの言葉が、有無を言わさないほど力強くて。 「どこにいても、自分を大事にすること。他の人を助けるためだとしても、自分もちゃんと守ること。自分がいなくなったらどうなるって、常に考えること。  セラがいなきゃ、セラから教わるはずだった子供が、教われなくなる。セラが守りたいものも、守れなくなる。みんな、悲しむ。……俺も、絶対に嫌だ」  まぶたがじわっとするような、鼻がつんとするような。そんな感覚。  昨日の夜も、言ってた。私が自分を大事にしなかったら、いなくなったら、どうするんだって。あの時は、ノエルは——その深い色の瞳から、涙をたくさんこぼして。 「だから——約束。生きること、諦めないこと」  ——……あ。  その言葉は……大きな重みと響きを持って、心の中に入ってきた。圧迫感すら感じるほどに、胸の奥で大きくなっていく。 「意外としっかりしてるのは、もうわかってるけど。でも、何かのために頑張りすぎて、自分を駄目にしてしまわないように。自分を軽く、扱わないように。いつ何があっても、最後まで生きて、どうするか——考えること」 「そう、だね。私がいなくなったら……——悲しむ人が、いるんだよ……ね」 「ああ、そういうこと。だから、俺の言ったこと約束できないなら、俺は、反対。セラを行かせられない」  ……どうしてかな?  今まで私は、心配されるのが——ありがたいって思うのに、素直に言えば、少しだけ居心地が悪かったんだ。  そんなに心配されなくたって、大丈夫なのに。私だけ甘やかされなくたって、私だって……みんなと一緒に、やれるのに。そんなに壊れ物にでも触れるようにしなくたって……私は、平気だよって——  でも今は、違う。嫌な気分なんて、何にもなくて。  ……誰が、ここまで本気で気にかけてくれたんだろう、って—— 「うん……絶対、約束する。絶対、生きるって……」  何度も何度も、頷いて。身体中が苦しいほど、泣きそうになる。  でも、ここでは泣いちゃ駄目。私の夢だから。こんなところじゃ、泣いちゃ駄目。 「……夢の明るいところだけを見ていたら、またどこかで足下すくわれるかもしれないから。だから、ちゃんと気をつける。注意する。……そういうことなんだよね……?」 「うん。危険だから何もするななんて、思わない。ただ、危険とうまく付き合えばいいだけ。ちゃんと、身を守るすべを身につけること。護身術習ったなら、続けること。歩く時は、周り見て。間違えたなんて言って、よくない人に話しかけないこと。——……って、ごめん」はたと気付いた顔をして、ノエルは頭を掻いた。「一つだけって言ったのに……たくさん言ってた」 「う、ううん、いいの! 必要なことだから。 ……ちゃんと言ってくれて、本当に嬉しい……」 「そっか」ノエルは安心したように、頷いた。「でも、それさえすれば——」  風になびく、さらさらとした髪。ノエルの顔は、相変わらず日陰になってて。それでも、ふいにノエルが表情を柔らかくしたのが、わかった。 「セラなら……できるよ」 「——えっ?」  ……その言葉に、思わず、その柔らかい笑顔を見つめた。 「最初は本当に、危なっかしいなって思ってたのに。人は見かけによらない、ってやつかな。話してみたら、しっかりしてて。ちゃんと夢を持っててさ。一歩一歩、着実に歩いていってる。  大変な子供もいるかもしれない。なかなか勉強に来られない子供もいるかもしれない。それでもセラは、絶対投げ出さない。だろ?」  "セラなら、できるよ"——その響きを……私は、知ってる……?  いつ、聞いた? 1回だけじゃない。いつだって、迷った時にも、落ち込んだ時にも。どこからか、聞こえてた。心が、知ってた。  いつから、知ってた? 小さい頃には、もう。そのずっと、前から……—— 「勉強したいのにできない世界中の子供たちが、みーんなセラの授業を受けられるなんて、さすがに思わないけどさ。それでも一人でも多くの子供が、セラ先生の授業受けてさ。そいつらがまた大きくなって、セラの言ってたこと覚えてたり、また同じように先生になったりしてさ、セラと同じこと言うようになってたりしてな。  