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永遠の空の下 [Side:Noel 自由の翼] (2/2)

[Side:Noel 自由の翼] 前編[Side:Serah はばたく想い] 前編へ 「——……はあ……」  思い切り走って、それに涙が出ていったせいで——身体中が重くてカラカラで、すごくだるい。何だか、疲れたな。  だけど、段々と空の灰色が黒を増して、何となく見通しが悪くなってきて。どこからか鳥のホー、ホーという鳴き声や、バサバサという羽の音が聞こえる。そろそろ、暗くなる前に帰らないと。  むくんだ足を何とか伸ばして立ち上がって、麓に向かう。だけど—— 「何て言えば、いいんだろ……」  村に着くともうすっかり暗くなっていて、橙色の街灯の光だけがひっそりと辺りを照らしていた。  帰って、そっと木の扉を開けると、温かくて美味しそうな匂いと、みんなの声が迎えてくれた。 「おっ、ノエル! どこ行ってたんだよ」 「おかえり〜」 「お帰り! 遅いぞ!」 「おかえり、ノエル」 「っ、……ただいま」  こういう会話、何回も何回も繰り返してきた。この短いやり取りがすごく好きで。  だけど……不思議。  さっきまで泣いてたせいなのか。動揺して、感傷的な気持ちを引きずってるせいなのか。  今日に限って、このやりとりの時間が——何よりも大切で……なくしちゃいけないものだ、って思うんだ。一人じゃない、みんながいて、迎えてくれること。  ずっとずっと、求めていたもの。ばあちゃんに引き取られる、その前から。だけど——本当に大切だけど、ちょっとしたことで、失われてしまうもの。 「お帰り、ノエル。今、食事の用意してたからね」  ばあちゃんも、おたまを持ったまま奥から顔を出してくれる。 「ありがと……ばあちゃん」 「俺たちも手伝ってるんだぞ! ぼーっとしてないで、お前も手伝えよな!」 「わ、わかってるって」  うん、こういう場には感傷は似合わないな。気持ち切り替えて、俺も手伝おう。  ざっと、見渡す。とりあえずキッチンの方は人がひしめいてるし用が足りてそうな気がする。だけど、テーブルの方が全然。みんなの荷物だとか、帽子だとか、お菓子だとか、本だとか新聞なんかが散らかってる。 「テーブル、片付ける」  そうやって、物を動かしながら、思う。  うん。守っていかなきゃ。こんな時間、他の人から見たら——世界の大きなことに比べたら、本当に小さなことかもしれない。だけど、俺にとっては、守らなきゃいけないものだから——  世界にはいろんなことがあるかもしれない。でも俺は、ちゃんとここにいなきゃ。みんなを守らなきゃ。 『私たち……』 「……?」 『同じ夢、見てるんだよ——』  あれ……この感覚。まただ。ふわっとして、流れるような。どこからかやって来て、そして、消えて行こうとする。  ——待っ……  片付けの手が、つい止まってた。ふいに服の裾が引っ張られて、ようやく我に返る。 「ノエル」  小さく呼ぶ声。振り向くと、長いきれいな銀髪。だけど、伏し目がちで、その表情にはいつもの控えめな笑顔すらなかった。 「どうした? ユール」  身体を向けて、その緑色の瞳を覗き込む。  すると、ユールが俺を見上げて、小さく呟く。 「ノエル、ごめんね」  そう言うけど。何に謝られてる? 「……何が?」 「ごめんね」  また俯いて、ただ同じ言葉を繰り返すから、俺は戸惑った。 「その……いつも言ってるだろ? ユールは、謝ることない。謝るのは、俺の方。さっきはごめんな、急にいなくなって。心配……かけたよな? でも、俺はここにいる。そんな顔するなよ」  できるだけ、優しく。ユールが何にも、不安に思わないように。 「そうじゃないの」  だけどユールは、小さく首を振る。 「じゃあ、何——」  と言いかけたところで、会話はみんなの声に遮られた。 「まーたサボってる! 早くテーブル片付けろよ!」 「ほんとだ! ばあちゃんまたノエルがサボってるよ!」 「ま、またって何だよ! ちゃんと片付けてるって! しかも言われるの俺だけかよ、って……まあ、そうだよな」 「まあまあ、たまにはのんびりしたっていいじゃない。はい、皿そっちに持っていくよ」 「あ、おばあちゃん私がやるよ!」  ——そして、ユールの言葉の真意を聞けることは、なかった。  それからの俺は——  暮らしは、今までと同じ。俺はいつものように、学校に行ったり、教会にいたり、それでも、何かが自分の中で違ってしまった気がした。  みんなとは、相変わらず一緒。みんなと一緒の時間を大切にするって考えた通り、ちゃんと毎日の生活を丁寧に過ごしてる……つもり。一緒に食事作って食べたり、他愛のない会話をしたり。  ——それでも、みんなとちゃんと話してるって感覚、少なくなったかもしれない。  きっとそれは、みんなが悪いんじゃない。俺自身が、自分の中の感覚を持て余してるから。——争いについての考え。理由のない感覚のこと。想い。みんなとは同じってわけじゃないから、何をどう話したらいいのか、わからなくて。  ユールも……あまり、見かけなくなった——気がする。笑った顔も、いつもみたいに辛そうな姿でさえも、見ることが少なくなった。気のせいって言われたら、そうなのかもしれないけど。だからといって、俺自身どうすることもできない。  学校から帰る時も、わざと寄り道して、街の中をぐるっと回ってから帰る。みんなと一緒にいたいはずなのに、少しでも、一人でいる時間がほしくて。また先生のところに行ってた、なんて言い訳までして。  実際、勉強も、してたけど—— 「ノエルくん、——最近どうしたの?」 「どうって?」 「授業でもたまにぼうっとしてるし、最近、質問にも来ないから。——別に、絶対来なきゃいけないことはないけど」 「あ、……んー、ごめん、先生。ちょっと最近疲れてて——絶対、また行くから」  知りたい、知らなきゃいけない。純粋に勉強してた時の気持ちとは、違う。知るっていうことが、どうしてか、痛みまであって——  だって、……そうだろ?  歴史は、好きだった。……今だって、変わってないけど。  よく考えたら、歴史なんて、絶え間ない争いの記録。  歴史が変わるってこと。それは、戦争によって国の形が変わるってこと。国の強い弱いが決まるってこと。そして、人の暮らしも変わっていくってこと。  平和に暮らしてた人が、銃を持つ。