びじさんからのリクエスト(?)で書かせていただきましたSSのノエセラ版です。
元となった作品はこちらです→
「言葉の裏側」
ちょっとびじさんの作品のイメージより静かすぎになったかもしれません……
少し黄色みがかったような明るい空の色の下、一面の青に浮かぶ波のうねりに、無数の光の粒が映る。
規則正しく、白い小さな波が、重なりあうように二人の足元に寄せていた。
ざああ、ざああ、と、一つの波の音が終わったかと思えば、また休む間もなく次の波の音が覆いかぶさる。
「——海……か」
何を言いたいわけでもなく、ノエルはつぶやいていた。身体の後ろに手をつき、そして黄色い太陽を映す海を目を細めて眺める。瞳の先には、黒っぽいごつごつした岩にぶつかる波や、頭の上を飛んで行く鳥の群れ。
「うん……海だね」
隣に座るセラが、静かに返す。
「もう一度見れた。”本物の海”」
ノエルの頭には、死にゆく世界で見た、有害物質で濁りきった、禍々しいほどの海の色があった。その記憶を一つ一つ書き換えていくように、ノエルは、その瞳で細かなもの全てを見つめた。
「ノエルのおばあちゃんが、ノエルに見せたかった海って……こんなだったのかな」
「……かもな。それか、ネオ・ボーダムみたいに、明るい海か」
ノエルは、首をすくめて、そしてふうっと溜め息をつく。
「でも——ばあちゃん自身も、本当の海なんて見たことなかった。きっとばあちゃん自身が、自分でも見たかったはずで——」
見たいと願いながら見れなかった無念さを思うと、息が詰まりそうになった。それでもノエルは、何とか首を振った。
「見たかった、じゃない。今から見せるんだ。……必ず」
努めて力強く頷いて、ノエルの瞳はまっすぐに、水平線の先を見つめた。
「……うん。絶対、ね」
最後の一人になってさえも、いつでも希望を失わなかった、人。
本当はノエルもずっと、不安に押しつぶされそうになっていたんだと、最近になってようやくセラも知るようになった。
それでも前を向き続ける姿は、今までの自分にはなかったもの。それが——何よりも、眩しいと思う。
だからこそ、自分も前に進むと決めた。そうすることで、自分の身を危うくすると知っても。未来を変えるために。自分を変えるために。
だけど——
「一緒に、だよな」
「……うん」
「この海を守って——子どもたちが、生きる心配なんかしなくてもいい世界になると、いいな」
セラは微笑んで、うなづいた。二人は目線を合わせて、それから小さく笑った。
「俺の生きてた時代で海を見た時は、こんなものって思ったけど——今は海、好きだ。見てると、落ち着く。気持ち、原点に戻れる」
「うん、そうだね。……私も」
「——でもさ。同じ、海……だよな? でも、ネオ・ボーダムとも、何か違う。色? 海の青、濃い気がする」
初めて見て感動した「本当の海」を、脳裏に思い出しながら、ノエルはつぶやいた。つい昨日のような、なのにずっと前のことのような、時間軸がごちゃまぜな感覚があるのは、いろんな時代を行き来しているせいかもしれない。
「うん。——海って……きれいでしょ?」
セラも、視線をノエルから海に戻す。
「海の景色は、一つだけじゃないんだ。その場所によって、いろんなきれいな表情があるんだよ。ほら、ここは……」
セラはふと、顔を柔らかくほころばせた。ネオ・ボーダムはターコイズのような明るい空色だった。ここの海の色は、もう少し深くて——
「ここの海は、ノエルの瞳の色みたいだね」
「……俺の?」
思わずノエルは、横に座るセラに振り向く。
「うん……ほら」
セラは、海の中を指差して、そしてノエルの瞳を覗き込む。
「同じ色、だよ。——深い、深い……あお」
少しの、間。
「……、……」
ノエルが何かを言おうと口を開く前に、セラはもう一度微笑んで、海に目線を戻した。
「海、入っちゃおうかな」
「……えっ? 今?」
「足だけだから。ね、ノエルも」
セラの勢いに飲まれる形で、ノエルもセラに続いて靴を脱いだ。セラは躊躇なく、ノエルは——この時代の海は安全だとわかってても、どこか恐る恐る足を海に投げ入れた。
「ちょっと、ひんやりするね。でも、気持ちいい……あ、魚」
「魚! どれ?」
ノエルは、セラの指さす方向を目で追った。それでも、魚の動きが素早かったからか、その姿を捉えられなかった。
「海の深くに、潜っちゃったかな」
「そりゃ、残念」首をすくめながら、考えた。海をほとんど見たことのないノエルには、”海の深く"がどうなってるのか、現実性のある想像が難しい。「深くってさ、潜って手、伸ばしても無理? 全然届かない?」
「海は、すごく、深いんだよ。ノエルがものすごーく背が高くなっても、——そうだね、例えばアトラスだって、海の底に行けないかもね」
ノエルは、以前ビルジ遺跡で戦ったアトラスの姿を思い起こした。自分より何倍もの大きさの、巨人。それでも海の底には、辿りつけない?