それが広がってったら——それって、未来を変えてるってことだよな」 「……あ」  何も、確証なんてない。だけど、心が確信してるかのように。  いつも、聞こえてた。いつも励ましてくれてた、その声が——  だけど、だから、もう一度だけ聞きたくて。 「もう一回……言って?」  なんだ、ってノエルはまた少し笑って。 「セラなら、できるよ。いい先生になれる。……未来を変えられるよ」 「……ねえ」  しばらく目を伏せてたセラが、ふいに俺の方を見た。 「ん?」 「ノエルがそういう風に言ってくれること。——すごく、すごく嬉しい。でも……違和感」 「えっ?」  違和感? ……何に? セラが何を言おうとしてるのか、見当がつかない。 「だって、ノエルは? 私……ノエルの話、聞いてない」 「俺? ——別に……俺の話はいいだろ?」  つい、セラから目を逸らす。 「よくないよ。だって……私だけじゃない。ノエルだって、同じじゃないの? 未来を変えるんじゃないの?」 「……俺、は——」  ——本当は。 『ノエルは今まで、どういうところで育ったの?』  今まで俺がどう育ってきたか。それを話すのは、問題ない。親を覚えていないことも、教会で育ったことも、それはそれだったって思う。気後れは……ない。だけど…… 『そうやってみんなから背中押されないと……俺は、出られなかったんだよな』  だけど、今の自分は何なのか? これからの自分がどうしていくのか? ——そんな話になると、途端に語るべき言葉が見つからなくなる。 『外に出ていったら、いいと思う』 『お前がやらないってなら誰がやるってんだよ。ったく』 『行きたい場所に行って、会いたい人に会いなさい。大きな場所に、羽ばたいていきなさい』 『小さくまとまらないで、社会に大きく羽ばたいていってほしい。ノエルくんなら、絶対にできるから』 『いろんな世界を見て、いろんな人と会って、自分の道を見つけて。そして、新しい明日を、わたしに視せて』  みんな、そう言ってくれるかもしれない。 『——だから、ノエルも大丈夫。そんなに気負わなくても、絶対大丈夫だからね』  セラだって、そう。嬉しかった。けど——  何もまだ、わからない。村は出てはみたけど、行き先はまだぼんやりして、曖昧。  まだ出たばっかりじゃないかって言われたら、正しい。ゆっくり探せばいいって言われたら、それもそうかもしれない。でも。 『勉強したくてもできる環境にない子どもたちの元へ行って、教えてあげたいの』 『その夢は……私にとって、大切な夢だから。まだ一歩しか……ほんのちょっとしか踏み出してないし、どんな形になるかもまだわからないけど、だけど、少しずつ進んでいきたいから——』  決意の込められた眼差しと、言葉。それを目の当たりにしてしまったら—— 「セラは……すごい。でも——」  もしかしたらその夢は、危険を伴うかもしれない。そう思ったらまた、昨日の夜みたいに……言いようのない不安に襲われて。自分でもわからないくらい心が押しつぶされそうになって。  だけど、そんなことは、もう言えなくなってた。  ——俺だって、少し道が違ってたら、勉強したくてもできなかったかもしれない。幸いにしてばあちゃんに引き取ってもらって、学校にも通わせてもらえたけど。そうじゃなかったら? 毎日、生きるか死ぬか。ただそれだけだったかもしれない。そういう子供は、世界にはたくさんいるから。  セラの見てる夢は、宝石みたいにきれいで、尊いもの。そういうものに出会って、心が——詰まりそうなくらいに、嬉しくて。その存在がこの世界にあることに、——言いようのない感謝を感じて……  でも、一方で。 「だけど俺は……セラみたいには、できてないな」  卑屈になってるつもり、ない。なのに、セラと比較したら、今の自分の不足を、段々と認識する。  だから俺の話なんて、しなくてもいいかって……本当は、思ってた。 「——子供たちに勉強を教えたい。叶えたい夢があること。そのために留学すること。ちゃんと自分で、みんなに言えたんだろ?」 