平和に暮らしてた人が、血を流す。殺して、殺される。  銃撃の跡。崩れた壁。流れる血。  知りたい、知らなきゃと思って勉強してきたけど——  その歴史の一つ一つの戦いの中で流れた血のことを、俺はどれだけ考えられてた?  そして、その歴史の上に、今の俺が立ってる…… 「……——」  "みんなが生きてる未来……"  ”みんなが生きてられる未来が、欲しい——"   心が、痛い。  一人で山に登って——見たことのない山の向こうを考えながら、雲ばかりの灰色の空を見上げる時間が増えた。  ある日学校から帰ってくると、電気もついてるのに、いつもの場所に人が誰もいなかった。テーブルと椅子が、がらんとして寂しい。 「あれ……」  ばあちゃん、珍しいな。どこ行ったんだろ。置いてある荷物は、多分ユールとナタルのものだから、少なくとも二人はいると思うけど。  何となく気になって、荷物を置いてからまた部屋を出た。  行く場所なんてたかが知れてるから。きっと教会内かもしれない——そう思って、足を向けた。  石の廊下を歩いて、ぎぃ、と厚い扉を少しだけ開ける。高い話し声とぱたぱたした足音が、耳に聞こえる。やっぱり、ここか。  扉を押すと、少し先に見えたのは、ユールと、何かを持ってユールに近づいているナタル。そして——他にも人がいる。出口に近い一番後ろの長椅子。その人は皺の寄った服に包まれて、ぐったりと椅子にもたれていて、生気がない。 「スープとパン、持ってきたよ。残り物でごめんなさい、……食べられる?」  ナタルがプレートを、その人の隣に置くのが見えた。 「……ありがとう、大丈夫……」  その人はしわがれた声で答えたけれど、その動きはおぼつかなくて、腕を動かすので精一杯。スプーンに手を伸ばすことすら、ままならない。  ……どうしたんだ? どこか、悪いのか? 「——待って、貸して」  その様子を見つめていたユールは、その人の隣に座って、スプーンを手に取った。器とスプーンを持ち上げて、口元に持っていく。 「食べられる?」  その人は小さく頷いて、口を小さく開けて、スープを口に含んだ。  ゆっくりと、その繰り返し。  そのうちにその人も少し元気を取り戻したようで、顔にも血色が戻って来ていた。自分でもパンをちぎって食べられるようになっていた。  俺はどうしてか、ずっとそのまま突っ立って見ていて——  カシャン。スプーンが、食器に置かれる。そんな小さな音が耳に届いて、俺はようやく、解かれたように足を動かすことができた。 「その、……大丈夫?」  三人のところに近づいて行く。後ろめたいことはないはずなのに、なぜかばつが悪い。  ——今まで見てるだけだったのに、何言ってるんだ……俺。 「あ……ノエル」ユールが振り向く。 「さっき教会の前で、動けなくなってるのを見かけて。おばあちゃんも出かけていなかったけど……どうにか助けなきゃって思って、二人でここまで連れて来たの」ナタルが説明してくれた。 「ここまでって……大変じゃなかったか?」  そりゃ、大変に決まってるだろ……俺。 「そうだな……二人には悪いことをした。ちょっと、無様なことになっちゃってな」  まだ少し疲労や血の気のなさは残っていたけど、それでもその人は顔を上げた。 「——ずっと苦しくて、起き上がることも難しくて、食べれなくて……体力が落ちてしまって」 「医者には?」 「原因不明って言われているから、どうにもできなくて。仕事も休みをもらってたけど、動けなくなってきて、さすがにまずいと思って医者に行こうとして……このザマだ」  原因不明の、病気、か。いや、病気という病気じゃないから、医者に行ってもどうしようもないって言われる。多少の薬を処方されて終わり。それはよく聞いてたけど。 「……ご家族は?」ナタルが聞く。 「もうちょっとで帰ってくると思うけど。しばらく、妻も実家に戻ってて——今は、医者にも家族にも世話になれない」  そこまで聞いて、ユールは頷いて、その人の手を取った。 「……こんなになるまで放っておいては、駄目。少しでも辛く思ったら、きちんとお医者様を頼って。原因不明って言っても、きっとどうにかしてくれるから」 「どうにか……か。今までも散々頼ったんだけどな」 「だって、辛いんでしょう?」 「そうかもしれないけどさ。医者からも、精神的なものだとは言われてるんだ」 「精神的——精神的なものなら、じゃあ、ここにはおばあちゃんもいる。おばあちゃんの話を聞いてたら、元気になるよ。それに、きっとあなたの話も聞いてくれる。辛いなら、ここに来たらいい」 「……そうかな」 「そうだよ。絶対に、一人では苦しまないで」  決して強すぎない。  だけど、普段のユールを知ってる人から見たら有無を言わせぬ固さを感じさせる口調。 「わかった。……今度からは気をつけるよ。あまりみんなに心配かけないようにするよ。ユールちゃんにも」 「違うの。心配かけてもいいから」 「……そっか」その人は、小さく笑った。 「じゃあ、ここまで酷いことになる前に、誰かの世話になるようにするよ。できるだけ外に出れるようにするし、あと、ここにも顔を出すようにするよ」 「うん、よかった」  その人は少し照れた様子で頭を掻いてから、笑った。 「ユールちゃん、ナタルちゃん、……本当に、ありがとう」  その人がそうやってお礼を言った時、ユールは少しびっくりしたような顔。  でも。 「……わたしこそ——ありがとう」  決して太陽の真下で光り輝くようなものじゃないけれど。  月の下で咲く花のような、優しくて、心からの笑顔がそこにあった。  それがきれいだって思うのと同時に、——どうしてかわからない、でも——俺の中で、どこか戸惑いを感じた。  ユールは、こんな笑顔……するんだ、って。  それは、今まで自分が知らなかった悔しさ、というよりも。  その微笑む姿が、あまりにも神聖で。  俺はただ——立ちすくんで、その様子を見つめることしかできなかった。  いいことのはず、なのに。  いろんなことと、まざりあって、ごちゃごちゃして。  平和な村。  だけど、苦しむ人々。  助けてくれたばあちゃん。  助けたい、俺。  泣いてた、昔のユール。  ここにいる、俺。  笑ってる、今のユール。 『——二度と、離すな』  女神の、代わり、に、  それで俺は、ここに、いるけど、  一方で、銃撃。流れる血。争いの歴史。  越えられない山の向こうの、どこかで。