「……想像外。海の底、どうなってる?」
「う〜ん。私の時代でも、海の中のことはあまりわかってなかったんだよ。太陽の光も届かない場所で」
「へえ」
「——だけど、それでも、命がたくさん生きてるんだよ」
「生きてる?! そこにも、人がいるのか?」
「水の中でも息ができたら、いいんだけどね。だけど、この世界には、いろんな形の命があるから。——生命を育む、豊かな海。さっきの魚みたいに、水の中でも暮らせる、たくさんの海の生きものがいるよ」
「へえ。……なるほど、そっか」
人はいない、光も届かない。それでも、ひとたび潜れば、たくさんの生き物が暮らしている光景を、ノエルは何とか思い描こうとした。
「海も、大きいんだな」
セラは頷きながら、考えこむように、息を吐き出しながら言葉を紡いだ。「海は、太陽の光も届かない、暗い、深い、静かな場所。——謎の多い、未知の世界。深くて、いろんなものを、そこに秘めていて……」
セラは海の水の奥を、見つめるように、そっと呟く。
「海の中……潜ってみたいな」
「……潜る?」
「深い深い、青。そこにはどんな世界が広がってるのかな、って……知りたくて」
ぱしゃん、と、水をすくい上げるように、セラはつま先で水面を蹴った。
「……だけど。今はこうして、足だけだから、すぐに上がれるけど。体ごと全部、海に入っちゃったら——私もう、泳げないかもしれないね。上がってこれなくなっちゃうかもしれないね」
セラは海の中に目をやったまま、静かにつぶやく。ノエルは眉根を寄せて、セラを見返した。
「上がってこれないと……どうなる?」
「溺れちゃう……かな?」
「——……困る。セラは、ちゃんと生きなきゃなんだからな!」
ノエルは思わず、語気を強めて、身体ごとセラに向き直った。
「そしたら俺、助けに行く。溺れさせない」
「ごめんね。……ありがとう」セラは、大きな瞳をノエルに向けた。「……じゃあ、そしたら、溺れないように、一緒に海の中、潜ってくれる?」
「ああ、絶対。どこまででも」
「嬉しいな。そしたら安心、だね」
「ん」
ふいに、会話が途切れて——
言葉のないまま、耳に届くのは波の音だけになった。どちらが先でもなく、その場に仰向けに転がる。
二人の真上にある空は、少しずつ色が濃くなってきていた。
セラは、細かな光の粒が飛び交う青に、手を伸ばす。
「ねえ、未来は……」
「ん?」
「本当に、この手の中にある、んだよね……」
ノエルは寝転がったまま、首を隣のセラに向けた。
「……疑問?」
「……うまく、言えないけど……」
セラは空を見上げたまま、何かをつかむように、空中で手を握りしめた。
「たくさんゲートを通って、未来、少しずつ変えてきたけど。本当に、多くの人を助ける力が、この手にあるのかなって。ノエルには偉そうなこと言ったけど、私……」
セラは、目を閉じた。今思い浮かぶのは、過去のことばかり。ルシになった時のこと、姉に迷惑ばかりかけていたこと、まだ会えて謝れてもいないこと、スノウ、ネオ・ボーダムのみんな——様々なことが浮かぶが、その全てが、セラにとって望んでいたものばかりではなかった。もちろん、それを変えたくて、この旅に出ているのだけれど。
そして、ノエルのこと。
「本当に私に時詠みの力があって、未来が視えるなら、早く……幸せな未来、視たいな。それを、ノエルにも伝えたい」
「……セラ」
「その方が、ほら。……ノエルも、安心するでしょ?」
「……そんなのは、別に」ノエルは、息を吐き出した。「きっと、過去の時詠みの巫女も、そういう理由で、頼られたのかもしれないな。人は、不安だから。自分が行く先に、自分の望む未来が、待ってるのかって、知りたくてさ。でも——」
