その顔で、ノエル、と呼びかけられれば、嫌でも見つめる。
その顔で、微笑まれれば、胸の奥がどうしても痛んで、苦しくなる。
その顔で、来て、と言われれば———
抗えない。
深みに、沈む。闇に、堕ちてく。
「……ん、もう、重いんだってば……!」
「えっ……あ、……ごめん」
身体の下にいた存在が声を上げるから、腕に力を入れて、腰を浮かす。そうして身を離そうとすると、違う違うと言って、細い腕が伸ばされる。
「別に、どかなくてもいいの。体重、かからないようにしてくれてるでしょ? それに、胸板あったかくて気持ちいいし。はい、カムバーック」
身体を引き戻されて、またぴったりとくっつく。体温と、少しまだ胸の上下が早いのが、伝わる。ピンク色の髪が、目の前に見える。
「うん、これでよし」
満足そうにしてるけど、……じゃあさっきの言葉、何?
「……でもさっき、重いって……」
「身体のことじゃない」
急に、不機嫌そうに声を低くする。
「私のこと、またセラって呼んだでしょ。どれだけ私にセラを見てんの? 私は、ルミナ! いい加減、もう言わせないでくれる? ……ま、もう慣れたけどね。でもこういう時くらい、ちゃんと私の名前呼んでくれてもいいでしょ?」
「ルミナ。……ごめん」
……また、言われた。謝るのも、これで何回目?
「まあ、そういうところがかわいいんだけどねぇ」
「……からかうな」
「いいじゃん、かわいいんだし。私、ノエルのそういうところ好きだよ?」
「………」
「嬉しい?」
「うん、……嬉しい……」
……苦しい。
見つめる度に、言葉を交わす度に、その身体を抱く度に。……もういなくなった人を、俺が命を奪ってしまった人のことを、思い出さずにいられないことが。
『ねえ、……ノエル。——……ありがとう』
最後の最後に、くれた笑顔。
倒れゆく。必死で腕を掴む。でも、その腕は力を返さない。身体を抱える。その重さが全て、俺の腕にかかってくる。
違う。そんな"お別れ"の笑顔が欲しかったわけじゃない。……どうして? 俺……守れなかったのに!
『未来が変われば、過去も変わる』
俺は間違いなく、過去を変えたはずだった。AF700年からAF3年まで、時間を超えたんだ。
未来が変われば過去も変わる、でもだけじゃない。過去を変えれば、ちゃんと未来も変わる。……実際、そうやってきたはずだった。
新しいコクーンが浮かんだのは、過去を変えたおかげだったはず。
『あなたたちなら、正しい時を導ける』
ユールだって……過去のユールだって、そう言っていた。
だから目的は間違ってなかったはず。だったら、どこで間違えた? どこの過去を、どう直せばよかった? カイアスを倒したのが、間違いだった? 本当に倒すべき敵が、他にいた? だったら、それは……誰?
『あの時、見たの。黒い影が……』
……正解は、いつまで経ってもわからない。
それとも。
やっぱり、俺がいなければよかったのか。あのまま大人しく死んでいればよかったのか。俺一人だけで、苦しみを負えばよかったのか。
俺が旅立たなければ。俺が、女神に願わなければ。あのまま、死にゆく世界に居続けたなら。
そのうち世界が滅びたとしても、過去の何百年かは平和な生活を送ることができた。
少なくとも、セラが死に、世界に混沌が溢れることだってなかった……。
ユールが死んだ時、俺は何も知らなかったなんて言えたかもしれない。
……でも、セラは。
旅を続けたいって言った時、絶対に駄目だって言えばよかったのに。死んだら何もならないんだって。
命が削られるって、知ってたのに。知っていて、旅を続けた。俺のせいだ。俺のせい……——
……あれから、どれくらいの月日が経った? 俺の生きていた18年とは比較にならない、長い……長い年月。
なのに、どれほどの時間が経っても……記憶は、消えも、薄れもしない。それどころか、ずっと……俺の心で……
「……ったく。別に無理に言わせてるわけじゃないんだから、笑ってよ」
少し、不満そうな顔。その手が、頬に触れる。……また、そういう顔してた?