いや、もしかしたらここでだって。 『しかしその代償も……』 『死の穢れや心の混沌を新しい世界に持ち越したために……』 『この世界には 私たちの心から生まれた争いが……』  どうしても、嫌なんだ。そんな世界。  心の中で、ぐしゃぐしゃにしたくなる。  でも、俺は、何もできない。壊すことも、作り直すことも。  なあ、どうして、この世界はこんなにも—— 『ねえ、ノエル——』  ——…… 『未来を——変えよう……』 「   ……——」  電気も付いてるのに、いつもより廊下が薄暗くて。  探るように、石の床をふらふらと歩いて。  ダイニングの扉を力なく開くと、「ノエル?」と声をかけられた。 「——ばあちゃん、帰ってたの?」 「今帰ってきたところよ。遅くなったけどね、そろそろまた食事の用意しないとね。今日はノエルの好きなお肉を買ってきたの。何作ろうかしらね」  そう言いながら、買い物袋からいろんな食材を取り出して、テーブルの上に乗せているところだった。 「……そっか」 「どうしたの? 嬉しくない?」  嬉しいはずだけど……どうしてか、いつもみたいには喜べない。 「なんか……食べるよりも、久しぶりにばあちゃんと話したくなって」 「それは、嬉しいこと言ってくれるのねえ」  笑って、ばあちゃんはダイニングテーブルをとんとん、と叩く。 「じゃあ少し、お話ししましょうか。クッキー食べる?」 「もうちょっとしたら、また夕ごはん……」 「少しくらい、いいじゃないの」  いつもだったら、もう少ししたら夕ごはんだからって言うのは、ばあちゃんの方なのにな。 「じゃあ、少し」  そう言ってテーブルの上にあった箱からクッキーを少し取ると、俺はばあちゃんの斜め前の椅子に座った。ばあちゃんも腰掛けるけど……ふと、思う。当然だけど、昔よりも白髪も増えたかな——。 「その……身体は? 大丈夫? 今日は咳はどう?」 「今日は、少し落ち着いてるみたいね。大丈夫よ」 「出かけてて、疲れてたりしてない? 平気?」 「大丈夫よ。でもノエル、私の話はいいのよ。そんな話がしたかったの?」 「……違うけど。それも大事」 「ふふ、ありがとうね。でもせっかくなんだから、ノエルの話したいこと聞かせてちょうだい」  だけど、何から話せばいいのか、わからなくて。「別に、大したことじゃないと思うけど」っていう言い訳まで、言った。いいのよってばあちゃんは言うけど——うーんと唸りながら、頭を掻く。所在なくクッキーをかじると、甘いけど、何だかもそもそとした食感。 「——……てんせい」しばらくしてやっと出てきたのが、そんなキーワードだった。そんなことが聞きたかったわけでもない、はず……だけど。 「てんせい?」 「そう。生命の神カイアスとユールが、命の輪廻を司ってるっていう話だったけど。本当に、この世って、転生があるんだと思う?」  聞いてみてから、変に気恥ずかしいような気持ちになって、付け加えた。「……牧師であるばあちゃんに聞くのも、変な話かもしれないけど」  だけどばあちゃんは、笑ったりも怒ったりもしなかった。 「——どうして突然、そんなことを思ったの?」  突然? 突然……なのか? 自分でも、なんでそう思ったのか説明しろと言われても、はっきりとわからない。転生なんて、真面目に考えたこと、なかったと思う。  だけど、それでも言うとしたら—— 「昔から、気になってた。ユールも、いうんだ。何か大きな過ちを犯して——そして、何かを失った気がするって」 「……ユールは昔から勘の強い子だからね。私たちにはわからない何かがあるのかもしれないけど」 「それにヤーニもリーゴもナタルも、他の村の人達もみんな、怖さとか、苦しみがある。ばあちゃんもそうだろ? でも別に、何か理由があるわけじゃない。ユールだって、今まで一緒にいたけど、何か間違ったことなんて、なかったと思う。——じゃあ何だって考えたら——それってもしかしたら、転生前の記憶なのかなって……」  そう、とばあちゃんは頷いて、俺に顔を向ける。 「じゃあ、ノエルはどう?」 「俺?」 「ノエル自身は、これは転生前の記憶だって思うことが、あるの?」  テーブルの木目をなぞるように見つめながら、考える。正直に言えば、意識したことなんてなかった。——そう、今までは。 「そういうのって、怖いもの、苦しいものだとばかり思ってた。みんなそうだったし。でも俺はそういうの特にないから、平気だって思ってた。でも最近になって、みんなでニュース見てて、急に怖くなったことがあって——」そう言いかけて、訂正する。「違う。本当はずっと前から、怖いものがあった。言わなかったけど——ばあちゃんから神話を聞くと……理由もないのに、すごく嫌な気分になって」 「神話が……」 「ご、ごめんばあちゃん。ばあちゃんが一生懸命話してるのも、知ってるんだ。だけど——どうしても——  テレビ見ても、勉強しても、神話を聞いても……何しても悲しい。過去の歴史を振り返ったって、今を見つめたって、神話みたいなおとぎ話に逃げ込んだって、同じ。  ——ずっと、誰かが戦ってる! 今の俺の生活は平和、だけど世界全体を見れば、そうじゃない。せっかく生きてるのに、争って、血を流して。今までも今もそう。なら、もしかしたらこれからもずっと同じこと、繰り返すかもしれない。  この村が平和ならいい、って言うかもしれない。みんな、そういうこと言ってたかもしれない。でも俺にとっては、どうしたって他人事に思えなくて——  みんなが生きてる世界なのに。生きてることってかけがえのないことのはずなのに。——だけどまるで俺たちが、争うために生きてるみたいで。俺自身、誰かの争いの上に存在することが嫌で。命あることが、生きてるってことが、すごく……悲しくなって……」 「……ノエル」  ばあちゃんの悲しそうな声が聞こえて、はっとして——俺は首を振る。 「ごめん。これ、別に転生も何も関係ない。きっと、ただの俺の気分の問題……ごめん、変な話で……」  気分を変えるために、半分だけ残っていたクッキーをかじって、飲み込む。もう味なんてしない。 「気分でも何でも。そう感じたってことなんでしょう?」ばあちゃんは悲しそうに、眉尻を下げる。「本当は神話が言いたいのは、そういうものじゃないんだけどね——」  ? ……そうじゃない? 何か、間違って解釈してた? 確かに、途中から心の中で耳を塞いでたけど……。 「いいのよ、ごめんね」ばあちゃんは、首を振った。