「それは、そう……だけど……」 「俺はさ。……セラみたいに、はっきりとした夢、持ってなかった。  小さい頃、唯一覚えてること。教会の壁にもたれかかって、ひとりで座っててさ。寂しくて——不安で……それに比べたらみんなとの生活は、夢みたいなものだった。大切にしてくれた人達、大切にしていきたい人達がいてさ。みんなと一緒に、穏やかに生きていくこと。みんなが何かの恐怖に怯えることなく、前を向いて生きていくこと。強いていえば、それが……俺の夢だった。それ以外はなくていいって、本気で思ってた。——小さい夢だろ?」  セラは、首を振った。 「結局は……そう言い聞かせてるだけだって、言われたんだけどさ」  今でも、思い出す。ユールが、ノエルは納得してないって、的確なこと言ってくれた。ヤーニが、お前がやらないってなら誰がやるってんだよって、口は悪くても力強く言ってくれた。ばあちゃんが、大きな場所に羽ばたいていきなさいって、優しく言ってくれた。……俺が、何も言えないから。 「確かに、漠然と村の外を見てみたい気持ちはあった。何かに納得してない気持ちはあった。でも、どうしても——そうだな」ふと、セラが言ってたことを思い出して。「ちょっと前のセラと、同じなのかな。……足を踏み出すことが、どうしても怖かった。よかれと思ってやったことでも、みんなが苦しむんじゃないか。——ほんとはそんなの現実になってないのに。みんなが苦しんで、倒れてる姿が目に浮かぶようで……——あの、戦争のニュースみたいにさ。人が倒れてる姿。どうしてもあれが、自分の行動の結果のようにすら、思えて——苦しくて」 「……ノエル」  あのままだったら、今頃、そして今後も、俺はどうしてたんだろうなって考える。あの村を出ずに、生きていってたのか。大切な人達との穏やかな生活に、満足してたのか。それとも、もやもやした気持ちを抱えたまま過ごしてたのか。 「だから、村を出たいって、自分からはどうしても言えなかった。あの夢のような生活の中にいればいいんだって——思い込もうとしてた。みんなが出ろって言ってくれなかったら、きっと……ずっとあのままだったな」  ——……?  自分で言ってて、何か違和感。違和感という言葉も、適切かわからないけど。  同じようなこと、どこかで言ったような気がする。  ……既視感?  でも、いつ? どこで? だれに? ……考えてみても、答えが浮かぶわけじゃない。また、いつものあの感覚。何となくそう感じるだけで——たぐり寄せても、掴めない。  わからなくて、ただ首を振る。 「だから……ごめんな、セラ。俺……セラに胸張って言えること、何もないんだ」 「……ノエルは」  セラは、自分の手をぎゅっと握るようにして。 「後押しがなかったら出れなかったって言うかもしれない。でも、私はそう思わないよ。ノエルがちゃんと心からそれを望んでたから……だから行動に移せたんだって、思う」 「……セラ」 「だって、いくら人が言ったって、自分が本当にそれを願ってなかったら……実現なんてしないんだよ。助けがあっても、ちゃんと自分で出たいって思わなかったら、助けられないんだよ。  先生と生徒も同じ。いくら先生が助けようとしたって、生徒が本当にそう思ってなかったら、何もできないの。やるのは先生じゃなくて、生徒だから。  ノエルも、同じ。ノエルが出たいって思ったから、——出れたんだよ。自分で何かをしたい、っていう気持ちが、ちゃんとノエルの中にあったから——」 「……そうかな」 「——それに、ノエルは私のことすごいって言うかもしれないけど。私だって、同じ。私だって……助けてもらったんだよ」  自分の話ばっかりしてごめんね、と前置きして、セラは続けた。 「大学に入って、仲良しのみんなと出会って。——私にとっては、夢見たような生活だったの。毎日が、幸せで……お姉ちゃんがいて、スノウがいて、レブロもユージュもガドーもマーキーも……みんな仲よしで。ホープくんも、ヴァニラもファングも、いつも生き生きして、笑ってて。サッズさんが、奥さんとドッジくんを連れてくることもあって……  ノエルの言った通り、私の周りにはたくさんの人がいた。