……ルミナとは、いつから、こういう行為をし始めたのか。行動を共にするようになってから……俺が塞いでばかりなのを見かねたのか、そっちのほうが好都合と思ったのか、それともただの気まぐれなのか……わからない。でもそれからは……そう、ことあるごとに。
こういうことしたからって、どうなるわけでもない。どうにもならない。ただ感じるのは、……少しの人のぬくもりと、いつまで経っても消えない喪失感……後悔、胸の痛み。
……よく、目を閉じるようになった。目さえ閉じてしまえば、何も考えないで済む。
でも結局は、目を開けてしまう。一瞬……セラの顔が浮かんで、少し嬉しくて、どうしようもなく悲しくなる。
……それでも、セラに似た彼女が少しでも喜んだ顔をしてくれると……どこかで、セラが笑ってくれるような気がして。
俺が守りたかった……だけど守れなかった人への、僅かながらの贖罪。今更償うことができないとわかってても、過去が変えられるわけじゃないってわかってても。そうじゃないと自分の苦しみを、どうにもできない。
そして、それを慰めるように、縋るように、許しを請うように。……また同じ行為をする。その繰り返し。
……違う。俺は、こんな風にしたいわけじゃない。俺の生きてた世界じゃ、これは……命を繋いでいくための、すごく神聖な行為で。こんな風に、一時的な快楽のためのものじゃ……ない。誰か他の人を思いながら、することじゃない。なのになんで、俺……
「——ごめん、セラ……。いつもごめん……ルミナ」
セラは、ユールじゃない。俺は、カイアスじゃない。これだって、ずっと昔にした会話と同じ。ルミナだって、セラじゃない。……頭ではわかってるはずなのに、どうしても言わずにはいられない、懺悔の念。その度にルミナが嫌な顔をする。それも、わかっているのに。
ルミナは、はぁっと溜息をついて、俺の首に腕を回す。不機嫌の中に、呆れと、少しの優しさを混ぜて。
「もう、ほんとノエルって人は………よっと」
ふいに力が込められて、体勢が崩れる。
「……っと」
横に転がるように体をひっくり返されて、仰向けになる。がっちりと押さえつけるように、ルミナが上に乗る。
「……おい」
「文句、禁止」
いたずらっぽく笑うと、手が、顔と耳を滑る。黙らせるように、唇と唇が……触れて。舌が舌を、這う。溶けるような、感触。痺れる。頭の奥が、ぼうっとする。急に、黒いもやがかかったように。
そしてまた、ゆっくり離れて。ルミナの頭が、下がっていって。
「……、ルミナ。……待っ、俺、まだ……」
「本当に?」
「——っうぁ、待っ……あ」
また、鼓動が早まる。心がどこか違うところにあっても、……身体だけは動く。悦楽にも、正直に。……思考を奪う音だけが、響く。
「……っ、う……」
身体が、ぶるっと震える。身体中の熱が、また集まっていく。頭の中の黒いもやを、振り払えない。……どこもかしこも、思い通りにならない。
「いつも、考えすぎなんだから。少しの間だけでも……忘れちゃってればいいよ……」
「……忘れ……?」
「そう。気持ちよくなって……ぜんぶ忘れて……ね?」
「全部……忘れて……」
「そう。いい子」
忘れる? 忘れられる……?
「……ルミナ」
「ん?」
「俺……苦しい……」
荒くなる呼吸だけじゃない、全て。
「うん、わかってる。かわいそうに、ノエル」
「忘れさせて……くれるのか……?」
……忘れられる? 本当に?
「いつも、そうしてるでしょ? ほんと、しょうがないんだから」
しょうがない? ……しょうがない……。
「……うん」
……そしてまた、生温かくてどろりとした深みにはまって……抜け出せなくなる。
「っ、ルミ……ナ」
「……っん、ノエル、ちゃんと、名前、っ、呼んでくれる……んだ」
名前?