「——そう、話してくれてありがとうね。理由もないのに、生きてることが悲しいって思うことが、あるのね」 「……うん」  そんなことをばあちゃんに言わせていることに、心の中が痛んだ。話を聞いてもらいたいなんて言って、逆に相手を傷つけてないのか? 「——悲しい、だけでもないかもしれないけど」  だから、とっさに、反対のことを言った。これも、嘘じゃないけど。 「だけじゃない?」  そう。今まで妙な感覚に囚われた時、いつも同じく悲しい気分になってた? よく考えれば、そうじゃなかった。  例えば、先生と話してた時とか。他にも、そう、その他にも。 「聞いたこともないのに、誰かの言葉を思い出す時もある……気がして」  それは、悲しい気分になることなんてなかった。むしろ、逆で。 「変に懐かしい気分になった時も、あったかな。すごく優しくて……温かくて。自分でもよく説明できないけど……でも……うん、そういうこと」  ばあちゃんは、うんと頷いて、そして聞いた。 「ノエルは、そういう感覚がする時、どう思うの?」 「どうって?」 「何かしなきゃいけないとか、何かしたいとか、何でもいいけど」 「……俺、は」  ——ばあちゃん。  俺は多分、それを言いたいんだと思う。  今の俺の、素直な気持ちを。  なのに、言いたいと思うけど、どうしても出てこない。口が乾いて。喉が詰まって。  なんで?  その言葉を口にすることが、何かに禁じられているかのように。  無理にでも言おうとすれば、めまいがする。目の前にいろんなものが、映り込んで。聞いたことないはずの叫びが、聞こえる気がする。  ”——どうして、こんなことに”  ”今さら……何だよ”  ”お前のせいで——俺たちは——”  振り切るように、首をぶんぶんと振って。  いつの間にか俯いてた顔を、何とか持ち上げて。  しばらくしてやっと出てきたのは、小さくて、短い言葉。 「……よく……わからない」  そうじゃない。  本当は、わかってる。心の中では、きっと。でも。 「すごく気になってることは、確かだけど。自分でも……よくわからなくて……」 「……そうなのね」 「なあ、ばあちゃんは? 転生前のこと、"今"じゃない時のこと、何か覚えてたり感じたりすること、あるのか?」  違うけど。本当は、ちゃんと話したいけど。  でも、わざと自分のことから話を逸らすように、ばあちゃんに話を振った。 「そうねえ……今まではあまり突き詰めて考えてみたことはなかったけれど」 「そっか」 「だけど、ノエルがそこまで言うなら、少し考えてみようかしら」  ばあちゃんが言うから、思い切り頷いた。 「うん。ばあちゃんがどう思ってるのか、俺、知りたい」  そう、とばあちゃんは優しく微笑んでから、目を閉じた。  ——だけど。  自分のことがちゃんと言えないから聞いてみた、は、百歩譲ってよしとする。だけど、まずくないか? 急激に不安。一体、どんな言葉が出てくる? 楽しいことならいいけど、もし他のみんなみたいに、辛い気持ちになったら? 俺みたいに、悲しい気持ちになったら? 何も覚えてない方が、ずっとマシ。そうなったら俺、ばあちゃんに何回謝ればいい……?  やっぱりいい、って言うべきだよな。うん。言わなきゃ。早く。 「ごめん、ばあちゃん。やっぱり——」  そう言いかけた時、ばあちゃんはふっと目を開けて、手招きした。「ノエル、おいで」 「? なに?」  こっちに、と言うから、腰を上げて、ばあちゃんの椅子に近づいて——招かれるままにかがむ。  すると、ばあちゃんは、俺の身体をぎゅっと抱きしめた。 「ど、どうしたの、ばあちゃん?」  抱き締められるなんて、小さい頃なんてしょっちゅう。殊更驚くことでもない。なのに、どうしてかあたふたした。 「感じ方は、人それぞれ。これが単なる想像の産物なのか、そうじゃないのか、わからない。だけど……何か、あるのかもしれないね」 「その……ごめん、平気? 辛くない? 苦しくない? 悲しくない?」  そうじゃないの、とばあちゃんの優しい声が下の方から聞こえた。 「ノエル。少し前までは、まだ小さい子供だったのに、大きくなって。こうして抱きしめるのも、手が回らなくなって——  がんばって、生きたんだね。がんばって、生き抜いてくれたんだね。今も、昔も。私たちのために。辛かっただろうに……」 「……え」  がんばって、生きてた? 俺が? そんなの——別に、特別な、ことじゃない—— 「……俺、普通にしてただけだよ」  そう、そういうことでしかない。その通りのことを言ってるはず。 「それにばあちゃんが……みんながいてくれたから」  なのに、どうしてか——鼻がつんとして、涙が出てくる。 「いいの。本当に、ありがとうね……」  包むような、優しい声。  ……それはまるで、初めてばあちゃんと会った時みたいだった。  何も言わなくたって、何もわからなくたって。温かい手があって。それだけで俺は——安心する。  安心して、日々の生活を過ごすことができて。  だから俺も、みんなのことを守ろう、助けようって……思ったんだ。ずっと、ずっと—— 「——あのね、ノエル。よく聞いてね」 「ん……なに? ばあちゃん」  ばあちゃんはゆっくりと身体を離す。俺は膝立ちになって、その膝に手を乗せて、皺の増えた優しい顔を見上げる。  その目は俺を見ているようで、どこか違うところを見ているようで。  俺は……不思議な気分になった。 「あのね。——この教会のことも、みんなのことも、ずっと守ってくれてありがとう。本当に……心から、感謝してるわ。……でもね、もういいのよ」 「——えっ?」  もういい? もういいって……何だ? "いい"という言葉の中身が、わからない。 「行きたいところがあるなら、行きなさい」  ばあちゃんはいつもみたいに、優しい表情のまま。 「……そ」  ——もしかしたら俺は、それを言ってほしかった。  俺が何も言えないから。先回りして言ってもらったのかもしれない。ばあちゃんのことだから。言わなくても、伝わってたかもしれない。  有り難いのかもしれないのに、嬉しいかもしれないのに。  どうしてもその言葉を、素直に受け取れない。 「そんな、なんで? 俺……どこにも行きたいなんて、言ってない。俺は、みんなのこと守りたくて、ここにいるのに——」  それとも、何? 「……ばあちゃんももう俺のこと、要らない?」  も、って何だよ。そんなこと、言うはずないのに。