「いらない……かな」
「……うん。安心のためだけなら、未来、視えなくたっていい。セラのためには、視えないに越したこと、ないんだからな。未来が視えなくたって何だって、それでも俺たちは、行動してる。ちゃんと未来に進んでる。未来も変わって、この世界のみんなも、それにセラも俺も……無事で。……だから、心配しなくていい」
できるだけ柔らかくゆっくりと、確認するように言って、セラが空に向けて伸ばした手を、ノエルは横から握った。ともすれば自分の震えが伝わりそうなところを、深呼吸と共に何とか抑えこんだ。
「……ん」
ノエルの手の温かさに、セラはゆっくりと腕を下ろした。
そのまままたしばらく、目を閉じたり、ぼんやりと真上を眺めながら、絶え間ない波の音を聞いていた。
「あれ……」
沈黙を破ったのは、ノエルだった。
「空の色……濃くなってる?」
「……あ」
二人が身体を起こすと、少し前と風景が大きく変わっていた。
青ばかりだった海に、柔らかい橙が混ざってきた。少し前には見上げる場所にあった太陽が、いつの間にか水平線の上、低い場所にまで落ちてきて——そしていつの間にか、柔らかく大きく膨らんでいた。
「——夕焼け……」
雲一つない海の上が、黄色、橙、赤のグラデーションに染まる中、海に浮かぶ無数の波も、色を変えていた。
靄がかった大気の向こうに曖昧に浮かぶ太陽しか見たことのなかったノエルには、太陽が色も大きさすら刻一刻と変えることが、不思議だった。
世界にはいろんな景色があって、太陽はこうして、鮮やかな色で照らしている。
「……すごいね」
そう言い合うお互いの顔も、普段ではありえないほどに橙色に染まっていた。
「セラも顔、赤い。いつもと違って、不思議」
「ノエルだって、そうだよ」
そんな風に話すほんの少しの間にも、少しずつ、それでも確実に太陽はその身を落としていった。
「あ、落ちる、落ちてく……」
楕円の形をした真っ赤な太陽が、じりじりとその姿を揺らしながら、少しずつ水平線の下に姿を隠していく。その周りの朱色が、深みを増していく。目が離せない。それは、ノエルもセラも同じことだった。
「——あっ」
まだまだあると思っていた矢先、急に太陽の姿がすっぽりと隠れてしまって、思わず声を上げた。
「……消えた」
はあ、とゆっくりと息を吐き出した。
それでも、余韻のような薄紅色が、水平線の上に広がっていた。
「すごく……きれい」
息を飲むほど、見入る。
少しずつ赤紫が小さくなっていって、ようやく思い出したように、はあー、と深く息を吐き出した。
言葉もなく、暗くなっていく海を呆然と見つめる。
また、波の音だけが残って。
それでもセラもノエルも、どちらも動かなかった。
「……あ」
「え?」
「セラ、上」
ノエルが、真上を指差す。
「——あ」
指差す方向を見上げて、思わず、わあ、とセラが声を上げる。
さっきまで薄い青色だった空は、すっかりと藍色になって、まだ小さな、それでもたくさんの光が灯り始めていた。見る間にも少しずつ星の光が強く、数も多くなる。そして太陽の沈んだ方角には、上弦の月が輝きを増していた。
「すごいね……星。それに、月も」
思わずセラの顔には、笑みがこぼれた。
「うん。……——セラ」
「ん」ノエルの呼びかけに、セラは振り返った。「なあに、ノエル」
もう太陽の光は、月明かりに取って代わられていた。それでも、薄暗くてもよく見える。いろんな困難があっても、信頼し続けてくれた笑顔が、そこにある。
「……その」ノエルは、藍色の海と空に、目線を戻した。「きれいだなって……星が」