穏やかな暮らし。それだけで幸せで、満ち足りていたはずで。——でも!」  セラは今にも泣き出しそうな顔をしながら、心の中のものを全部吐き出すように。 「でも、いつも、声が聞こえてた。目の前にいない誰かが、いつも私に語りかけてる気がしたの。……振り返るたびに、懐かしくなる。なのに顔も名前も、声さえも思い出せなくて……  小さい頃は、もっと聞こえてたはずなの。空を見上げたら、いつも優しい声が……聞こえてたんだよ。でも周りを見回しても、誰もいなくて。だけど——すごくすごく、会いたくなって。その人と、約束してたはずのこと。私は……まだちゃんと、叶えられてなくて……」  そこまで言ってから、セラは小さくと息を吐き出した。 「——誰かの声が聞こえたような気がして、なんて……そんなの、ありえないのにね……」 「……いや」  村のみんなは、理由のわからない何かにいつも苦しんでた。だったら、セラも——?  それに、声。声だったら…… 『……ノエルなら、大丈夫だよ——』  ふいに思い出したのは、先生から大学進学を勧められたあたりから聞こえ始めた、優しい声。聞こえたのは多分、あの時が初めてだったけど——  誰なのか、わからない。だけど。  今思えば……セラみたいな、優しい声だったな……って 「俺も、そういうこと……あるから」 「ノエルも?」 「きっと世の中、ありえることばかりじゃない。ありえないことが現実になることも、あるさ。もしかしたら、誰かと時空を超えて、通じ合ってるのかもな」 「うん……ありがとう、ノエル。そっか。じゃあ、そんなにおかしいことでもなかったのかな」  ふふ、とセラは小さく笑う。 「でも昔はね、お姉ちゃんはそういうことないって言ってたから、私だけ変だって思ってた。  だから今までは、心の中にしまい込んでた。どうやったら会えるのかも……わからないし。それに、もし会いたいって思って足を踏み出したら? 鏡の中にある、別の世界を覗き込んだら? ……戻れなくなる。何か悪いことが起きる。そう思ったら……どうしても、怖くて。——満たされた日常が、かけがえのない幸せが、いつまでも続いてほしいって、それだけを願ってた……  大学だってもう少しで4年生って時期になっても、何もできなかった。……そんな私に、私の心の何かが、違うって叫ぶのに。どうしてもどうしても、消さないでって叫ぶのに。自分がどうしたいのか……自分の気持ちを見つめることが、できなかったの」  ……同じ? 『俺は……過ちを、犯したくない。失敗したくないんだ…!』  自分が村のみんなにぶつけた思いが。 『俺が何かしようとして、悪い結果が起きたらどうする? 逆に誰かが傷つくことになったらどうする? たくさんの人が苦しむことになったらどうする? そんなの、見たくない! どれだけ謝ったって、謝り足りない!』  自分がばあちゃんにした質問が——また、よぎる。 『それってもしかしたら、転生前の記憶なのかなって……』  確かなものは……何もないけど。 「だけどね。……声が、聞こえてたんだ。"セラならできるよ"って。みんなからお守りを——お姉ちゃんからペンダントを、ドッジくんからお守りのチョコボをもらう、ずっと前から……、私を優しく守ってくれる声が、あったから。その声が、何にもできない私を立ち上がらせて、前に進ませてくれたの。私をずっと……導いてくれてた。  だから、私は踏み出せたんだよ。臆病な自分は、もう嫌だったの。私の心に宿っているはずの想いを、大切にしようって……思えた」  一つ一つ、自分の中のものを確かめるように、思い起こすように、大切に話す。 「ちゃんと、子供たちの力になりたくて……。生きるだけで精一杯の子供たちにも、勉強を教えたくて。……もっと別の、優しい笑顔が見たくて。私は——受け取ったものを、まだ返せてなくて。——未来を、変えたくて」 「未来を……変える」 「うん。ノエルが……言ってくれたことだよ」  セラは——柔らかく、微笑んだ。 「ね、ノエル。質問!」  セラが急に目を輝かせて聞くから、つい戸惑う。 