信じられるのに。 「そういうことじゃないのよ。だけど……この村の外に、気になることがあるんでしょう?」 「誤解。全然違う、ばあちゃん。そんな意味、込めてたつもりない」  どうして——そう言うんだ? ばあちゃんも。そして、俺自身。 「俺は、ここにいる。この村のみんな、大変だから。今までだって、できるだけ助けになりたいって思ってやってきた。この教会だって、ばあちゃんだって、俺がいなくなったら——困るだろ?」  だけどどれだけ待っても、そうねとも、困るとも、聞くことはなかった。  ばあちゃんはただじっと、まっすぐに俺の顔を見る。  俺は、だんだん力が抜けて、同じように見てることができなくて——顔を下に向ける。 「だってそれに、みんなだって——」 「うん——いいと思う」  その時聞こえたのは、ばあちゃんと同じように落ち着いて、だけど、幼さのある声。 「外に出ていったら、いいと思う」  外に出ていったら、いい……?  その言葉を、その聞き慣れた声が言ってるって、頭の中ですぐには繋がらなかった。  だけど、頭だけでその方向を向くと、ユールとナタルと、それにヤーニとリーゴが、開けっ放しの扉のところに立っていて。確認したくなかった、けど。当然、言ったのは、一番前にいる——ユールで—— 「……なんで」  ゆっくりと立ち上がって、身体ごと振り向く。悲しくなる。身体中が、ちりちりと痛くて。 「だから——行きたいなんて、言ってないだろ? 俺はここで、みんなを守っていかなきゃ——もう、決めてる。  ユールのことだって、同じ。俺がどれだけ助けになってるかなんて、わからないけど。だけど、でも、みんなが大変なら——俺は……」 「隣にいてくれたこと……すごく嬉しい。だけど、わたしのせいで——ノエルが……」  ユールのせい? またここでも、そんな言葉聞かなきゃいけないのか? 違うって、いつも言ってるのに。 「ユールのせいじゃないって、いつも言ってるだろ?」 「わたしは、ノエルに、義務感でいてほしくない……」 「——……義務感?」  どこか噛み合わない会話の中の言葉に、つんのめる。 「そんなんじゃない。やりたくないのに、やってるわけじゃない。俺は、みんなのために、やりたいからやってるだけで! ここにいたいからいるだけで!」 「違う。義務感を背負って、本心、隠してる……」 「なんだよ、それ。本心、隠してる? ——違う。全然違う。……俺は、本心から——」 「ノエル、納得してない」 「さっきから、何なんだよ。俺は——ちゃんと、納得してる! 納得して、この村にいることを選んでる!」  つい、声が大きくなっていく。自覚は、あるのに。  だけどユールも、折れない。まっすぐ、厳然とした態度。 「本当は……納得してない。なのに、怖いから、これでいいって言い聞かせようとしてるだけ」 「——そんなこと、ない!」 「あるよ」 「っ、なんでだよ!」 「ケンカ、しないで!!」  ナタルの声に、水を浴びせられる。止まりそうになってた肺をようやく動かして、はあ、と深く息を吐く。 「別に…こんなのケンカってわけじゃない。でも……」  ばあちゃんに言おうとして、言えなかったこと。本心を言えてないのは、正しいはずなのに。  だけどそれを指摘されると、じくじくと痛くなる。  だってそれは、開けて覗いちゃ駄目なんだ。しまっておかないと—— 「——あのね、ノエル」  ユールは、さっきよりは少しトーンを落として、また口を開く。 「ずっとわたし——自分でも何かお手伝いできたらって、心の中では思ってたの。でも、できなかった。わたしなんかが何かをしない方がいいんじゃないかって——そう思うと……どうしても苦しくて、足が動かなくて」  泣いてたユールのことを思えば、当然そうだって思ってもおかしくないのに。言葉のひとつひとつが、どこか不思議な感覚。ユールの気持ちを聞くのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない、とすら思う。ずっと、一緒にいたのに。 「だけどね、さっき……すごく嬉しかったの」  ユールは少しだけ目を伏せて、胸の前で手を組む。さっきあった出来事を、丁寧に反芻するように。 「おじさんのお世話をしてる時、今まで感じてた苦しさが、いつのまにかどこかに消えてて。純粋に、目の前で苦しんでる人に何かしてあげたいって思ったの。何か、助けになりたいって思って。  ——そうしたら、笑ってくれた。ありがとうって言ってもらえた。少しは、役に立てた」  ユールはふっと、口元を緩ませる。 「……こんなわたしだけど、それでも……わたしの助けを喜んでくれる人がいるんだって。わたしも、困っている人を助けることができるんだって、初めて思えたの。——おばあちゃんや、ノエルみたいに」  さっき見たユールを、思い出す。花のような笑顔、神聖なまでの姿。  あの時のユールは……本当に嬉しそうで、迷いがなさそうで——俺の心の中とは大違いだって……思ってた。 「その時、思ったの。自分の心の中ばかり見ていたら、前には進めないんだって。わたしも、苦しむ誰かのために何かしたい。そうしたらそのうちに、この罪悪感も、喪失感も、薄らいでいくのかなって、初めて思えたの……そうしたらきっと、みんな、それに生命の神カイアスとユールも、喜んでくれるって……思って……だから……」  ユールは、顔を上げる。 「ずっと励ましてもらってたのはわたしなのに、偉そうなこと言ってるのかもしれない。  だけど、わたし、ノエルにも、そうであってほしいって思うの。——もしかしたら心の中……怖いかもしれないけど。自分の思うように、ちゃんと前に進んでてほしいって……思うの。ノエルなら、できるから」 「……俺」  初めて聞くのかもしれない、ユールの気持ち。  俺のこと、考えていてくれて嬉しい、とも思う。だけど、それよりも——  どうしても、心の中がざわざわと鳴って、仕方ないんだ。抑えようとしてるのに、それができない。 「——心の中ばかり見ていちゃ……だめ?」  せっかくユールが言ってくれてるのに。開けちゃいけないところ。ちくちくと、刺されて。ぐちゃぐちゃに、散らかって。どろどろと、赤くて。 「そんなこと、わかってる。わかってるけど。……でも、どうしようもないだろ?」  苛立って、自分の声がとげとげしくなって。こんな風に言ったこと、ないのに。  どうしてこうなってる? 自分でも、わからない。 