「うん、そうだね。すごくきれい……」
「星も、そう、でも、全部」
「ふふ、うん」
伝えきれていないことがあったとしても、今はそれでもいいと思った。
ノエルは息を吐き出して、頭の真上に輝く星を見上げながら、呟く。
「なあ……セラ」
「うん」
「やっぱり——この世界って、きれいだな」
「……うん」
「俺が見た、最後の景色は……この世界の一部だけ、だったんだな。ほんとは、もっと、こんなにきれい」
クリスタルの砂塵に覆われた、植物も人も、育たない大地。みんなが失意の中、死んでいった。ノエルはひとりきりで有害物質にまみれた海を見て、絶望していた。
それでも、この世界にあるのは、そんな悲しみだけじゃなかった。
セラと共に変えようとしている未来は、きっと、今まで見たことないくらいの、……——
「こんな綺麗な景色を見せてくれた偶然と、セラと、女神エトロに、感謝。……またこの先も、こうして、きれいな世界を見られるように——」
ざん、とひときわ大きな波の音が耳に届いて、セラが何を言ったのか、それとも何も言わなかったのか、ノエルにはわからなかった。
また言葉が途切れて、波の音。日の光がなくなったからか、ふいに、ひんやりする風が肌をかすめる。
「……セラ。寒くなってきただろ。……どうする? もうそろそろ、行くか……?」
一方のセラは、答えない。動く気配もない。
「……セラ?」
ノエルが身体を振り向けると、遅れて返事が返ってきた。
「……うん、そうだね」
普段通りの声にも聞こえる。それでもノエルには急に、言いようのない不安が襲った。
ノエルよりも先に、セラは立ち上がった。ゆっくりと伸びをしてから、手や身体についた砂埃を、払っている。
「……セラ」
「どうしたの? 行こう?」
行こうと言い出したのはノエルだったが、とてもそういう気持ちにはなっていなかった。まだ腰を下ろしたままで、セラを見上げる。
「本当に……平気?」
「平気だってば、ノエル。大丈夫」
セラは、なんでもないように答える。ノエルは、何を聞けばいいのかわからなくなった。
それでも、じゃあいいとは言えない。
「……その……、今、何か視えたりしてる?」
三日月の明かりだけでは、セラの瞳のエトロの紋章が浮かび上がっているかどうかまでは、よく確認することができない。
「大丈夫。視てたら、ちゃんと言うよ」
セラは、視えていないと言う。それでも、ノエルは何かを聞かなければいけないと思った。
「……だけど」
ノエルは腰を下ろしたまま、立ち上がったセラの手を引いた。
「なあ、セラ、待って。……やっぱり、平気じゃないんじゃないか?」
セラは戸惑って、答えに窮した。
「エトロの瞳のことなら……今は」
「ごめん。そうじゃなくて」
ノエルは首を大きく振って、自分の心の中から、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……セラ。やっぱり、前に進むこと、決めたこと、後悔、してないか? 本当に、お前、いいのか? 心配ないって俺が言ったって、セラも大丈夫って言ったって……ほんとの心の中は? やっぱり、不安、ないか……?」
波がひとつ立って消えるまでの間、セラの返事はなかった。その後にようやく、声が返ってきた。
「うーん。どうなんだろう、ね……」
声音は、明るいというわけでもなく、落ち込んでいるというのでもなかった。
「でも、大丈夫、だよ。……きっとね、こういうのって、不安だって言うから、もっと不安になるんだよ。だって、大丈夫、なんでしょう? さっきノエルだって、言ってたでしょう?」
顔の表情も、あまり見えない。言葉を聞いたって、わからない。