「し、しつもん?」  うん、と頷く。 「将来の夢! ノエルは、何になりたい?」 「……将来の?」  すぐには答えられない。今まで学校の先生に聞かれたこともあるけど、ちゃんと答えたことなんてあったか? それくらい、いつも答えに窮する質問。  うーん……とついうなると、セラは助け舟を出してくれた。 「はっきりしてなくても、いいの。どんなものでもいいの。でもノエルには……こうなりたいっていうものが、絶対あるはずでしょう? だから、夢見てた幸せな生活をしてた村を出て、大学に入ることにしたんでしょう? ね、それを……教えて?」  大した夢はないってさっき言った。なのに、ちゃんと夢持ってるだろうって、あるはずだろうって。今までもずっとそうだったかのように——あたかも当然のことのように、セラが言うから。 「……はっきりしてなくても?」 「うん、はっきりしてなくても」 「どんなものでも?」 「どんなものでも。ノエルが思ってることを、そのまま言ってくれたら」  何でも、いい? 何でも……—— なんでも、か。  でもそう言われたって、答えはたくさんあるわけじゃない。いっぱい考えなくても、口から自然と出てくる。 「さっきも言ったけど、何になりたいっていう希望が、俺にははっきりあるわけじゃない。——それでも、目的はある」 「うん……どんなもの?」  息を吸い込む。……思ったまま、言えばいいんだよな? セラ、それでいいんだよな。 「……みんなが生きてる世界。生きてるのに人同士争ってるんじゃなくて、ちゃんとみんなが……それぞれの人生を、生きてる世界……」  うん、とセラが嬉しそうに頷く。 「私も……同じなんだ。私たち、同じ夢、見てるんだよ」 「同じ夢……」  その言葉の感覚を確かめるように、ただ繰り返す。 「うん。だから……ノエル。一緒に進もう?」 「……一緒に」 「私たちは、ずっと夢見てた幸せな暮らしから、一歩抜け出たところ。——何ができるかは、まだ……手探りだけど。少しずつ行動していけばいい。でしょう?  それに、さっきも話してたよね? 私たちのできることは、本当に小さなものかもしれない。だけど、未来を夢見て、積み重ねることはできるんだって。自分が生きてるうちに完成しなくても、次の時代の誰かが理想を受け継いでくれるって信じて、希望を捨てないんだって——そういうやり方があるんだって、私たち、知ってるでしょう?」 「——……」  だから、って、セラは俺の手を取って。 「変えようよ、ノエル。一緒に、未来を変えよう」  きっぱりとした表情で、言う。  それを見て——心の中が、妙に納得したんだ。  ……ああ。そういうことなんだ、って。 「ありがと……セラ」  身体が動くままに、腕を伸ばして。その細い身体を、抱き寄せた。 「俺も、この声がなかったら——……ずっと夢見てた、幸せな生活を過ごしたまま……自分の思いに目を背けて、生きていったのかな」   *  その夜は——  昨日は色々あって外のお店で食べることは諦めたから、今度こそってことで、ホテルの人に勧められてたカジュアルなレストランに入った。  広さはそんなにないし、少し落とした照明。だけど一歩足を踏み入れたら、楽しそうな人の笑い声で溢れてる。——この気兼ねない雰囲気は、どこか、あのホテルと似てる。  小さなオレンジ色のダウンライトに照らされたテーブルに座ると、恰幅のいい男の人が、メニューで埋め尽くされた黒板を持って、色々勧めてくれた。 「18歳? じゃあ飲めるんだな!」  って……「えっ?」 「あ……どうする? ちょっともらう?」 「たくさんあるぞ。特にこの辺のワイン農家に直接売ってもらってる地ワインはお値段もリーズナブルで、しかもうまい。おすすめだな」  ワイン、か。村でも作ってる人がいたし、それを手伝ったこともあったっけ。教会で出すこともあったりして、たまには飲んでたけど—— 「味の違いを知るのも……一つの社会勉強かな」  そのおかげか、何なのか。  うまいおいしいなんて言い合いながらたくさん食べて、飲んだ。