「じゃあ何だ。みんなの言う通り、俺が村を出たとする。でもそれで、何になる? 何の意味がある? ……俺がこの村を出たって、そんなの別に——何の意味も」  意味がない? そうじゃない。 「いや、意味がないなら、まだマシ。でも、そうじゃないかもしれない。俺は——」  目の前に、どろどろと赤いものが満ちていく。視界が全て、埋め尽くされるくらいに。 「俺は……過ちを、犯したくない。失敗したくないんだ…!  例えば俺が何かしようとして、悪い結果が起きたらどうする? 逆に誰かが傷つくことになったらどうする? たくさんの人が苦しむことになったらどうする? そんなの、見たくない! どれだけ謝ったって、謝り足りない!   この村だって、同じ。俺がいない間に、この村に悪いことが起きたらどうする? 俺は何もしてやれない! 誰かが助けてくれるのを待つしかない! また会えると思ってたのに、会えないかもしれない!」  みんなが息をのむような、驚いたような顔を見せても。  ——もう、どうしようもない。 「……嫌なんだ、そんなの。絶対に。  俺一人の勝手な思いでそんなことになるくらいなら、外になんて出なくていい! 世界が例え争いに満ちてたって、何かを変えたいなんて大それたこと、考えなくていい!  ——ここは、平和。それでいいんだ。ここにいて、目に見える範囲で、人が幸せになれるように頑張っていく。 それで……俺は……十分なんだ……」  耳に届いた自分の言葉に、嫌気が差す。首が、垂れ下がる。  床が目に入る。自分の足下には、動かなくなった誰かの身体がたくさんある気がして。——だけど俺は、進むことも退くこともできない。踏みつけないように、立ち止まったまま。  争いばかりの世界。俺は、何かをしたいって——確かに、どこかで思ったはずなのに。  それを覆い隠そうとするものが、自分の奥深くにあって。  嫌なものは見ないでおけばいいんだって。それ以上難しいこと考えなくてもいいんだって——そう、そそのかすように。 「自分でも、なんでそう思うのか……全然わからない。だけど、だから、今まで通り、この村にいても……いいよな……?」  問いかける。誰に許可を求めてるのか、自分でもわからないけど。  しばらくの間、何もできずに、立ち尽くしたままだった。  少しして、はあー、と声になりそうな大きなため息が、聞こえた。 「……いいわけねえだろ? 馬鹿」  俺の感情と全く相容れない呆れた声が、頭の上から降ってきて。——逆に俺は、はっとした。どろどろとしたものが、ゆっくりと霧散していくように。 「ったくクソ真面目に……何悩んでんだよ。人には色々苦しむなとか言っときながら、お前はそれかよ? そんで? 自分は一生何もしないつもりなのかよ? ったく、口だけだな。みんなも、がっかりだよな。なあ?」  ヤーニは同意を求めるように、みんなをぐるりと見渡す。みんながすぐにはうん、と頷かないのは、唯一の救いだけど。 「何かを守る、何かを変える。やりたいなら、やればいいじゃねえか」 「やりたいならって。簡単に、言うけどさ……」 「今までと同じことだろ?」 「……同じって?」 「結局お前は、そういうやり方しかできねえんだろ? 気になることを見ないでおくなんて、できねえんだし。馬鹿なんだからよ」 「……馬鹿」  何か、散々に言われてる気もするけど。 「大体——何かを守るなんてさ。お前がやらないってなら誰がやるってんだよ。ったく」 「……俺が」  俺がやらないなら、誰がやるのか?  その言葉は、自分でも思った以上に、じわじわと心の中に入ってきた。 「そりゃーさ! 俺だって村のみんなを守るさ。お前にばっかりいいところ見せられたままじゃ、かっこつかねえし。  でも、お前にはさ。何ていうか——悔しいけど、一歩先を走っててほしい……わけだ」  ヤーニは不機嫌なのかわからない口調で、頭を掻く。 「別に、俺だけじゃない。でも、お前がみんなを助けてることで、勇気づけられてた奴らもこの村にはたくさんいるから——  だから、きっとお前が村を出たって、同じだよ。お前がいろんな世界見たり、この村の人以外にもたくさん助けたりしてるってだけで、喜ぶ奴らもいるから」 「……喜ぶ?」 「そうだよ!」  そんなことが、あるのか? 全然、考えたことなかった。 「——大丈夫だからさ。だから、俺たちをがっかりさせんなよな」  なあ? と首を向けると、リーゴもナタルも、勢いよく頷く。  所在なくて、ふと見れば、ばあちゃんと目が合って。また優しく微笑んだ。 「あのね、ノエル」ばあちゃんが、落ち着いた声を出す。「この世界の始まりは確かに泥臭い戦いだったかもしれないし、今もそれはどこかで続いているのかもしれない。でも、神話には続きがあってね」 「……続き?」  何だっけ? 俺が耳を塞いでいた部分……? 全然、思い出せない。 「お前、覚えてないのかよ」 「おばあちゃんの話、本当に聞いてないんだね……」 「あーあ、サボってるからだな!」  一気に、攻撃が浴びせられる。 「う、うるさいな。そういうこともある、だろ?」 「無理に聞くものでもないのだからね、いいのよ。それに、苦しかったんだから、仕方ないんだからね」  ばあちゃんはそう笑って、続けた。 「神話の続きは、こうあるの。  ——"しかし、争いの続く世界を悲観してはいけません。負の感情、人同士の争い。それにどう向き合っていくのかは、人の手に委ねられているのです。何もしなければ、争いは終わりません。しかし人の努力によって、少しずつ平和な世の中にしていくこともできるのです。私たちは、その途中にいるのです。  それは長い時間をかけた取り組みになるかもしれません。限りある人の命の間には、果たされないかもしれません。しかし、生命の神カイアスとユールは、私たちに転生を与えました。彼らは試し、見守っています。私たちが命を紡いだ先に、この世界をどのような形にしていくのかを——"って、ね」 「……まだ、途中?」 「そう。ノエル、あなたのやることに、意味のないことも、無駄なことも何もないの。あなたがやったことは、ちゃんと誰かを救ってるから。ちゃんと、未来につながってるから。  ノエルはどんな小さなことでもってこの村の人達を助けて来た。迷子を助けたり、そんな小さなことだっていいの。だけどそれは事実、誰かを救ってきたのだから。  仮にあなたが村の外に行ったとしても、それはずっと変わらない。