「………うん、ルミナ」
「嬉しい、な」
「……嬉しい?」
「はっ……あっ、……うん」
「じゃあ……俺も、嬉しい」
ふいに見せる、屈託のない笑顔。次いで、落ちてくる、濡れた唇。
心も身体も、きゅっと締め付けられる。苦しいくらい、熱い。
「……っ、ルミナ、あんまり……」
「ふふ、んっ、あ……、なんだろ、ノエル……すごく、気持ち、い……よ……ノエルは……?」
もしかして俺は……いつもこうして、気まぐれな優しさを、慰めを、待っているのか。
「………うん、俺も……すごく、気持ちいい……」
……そしてまた、押し潰されそうな後悔に襲われる。
——俺は、死ねない。でも、生きることもできない。
あの死にゆく世界でユールの笑顔が救いだったように、一人生き残った後にセラが隣で歩いてくれたことが救いだったように、……今は、ルミナが。
一時的な慰めをつなげて、"解放者"が現れるまでの時間を埋める。心がクリスタルの砂塵みたいにばらばらにならないよう、自分をつなぎとめる。……まるで、鎖。
そして、"終末の日に現れて世界を滅ぼそうとする解放者を、殺す"。……今はそれが、全てに失敗した俺に許された、ただ一つの目標。
……俺は本当は、予言の書に書いてあることが現実になるなんて、今更信じてないんだ。
だって、そうだろ? ……俺の世界に残されてた予言の書にあったのは、ユールが視たはずの未来は、草花の咲く……色鮮やかな幸せな世界のはずだった。なのに実現したのは、全てを塗りつぶすような深い灰色に満ちた世界。希望の失われた、世界。……あの死にゆく世界と、何も変わらない。俺のしたことなんて、何の意味もなかった。……自分だけがのたれ死ねばよかったのに、多くの人を世界の終わりに巻き込んで……セラを死なせてしまった、ということ以外は。そう、何組もの……絶望した目が、俺を捉えた。死にゆく世界と同じ。そして、スノウも。全部、全部……俺が。
……なぁ、ユール。ユールも俺も、予言の書に踊らされてただけ。……そういうこと、だろ?
なのに、今更。"500年前に消えたはずのライトニングが現れる"? ……そんなこと言われて、どう信じればいい?
だけど、それが本当かどうかなんてもう、関係ない。
全部、同じ。そうすることで、ルミナが喜ぶなら。……セラも喜んでくれてる気がして。俺の罪が少しでも償えるなんて馬鹿な考えに、縋りながら。
ただ……沈む。
予言。喪失。
終末、解放者、英雄。無力。
忘却、闇、逃避、快楽。後悔。
苦悶、死、嘆き、慟哭。血が、壁が、迫る、全ての、終わり……
『……時を変える者は、誰が血を流すかを選ばねばならない。君の負う罪こそ、永遠のパラドクス——』
俺の負う、罪。俺の責任。でも、もう……
「……うるさい、カイアス。もう……黙れよ……」
あんたはいつも、そうやって俺を嘲笑う。自分だけが、全て知っていると。歴史のことも、ユールのことも、……そして、ユールの死に幾度となく立ち会いながら望まない永遠を生きる辛さを。
——でももう……わかったよ、カイアス。理解したよ。十分すぎる程。
あの頃の俺は、まだ幼くて。あんたの気持ち、理解してやれなかった。あんたのやり方間違ってるって言ったけどさ、正解も間違いもなかったんだ。きっとあんたも、色々手を尽くしたんだ。でも、どうにもならなかった。だから……世界を……終わらせて、ユールの苦しみを終わらせ、そして自分も死ぬことが、あんたにとって最良の終わり方だった。……そう、苦しみを、終わらせたかったんだ。
……その気持ちは、今は俺も、同じだ。
ごめん、ユール。ごめん……セラ。ずっと心配してくれてた、ホープも。
……ライトニング。本当に現れるというなら、早く……早く、現れてくれ。500年? 長すぎる。もっと早く、今すぐにでも。
俺にはいつだって、殺す覚悟も……死ぬ覚悟もある。あの時の俺とは、違う。
だから、あんたを殺して、運命を切り開く。世界を救って、今度こそ全て終わらせて、そして——
俺は……俺は、早くこの苦しみから、解放されたい……
7月19日時点のLRFF13発売前妄想@闇堕ちノエル、です……。すみませんノエルがどうしようもない人ですみません!
1月に闇堕ちノエルがルミナと一緒にいるという情報を読んで数行書きかけて、あまりの微妙さに放置してたのですが、最近の情報を考慮してさらに付け加えてみました。いやほんとごめんなさい。ノエルのイメージを非常に損なったかと……。で、でもルミナに対してもそこはかとない愛情のような何かがあるようなないような(しどろもどろ)
少し、L'Arc~en~Cielの『海辺』のイメージを取り入れました。『幾ら歳月が過ぎても記憶は刻まれ 決して消えずに僕を悩ます』『この道を通るたびに君が突き刺さるよ まるで胸から流れるように あふれだす』
(追記)もう少しだけかわいい? バージョンのノエルミも書きました。
「灰色の空の下、君が」