それに賑やかな雰囲気も、すごくよかった。歴史の話とか、お互いの話とか、これからの話とか、色々話が尽きることがなくて——つい、長い時間を過ごした。 「ふふっ、楽しかったね、ノエル」  夜風に吹かれながら、ホテルへの道を歩く。道は暗いけど、月明かりと街灯があるおかげで、セラの表情がちゃんとわかるくらいには明るい。  セラは手をつないだままぶんぶんと振り回して、柔らかい笑顔で見上げるから。何か、こっちまで嬉しい気分になる。 「うん……」と、ついそのままに頷きかける、けど。「あ、こら」  軽快なステップでセラが歩いて、段々と道路の中央に広がっていくから、つい制止する。 「危険だって。道の真ん中、歩きすぎ」  思わず引き寄せて、自分の反対側に移動させる。あ、とセラの声。 「急に、ごめんな。でも、車も来るかもしれないし、セラはこっち。俺、車道側歩くから」  ふう。ほろ酔いかもしれないけど、ちゃんと周り見れるくらいには、いつもの感覚保ってる。そんな自分に、安堵。 「うん、ありがと……ノエルは、優しいね」 「そういうわけじゃ、ないけどさ」 「ううん。たった2日って言うかもしれないけど、わかるよ。…...Warm enough to know you cared for me——」 「えっ?」最後の方は小さくなる声で呟くから、思わず聞き返す。 「私の好きな歌の歌詞。私の気持ちを、代弁してくれてる気がして」 「へえ、どんな歌詞? なあセラ、歌ってみて」 「えっ?! 歌は……別に、得意じゃないよ」 「得意じゃなくても、いいから。セラの歌、聞いてみたい」  うーん、って最初は渋ってたけど、それでも「笑わないでね」って頷いてくれた。 「"You rest inside my mind”…"あなたは私の心の中にいる”」  歌いだしはこんな感じだったね、って確かめながら、歌う。 「"Since the day you came I knew you would be with me”…"あなたが来た日から、一緒にいることになるんだってわかってた”」  ——この歌も、ずっと……忘れてたの。  誰が歌ってたのかもわからない……だけど、自分の心の中にずっとある、短い歌。——"記憶"。 「"All the time we spent What we shared was surely Warm enough to know you cared for me”…"一緒に過ごした時間、共有したものすべてが、本当に温かくて、私を大切にしてくれてたことを感じるの”」  忘れてたのに、"記憶"って、本当に不思議で。ずっと忘れてても、ふとした時に急に思い出したりするんだよね。  そう。……今みたいに。 「"Light floods through memories Helps me walk my path I'll keep my head up high"…"記憶から光が溢れて、私の歩く道を照らしてくれるから——顔を上げていくよ"」  伸びもないし、下手な歌だけど、ノエルは黙って聞いてくれる。  昔は、ただ単に好きだった。あの不思議な温かい"声"が聞こえるたびに、光が歩く道を照らすってこういうことなのかなって、ひとりで空想してたりするだけで。  でも、ノエルに会った今は——その歌詞の内容が、すごくはっきりした意味を持って、私に語りかけてくるんだ——  そう、……"あなたが来た日から”。  お姉ちゃんは言ってた。『私が世界を見に行こうって、そう思ったきっかけは…セラ、お前の言葉だったんだよ』って。  でも本当に導かれてたのは、私。『導くよ』っていう声の響き、今も思い出せる。  ——言葉には、うまく表せない。すごく感覚的なもの。だけど。 「"Words of faith and love Your strength gives me hope"..."信じられる、愛のある言葉 あなたの強さが、私に希望を与えてくれる"」  だけど——  そこまでどうにか歌ってみたけど。 「………」  その次の歌詞——は……  "Someday I'll…"  あ。  