どんな状況でも、あなたが少しでも村を、世界を良くしたいっていう気持ちは、絶対に」  ばあちゃんは、静かに言った。心の中でぐちゃぐちゃになっていたものが、片付けられていくような、そんな感覚。 「だからね、ノエル。物事の悲しい面ばかり、見ないで。いいところも、見てあげて。世界のことも、自分のことも。  ——ここにいれば、慣れ親しんだみんながいる。何もないところに飛び出すのは、怖いかもしれないわね。だけど、まだ見ぬ何かのために、何かをしたいと願えるのなら、ずっとここに留まる必要はないの。怖がらず、もっと広い、大きな世界に飛び出していきなさい。あなたの正義感は、みんなのためにあるのよ」  みんなの、ために。 「もしそこでまた帰ってきたくなったら、いつでも帰ってくればいいし、ずっとそこにいたくなったら、そうすればいいの。人はね、自由なのだから」  いつの間にか、あのどろどろとしたものは目の前からなくなっていた。ばあちゃんの言葉は、静かに心の中にしみこもうとしていた。 「でも……」俺は所在なく、頭の後ろを掻いた。 「なあに?」 「みんなそう言ってくれるのはありがたいけど——大体俺、どこにも行くあてなんて、ないのに——」 「あら、それなら大丈夫よ」ばあちゃんは、笑顔で言う。「さっき出かけてたでしょう。ノエルの先生と話してきたのよ」 「えっ、先生と? なんで?」 「ノエルが大学に進学する気はないのかって」  そういえばそんなこと、前言われた。その時は、必要ないとか言ったっけ。でも先生、わざわざばあちゃんとそんな話したのか? 「大学、行ってみたら? そうしたら、勉強もできるし色んな世界も見られるし、何すればいいのかもきっとわかるわよ」 「えっ、いやその、ばあちゃん」妙に簡単に言うから、焦るのはこっちだ。「行こうって言って、行けるもんじゃない。入れるかどうかもあるし——」 「本人にさえその気があれば、大学はちゃんといいところに行けますよって。学校の成績も優秀だし、課外活動も立派にこなしていて、どんなところにでも推薦状出しますよって言ってくれてね。もちろんノエルにも、いろんな準備が必要だけど」 「いやでも。大体、金もかかるし——」 「お金については、奨学金制度もあるわけだしって。もちろん将来働いて返さなきゃいけないし、その他にも学業に支障のない程度にアルバイトはしなきゃいけないかもしれないけど、勉強しながら生活していくくらい十分できるわよ。実際、そういう学生さんはたくさんいるみたいよ。だったらノエルも楽勝でしょう?」  ……ことごとく、できない理由が潰されていく気がする。 「だからね、何とかなるわよ」 「ばあちゃん、随分……楽観的じゃないか?」 「そりゃあね、自分が動かなければ、何も起きないわよ。でも動き出せば、何かが変わる。あなたが正しく望むならば、周りがついてくる——そういうものなのよ。  だからノエル、これからは、自分の気持ちに正直になればいいの」  ばあちゃんの、ちょっとした言葉。だけど俺は、何となく、その言葉を流すことができなかった。 「——自分の気持ちに、正直に……なろう。そうすれば、自分が望んだ未来に行ける……?」  ばあちゃんは、顔に笑顔をのせた。 「正解、よ。行きたい場所に行って、会いたい人に会いなさい。大きな場所に、羽ばたいていきなさい」  自分で言った言葉が、妙にすとんと腹に落ちて。  もちろんたくさん考えなきゃいけないものもあるし、やらなきゃいけないものもある。だけど、もうそれ以上何かを否定するだけのものは、俺の中になくなっていた。 「……今までちゃんと考えたことなかった、けど……考えてみる。先生とも話してみる」 「そうね。そうしなさい」  ばあちゃんは、微笑んだまま頷いてくれた。 「……よかった」  声のした方を見ると、ユールも——ふわっと柔らかくて、すごく嬉しそうな笑顔を、見せてくれた。  ——それからは、とんとん拍子に事が進んだ。 「ノエルくん、本当におめでとう」  先生のところに挨拶に行くと、先生は笑顔で迎えてくれた。 「本当に……先生のおかげ」  元から、普段の授業の他にも質問の時間をもらっていたけど。さらに、受験先を考えたり、エッセイの準備をしたり、たくさん助けてもらった。他の先生にまで手伝ってくれるようお願いしてくれたり。 「違うよ、ノエルくんが頑張ったからだよ。教師として、ノエルくんみたいな生徒を持てて本当に嬉しかったよ。これからも頑張ってね」 「……うん」  そう答えるけど、なぜか尻すぼみになる。 「あれ? 自信なさそうだね」 「そういうわけでも、ないけど。何ていうか……妙にすんなりここまで決まったけどさ。本当にいいのかな」 「あんないい大学に入れて、誰だって羨ましがるのに」 「そうかもしれないけど。みんなに期待されてるけど、村の外に出て、……俺、本当に意味があることができるのか? 想像できないな……」  まだ、"理由もわからないのに怖いもの"を引きずってるのか? 何となく、まだ少しの不安がどこかにあって。  見てないものがうまく行くことを信じるって、簡単だと思ってたけど、意外と難しいもんだな。 「それは、まだ見ていないからだよ。まだ出会っていないからだよ。まだ意味を作ってないからだよ」 「そうかな」 「誰だって、将来のことは期待半分、不安半分なものだよ。でも大丈夫、全てこれからなんだから」 「……そっか」  この不安は自分だけが感じるものじゃない。これから。そう思えば、少しほっとする気がする。 「ねえ、ノエルくん。——以前、この村にいても世界を知ることができるって言ったよね」 「あ、うん」  そういえば、そんなことも言ったな。結局は、村の外に出ることになったけど。 「確かに今、都市にいたって小さな村にいたって、いろんな情報を得ることができる。だから、ノエルくんの意見も一理ある。  でも、違うんだよ。確かにどこにいても、世界の動きを知ることができる。でもそれは、誰かの過去の行動の結果でしかないんだ。時事情報を追ってるつもりでも、過去の情報でしかないんだよ」 「誰かの、過去の行動の結果……」 「だから、本当はそれだけで満足していちゃいけないんだよ。例えばどこかに何か悪いことが起きているとして、それを知るだけでいいのかな?」  今までの俺は、そうだった。でも、今はそうじゃない。 「……違うと思う」  そう、違う——ようやくそう思えたからこそ、俺は今、村の外に出ようとしている。 