それでも、一緒に旅をしてきた今は、目に見える表現以外のものがあることも、お互いに感覚的に、わかっている。
ノエルは、ゆっくりと首を振った。
「いくら平気って思っててもさ、心の中はぐらついてることあるの、わかる。……俺の夢の中、見ただろ? 俺だって、そう。だから、知ってる。……そう、自然なこと。
セラが時詠みの運命を知っても前に進むって言ったこと、みんなと俺のために、って言ってくれたことも、——ちゃんと、受け止めてる。それが違ってるなんて、全然思ってない。それでも、……それ以外の気持ちだって、あってもおかしくない」
ノエルは、セラの手をつかむ手に、力を込めた。
「セラの気持ち、大切だから。大事なこと気づかないの、嫌だから。……だから、言って、セラ。頼むから。何でもいいんだ、どんなことでも。気づいてたかもしれないのに見過ごしてたなんて、……これ以上は、ほんとに自分を、許せないから」
時詠みの運命を知らなかったこと、旅の途中で思い出せなかったこと。それを悔やむ気持ちは、どうしてもまだ残っていた。
「俺……このままでもいいから。セラが先に進むの怖いって言うなら、俺、いつでも——」
「……ごめん、やめて、ノエル。それ以上、言わないで……おねがい」
言いかけた言葉は、セラが遮った。
「セラ、っだけど、言える時じゃないと」
「だめ、だよ……」
セラは、囁くように言った。
「だって。そんな風に、言われたら、私……」
声は、波の音に紛れそうなくらい、かすれていた。セラは片方の手を口に当てて、しゃくりあげそうになるのを、必死にこらえていた。
いたわしさに、ノエルは、掴んでいた手を緩めざるを得なかった。
「……ごめん」
セラは大きく息を吸って、また大きく吐き出した。
「……ね、ノエル。ほんと、ノエルの言うとおり。奇跡みたいな、時間だったね」
セラは、かすれながらも、無理矢理にでも明るい声を作った。
「私……ずっとこうして、見ていたかったな。海も、夕焼けも、星空も、ぜんぶ、きれいで。ノエルだけじゃない、私も、この世界のこと、もっとよく、知ることができたよ。見てるだけで、心が、静かになってく、みたいで……」
セラは、泣きながらも、笑った。細い月明かりは、そんなセラを静かに照らした。
「それでも……時間って、刻一刻、と、過ぎてるものだね。さっきの、夕焼けみたい。
だから——旅に、戻らないと。ヴァルハラで、お姉ちゃん、戦ってる。私が回り道した分だけ、長い時間を、一人だけで。だから……」
その後は、声にならなかった。言おうとすればするほど、喉が締め付けられるように苦しい。
ノエルは、言おうと思っていたことの続きを、言い切れなかった。完全に納得できたかといえば、わからない。また同じことを言ってしまうかもしれない。それでも——
「——そうだよな」
ノエルは、立ち上がった。詰まっていた息を解放するようにゆっくりと吐き出しながら、言う。
「……セラの言うとおり、時間は、刻一刻と過ぎてる。それは、確実。でも……だからこそ」
ノエルは、静かにセラの肩を引き寄せると、そっと抱きしめた。
「目の前の一秒一秒が……大切ってこと」
大切に思うからこそ、言いたい言葉がある。
大切に思うからこそ、言えない言葉がある。
そうして500年も、伝えきれない言葉を抱えて——
転生してからも、今も、ずっと、同じ。
そのまま、新しい世界のやりきれない現実に、埋もれていくかと思った時も……あったけど
お互いと、そして——女神エトロが、見せてくれた。
この世界には、奇跡みたいにきれいなものが、あるんだって。
今でも……そう信じてる?