なんでかな。……こんな時に限って、急に思い出すんだ。 『——セラの世界もこれからもっと広がっていくから、どこかで会えるかもね』  出発の時の、ヴァニラの笑顔。いつも明るくて、かわいくて。……大好きな、友達。  だけどどうしてかあの時は特別に、まるで内緒の——女の子同士の会話をする時みたいに、からかうようなところがあったんだ。 『迎えに行ってあげて。きっとセラなら、できるよ……』 「………」 「? ……どうした? 続きは?」  ただの、誰かが作った歌の歌詞。  それが全部、私の気持ちをそのまま代弁してるなんて——限らない。  なのに、急に、その歌詞の一つ一つの言葉が——最後まで。  ……私のことを歌ってるみたいに、思えてくるの。  "Someday I'll find you with open arms"…"いつか、手を広げて、あなたを見つけ出すよ——"  それを、私のことじゃない、って、思い切ることが……  私は、できるの? 「…………」 「おーい……セラ?」  ノエルが顔を覗き込んで、握った手の指でとんとん、と私の手の甲を叩く。  ——私は、前を見たままで。首を傾げて。 「歌詞……忘れちゃった」 「……あれ? 好きなんだろ?」 「そうだけど……でも、そういうこともあるでしょ?」 「まあ、そうかな」ノエルは、納得するように頷いて。「でも——前向きな感じがする、きれいな歌だな。あと、セラの歌声もいいな」 「そ、そうかな? ふふ、ありがとう。歌ってよかった」  答えてても、どこか心が半分になっている気分になる。  ふいに会話が途切れても、急に何を話せばいいのかわからなくなって。  ノエルも何も言わないから、そのまま歩いて。  そうしてるうちに、ホテルに着いて。  フロントで鍵を受け取って、赤とベージュのソファの脇を通って、螺旋階段を上って。  そしたら……—— 「……ねえ、ノエル」 「ん?」  少しずつ歩みが遅くなっていって、私の部屋の前で、二人とも、立ち止まる。  ノエルの顔を、見上げる。  どうした? って顔して、ノエルは私の返事を待ってる。  何か、言いたいって思うのに。  何を言えばいいのか……わからない。  溢れ出るくらい、嬉しくて……だけど、痛いくらいの気持ちになって。  できるのは、ただ、ノエルの瞳を見つめるだけ。 「その……」  両手を胸の前で、きゅっと結んで。  言葉を何とか、絞り出すように。 「今日は……ありがとう。すごく、楽しかった」 「うん、俺も……楽しかった」 「……あのね」  それだけじゃないの。続きがあるの。  なのに、口を開いたまま。  それ以上の言葉が出なくて。 『もしそんな考えがあるのだとしたら——』  お姉ちゃんが言ってたこと。 『……セラや私が感じているようなものは魂に刻まれた記憶なのかもしれない』  転生。  魂の、記憶。  もし、これもそうだとしたら?  言いたいのに。本当は、何か言いたいのに——  頭が……真っ白で……  ずっとそのまま、向かい合って。  やっとの思いで出したのは、……言いたかったこととは、全く違う言葉。 「何か……言おうとしてたのに、出てこない」 「はは、さっきもそうだったな。歌詞忘れたって」 「あ……そうだったね」  本当に言いたいのは、そうじゃないはずなのに—— 「今日も、歩き疲れた?」 「……そうかもしれないね」 「そっか」  ノエルは、表情を崩して、笑って。  手を伸ばして、私の髪にくしゃっと触れる。 「今日は昨日より遅くなったし——明日の朝は、少しゆっくりめにするか」 「そう……だね」 「——じゃあ、セラ。ゆっくり寝て、疲れを取って」 「……うん」 「ちゃんと、鍵はかけろよ?」 「……わかってるってば」 「なら、いいけど」  頭に乗せられてた手が、ふいに頭の後ろに回って、ゆっくりと引き寄せられて。  そっと、頬に——キスされた。 「——じゃあ、おやすみ、セラ」 「うん……おやすみ、ノエル」  笑顔を残して、ノエルが自分の部屋に向けて歩いていく。  