「……でも、それで不十分なら、……どうすればいい?」 「うん。自分が世界の動きを作っていくんだよ」 「自分が、世界の動きを作る……?」 「そう。どんな小さなことでもいい。知るということに満足しないで、そこから自分が何かを生み出していく。誰かの悪い行いを知るだけじゃなく、自分のいい行いを広めていく。それはつまり、未来を変えるっていうことだよ」 「……"未来を、変える"——」 「だから、小さくまとまらないで、社会に大きく羽ばたいていってほしい。ノエルくんなら、絶対にできるから——」  未来を、変える——?  どんな小さなことでも、いいから。  俺が、本当に、そんなことができるなら。  ——珍しく雲が少なくて、晴れ間の多い日。  柔らかい風が吹いて、見上げれば、雲がゆっくりと流れて行く。 「ノエル」  教会の前。振り向くと、ユールは長い銀髪を押さえながら歩いてきた。 「……ユール」  目の前まで来ると、ユールは俺を見上げた。 「もう明日だね、出発」 「……そうだな」  どこか、緊張してるかもしれない。うまく話せなくて、手で頭の後ろを掻く。 「着いたら、どうするの?」 「本当はバイトも探したりしないといけないけど——せっかくだから入学前に旅行でも行って見聞を広げてきなさい、ってばあちゃんが言うから。行ってみるつもり。貧乏旅行だけど」 「そうなんだ。楽しんできてね」  うん、と何とか頷く。  だけど、頷くだけじゃ、駄目だろ? そんな世間話じゃなくて、何か言い忘れてることがあったんじゃないのか? もう話すの、当分ないんだぞ? 「その、ユール……あのさ」  大したことないはずなのに、妙に緊張する。 「……今更謝るなんて遅いかもしれないけど——前は……ごめんな、大きな声出したりして」  本当にそうだ。もう発つっていう時にやっと謝るのか?  だけど、言う機会がなくて。ユールはいつも通りの態度だったし、気にしてるのは俺だけかも——なんて思ったら、余計にタイミングを逃して、ここまで引っ張った。 「大丈夫。それでノエルが大切なことを決めてくれて、笑顔でいてくれるなら」 「もしかして、嫌なこと言わせたのかな……ごめんな」 「ごめんじゃないだろ? ——ってわたしによく言ってたのに。ノエルだって、謝ってばかり」 「え……あ、そうだな……人に言えても、自分のことはてんで駄目で、ごめん——って」 「また、謝ってる」  くすくす、と手を口に当てて、ユールは笑った。  笑ってる顔を見れば、ほっとするけど。これからは、どうなんだ? 今はよくても、また落ち込むことがあったら—— 「その、ユールは、本当に大丈夫なのか? もう怖くないのか? 嫌な夢見たりしないのか?」  ユールはこともなげに答える。 「少しは、あるよ」 「えっ?」  もう大丈夫なのかって思ってたけど、そうじゃないのか? ——だとしたら、本当に俺、行っても大丈夫なのか? 一瞬でいろんなことを、思う。 「でも、大丈夫。  あのね、わたし……ノエルが励ましてくれるのは、本当に嬉しかったの。  だけどわたしは、ちゃんと自分で向き合う必要があるから——だから、わたしはここで、おばあちゃんと一緒に、カイアスとユールに祈ってる。わたしなりに、みんなのこと助ける。それに、ナタルも、ヤーニも、リーゴもいるし」  ちゃんと、自分の心と向き合う、か。 「そうしたら、今までとは違う世界が見えるのかも」  そう話すユールの顔は、確かに泣いてた時とは違って——春みたいに、嬉しそうだった。 「だから——ノエルも、行って。いろんな世界を見て、いろんな人と会って、自分の道を見つけて。  そして、新しい明日を、わたしに視せて」  ……それは、すごく懐かしさのある言葉で。少しだけ、目の奥がちりっとする。だけど——むしろ、暖かくて、背中を押されるような。 「うん。……ありがとう、ユール……」  村を出て何が見つかるのかなんて……まだ、わからない。  それでも、全ては今から、なんだ。  本当の意味で、もっともっとたくさんの人を、守れるように。  そのために、俺ができることを見つけるために—— 『……未来を、変えよう——』  ああ……そうだな。 [Side:Serah はばたく想い](後編) [空のように、ひとつに](1) ※できればセラ編の後にお読みください
後編!お読み頂いて…ありがとうございます!!!う〜ここまで時間かけるつもりはなかったんですが、体調不良で… また当サイトではおなじみかもしれませんが、悩み多きノエルで…すみませんです。ノエルとともに書いてる方も悩みました。って毎回書くごとに悩んでますけど…。 13-2のノエルは色々抱えてるものが多かったのに、LRのノエルはシナリオの都合上(←)ものすごい視野の狭い人のようになってしまってたんですよね。 ノエセラかどうか以前に、そのことに耐えられませんで…(><) 転生後は、その本来の姿を少しでも取り戻してほしいなあ、という願望を込めて書きました。それに尽きます。ノエルの背中にも、小さいけど翼が描かれていたので。うん、羽ばたいていってほしいです。 (それにしてもみなさん、「あまりにも辛すぎたので一時的に閉め出してた」「ルミナの中にいたセラが…」とか、すごく素敵な解釈をされてる方も多くてですね(あ、リンクの許可はもらっております。すごく素敵なので!)。管理人の視野こそ狭かったかなと思うことも多々ですよ…) 最大の難関はユールでした。ミステリアスすぎて、何書いたらいいのか皆目見当もつきませんでした。でもすごく考えてるうちに、本編ユールも今までみたいに掟に縛られたり誰かに守られたり、それで鬱屈してみんな犠牲にすればいいって考えるんじゃなくて、自分の足で立っていってほしかったんだなあと思いました。 あ、あとイメージはヨーロッパなんですが&ヨーロッパといえば入学シーズンは秋なんですが、まあ日本人に馴染むのは春ですよねという話になり、春になってます(^^; そして、「あれ、セラ出てきてなくない?」と思われたかもしれないんですけれども。これもすみませんです。次のターンで…次は今度こそもっと明るく書こう!(宣言)いや、書けたら…_(:3」∠)_バタンキュー ほんとにたかせさんには感謝してもしきれません。ありがとうございます。 お読み頂きまして、ありがとうございました…!  この日のブログ

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