*
「……なあ、セラ。あの時視たのは……」
隣にいるセラが、顔を向けて、窺う。それでも、ノエルは、首を振った。
「……いや」
脳裏に浮かんでいたのは、今二人の上に浮かぶ紺色の空よりも、ずっとずっと明るい空色。あの空みたいに明るい未来が続いていくんだ、と、信じていた瞬間の、澄み切った、かなしい青空。
もしまた会えたら、聞いてみたいと思っていたこと。あの時の”最後の言葉”の意味を、今も聞けずにいる。——それでも、喉まで出かかった問いを、ノエルは飲み込んだ。聞く必要があるのかも、もう、わからなくなった。
見上げると、今頭上にあるのは、夜空いっぱいに散りばめられた、小さくて遠い光。
「昔一緒に見た空も、こんなだったかなって……」
ノエルは、深く息を吐き出した。隣にいるセラは、何も言わず、柵に手をかけたままでまっすぐに眼下に広がる街の夜景を見つめていた。
気の遠くなりそうな時間をかけて、ようやく踏み入れた、新しい世界。……何もかもが、変わった。社会の成り立ちも、人も。魔法もなければ、神もファルシもいない。人は新しい世界に転生して——時間の流れない膿んだ500年の記憶はほとんど持たずに、新しい人生を、生きている。
それでも、あの時の記憶は、自分たちにだけは残ったまま。
守ると言ったのに、守れなかった。転生して新しい人生を歩もうとして、叶った願いもあるのに、どうしても残る違和感と、消しきれない後悔、自己嫌悪。それぞれがそれぞれに、割りきれない思いを抱えたままで、生きてきた。
——その記憶がいつまでも残る意味を、ずっと、考えていた。
ふいに、ぶる、とセラが身震いして、自分を抱くように手のひらを両腕に当てた。
「セラ、平気? ……寒い?」
「ごめんね、ちゃんと言っておけば、よかったね。このあたりは、夜は、少し冷えるんだ。ノエルは、大丈夫?」
「平気。俺より、セラだろ? ……あいかわらず薄着。だから余計。からだ、冷えないようにしないと。——ほら」そう言って、ノエルはセラの腕に手のひらを当てた。「腕も、冷えてる」
ノエルは自分で着てたパーカーを脱いで、セラの肩にかけた。
「でも……ノエル」
「いいから」
有無を言わせない口調でノエルが言うと、セラは、そっとパーカーをたぐり寄せた。
「……ありがとう。いつも薄着だし、自分じゃわからなくなってたのかもしれないね。相変わらず私、頼りないね。ノエルに心配ばっかりかけちゃって、ごめんね」
「……ごめんなんて言う必要、ない」
ノエルは、首を振る。それでも、続く言葉はなかなか見つからない。何を言いたかったのか、何を言って欲しかったのか。
セラは、息を吐いた。「……うまく、言えないものだね。せっかくノエル、来てくれたのに。話したいこと、まだ他にもあった気がするのにな……」
そこまで何とか言えたけれど、それからは、セラも言葉が続かなくなった。
伝えきれていないことがある。昔も、やっと会えた今も。
言葉には乗せられない、思い。それでも、話さなくても伝わることもある気がした。そこにいるだけで、お互いの気持ちが、伝わるような。
それでも、もっと他にも、きちんと伝えたいと思っていたこともあるのに、何をどう伝えたらいいのか、だんだんわからなくなる。
——また、伝えられないままで、いい? このままだと、今回も今後も、ずっと同じ。
今、やっと会えて。伝える機会が、目の前にあるのに。
今言わないなら、次はまたいつ会うかわからない。今の二人は、別々の土地で、別々の暮らしをしているから。次また会える保証は、どこにもない。永遠に、次がなくなってしまうことも。
「……セラ」
ノエルは、セラの方に向き直る。
「……ノエル?」
ふいに、月明かりに照らされた薄い青の目が、ノエルを見つめる。
涙の跡の残る瞳。それは、優しさをたたえて。だけどどこか、なくした記憶を探すように、切なそうで——
吸い込まれていく
セラは、「会いたい」って言ってくれたから
伝える言葉を探す前に、腕を引き寄せて、キス、してた
さてさて、びじさんの
「言葉の裏側」から妄想してたノエセラバージョンです。すごく時間がかかってしまいました!!
骨格だけは当初からあったのですが、何となく当初のイメージから微妙に変わってきたりしてですね、びじさんの作品のイメージからちょっとずれてしまったかもしれません……汗
ノエセラさん、おもいやりすぎて閉じ込めた言葉もたくさんありそうですよね〜っていう妄想……
お互い考えてることがよくわからない感、二人が見たであろう世界のきれいさってどんなもんなのかとか、どうそれを表せるのかとか、なんだか四苦八苦しました。精進したいです。なお他で書いた文「Echoes of You」と繋がってるイメージで書きました。
おもいやりすぎて言えなかったことも、転生後は伝えてほしいなあ……
なんだかんだいってノエルさんは言葉の表とか裏とかきっと苦手なイメージありますけど。笑
まあまたいい意味で二人の関係性のバランスが崩れてわたわたするということでいいんじゃないか←
あれっ 今さら気付きましたが、びじさん!私のもびじさんのも、モグがフェードアウトしてますね 笑