それを見送って、最後にお互いに頷き合って、そしてドアに手をかける。キィ、って開く。バタン、って閉まる。それを2回ずつ、背中で聞いて。  なんでかな。なんでなのかな。 「——……ノエル」  ドアを閉めて、思わずその場で後ろにもたれかかる。 「……っはぁ—————————……」  少しずつの、だけどすごく深くて長い、ため息。  だって、セラ。  ……急に泣きそうな顔で、じっと見上げてくるから。  もし、そのままだったら? もしあそこで、何も言わなかったら—— 「——やばかった、な。俺……」  そんな風に、その日は終わって——  すっかり目の前のことばかりを見ていたから、……お姉ちゃんからの着信に気付いたのは、次の朝だった。 (6)に続く 最後のシーンのびじさんバージョン ほたぴんさんの どちらも素敵すぎて愛(^q^)
・たかせさんと、ノエセラの三大要素の一つは「同志愛」ですよねって言っていたのですが、その辺を多めに詰め込んだ回かな……と思います。  やっぱりとこしえの安息あたりから死にゆく世界のイベントは好きです…あとオーディンダスク…いやでもヤシャス山でノエルの手を取るところとかも…まあ全部……セラのテーマも…あとちょっとは本サイト内のノエセラ小説も使ってたような もうごっちゃですみませんです;; やっぱり未来を変えようと頑張ってた時の二人が好きです……。 ・それと個人的に、ノエセラも好きですがセラノエも好きだということを書いてて実感しました……  最初たかせさんセラには「セラならできるよ」って背中を押してほしいって言われてたような?(言われてなかったかも?)でもどうにもこうにも転生後ノエルをものすごく慎重で心配性に書いてしまったもので、100%心からの「できるよ!」にはならないかな〜と思っていたのですが、蓋を開けてみたらこんな感じに。確かに励まされてるけどそれよりもセラの励ましの方が大きいような。結果的に見ればそれでよかったかななんて、個人的には思ってますが……あれ、すみませんでしたたかせさん…… (セラみたいな女の子がいたらほんと付き合いたいです。笑) ・それと重要なことですが!!再掲ですがヨーロッパのどこかをイメージしてます。あの辺では(国によりますが)16歳でもアルコールOKということでノエルさんも飲んでしまってますが、残念ながら日本ではNGなのでご注意を…! ・あと、ノエルのペンダント。これはたかせさんから頂いた設定で、ユールからもらったことになってたんでした…………。  にも関わらず、ノエル編ではすっかり書き忘れてしまってました…。デザイン自体は、カイアスの羽みたいなとたかせさんにオーダーして描いていただいたものなのに……もう馬鹿ですすみませんですはいほんとに。申し訳ないです(; ;) ・今回の挿絵も、ありがとうございました!!!他の候補とも迷った挙げ句、抱き寄せるところ……にさせていただきまして……セラが手を握ってるところとか、ノエルの右手とか、本当にありがとうございます>< ・そういえば2枚目に私の描いた絵が混ざっていますが……嬉しそうにノエルを見つめるセラさんの脳内イメージを描いてみたくなったのです……ぎゃぎゃぎゃ失礼しましたm(__)m デジタルでもアナログでも相変わらず線も汚いです。  が、ようやくペンタブも楽しく使えるようになってきました。色も楽しいですね!未だに宝の持ち腐れ状態は変わりませんけど……(^^; ・お読みいただきましてありがとうございました!!残りは恐らくあと2回になると思います。もうしばらくお付き合い頂けたら嬉しいです。 最後の場面をびじさんにイラストにしていただきました(*^^*) すごく素敵に飾って頂いて、ありがとうございます……! 絵にしていただくと、なんていうか妄想が妙に現実的に(?)なってですね、シーンもシーンなだけに、段々照れてきますね(何故)ややや、失礼しました……。 ほたぴんさんのも二枚合わせて幸せすぎます……ほんと……

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